第50話 零号資料庫、聖女再現計画より古い記録
旧研究棟へ向かう朝の空は、嫌になるほど青かった。
こういう時、空くらいはもう少し曇っていてもいいと思う。
青空の下で、封鎖された旧研究棟へ向かう。
その響きだけで、十分に胃が重い。
昨日、ミュレアの仮学生証型制御具の試験中、黒水晶片が反応した。
反応先は、王立学園旧研究棟の地下深層。
表示された名前は、零号資料庫。
聖女再現計画よりも古い記録がある可能性。
聖女。
王家結界。
魔王封印。
その三つが、古代の同じ術式体系から派生しているかもしれない。
ただの学園事件だと思っていたものが、どんどん古代の大きな話へ繋がっていく。
正直、俺は学園で静かに相談窓口の手伝いでもしていたかった。
いや、それも十分騒がしいのだが、少なくとも古代資料庫よりはましだ。
「レン、顔」
隣を歩くセリカさんが言った。
「また終わってますか」
「終わってるというか、諦めきれてない顔」
「何をですか」
「静かな生活」
「……」
図星だった。
俺が黙ると、セリカさんは少しだけ笑った。
「ここまで来たら、もう半分くらい諦めた方が楽よ」
「半分で済みますかね」
「済まないかも」
「言わないでほしかったです」
リリアが反対側から柔らかく言う。
「でも、今日は一人ではありません」
「はい」
リリアは白いケープの上から、ギルド治癒師章をつけている。
その横には、アリシア王女がいた。
王女は学園制服ではなく、王家の結界術を扱うための簡素な儀礼外套を羽織っていた。
青白い刺繍が朝の光に淡く浮かぶ。
「零号資料庫の調査は、王家としても見届ける必要があります」
アリシア王女は静かに言った。
「聖女、王家結界、魔王封印。その三つが同じ古代術式に関わるなら、私も無関係ではありません」
そして、俺の少し後ろにはミュレアがいた。
仮学生証型制御具を胸元から下げ、制服風の魔力衣装に身を包んでいる。
濃紺の上着。
白いシャツ。
黒紫の細いリボン。
そして、やけに堂々とした立ち姿。
似合っている。
とても似合っている。
だが、それを口に出すとまた面倒になりそうなので黙っていた。
ミュレアは俺の沈黙を見逃さなかった。
「レン」
「はい」
「妾の制服姿を見て、何か言うことはないのか?」
「……似合っています」
「最初からそう言えばよい」
満足そうだった。
セリカさんが横からじとっと見る。
「今、かなり素直に褒めたわね」
「聞かれたので」
リリアも静かに微笑んでいる。
「レン、昨日も少し想像していましたものね」
「リリア、その話はここで広げないでください」
アリシア王女が少しだけ笑いをこらえている。
ノエルは完全に別方向だった。
「ミュレアさんの魔力衣装、制御具と連動してる。外見設定と封印安定を同時にやるの、かなり面白い。黒紫のリボン部分が魔力放出抑制の補助になってるんだよね」
「眼鏡の研究娘、そなたは見た目より構造しか見ておらぬな」
「どっちも見てる」
「ならばよい」
ミュレアはなぜか満足した。
ユリアナ生徒会長も同行していた。
生徒会長として、学園内の封鎖区域調査に立ち会う必要があるらしい。
今日も完璧な制服姿だが、昨日より少しだけ顔色はいい。
少なくとも、表示は少し改善していた。
ユリアナ・フォン・グランベル
状態:緊張、責任感、軽度疲労
備考:昨夜は普段より早く休みました
俺がそれを見て少し安心していると、ユリアナが視線を向けてきた。
「レン様。何か?」
「いえ、少し顔色が良さそうで安心しました」
「……観察対象が逆転していませんか」
「すみません」
「謝罪は不要です。ただし、私の体調確認は本日の主目的ではありません」
「分かっています」
セリカさんが小声で言った。
「でも大事よ」
リリアも頷く。
「はい。大事です」
ユリアナは一瞬だけ困った顔をして、すぐに表情を整えた。
「調査後に休息時間は確保しています」
「それならよし」
セリカさんが言うと、ユリアナは少しだけ不思議そうに彼女を見た。
監視者が増えている。
俺だけではない。
ユリアナも、もう周囲から見られる側になっている。
いいことなのかもしれない。
旧研究棟の前には、学園長エルドリッジ先生とミリア先生、ギルド長ダリウスさん、オルフェさんが待っていた。
建物は以前より厳重に封鎖されている。
扉には学園と王宮とギルド、三つの封印が重ねられていた。
学園長は俺たちを見回し、静かに言った。
「本日の目的は、旧研究棟地下深層に存在する可能性がある零号資料庫の確認です。危険を感じた場合、即時撤退します」
ノエルが小さく手を上げる。
「危険でも記録だけは」
「即時撤退です」
学園長は柔らかい声で断言した。
ノエルは少しだけしょんぼりした。
オルフェさんが続ける。
「昨日反応した黒水晶片は、ミュレアさんの封印魔力に強く反応しました。ただし、記録上は聖属性と王家結界術にも反応痕跡があります。つまり、零号資料庫を開くには、ミュレアさん、リアさん、アリシア殿下の三系統が必要になる可能性が高い」
「三系統……」
リリアが小さく呟く。
ミュレアは腕を組んだ。
「聖女、王女、魔王令嬢。随分と物騒な鍵じゃな」
アリシア王女が穏やかに返す。
「物騒ですが、そろってしまいましたね」
「人間の王女よ、そこで少し笑うのはなかなか豪胆じゃ」
「笑っていないと、少し怖いので」
「ふふ。正直でよい」
この二人、妙に相性がいい。
ダリウスさんが俺を見る。
「レン。見えるか」
俺は旧研究棟を見る。
封印の向こう。
床下。
地下炉のさらに奥。
赤黒い危険表示は、以前ほど強くない。
だが、深いところに静かな光がある。
白。
青白。
黒紫。
三つの光が、ゆっくり呼吸している。
零号資料庫
状態:微弱起動
開放条件:古代三系統共鳴
必要要素:聖女系統、王家結界系統、魔王封印系統
注意:記録防衛機構あり
危険度:中
「危険度は中。記録防衛機構があります。開放にはリリア、アリシア殿下、ミュレアの三系統が必要です」
ユリアナがすぐに記録する。
「危険度中。記録防衛機構あり。三名の協力が必要、と」
ノエルが横から覗く。
「記録防衛機構、種類分かる?」
「まだ分かりません」
「分かったらすぐ言って」
「はい」
完全にいつもの流れになっている。
学園長が頷いた。
「では、入ります」
◇
旧研究棟の中は、以前と違っていた。
埃の匂いはまだ残っている。
古い木の床も、軋む階段も同じだ。
だが、地下魔力炉が停止し、証拠品が運び出され、警備隊が調べた後だからか、あの嫌な赤黒い気配はかなり薄れていた。
それでも、リリアは少し緊張している。
ここは、彼女やアリシア王女の聖力を吸おうとした場所だ。
平気なはずがない。
「リリア、大丈夫ですか」
「はい。少し怖いですが、大丈夫です」
リリアはそう答えた。
無理をしていないか表示を見る。
リリア・セレスティア
状態:緊張、警戒、決意
備考:過去の恐怖はあるが、逃げずに向き合おうとしています
俺が少し安心していると、リリアに見つかった。
「レン、今見ましたね」
「すみません」
「謝らなくてもいいです。……でも、心配しすぎないでください」
「はい」
セリカさんが横から言う。
「お互い様ね」
「そうですね」
旧研究棟の資料室から、地下へ降りる。
前に暴走炉を止めた階段だ。
地下通路はすでに王宮と学園によって封鎖・補強されていた。
魔導人形の残骸も撤去され、危険な魔力線も処理されている。
それでも、ノエルは壁の術式を見て眉をひそめた。
「やっぱり旧式導管が深いところまで続いてる。地下炉は後付けで、もっと古い設備を利用してたんだ」
「つまり、ラゼル教授たちも零号資料庫を知っていた?」
俺が聞くと、ノエルは首を横に振った。
「たぶん知らない。知ってたら、地下炉なんて雑なものを手前に作らないと思う。零号資料庫は、もっと古くて、もっと隠されてる」
ミュレアが壁に触れようとして、リリアに見られて手を止めた。
「触らない方がいいのだったな」
「はい。まず確認してからです」
「白き娘、そなたは妾の監視が板についてきたな」
「ミュレアさんがすぐ触ろうとするからです」
ミュレアは不満そうだが、素直に手を引っ込めた。
前より聞き分けがよくなっている。
甘いもの効果だろうか。
地下炉心室の手前で、俺の視界に新しい表示が浮かんだ。
隠し降下路
位置:炉心室北壁裏
開放条件:三系統反応
注意:通常魔力では検知困難
「北壁の裏に、さらに下へ降りる道があります」
俺が言うと、全員の視線が北壁へ向いた。
そこはただの黒石の壁に見えた。
魔法文字もない。
扉の継ぎ目もない。
ノエルが目を細める。
「何も見えない。すごい隠蔽。たぶん、魔力で探すと逆に見つからないタイプ」
アリシア王女が一歩前へ出る。
「では、三系統反応を」
リリアが頷く。
「はい」
ミュレアは軽く笑った。
「ようやく妾の出番じゃな」
「出力は抑えてください」
リリアが即座に言う。
「分かっておる」
「本当に?」
「白き娘までレンのような確認をするでない」
ミュレアは少し拗ねた。
三人が北壁の前に立つ。
リリアの白い聖力。
アリシア王女の青白い王家結界術。
ミュレアの黒紫の封印魔力。
三つの光がゆっくり広がる。
最初は別々だった。
だが、壁の前で互いに触れると、奇妙な模様を描き始めた。
三角形。
円。
重なり合う三つの輪。
俺の視界に表示が出る。
古代三系統共鳴
同調率:上昇
聖女系統:安定
王家結界系統:安定
魔王封印系統:制御具により安定
開放可能
壁が音もなく揺れた。
黒石の表面に、細い光の線が走る。
それは扉ではなかった。
壁そのものが、奥へ沈んでいく。
その向こうに、さらに下へ続く螺旋階段が現れた。
空気が変わる。
古い。
とても古い。
地下魔力炉の淀んだ空気とは違う。
静かで、冷たくて、長い時間を眠っていた場所の匂いだった。
ミュレアが小さく呟く。
「……懐かしい」
「ミュレアさん?」
「いや。妾の記憶ではない。封印に刻まれた古い気配じゃ」
リリアも胸元を押さえる。
「私も、少し……知っている気がします。知らないはずなのに」
アリシア王女も頷いた。
「王家の古い祈祷文に近い響きがあります」
三人が、同じ場所に別々の懐かしさを感じている。
そのことが、不気味だった。
学園長が低く言う。
「進みましょう。ただし、少しでも危険があれば戻ります」
俺たちは螺旋階段を下り始めた。
◇
階段は長かった。
足音が石壁に反響する。
灯りはない。
だが、壁に刻まれた古い文字が、三系統の光に反応して淡く光っている。
ノエルは目を輝かせながらも、手を出さなかった。
ユリアナが隣で記録している。
「ノエル様、触れないでください」
「触らない。見てるだけ」
「三歩以上近づく時は申告を」
「生徒会長、地下でも規則が強い」
「安全管理です」
ノエルは少し不満そうだが、従っている。
意外とユリアナの言うことは聞く。
いや、聞かざるを得ないのかもしれない。
階段の終わりに、白い扉があった。
石でも木でも金属でもない。
骨のような白。
月光を固めたような質感。
扉の中央には、三つの紋章が彫られていた。
白い杯。
青い冠。
黒い鎖。
それぞれ、聖女、王家、魔王封印を示しているのだろう。
表示が出る。
零号資料庫入口
状態:封鎖
認証:三系統共鳴
防衛機構:記憶幻影、侵入者判定
注意:敵意を持つ者には開きません
「防衛機構は記憶幻影と侵入者判定。敵意を持つ者には開かないそうです」
ダリウスさんが眉をひそめる。
「敵意の定義が厄介だな」
「はい。俺たちは調査目的ですが、ミュレアを危険視する気持ちもゼロではありません」
言うと、ミュレアが少し笑った。
「そこを正直に言うのが、そなたらしい」
「嘘をついても意味がないので」
アリシア王女が静かに言った。
「警戒は敵意ではありません。相手を道具として扱う意志が敵意と判定されるのかもしれません」
リリアが頷く。
「なら、私たちは開けられると思います」
ミュレアが少しだけ目を細めた。
「白き娘は、妾を信じておるのか?」
「完全に危険ではないとは言いません」
リリアは正直に言った。
「でも、ミュレアさんを道具として扱うつもりはありません」
ミュレアは少し黙った。
それから、そっと笑った。
「よい答えじゃ」
三人が扉の前に立つ。
白い杯にリリアの光。
青い冠にアリシア王女の光。
黒い鎖にミュレアの光。
紋章が同時に輝いた。
扉が開く。
中から、無数の光があふれた。
それは資料庫というより、星空だった。
広い円形の空間。
壁一面に浮かぶ記録水晶。
空中に並ぶ古代文字。
中央には、三つの柱。
白い柱。
青い柱。
黒い柱。
それぞれに、古代文字が刻まれている。
ノエルが息を呑んだ。
「本当に……あった……」
ユリアナも記録する手を止めた。
「これが零号資料庫……」
俺は部屋の中央を見る。
表示が出る。
零号資料庫
用途:古代三系統記録保管
記録内容:聖女系統、王家結界系統、魔王封印系統
備考:聖女再現計画以前の原典記録を含む
原典記録。
それだけで、重い。
ノエルは震える声で言った。
「ここ、学園史どころじゃない。王国史、教会史、魔族史、全部ひっくり返るかもしれない」
ダリウスさんが厳しい声で言う。
「興奮するのは後だ。まず安全確認」
「分かってる」
本当に分かっているらしく、ノエルは一歩下がった。
その時、中央の三本柱が光り始めた。
古代文字が空中に浮かぶ。
読めない。
だが、俺の表示が翻訳する。
記録抜粋
古代盟約期
三系統は一つの均衡儀式より分かたれた
白は癒やし
青は守り
黒は封じる
三つは敵対にあらず
世界の過剰を鎮める均衡である
「三系統は、一つの均衡儀式から分かれた……白は癒やし、青は守り、黒は封じる。三つは敵対ではなく、世界の過剰を鎮める均衡」
俺が読み上げると、全員が黙った。
リリアが白い柱を見る。
「聖女の力は、癒やし」
アリシア王女が青い柱を見る。
「王家結界は、守り」
ミュレアが黒い柱を見上げる。
「魔王封印は、封じる」
彼女の声は、いつもより低かった。
「つまり、妾の封印系統は、ただ魔族を閉じ込めるためのものではなかったということか」
表示が続く。
古代記録
封じる力は、敵を罰するためにあらず
暴走する力を眠らせ、時を与えるためにある
封印は刑ではなく、均衡のための休眠である
俺はそれも読み上げた。
ミュレアの表情が止まった。
「封印は刑ではなく、休眠……」
その言葉が、彼女にどう響いたのかは分からない。
ただ、少しだけ痛そうな顔をした。
リリアがそっと言う。
「ミュレアさん」
「妾は罰として封じられたと思っておった」
ミュレアの声は静かだった。
「危険だから。魔王家だから。世界に害をなすから。そういう意味で封じられたのだと」
「違う可能性がある、ということですね」
アリシア王女が言う。
「少なくとも、この記録では」
ミュレアは何も言わなかった。
ただ、黒い柱を見つめていた。
ノエルが別の記録水晶を見ていた。
「こっちに聖女系統の記録がある。聖女は個人名じゃなくて、白の系統を受け継ぐ調整者の称号……?」
オルフェさんも別の文字を確認する。
「王家結界術も、元々は血統による独占ではなく、青の系統を管理する役割だったようです。後世に王家が継承者となった、と」
つまり、聖女も王家も魔王封印も、最初から今の形だったわけではない。
長い歴史の中で、役割が制度になり、制度が権威になり、権威が誰かを縛る鎖になった。
リリアは胸元を押さえた。
「聖女は、教会の所有物ではなかった……」
その言葉は小さかった。
けれど、とても重かった。
教会は聖女を定め、管理し、偽物と呼び、異端と呼ぼうとした。
だが、もし原点が違うなら。
聖女とは、本来もっと自由で、もっと広い役割だったのかもしれない。
アリシア王女も顔を引き締めた。
「王家結界も、王家の権威を示すだけのものではない。守りの役割……」
ミュレアが低く笑った。
「そして魔王封印も、罰する鎖ではなく、眠らせる均衡か。ふふ。人間も魔族も、ずいぶん長く勘違いを重ねたものじゃ」
「ミュレアさん」
「怒ってはおらぬ」
彼女はそう言った。
だが、完全に平静ではない。
「ただ、少しだけ……腹立たしい」
その「少しだけ」は、たぶん少しではない。
◇
資料庫の奥に、古い石碑があった。
他の記録水晶とは違い、物理的な石碑として残されている。
表面には、三つの紋章と、さらに別の文字列が刻まれていた。
俺が近づくと、表示が出た。
古代石碑
注意:魂同調者に関する記録
閲覧条件:感情同期系統保持者
魂同調者。
俺の胸が少しざわついた。
「魂同調者に関する記録があります」
そう言うと、全員がこちらを見た。
ノエルの目が一気に輝く。
「魂同調者?」
「閲覧条件は、感情同期系統保持者」
「レンのこと?」
「たぶん」
俺は石碑へ手を伸ばす前に、皆を見た。
「触ってもいいですか」
セリカさんが即座に言う。
「危険表示は?」
「今のところはありません。ただ、情報が流れ込む可能性はあります」
リリアが心配そうに言う。
「無理はしないでください」
「はい」
ユリアナも記録板を構えながら言った。
「異常があれば即時停止します」
「お願いします」
俺は石碑に触れた。
瞬間、文字が光る。
頭の奥に、古い声のようなものが響いた。
言葉ではない。
でも意味は分かる。
魂同調者
白、青、黒の均衡を繋ぐ第四の観測者
好意、信頼、恐れ、絆
心の向きを読み、力の流れを結ぶ者
ただし、同調者は多くの感情を受ける
支えなくば、己を失う
俺は、ゆっくり読み上げた。
「白、青、黒の均衡を繋ぐ第四の観測者。好意、信頼、恐れ、絆。心の向きを読み、力の流れを結ぶ者。ただし、同調者は多くの感情を受ける。支えなくば、己を失う」
講堂のように静まり返った。
ノエルが震える声で言う。
「レンの能力……ただの好感度可視化じゃない」
ミュレアが俺を見る。
「妾とのリンクも、その第四の観測者ゆえか」
リリアが心配そうに一歩近づく。
「支えなくば、己を失う……」
セリカさんが俺の腕を掴んだ。
「レン」
「大丈夫です」
「今の大丈夫は信用できない」
「……少し、怖いです」
正直に言うと、セリカさんの手の力が少し緩んだ。
「ならよし」
「よしなんですか」
「怖いって言えるなら、まだよし」
リリアもそっと言った。
「一人で受けないでください」
「はい」
アリシア王女も真剣な表情で言う。
「レン様の能力は、三系統を繋ぐ可能性がある。だからこそ、あなたを利用しようとする者も出るでしょう」
ユリアナがすぐに記録する。
「レン様の能力に関する情報は、厳重管理が必要です。公開範囲を限定すべきです」
ダリウスさんも頷いた。
「当然だ。ここにある記録は、全部持ち出し制限だな」
ノエルが少しだけ残念そうにしたが、すぐ真面目な顔に戻った。
「分かってる。これは雑に公開したら危険すぎる」
俺は石碑から手を離した。
すると、最後に一文だけ光った。
古代文字。
表示が出る。
魂の同調者が現れる時
封じられた第四の系統もまた目覚める
「魂の同調者が現れる時、封じられた第四の系統もまた目覚める」
俺が読み上げると、ミュレアが目を細めた。
「第四の系統?」
「白、青、黒とは別の?」
リリアが不安そうに言う。
アリシア王女も表情を硬くする。
ノエルは完全に考え込んでいた。
「第四の観測者とは別に、第四の系統がある? いや、同調者が観測者なら、系統は別物。封じられた第四……記録が続いてない?」
俺は石碑を見る。
だが、文字はそこまでだった。
表示も途切れている。
第四の系統
詳細:不明
記録封鎖中
記録封鎖中。
まただ。
深いところに、まだ何かがある。
ダリウスさんが低く言った。
「ここで長居はしない。必要記録だけ保全して戻る」
「でも、第四の系統が」
ノエルが言いかけると、ユリアナが言った。
「ノエル様。情報量が多すぎます。ここで追加調査を続けると判断が鈍ります」
「……分かってる」
ノエルは悔しそうだが、今回は引いた。
リリアは白い柱を見つめていた。
「聖女は、教会の所有物ではない」
小さく、もう一度言う。
アリシア王女は青い柱へ手を添えずに見つめる。
「王家結界は、権威ではなく守り」
ミュレアは黒い柱へ視線を向ける。
「封印は罰ではなく、休眠」
三人の声が、それぞれの柱に吸い込まれるようだった。
そして俺は、石碑を見る。
魂同調者。
好意、信頼、恐れ、絆。
心の向きを読み、力の流れを結ぶ者。
好感度限界突破。
ただのモテチートのような名前だった力が、急に古代の重い役割に繋がってしまった。
俺は思わず呟く。
「……話が重くなりすぎでは」
セリカさんが隣で言う。
「今さらね」
「今さらですか」
「でも、重いなら一人で持たない」
リリアが頷く。
「はい。一緒に持ちます」
アリシア王女も静かに言う。
「私も、関係者です」
ミュレアが笑う。
「妾もじゃな。監視者よ、逃がさぬぞ」
ノエルが続ける。
「私は記録と研究担当」
ユリアナが即座に言う。
「研究は制限付きです」
「分かってる」
少しだけ笑いが生まれた。
地下深くの古代資料庫。
重い真実の前で、それでも笑える。
たぶん、それが今の俺たちの強さなのだと思う。
◇
零号資料庫から戻る時、俺は最後にもう一度だけ振り返った。
三本の柱は、静かに光っている。
白。
青。
黒。
そして、中央奥の石碑。
第四の系統。
まだ分からないことだらけだ。
けれど、いくつかのことは分かった。
聖女再現計画は、古代三系統の一部を歪めて利用しようとしたものだった可能性が高い。
リリアの聖女としての力も、アリシア王女の王家結界も、ミュレアの封印も、本来は敵対するものではない。
そして俺のスキルは、その三つを繋ぐ何かに関わっている。
嫌になるくらい、大きな話だ。
でも、もう見なかったことにはできない。
階段を上がる途中、ミュレアが隣に並んだ。
「レン」
「はい」
「妾は、少しだけ気分が悪い」
「封印の話ですか」
「うむ。罰ではなく休眠。均衡のための封印。そんな綺麗な言葉で、妾は長く一人だった」
彼女の声は静かだった。
「綺麗な役割でも、使い方を間違えれば鎖になる。聖女も、王家も、封印も、同じじゃな」
「はい」
「ならば、そなたの力もそうじゃ」
ミュレアが俺を見る。
「魂同調者などという大層な名がついても、使い方を間違えれば鎖になる」
「分かっています」
「本当に?」
ミュレアの問いは、リリアやセリカさんの確認と少し似ていた。
俺は小さく笑った。
「最近、みんなに確認されます」
「確認されるうちが花じゃ」
「そういうものですか」
「うむ。誰にも確認されなくなった時が危ない」
ミュレアはそう言って、少し先を歩いた。
その後ろ姿は、制服姿の少女のようでもあり、長く封じられていた魔王令嬢のようでもあった。
地上へ戻ると、青空はまだそこにあった。
朝より少しだけ眩しく見えた。
零号資料庫で見つけた記録は、これから厳重に保管される。
公開範囲も絞られる。
でも、真実はもう動き始めた。
聖女。
王家。
魔王封印。
魂同調者。
封じられた第四の系統。
俺の静かな学園生活は、いよいよ古代史の奥へ引きずり込まれつつある。
けれど、地上へ戻った瞬間、ミュレアが言った。
「ところでレン。調査後の甘味は?」
全員が一瞬黙った。
リリアが少し笑う。
「今日は一品だけですよ」
「白き娘、そなたは本当に手強い」
セリカさんが呆れたように言った。
「この状況で甘いものの話ができるの、逆にすごいわ」
ミュレアは胸を張る。
「重い真実の後には甘味が必要じゃ」
ノエルが真面目に頷いた。
「糖分は脳に必要」
「ノエルまで」
ユリアナが記録板を閉じながら言った。
「調査後の休息は必要です。甘味については、量を守るなら認めます」
「生徒会長まで!」
俺は思わず声を上げた。
アリシア王女が楽しそうに微笑む。
「では、今日は皆で少し休みましょう」
重い真実を見つけた。
でも、休むことも必要だ。
そう言われている気がした。
俺は小さく息を吐く。
「分かりました。甘いもの、買いに行きましょう」
ミュレアが満足そうに笑った。
青空の下、旧研究棟の重い扉が閉じられる。
その奥に、零号資料庫は眠っている。
そして俺たちは、また一つ大きな謎を抱えたまま、ひとまず甘いものを買いに向かうことになった。
古代三系統の秘密より先に、今日のミュレアの糖分量をどう抑えるか。
それもまた、今の俺たちらしい問題だった。




