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第43話 王立学園へ戻った俺、完全に有名人になっていた

 ミュレアへの甘いものは、結局その日のうちに買うことになった。


 ギルド近くの菓子店で、蜂蜜を練り込んだ焼き菓子と、果実の砂糖漬けを少し。

 リリアは「いきなり食べすぎると身体に負担があるかもしれません」と真面目に選び、セリカさんは「甘いものを人質にすれば、少しは大人しくなるかしら」と物騒なことを言い、俺は店主から「贈り物ですか?」と聞かれて返答に困った。


 封印された魔王令嬢への差し入れです、とは言えない。


 結果として、


「知人に」


 とだけ答えた。


 知人。


 魔王令嬢ミュレア・ノクターンを知人扱いする日が来るとは、転生前の俺に言っても絶対信じないだろう。


 そして翌朝。


 俺たちは、王立学園へ戻ることになった。


 マルクスの拘束。

 教会監察部の一時権限停止。

 白銀枢機卿の影。

 ミュレアのギルド地下移送。


 問題は山ほど残っている。


 それでも、表向き俺たちは王立学園の特別調査生だ。

 学園での手続き、旧研究棟事件の報告、授業参加の再開も必要になる。


 正直、少しだけ気が重かった。


 王宮や教会絡みの騒動に比べれば、学園へ戻るくらい何でもない。

 ……と言いたいところだが、実際はそうでもない。


 なぜなら、王立学園には学生がいる。


 学生がいれば、噂がある。


 噂があれば、視線がある。


 そして俺は、視線に弱い。


「レン、また顔が終わってる」


 学園へ向かう馬車の中で、セリカさんがそう言った。


「終わってますか」


「終わってるわね」


「これから学園に戻るだけなのに」


「戻るだけで済むと思ってる?」


「済んでほしいとは思っています」


「願望ね」


 きっぱり言われた。


 リリアは隣で小さく笑っている。


 昨日より顔色はいい。

 ギルドで眠れたことと、ミュレアの移送が成功したことで、少し安心できたのかもしれない。


「私も少し緊張しています」


 リリアが言う。


「リリアも?」


「はい。旧研究棟のことも、王宮のことも、学園では噂になっているでしょうから」


「ですよね」


「でも、以前よりは怖くありません」


 リリアは胸元のギルド治癒師章に指を触れた。


「私は、戻らないと言えました。異端ではないとも言えました。だから、学園で何を言われても……少しは、自分で立てると思います」


 強くなった。


 そう思った。


 いや、もともと強かったのだろう。

 ただ、その強さを出せないように縛られていただけで。


 セリカさんもリリアを見て、少し柔らかい顔をした。


「何か言われたら、私もいるわ」


「ありがとうございます」


「もちろん、レンもいるけど」


 急にこちらへ振られた。


「はい。俺もいます」


「言い方が弱い」


「俺もいます」


「まあ、よし」


 判定が厳しい。


 頭の奥でミュレアの声が響いた。


『学園へ戻るのか』


「はい」


『妾の菓子は?』


「昨日届けましたよね」


『少なかった』


「リリアが量を決めました」


『白き娘は妾の健康を気にしすぎる』


 リリアが苦笑する。


「ミュレアさん、封印移送直後ですから」


『妾は魔王令嬢ぞ。菓子程度で揺らがぬ』


「そういう油断が一番いけません」


『むう。治癒師は手強い』


 ミュレアは少し不満げだったが、声は昨日より落ち着いていた。


 ギルド地下へ移って、誰かと話せる場所にいる。

 それが、彼女にも少しは良かったのだろう。


『レン』


「はい」


『学園とやらの話、忘れるでないぞ』


「帰ったら話します」


『王女のこともな』


「アリシア殿下の?」


『うむ。あの王女は気に入った。人間にしては檻の見方を知っておる』


 独特な評価だ。


 でも、アリシア王女ならミュレアとも本当に話ができそうな気がする。


 魔王令嬢と王女。


 普通なら危険すぎる組み合わせなのに、今の俺の周りでは「まあ、ありそう」と思えてしまう。


 慣れとは恐ろしい。


     ◇


 王立学園の門が見えた時、俺はすでに嫌な予感がしていた。


 門の前に、学生が多い。


 普段より多い。


 しかも、明らかにこちらの馬車を待っている。


「……帰りましょうか」


 俺が呟くと、セリカさんが即座に言った。


「駄目」


「まだ降りてません」


「降りるの」


「注目されてます」


「でしょうね」


「でしょうね、で済ませていいんですか」


「済ませるしかないでしょ」


 リリアが、少しだけ困ったように微笑む。


「私も一緒です」


「それは心強いですが、リリアも見られますよ」


「はい。でも、フードはかぶりません」


 リリアはそう言って、背筋を伸ばした。


 白い髪が肩に落ちる。


 ギルド治癒師章が、朝の光を受けて小さく光った。


 馬車が門前で止まる。


 先にセリカさんが降りる。

 続いてリリア。

 最後に俺。


 その瞬間、ざわめきが広がった。


「戻ってきた……」


「あれが旧研究棟事件の」


「王宮礼拝堂の儀式を止めたって本当?」


「レン・クロフォードだろ。外れスキルじゃなかったのかよ」


「王女殿下を救ったって聞いた」


「白い治癒師の子もいる」


「赤髪の剣士、昨日の噂の……」


 すごい。


 想像以上に広がっている。


 噂は馬より速いというが、この世界でも本当らしい。


 俺は視線を少し下げ、なるべく目立たないように歩こうとした。


 しかし、その試みは一瞬で失敗した。


 門の内側で待っていたミリア先生が、俺たちを見つけるなり、まっすぐ近づいてきたからだ。


「レン君、リアさん、セリカさん。お待ちしていました」


 業務的な声。


 だが、どこか安心したようでもある。


「ミリア先生。おはようございます」


「おはようございます。まず、学園長がお呼びです」


「やっぱり」


「ええ。旧研究棟事件、王宮報告、そして今後の学園内での扱いについて、説明があります」


 学園内での扱い。


 嫌な言葉だ。


 俺が顔をしかめると、ミリア先生は少しだけ苦笑した。


「心配しなくても、悪い話ではありません」


「悪い話ではないけれど、目立つ話ではありますか?」


 ミリア先生は一瞬黙った。


 沈黙が答えだった。


 セリカさんが横で言う。


「ほらね」


「何もほらねじゃないです」


 リリアが小さく笑う。


 学生たちの視線がさらに増える。


 俺は心の中で深く息を吐いた。


 静かな学園生活。


 初日から無理だったが、再登校でもやっぱり無理そうだった。


     ◇


 本校舎へ向かう途中、明らかに空気が変わっていることに気づいた。


 以前は、俺たちを見る目には好奇心と軽視が混じっていた。


 ギルド推薦の特別調査生。

 外れスキルで追放されたクロフォード家の三男。

 どこの馬の骨か分からない治癒師。

 家名を使わない赤髪の剣士。


 そういう扱いだった。


 でも今は違う。


 好奇心はある。


 警戒もある。


 けれど、軽視はかなり薄れていた。


 むしろ、距離を測りかねている。


 話しかけたい。

 でも、どう話しかければいいか分からない。

 そんな学生が多い。


 俺の表示にも、それが次々と浮かぶ。


学生A

状態:興味、緊張

備考:レンに魔力感応について聞きたいが、話しかける勇気がありません


学生B

状態:尊敬、困惑

備考:旧研究棟事件の噂を聞き、外れスキルという認識を撤回しています


学生C

状態:リリアへの憧れ

備考:教会に戻らないと宣言した元聖女の強さに驚いています


 見えすぎる。


 相変わらず、情報量が多い。


 でも、以前より悪意は少なかった。


 それだけで、少し歩きやすい。


 いや、注目されているので歩きやすくはない。


 精神的には全然歩きやすくない。


 そんな中、見覚えのある金髪の男子生徒が回廊の先に立っていた。


 レオン・バルツァー。


 初日に俺を「外れスキルで追放された三男」と呼んだ上級貴族の子息。


 彼の周囲には、以前と同じように取り巻きがいた。


 ただ、今日は彼自身の表情が違った。


 余裕ぶった笑みではない。

 少し硬い。


 そして、こちらへ歩いてくる。


 セリカさんが自然に半歩前へ出た。


 リリアも少しだけ背筋を伸ばす。


 俺は、できれば何事もなく通過したかった。


 だが、レオンは俺の前で立ち止まった。


「レン・クロフォード」


「はい」


「少し話せるか」


 逃げ道はなさそうだった。


「短くなら」


 セリカさんが先に言った。


 レオンは彼女を見る。


「君に聞いているわけでは」


「レンが疲れているから、長話なら止めるわ」


 レオンは一瞬言葉に詰まった。


 その顔が、少しだけ面白かった。


 いや、笑ってはいけない。


 レオンは咳払いをした。


「……長くはない」


 彼は俺へ向き直る。


「旧研究棟の件、聞いた」


「噂は早いですね」


「噂だけではない。学園長から、最低限の説明があった。詳細は伏せられているが、君たちが旧研究棟の異常を発見し、地下の違法設備を止めたことは事実だと」


「はい」


「王宮での件も、少しだけ」


「それは……まあ」


 少しだけで済んでいるのか怪しいが、深く聞きたくはなかった。


 レオンは少し沈黙した。


 そして、言った。


「君の能力を外れと呼んだことは撤回する」


 意外だった。


 いや、もしかしたら予想できたかもしれない。


 でも、本人の口から聞くと驚く。


 取り巻きたちも少し驚いた顔をしていた。


 レオンは不機嫌そうに続ける。


「勘違いするな。謝罪ではない」


「違うんですか」


「撤回だ」


「なるほど」


 ややこしい。


 でも、彼なりの精一杯なのかもしれない。


 俺は普通に頭を下げた。


「ありがとうございます」


 レオンの眉が動いた。


「……それだけか?」


「え?」


「もっと嫌味を言ってもいいところだぞ」


「嫌味を言うと疲れるので」


 素直に答えると、レオンは変な顔をした。


 怒るでもなく、笑うでもなく、少しだけ拍子抜けしたような顔。


「君は本当に、変な男だな」


「よく言われます」


「褒めてはいない」


「でしょうね」


 前にも似た会話をした気がする。


 ただ、今回は空気が少し違った。


 敵対というより、距離を測り直している感じ。


 表示が浮かぶ。


レオン・バルツァー

状態:対抗心、再評価、戸惑い

備考:レンを軽視対象ではなく、認めるべき相手として見始めています


 認めるべき相手。


 まだ友人ではない。


 でも、敵ではないのかもしれない。


 レオンは少しだけ声を落とした。


「旧研究棟の件で、ラゼル教授の研究室に関わっていた学生たちが事情聴取を受けている。中には、自分が何に使われていたか知らなかった者もいる」


「そうですか」


「君が見つけなければ、もっと被害が広がっていたかもしれない」


 彼はそこで一度言葉を切った。


 それから、少し不機嫌そうに言う。


「そこは、評価する」


「ありがとうございます」


「だから、それだけか?」


「どう返せばいいんですか」


「……知らん」


 レオンの方も分かっていないらしい。


 セリカさんが小さく笑いそうになって、咳払いでごまかした。


 リリアも口元に手を添えている。


 レオンはそれに気づき、少しだけ耳を赤くした。


「とにかく」


 彼は強引に話を戻す。


「君が学園で妙な派閥を作るつもりなら、私は止める」


「派閥なんて作るつもりはありません」


「つもりがなくても、人は集まる」


 どこかで聞いたような台詞だ。


 プロット上では、次に生徒会長ユリアナも似たことを言う予定だが、ここでレオンが先に示唆するのも自然だ。


「気をつけます」


「本当に気をつけた方がいい。学園は、実力だけで動く場所ではない。家格、派閥、王宮、教会、商会。いろいろな線が絡む」


 意外とまともな忠告だった。


 俺が少し驚いていると、レオンは不満そうに言う。


「何だ、その顔は」


「ちゃんと忠告してくれるんだなと」


「失礼な男だな」


「すみません」


「謝るな。調子が狂う」


 やっぱり難しい。


 レオンは最後にリリアとセリカさんへも軽く会釈した。


「リア嬢。セリカ嬢。あなた方についても、無礼な視線を向けたことは……撤回する」


 やっぱり謝罪ではないらしい。


 セリカさんは腕を組む。


「撤回ね」


「そうだ」


「まあ、受け取っておくわ」


 リリアは静かに言った。


「ありがとうございます、レオン様」


 リリアに礼を言われ、レオンは少しだけ動揺した。


「あ、ああ」


 取り巻きの一人が小さく笑いかけ、レオンに睨まれて黙った。


 その様子に、また少し空気が緩む。


 レオンは踵を返しかけ、最後にもう一度俺を見た。


「レン・クロフォード」


「はい」


「私はまだ、君を完全には信用していない」


「分かっています」


「だが、外れとはもう呼ばない」


 そう言って、彼は去っていった。


 俺はその背中を見送りながら、小さく息を吐く。


「少し、変わりましたね」


 リリアが言った。


「はい」


 セリカさんも頷く。


「不器用だけど、悪いだけの人ではないのかもね」


「そうですね」


 人は、表示だけでは決められない。


 悪意があっても、それだけではない。

 対抗心があっても、認めることはある。


 マルクスやラゼル教授とは違う。


 レオンは、まだ変われる人なのかもしれない。


     ◇


 学園長室では、エルドリッジ学園長とアリシア王女が待っていた。


 アリシア王女は学園制服ではなく、王族としての簡素な外套を羽織っている。

 昨日の王宮礼拝堂で見た厳しい表情とは違い、少しだけ柔らかかった。


「レン様、リア様、セリカ様。ご無事に戻られて何よりです」


「殿下も」


 俺が頭を下げると、アリシア王女は微笑んだ。


「今日は王宮ではなく学園ですから、少し肩の力を抜いてください」


「努力します」


 セリカさんが小声で言う。


「多分無理ね」


「聞こえてます」


 アリシア王女はそれを見て、少し笑った。


 学園長も穏やかに口を開く。


「まず、旧研究棟事件について、改めて礼を言います。あなた方がいなければ、地下魔力炉の存在も、学生が試作聖具に使われていた事実も、見逃されていたでしょう」


 リリアが静かに言う。


「私たちだけではありません。ノエルさんやミリア先生、殿下も」


「もちろんです。関係者全員の功績です」


 学園長は深く頷いた。


「その上で、学園としてもけじめをつける必要があります」


 けじめ。


 嫌な予感がした。


「旧研究棟の封鎖、聖属性魔道具研究室の一時停止、ラゼル教授の資格停止と王宮引き渡し。そこまではすでに行いました」


「はい」


「さらに、被害を受けた学生への説明と支援、研究倫理規定の見直し、寄付商会との関係精査も進めます」


 それは大事なことだ。


 学園側も、なかったことにするつもりはないらしい。


 その点は安心した。


 しかし、学園長は続けた。


「そして、今回の件において、危険を発見し、学生と王女殿下を守り、違法設備停止に貢献したあなた方には、王立学園特別功労章を授与することになりました」


 俺は固まった。


 特別功労章。


 聞き間違いであってほしい。


 だが、聞き間違いではなかった。


 アリシア王女が、少し申し訳なさそうに、でもどこか楽しそうに微笑む。


「表彰式は明日、講堂で行われます」


「明日」


 俺の声がかすれた。


「講堂」


「はい」


「表彰式」


「はい」


 情報が重い。


 重すぎる。


 俺は思わずセリカさんを見る。


 セリカさんは、こうなることを半分予想していた顔だった。


「堂々としてなさい」


「またそれですか」


「何度でも言うわ」


 リリアは少し緊張した顔をしている。


「私も表彰されるのですか?」


 学園長は頷いた。


「もちろんです。あなたの治癒と聖力制御がなければ、旧研究棟の暴走は止められませんでした。食堂で倒れた学生を救ったことも含めて、学園は正式に感謝を示します」


 リリアは少し戸惑ったように胸元のギルド章に触れた。


「私は、できることをしただけです」


「それをした者に、礼を示すのも学園の役目です」


 アリシア王女が静かに言った。


「リア様。あなたは、教会の聖女としてではなく、ギルドの治癒師として学生を救いました。そのことを、学園はきちんと記録します」


 リリアの目が揺れた。


 教会の聖女ではなく。


 ギルドの治癒師として。


 それは、彼女にとって大きな意味を持つ言葉だった。


「……ありがとうございます」


 リリアは深く頭を下げた。


 セリカさんにも、学園長が向き直る。


「セリカさん。あなたの剣は、旧研究棟、地下炉、王宮礼拝堂で何度も人を守りました。剣術課程にも正式に記録します」


 セリカさんは少しだけ目を見開いた。


「私の剣を、ですか」


「ええ。家名ではなく、あなた自身の剣として」


 その言葉に、セリカさんの表情が変わった。


 わずかに。


 でも、確かに。


 彼女はずっと、家名や魔法適性の低さに縛られてきた。


 ヴァンブレイド家の娘。

 魔法が不得手な剣士。


 でも今、学園長は彼女の剣そのものを評価した。


「……ありがとうございます」


 セリカさんは、少し硬い声で言った。


 照れ隠しではなく、本当に言葉を選んでいるようだった。


 そして最後に、学園長とアリシア王女の視線が俺へ向く。


 来た。


 来てしまった。


「レン君」


 学園長が言う。


「あなたの感知能力については、今後も慎重に扱う必要があります。ですが、その力が危険を見つけ、人命を守り、隠された不正を明らかにした事実は揺らぎません」


 俺は黙って聞いた。


「外れスキルなどではありません」


 その一言が、少し胸に刺さった。


 良い意味で。


 外れ。


 何度も言われた言葉だ。


 クロフォード家でも、学園初日でも。


 今さらその言葉に傷つかないと思っていた。


 でも、こうして否定されると、自分がまだ傷ついていたのだと分かる。


 アリシア王女が続けた。


「あなたの力は、誰かを支配するためのものではなく、危険を共有し、皆で動くための力です。少なくとも、私はそう見ています」


「殿下……」


「ですから、明日の表彰式では、胸を張ってください」


 それが一番難しい。


 俺は小さく答えた。


「努力します」


 アリシア王女は少し笑う。


「はい。努力してください」


     ◇


 学園長室を出ると、廊下でノエルが待っていた。


 というより、壁にもたれて何かを読んでいた。


 俺たちに気づくと、ぱっと顔を上げる。


「表彰式、決まった?」


「決まりました」


「明日?」


「はい」


「やっぱり。功労章の魔力刻印、見せてもらえるかな」


 第一声がそれか。


「まだもらってません」


「もらったらでいい」


「表彰そのものより刻印ですか」


「もちろん。王立学園特別功労章の刻印は、百年以上前の儀礼魔術を簡略化した貴重な――」


「ノエル」


 セリカさんが止める。


「レン、今それ聞く余裕ないから」


「確かに顔が死んでる」


「死んでません」


「八割くらい死んでる」


「ひどい」


 ノエルは悪びれずに言った。


 ただ、次の瞬間、少し真面目な顔になる。


「でも、よかったね」


「何がですか」


「正式に評価されるって、大事だよ。特に、外れとか危険とか言われた力なら」


 ノエルの声は、いつもより落ち着いていた。


「記録に残る。あの時、レンたちは学園を守ったって。誰かが後で言い換えようとしても、正式記録があるのは強い」


 研究者らしい、記録への信頼。


 でも、確かにそうだ。


 マルクスは言葉を書き換えようとした。

 記録の印象まで操作しようとした。


 だからこそ、正しく記録されることには意味がある。


「そうですね」


 俺は頷いた。


「少しだけ、表彰式が嫌じゃなくなりました」


「少しだけ?」


「少しだけです」


「じゃあ、その少しを大事にしよう」


 ノエルは笑った。


 リリアも頷く。


「私も、少し怖いですが……記録に残るなら、逃げずに立ちたいです」


 セリカさんが言う。


「私は表彰式より、その後の視線の方が面倒そうだけど」


 それは言わないでほしかった。


 しかし、まさにその通りだった。


 廊下の向こうから、学生たちの視線が集まっている。


 特別功労章の話は、まだ公表されていないはずだ。


 でも、何かあると察しているのだろう。


 俺の視界に表示が浮かぶ。


学園内噂拡散

内容:レンたちに特別な表彰があるらしい

速度:急速

注意:明日の注目度が上昇中


 やめてほしい。


 本当にやめてほしい。


「……明日、休んだら」


 俺が言いかけると、セリカさん、リリア、ノエルの三人が同時にこちらを見た。


 逃げ道はなかった。


「出ます」


 俺は自分で言った。


 セリカさんが満足そうに頷く。


「よろしい」


 ノエルが真面目な顔で言う。


「功労章、楽しみにしてる」


「表彰ではなく刻印がですよね」


「うん」


「正直ですね」


 リリアが小さく笑う。


 その笑い声を聞いて、少しだけ気が楽になった。


     ◇


 その日の授業参加は、結局ほとんどなかった。


 学園長室での説明、今後の警備手続き、旧研究棟事件に関する簡易聴取で時間が過ぎたからだ。


 ただ、昼食だけは学園食堂で取ることになった。


 ここでも当然、注目された。


 俺たちが食堂に入ると、会話が一瞬だけ止まった。


 前にも似たようなことはあったが、今回は意味が違う。


 恐れ。

 尊敬。

 興味。

 好奇心。


 いろいろ混じっている。


 俺はなるべく端の席へ行こうとしたが、リリアに袖を引かれた。


「レン」


「はい」


「隅に逃げると、余計に見られるかもしれません」


「なるほど」


 セリカさんも頷く。


「普通に座りなさい」


「普通の難易度が高いです」


「慣れ」


「慣れたくないです」


 結局、食堂の中央寄りではないが、極端に隅でもない席に座ることになった。


 食事は普通に美味しかった。


 ただし、味は半分くらいしか分からなかった。


 視線が多すぎる。


 途中で、治癒術科の女子生徒が一人、恐る恐る近づいてきた。


 以前、試作聖具で倒れた子とは別の子だ。


「あの、リアさん」


 リリアが顔を上げる。


「はい」


「この前、食堂で倒れた子……今は落ち着いています。リアさんに、ありがとうって伝えてほしいって」


 リリアの表情が柔らかくなった。


「そうですか。よかったです」


「それと……私たち治癒術科でも、試作聖具のこと、ちゃんと話し合うことになりました。怖いって言ってもいいんだって、先生が」


 女子生徒は少し照れたように笑った。


「リアさんが言ってくれたからだと思います」


 リリアは驚いたように目を見開いた。


 それから、ゆっくり微笑む。


「私は、思ったことを言っただけです」


「でも、助かりました」


 女子生徒は頭を下げて、慌てて戻っていった。


 リリアはしばらく、その背中を見ていた。


「少しずつ、変わるのですね」


「はい」


 俺は頷いた。


 旧研究棟事件は、傷だけではなく、何かを変えるきっかけにもなっている。


 それなら、あの騒動にも意味があったのだと思える。


 セリカさんが少し笑った。


「表彰される理由、ちゃんとあるじゃない」


 リリアは少し照れたように目を伏せる。


「そうですね」


 その横で、ノエルは食堂のパンをかじりながら言った。


「表彰式、治癒術科の子たちもたくさん来るだろうね」


 リリアが固まる。


 俺も固まる。


 セリカさんだけが冷静に水を飲んだ。


「現実を突きつけないの」


「現実だから」


 ノエルは淡々としている。


 俺は深く息を吐いた。


 明日。


 講堂。


 表彰式。


 学生全員の視線。


 考えるだけで胃が重い。


 だが、逃げるわけにはいかない。


 外れと呼ばれた力が、誰かを助けた記録になる。


 リリアが、教会の聖女ではなくギルドの治癒師として記録される。


 セリカさんの剣が、家名ではなく彼女自身のものとして記録される。


 そう考えれば、多少の視線くらいは耐えるべきなのだろう。


 たぶん。


 きっと。


 できれば短時間で終わってほしい。


 食堂の窓から、講堂の尖った屋根が見えた。


 俺はそれを見ながら、小さく呟く。


「表彰式とか、本当に聞いてないんだが……」


 セリカさんがすかさず言った。


「明日までに聞いたことになるわ」


「そういう問題ですか」


「そういう問題にするの」


 リリアが笑い、ノエルも肩をすくめる。


 王立学園へ戻った俺たちは、完全に有名人になっていた。


 そして明日、その有名人扱いは、さらに加速するらしい。


 俺の静かな学園生活は、もう跡形もなかった。

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