第42話 魔王令嬢ミュレア、ギルド地下へ正式移送される
ミュレア・ノクターンの移送は、翌朝から始まった。
といっても、馬車に乗せて運ぶような話ではない。
彼女の本体は、まだ古代迷宮の封印区画に深く結びついている。
その封印を力ずくで剥がせば、ミュレア自身にも、迷宮にも、下手をすれば王都にも反動が出る。
だから、今回行うのは「移送」というより、封印の中心を少しずつギルド地下の特別封印室へ移し替える作業だった。
迷宮側の封印核と、ギルド地下の新しい封印台座をつなぎ、ミュレアの意識と魔力の安定地点をこちらへ寄せる。
聞くだけなら簡単そうだ。
実際には、オルフェさんが三時間ほど眉間に皺を寄せながら魔法陣を組み、ギルド長ダリウスさんが護衛と人払いを手配し、ノエルが「これは歴史的瞬間では?」と目を輝かせ、セリカさんが「輝かせる前に安全確認」と釘を刺し、リリアが治癒術師として封印反動に備える、という大仕事になっていた。
俺はというと、中央に立っていた。
なぜか。
ミュレアとの精神リンクが、俺を通じて安定しているからだ。
つまり、俺が中継器。
「……俺、最近どんどん人間から便利な接続装置に近づいてませんか」
思わず呟くと、ノエルがすぐに反応した。
「かなり貴重な接続装置だね。古代封印、聖力、魔族王家魔力、感情同期、その全部を低負荷でつなげる人型媒体。分類上は――」
「分類しないでください」
「じゃあ仮称だけ」
「仮称もやめてください」
ノエルは本気で残念そうな顔をした。
セリカさんが腕を組む。
「ノエル、レンを研究資料みたいに見るの禁止」
「見てないよ。半分くらいしか」
「半分も禁止」
「厳しい」
リリアがくすりと笑った。
その笑みを見て、少し安心する。
昨日までのリリアは、教会のこと、マルクスのこと、自分の名前のことでずっと張り詰めていた。
今も全部が消えたわけではない。けれど、こうして笑える瞬間がある。
それだけで、この移送を成功させたいと思えた。
ギルド地下の特別封印室は、昨日までよりずっと整っていた。
中央には紫水晶を組み込んだ台座。
周囲には銀と黒鉄の魔力導線。
床には三重の安全魔法陣。
壁には防音、防爆、防呪、防精神干渉の結界が重ねられている。
見た目はかなり物々しい。
ミュレアが見たら、文句を言うだろうなと思った。
案の定、頭の奥で声が響いた。
『これは牢か?』
「安全な封印室です」
『言い方を変えただけではないか』
「否定はしません」
『せめてもっと趣味のよい内装にせよ。魔王令嬢を迎える部屋とは思えぬ』
「緊急で作ったので」
『緊急であっても美意識は捨てるな』
相変わらずである。
オルフェさんが魔法陣の最終確認をしながら言った。
「ミュレアさん、聞こえていますか」
『聞こえておるぞ、眠そうな魔法使い』
「眠そう……」
オルフェさんが少し傷ついた顔をした。
実際かなり眠そうなので、否定は難しい。
「これから迷宮側封印核との接続をこちらへ移します。多少の違和感が出る可能性がありますが、痛みがあればすぐに言ってください」
『痛みがあれば甘いものを要求する』
「それは痛みがなくても要求しますよね」
『当然じゃ』
リリアが台座のそばへ進み出た。
「ミュレアさん。聖力で反動を和らげます。嫌な感じがあれば、私にも伝えてください」
『白き娘は相変わらず真面目じゃな』
「治癒師ですから」
『ふふ。ならば任せる』
ミュレアの声が、少しだけ柔らかくなった。
セリカさんは剣を腰に下げ、出入口側に立っている。
「外部干渉が来たら?」
ダリウスさんが答える。
「即時遮断する。教会上層がまた手を出す可能性はあるが、今回は王宮にも通達済みだ。白銀救護会館周辺には監視もついている」
「それでも安心はできませんね」
「ああ。だから全員ここにいる」
ダリウスさんの声は低い。
頼もしいが、空気は重い。
俺は台座の前へ立った。
紫水晶の光が、こちらの胸元に薄く反応する。
頭の奥で、ミュレアの気配が少し近くなる。
『レン』
「はい」
『手順を間違えるなよ』
「俺に言います?」
『そなたが中継器なのであろう』
「その呼び方、ノエルが定着させそうなのでやめてください」
ノエルがすでにメモを取りかけていた。
セリカさんの視線を受けて、そっと筆を下ろす。
俺は深く息を吸った。
「始めましょう」
オルフェさんが頷く。
「接続開始」
床の魔法陣が、ゆっくり光り始めた。
◇
最初に来たのは、冷たさだった。
胸の奥に氷の針を差し込まれたような感覚。
痛い、というより、遠い。
迷宮の奥にある古い封印が、長い時間をかけて積み重ねてきた孤独の温度だった。
俺は思わず膝をつきかける。
すぐにセリカさんが腕を支えた。
「レン」
「大丈夫です。まだ」
「まだって言い方が嫌ね」
リリアの白い光が俺の背中に触れる。
温かい。
冷たさが少しずつ和らいだ。
『……ふむ』
ミュレアの声が響く。
いつもより近い。
『なるほど。こういう感覚か』
「大丈夫ですか」
『奇妙じゃな。長く動かなかった足に、血が通うような。痛くはないが、むず痒い』
「むず痒いなら、まだいいんでしょうか」
『妾に聞くな。妾も初めてじゃ』
そのわりには落ち着いている。
いや、落ち着いているように振る舞っているのかもしれない。
表示が浮かんだ。
ミュレア・ノクターン
状態:緊張、期待、不安、強がり
備考:久しぶりに封印区画外へ意識を移すことに戸惑っています
強がり。
やっぱり。
「ミュレア」
『何じゃ』
「不安なら不安と言っていいですよ」
少し沈黙。
『……そなた、本当に見えすぎるな』
「すみません」
『謝るな。余計に腹立たしい』
「それもすみません」
『だから謝るなと言うておる』
声は拗ねていた。
でも、以前よりずっと近かった。
紫の光が台座の上へ集まっていく。
細い輪郭が生まれる。
まず髪。
夜のように黒く、ところどころ紫の光を含んだ長い髪。
次に顔。
まだ半透明だが、気の強そうな目元と、少し尖った笑みが見えてくる。
小柄な少女の姿。
だが、その背後にある魔力は少女のものではない。
古い封印の奥で眠っていた、魔王令嬢。
ミュレア・ノクターンが、ギルド地下の封印室に姿を現した。
完全な肉体ではない。
足元は淡い光に溶け、輪郭も時々揺らぐ。
それでも、彼女はそこにいた。
ミュレアは自分の手を見下ろした。
指を開き、閉じる。
「ふむ」
今度は、頭の中ではなく、実際に部屋の中へ声が響いた。
「悪くない。地下牢めいた部屋でなければ、なおよかった」
第一声がそれだった。
ノエルが感動したように両手を握る。
「実体化率、予想より高い……! 声帯というより魔力振動の擬似発声? いや、魂魄投影に近い? すごい、すごいよこれ!」
ミュレアはノエルを見た。
「そなたは何じゃ。妾を解剖しそうな目をしておる」
「解剖はしない。観測はしたい」
「似たようなものではないか」
セリカさんが一歩前へ出る。
「ミュレア」
ミュレアは今度はセリカさんを見る。
「赤き剣姫か。直接見ると、なかなかよい剣気をしておるな」
「褒められてるのかしら」
「褒めておる。妾の封印中、何度もレンを叱っておったであろう。良いことじゃ」
「そこを褒めるの?」
「監視者には監視者が必要じゃからな」
セリカさんは少しだけ俺を見た。
「否定できないわね」
「否定してほしかったです」
ミュレアは楽しそうに笑った。
次に、リリアが進み出た。
「ミュレアさん」
リリアの声には、少し緊張があった。
聖女と魔王令嬢。
本来なら、こうして向かい合うだけで伝承になりそうな組み合わせだ。
ミュレアは、リリアをじっと見た。
からかうでもなく、値踏みするでもなく。
ただ、しばらく黙って見つめた。
「白き娘よ」
「はい」
「名を守った顔になったな」
リリアの目が、少し揺れた。
「……そう、見えますか?」
「うむ。以前のそなたは、己の名を両手で抱えて震えておった。今は、胸の内に置いておる」
ミュレアの言い方は独特だった。
でも、リリアには伝わったようだった。
「ミュレアさんも」
「妾も?」
「封印対象ではなく、ミュレアさんです」
その一言で、ミュレアの表情が止まった。
ほんの一瞬。
それから彼女は、少しだけ顔を逸らした。
「……白き娘は、たまに直球が過ぎる」
「すみません」
「謝るな。悪くはない」
ミュレアの声は、わずかに照れているようにも聞こえた。
セリカさんが小さく笑う。
「魔王令嬢でも照れるのね」
「照れておらぬ」
「照れてるわ」
「赤き剣姫、妾への不敬は高くつくぞ」
「じゃあ甘いもの一つで許して」
「二つじゃ」
「値上がりした」
妙な交渉が始まった。
リリアがくすりと笑う。
ノエルは横で、完全に研究メモを取りたい顔をしている。
俺は少しだけ安心した。
ミュレアは危険だ。
それは事実だ。
でも、こうして会話をすると、ただ危険な封印対象というだけではないことが分かる。
高慢で、わがままで、甘いものに執着し、時々核心を突き、そしてたぶん寂しがり。
魔王令嬢ミュレア・ノクターン。
彼女は、確かにそこにいる。
◇
移送そのものは成功した。
封印中心の大部分はまだ迷宮側に残っているが、ミュレアの意識と投影体はギルド地下の特別封印室で安定した。
オルフェさんは何度も測定し、ようやく肩の力を抜いた。
「危険域は越えていません。外部干渉も遮断済み。ひとまず成功です」
ダリウスさんも頷く。
「よし。しばらくはここをミュレアの管理区画とする。出入りは許可制。監視はつけるが、必要以上の拘束はしない」
ミュレアが片眉を上げる。
「ほう。妾を鎖で縛らぬと?」
「縛れば反発するだろう」
「当然じゃ」
「なら、縛らずに見張る。お前が暴れなければ、こちらも無駄に刺激しない」
ダリウスさんとミュレアの視線がぶつかる。
人間のギルド長と、魔王令嬢。
どちらも引かない。
しばらくして、ミュレアが笑った。
「悪くない。妾を恐れておるが、道具として見てはおらぬ」
「危険な相手を危険と見るのは当然だ」
「うむ。当然じゃ。その方が、綺麗事より信じられる」
ミュレアは満足げに頷いた。
リリアが少し安心したように息を吐く。
その横でノエルが我慢しきれずに手を上げた。
「質問していい?」
「何じゃ、眼鏡の研究娘」
「その投影体、触覚はある?」
「試してみるか?」
「いいの?」
「よいぞ」
「ノエル、待って」
セリカさんが即座に止めた。
「さすがに魔王令嬢の投影体にいきなり触ろうとしない」
「研究上必要な確認なんだけど」
「必要でも順番がある」
ノエルは本気で残念そうだった。
ミュレアは楽しそうに笑う。
「面白い娘じゃな。妾を恐れるより、構造を知りたがるか」
「怖くないわけじゃないよ。でも未知の方が勝つ」
「危険な性分じゃ」
「よく言われる」
俺は思わず言った。
「ノエルもセリカさんに監視してもらった方がいいのでは」
「研究者には自由な発想が必要」
「自由すぎると危険です」
「レンに言われたくない」
全員の視線が俺に集まる。
なぜ。
いや、分かる。
分かるが、少し納得いかない。
ミュレアはその様子を眺め、急に俺の方へ歩いてきた。
足元は半透明なのに、歩く仕草は自然だった。
「レン」
「はい」
「こちらへ」
「何ですか」
「よいから」
嫌な予感がした。
だが、近づく前にミュレアの方から俺の腕を取った。
正確には、触れたように見えた。
実体は薄いはずなのに、腕にひんやりとした感触がある。
「ふむ。触れるな」
「ミュレア?」
「確認じゃ。監視者との接触安定性をな」
その言い方は完全に建前だった。
セリカさんの目が細くなる。
「ずいぶん自然に腕を取ったわね」
リリアも静かに微笑んでいる。
ただし、目が笑っていない。
「ミュレアさん、レンはまだ疲れていますので、あまり負担をかけないでくださいね」
「白き娘よ、心配するな。妾は優雅に寄りかかっておるだけじゃ」
「それを負担と言います」
リリアの声は優しい。
だが、妙な圧がある。
ミュレアは愉快そうに笑った。
「ふふ。白き娘も赤き剣姫も、なかなか分かりやすい」
「何がですか」
リリアが聞く。
「何でもない」
ミュレアは俺の腕を離さない。
俺はどうすればいいのか分からず、固まっていた。
ノエルだけが別方向に興奮している。
「接触時に投影安定率が上がってる。レンとの距離と接触で魔力揺らぎが減ってるね。すごい。精神リンクだけじゃなく、近接でも補正が――」
「ノエル、詳しく言わなくていいです」
「でも重要」
「重要でも今は言わなくていいです」
セリカさんが俺をじっと見る。
「レン」
「はい」
「鼻の下、伸びてない?」
「伸びてません」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶん?」
「伸びてません」
リリアも静かに言う。
「レン、心拍が上がっています」
「治癒師の観察力がつらい」
ミュレアは勝ち誇ったように笑った。
「妾の魅力に反応するとは、正直でよい」
「からかわないでください」
「からかっておる」
「堂々と」
ダリウスさんが額を押さえた。
「……封印移送の場で何をやっている」
「すみません」
俺は即座に謝った。
ミュレアは悪びれない。
「ギルド長よ。妾の精神安定には交流も必要じゃ」
「その交流が問題を起こしそうなら制限する」
「むう」
ミュレアはようやく俺の腕を離した。
リリアとセリカさんの空気が、少しだけ和らぐ。
俺は心の底から息を吐いた。
戦闘より疲れる瞬間がある。
◇
その後、ミュレアの状態確認が行われた。
オルフェさんが魔力波形を測り、リリアが反動の有無を確認し、ノエルが許可された範囲で投影体の安定率を記録する。
俺は中央に立ったまま、表示を見ていた。
ミュレア・ノクターン
状態:封印移送後安定
投影体:限定安定
外部干渉:なし
精神状態:高揚、安堵、疲労
備考:ギルド地下を不満に思いつつも、道具扱いされていないことに安心しています
安心。
その表示を見て、少し胸が軽くなった。
さらに下に、別の表示が浮かぶ。
レンとのリンク状態
安定率:上昇
好感度:測定上限超過
備考:封印安定にレンとの精神リンクが深く関与しています
俺は固まった。
測定上限超過。
また出た。
リリアの時にも似たような表示が出たが、今回はミュレアだ。
魔王令嬢の好感度が測定上限超過。
字面が強すぎる。
俺はそっと視線を逸らした。
ミュレアがすぐに気づく。
「レン」
「はい」
「何を見た」
「何も」
「嘘じゃな」
「少しだけ」
「言え」
リリアとセリカさんもこちらを見る。
逃げ場がない。
「……好感度が、測定上限超過と」
数秒、誰も喋らなかった。
ノエルだけが目を輝かせる。
「上限超過!? 数値化不能ってこと? 好感度スケールの限界? それとも封印安定による相互依存値が混ざって――」
「ノエル、今は黙ろうか」
セリカさんが静かに言った。
「はい」
ノエルが素直に黙った。
リリアは微笑んでいる。
微笑んでいるが、やはり目が笑っていない。
「ミュレアさん」
「何じゃ、白き娘」
「レンに負担をかけすぎないようにしてくださいね」
「ふむ。善処しよう」
「約束してください」
「……善処では駄目か」
「駄目です」
ミュレアは少しだけたじろいだ。
セリカさんも続ける。
「上限超過だか何だか知らないけど、レンを封印安定装置扱いしないこと」
「先ほどからそなたら、妾への当たりが強くないか?」
「レン絡みだと強くなるの」
「自覚があるのか、赤き剣姫」
セリカさんはそこで言葉に詰まった。
少し頬が赤い。
リリアも一瞬だけ視線を落とした。
ミュレアはそれを見て、にやりと笑う。
「なるほど。実に分かりやすい」
「ミュレア」
セリカさんの声が低くなる。
「何じゃ」
「甘いもの、減らすわよ」
「それは卑怯じゃ!」
魔王令嬢が本気で慌てた。
さっきまでの余裕はどこへ行ったのか。
リリアが小さく笑い、ノエルも笑い、オルフェさんまで少しだけ肩を震わせている。
ダリウスさんは呆れた顔をしながらも、部屋の空気が緩んだことを悪くは思っていないようだった。
俺も、ようやく笑えた。
測定上限超過は怖い。
封印安定に俺とのリンクが深く関わっているのも怖い。
でも、ミュレアがここにいる。
道具ではなく、封印対象という名前だけでもなく。
ミュレア・ノクターンとして、ここにいる。
それはきっと、悪くない。
◇
移送完了後、ミュレアにはしばらくギルド地下封印室で過ごしてもらうことになった。
完全自由ではない。
外出もできない。
監視もつく。
それでも、迷宮の奥で一人封じられていた時とは違う。
会話ができる。
人が来る。
リリアが様子を見に来られる。
セリカさんが文句を言いに来られる。
ノエルが研究しようとして止められる。
俺が甘いものを持って来ることになる。
最後の一つは、ほぼ決定事項にされた。
「レン」
封印室を出る前、ミュレアが呼び止めた。
「はい」
「次に来る時は、甘いものを忘れるでないぞ」
「分かっています」
「それと、退屈しのぎの本も持ってこい」
「どんな本がいいですか」
「王都の菓子事情が分かる本」
「最初から甘いもの関連ですね」
「重要じゃ」
ミュレアは真面目な顔で言った。
それから少しだけ視線を逸らす。
「……それと、外の話も聞かせよ」
「外の話?」
「学園とやらの話じゃ。白き娘と赤き剣姫が着ておった制服のことも、王女のことも、眼鏡の研究娘の奇行も」
「ノエルが奇行扱いに」
「奇行であろう」
「否定しづらいです」
ミュレアは、少しだけ静かに笑った。
「封印の中では、外の話は貴重じゃ。退屈は毒より悪い」
その言葉に、俺は頷いた。
「分かりました。話します」
「約束じゃぞ」
「はい」
ミュレアは満足そうに頷いた。
リリアが少し前へ出る。
「私も来ます。体調確認もありますし、外の話も」
「白き娘は真面目じゃな」
「ミュレアさんが無茶をしないか見ます」
「皆して妾を監視する」
「大事なことですから」
セリカさんも言う。
「私も来るわ。レンがからかわれすぎないように」
「赤き剣姫、そなたの方がからかいがいがありそうじゃ」
「甘いもの減らす」
「それはやめよ」
このやり取りが続く限り、封印室は完全な牢にはならない気がした。
俺たちは封印室を出た。
扉が閉まる直前、ミュレアの姿が紫の光の中で薄く揺れる。
彼女は高慢に、けれどどこか寂しそうに手を振った。
「また来るがよい、レン」
「はい」
「白き娘と赤き剣姫もな」
リリアとセリカさんも頷いた。
扉が閉まる。
結界が静かに作動する。
ミュレアの移送は成功した。
でも、問題は終わっていない。
白銀枢機卿の影。
白銀救護会館からの干渉。
聖女、王家、魔王封印の三系統。
そして、俺とのリンク。
新しい火種は、確かに残っている。
それでも今日、ひとつだけ前に進んだ。
ミュレアは、迷宮の奥からギルド地下へ移った。
封印対象としてではなく、少しずつ誰かと会話できる存在として。
俺は階段を上がりながら、小さく息を吐いた。
「……次は甘いものか」
セリカさんが横で言う。
「忘れたら本気で拗ねそうね」
リリアも微笑む。
「買いに行きましょう。ミュレアさんのためにも」
「リリアが言うと断れませんね」
「私が言わなくても、レンは買うと思います」
「ばれてますか」
「はい」
セリカさんが少し呆れたように笑った。
「本当に、放っておけない人ばっかり拾うわね」
「拾っているつもりはないんですが」
「結果的に」
「それ、便利な言葉ですね」
「あなたに関しては事実よ」
俺は何も言えなかった。
ギルドの階段を上がる先に、日常の灯りが見える。
静かな生活は遠い。
けれど、その遠さにも少しだけ慣れてきた。
少なくとも、今は。
甘いものを買うくらいの平和な用事があることに、少し救われていた。




