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第41話 マルクスの背後、白銀枢機卿の影

 ミュレアの封印術式に外部干渉があった。


 その一報で、ギルド内の空気はまた張り詰めた。


 昨日、王宮礼拝堂でマルクス・グレイを拘束したばかりだ。

 教会監察部の権限停止も決まり、王都はまだその余波で揺れている。


 普通なら、少しは間が空くと思う。


 少なくとも俺は、そう思いたかった。


 だが、現実は違った。


 マルクスが拘束された途端、別の誰かが動いた。


 ミュレア・ノクターンの封印権限を、遠隔で奪おうとしている。


 つまり、マルクスで終わりではない。


 もっと上に、まだいる。


 ギルド地下へ向かう階段を下りながら、俺はその事実を噛みしめていた。


「顔が暗いわよ」


 前を歩くセリカさんが、振り返らずに言った。


「明るくなる要素が少ないので」


「まあ、それはそうね」


 否定されなかった。


 リリアは俺の隣を歩いている。


 昨日の疲れはまだ残っているはずだ。

 それでも、彼女は休むとは言わなかった。


 ミュレアの封印が狙われていると聞いた瞬間、すぐに立ち上がったのだ。


「リリア、無理してませんか」


 俺が尋ねると、彼女は少しだけ困ったように笑った。


「無理ではありません。……少し疲れてはいますけれど」


「それを無理と言う気もします」


「でも、ミュレアさんのことですから」


 リリアは足を止めなかった。


「私の名前を守る時、ミュレアさんも声を貸してくれました。今度は、私も何かしたいです」


 その言葉は静かだった。


 けれど、リリアらしい強さがあった。


 教会に傷つけられた彼女が、同じように教会に利用されそうになっている魔王令嬢を放っておけない。


 聖女と魔王令嬢。


 普通なら正反対の立場だ。


 だが今の二人は、どこか似ている。


 誰かに名をつけられ、力を管理され、道具として扱われそうになった者同士。


 セリカさんが小さく息を吐いた。


「本当に、放っておけない人ばかりね」


「セリカさんも人のこと言えませんよ」


「私はいいの」


「いいんですか」


「いいの」


 理由になっていない。


 でも、セリカさんらしい。


 地下へ下りると、オルフェさんがすでに封印室前で待っていた。


 目の下には疲労が見える。


 昨日から、旧研究棟の証拠保全、王宮提出資料、聖印核の解析、そして今度はミュレアの封印干渉。


 魔法使いとして働きすぎである。


「オルフェさん、寝てますか」


 俺が聞くと、オルフェさんは一瞬だけ目を逸らした。


「短時間の瞑想はしました」


「寝てないやつですね」


 セリカさんが呆れる。


 リリアも心配そうに眉を寄せた。


 オルフェさんは軽く咳払いする。


「今はそれより、封印術式の確認です」


「話を逸らしましたね」


「逸らしました」


 自白した。


 ただ、今は本当にそれどころではないのも確かだった。


 封印室の中央には、水晶で作られた円形の台座があった。


 まだミュレア本人はここへ移されていない。

 今は迷宮区画にある封印本体と、このギルド地下封印室を接続するための仮術式だけが置かれている。


 台座の上には、紫色の光が揺れていた。


 その光に、細い白銀の線が絡みついている。


 俺の視界に表示が出る。


ミュレア・ノクターン封印術式

状態:外部干渉継続中

方式:遠隔聖印認証

目的:封印権限の再取得、ギルド側制御権の上書き

推定発信元:教会上層部関連施設

注意:強制遮断すると封印本体へ反動


「まだ続いています。白銀の線が、封印権限を上書きしようとしています」


 俺がそう言うと、オルフェさんは頷いた。


「こちらでも確認しています。問題は、力ずくで切るとミュレア本人に反動が行くことです」


 頭の奥でミュレアの声が響く。


『妾に反動が来るのは遠慮したいのう』


「聞こえています」


『聞こえるように言ったのじゃ』


 声はいつもの調子に近い。


 でも、少しだけ硬い。


「ミュレア、痛みはありますか?」


『痛みというほどではない。だが、誰かが妾の首輪に手をかけておる感覚じゃ。実に不愉快じゃな』


 首輪。


 その言い方に、リリアの表情が曇る。


「ミュレアさん」


『心配するでない、白き娘。妾はそう簡単に奪われぬ』


「でも、嫌なのでしょう?」


 リリアが静かに言った。


 ミュレアは一瞬黙った。


『……嫌じゃな』


 珍しく、素直だった。


『封印されることには慣れた。警戒されることにも慣れた。だが、己の封印すら他者の手で奪われる感覚は、何度味わっても気分が悪い』


 その声は、いつもの高慢さの奥に、深い疲れを含んでいた。


 リリアは台座の紫の光を見つめる。


「なら、止めましょう」


『白き娘よ。そなたは昨日まで教会に怯えておったではないか』


「今も怖いです」


 リリアは正直に答えた。


「でも、怖いからこそ分かります。自分のことを、勝手に決められるのは嫌です」


 ミュレアは少しだけ笑った。


『本当に、名を守った顔になったな』


 リリアはほんの少し頬を赤くした。


 セリカさんが二人のやり取りを見て、腕を組む。


「で、どう止めるの?」


 現実的な質問だった。


 オルフェさんが台座の周囲に魔法陣を描きながら答える。


「遠隔認証の発信元を逆探知します。ただし、相手の術式がかなり高位です。こちらから直接辿ると察知される可能性がある」


「察知されると?」


「封印干渉を切って逃げるだけならまだいい。最悪の場合、封印本体へ負荷を流して証拠を消すかもしれません」


「やることが毎回陰湿ね」


 セリカさんの声が冷える。


 俺は表示を読み続ける。


逆探知方法

推奨:レンの感知補助による干渉線識別

リリアの聖力による反動緩和

セリカによる物理術式線遮断待機

オルフェによる記録水晶固定


 また連携だ。


 最近、俺の能力は完全に単独使用ではなく、みんなとの連携前提になってきている。


 それは悪くない。


 むしろ、少し安心する。


 俺一人でどうにかするより、ずっといい。


「俺が干渉線を見ます。リリアは反動を抑えてください。セリカさんは、もし術式線が暴走したら切断を」


「了解」


「分かりました」


 オルフェさんも頷く。


「では、始めます」


 台座の光が強まる。


 俺は白銀の干渉線に意識を集中した。


 細い。


 だが、強い。


 まるで遠くから伸びる銀の針金のように、ミュレアの封印術式に絡みついている。


 その線を辿る。


 王都の中。

 教会区画。

 高い聖堂ではない。

 もっと奥。


 白い壁。

 静かな庭。

 孤児院と救護院の紋章。

 慈善施設の奥に隠された、小さな祈祷室。


 そこに、白銀の聖印がある。


 そして、古い手。


 白い手袋をした誰かの指が、聖印へ触れている。


 顔は見えない。


 だが、表示が浮かんだ。


遠隔干渉発信元

施設:白銀救護会館・奥祈祷室

管理者:白銀枢機卿エルヴァン・クロード

実行者:不明

関連:聖女再現計画思想源流


「白銀救護会館。奥祈祷室です。管理者は白銀枢機卿エルヴァン・クロード」


 俺が読み上げると、オルフェさんの表情が険しくなった。


「救護会館……表向きは孤児と病人のための施設ですね」


 リリアが息を呑む。


「白銀枢機卿の慈善施設……」


 クラリッサが言っていた通りだ。


 表向きは慈善家。

 救護院の支援者。


 その奥から、ミュレアの封印権限を奪おうとしている。


 セリカさんが低く言う。


「見た目が善人ほど厄介ってこと?」


「まだ本人が直接やっているかは分かりません」


 俺は答えた。


「ただ、管理施設から干渉が出ています」


 オルフェさんが記録水晶に魔力を流す。


「発信元の記録を固定しました。これで証拠になります」


 その瞬間、白銀の干渉線が強く震えた。


警告:発信元、逆探知を察知

行動:干渉線切断、証拠消去準備

反動:ミュレア封印本体へ流入


「察知されました! 反動が来ます!」


 リリアがすぐに両手をかざした。


 白い光が台座を包む。


「抑えます!」


 白銀の線が暴れ、紫の光を強く締めつける。


 ミュレアの声が低く呻いた。


『っ……小癪な……!』


「ミュレア!」


『大丈夫じゃ。だが、腹立たしい!』


 セリカさんが剣を抜く。


「切る場所は?」


「台座の上、白銀線の根元! でも紫の本線は切らないで!」


「細かい注文ばかりね!」


「すみません!」


 セリカさんの剣が走る。


 白銀の線だけを斬る。


 同時にリリアの光が反動を柔らかく受け止め、オルフェさんが封印術式を固定する。


 白銀の干渉線が砕けた。


 紫の光が大きく揺れ、やがて落ち着く。


外部干渉:遮断

ミュレア封印術式:安定

発信元記録:保存成功


「止まりました」


 俺が言うと、全員が息を吐いた。


 ミュレアも、頭の奥で長く息を吐いたようだった。


『ふん。妾の封印を奪うには、百年ほど修行が足りぬな』


「かなり痛そうでしたけど」


『痛くないとは言っておらぬ』


「大丈夫ですか?」


『……少しだけ、疲れた』


 その声は小さかった。


 リリアが台座に手を添える。


「ミュレアさん、少し休みましょう」


『妾に命令するか、白き娘』


「治癒師として言っています」


『ならば仕方ない』


 ミュレアは素直に引いた。


 やはり、相当疲れているのだろう。


     ◇


 封印干渉の記録を持って、俺たちは再び会議室へ戻った。


 ダリウスさんは報告を聞き、眉間に深い皺を刻んだ。


「白銀救護会館か」


「はい」


 オルフェさんが記録水晶を机に置く。


「発信元としては確定です。ただし、白銀枢機卿本人が実行者かどうかまでは分かりません」


「その施設の管理者が本人なら、知らなかったでは済まん」


 セリカさんが言う。


 ダリウスさんは腕を組んだ。


「だが、踏み込むには弱い。白銀救護会館は王都でも評判がいい。孤児院、治癒院、施療食堂を兼ねている。正面から乗り込めば、こちらが慈善施設を荒らす悪役にされる」


 予想通り、厄介だ。


 リリアは黙っていた。


 救護院。


 孤児院。


 病人を救う施設。


 そこに悪意が混ざっているかもしれない。


 その事実は、リリアにとって重いはずだ。


「リリア」


 俺が声をかけると、彼女は顔を上げた。


「大丈夫ですか」


「……はい」


 少し考えてから、彼女は言った。


「怖いです。でも、それ以上に、嫌です」


「嫌?」


「もし本当に救護会館で何かが行われているなら、助けを求めて来た人たちの場所が利用されていることになります」


 彼女の声に、静かな怒りがあった。


「それは、嫌です」


 セリカさんが頷く。


「なら、ちゃんと調べないとね」


 ダリウスさんは少し考え、俺たちを見た。


「今は直接踏み込まない。まずはクラリッサと接触し、救護会館内部の情報を取る。王宮にも報告する」


「アリシア殿下にも?」


「ああ。白銀枢機卿の名が出た以上、王家抜きでは動けん」


 俺の視界に表示が浮かぶ。


白銀枢機卿エルヴァン・クロード

直接対決:時期尚早

推奨:内部協力者クラリッサ、王家ルート、救護会館調査

注意:マルクス切り捨ての公式発表が近い


「マルクスを切り捨てる公式発表が近いようです」


 俺が言うと、ダリウスさんは舌打ちした。


「早いな」


「教会がですか」


「ああ。白銀枢機卿側か、保身派かは分からんが、マルクス個人の暴走で幕引きにする気だろう」


「それを許したら」


「聖女再現計画の根は残る」


 リリアが静かに言った。


 ダリウスさんは頷いた。


「そういうことだ」


 空気が重くなる。


 マルクスを倒した余韻など、もうほとんどない。


 次の敵は、もっと大きく、もっと白い顔をしている。


 白銀枢機卿エルヴァン・クロード。


 慈善家。

 救護院支援者。

 聖力制度化の思想源流。


 そして、ミュレアの封印権限を狙った施設の管理者。


 まだ姿も見ていないのに、嫌な相手だと分かる。


 その時、ミュレアが頭の奥で言った。


『レン』


「はい」


『白銀枢機卿とやらは、妾を道具として欲しておる。だが、それだけではなかろう』


「どういう意味ですか」


『白き娘、王女、妾。三つの力が近くにある。聖女、王家、魔王封印。あの手の者は、そういう組み合わせを好む』


 ミュレアの声は低い。


『気をつけよ。次に狙われるのは、妾だけとは限らぬ』


 俺はリリアを見る。


 彼女も、何かを感じたように俺を見返した。


 アリシア王女。

 リリア。

 ミュレア。


 三つの力。


 旧研究棟の地下でも、三人の力は奇妙に共鳴した。


 偶然ではないのかもしれない。


 俺の視界に、一瞬だけ文字が浮かんだ。


古代三系統

聖女

王家結界

魔王封印

関連未解明


 まだ早い。


 でも、何かが繋がり始めている。


 俺は小さく息を吐いた。


「また、話が大きくなってきましたね」


 セリカさんが、呆れたように言った。


「あなたの周りで小さく終わった話、あった?」


「……ないかもしれません」


「なら諦めなさい」


「諦めたくはないです」


「じゃあ、せめて一人で抱えない」


 いつもの言葉。


 でも、何度言われても必要な言葉だった。


 リリアも頷く。


「一緒に調べましょう」


「はい」


 ダリウスさんが会議を締めるように言った。


「今日はここまでだ。ミュレアの移送準備を急ぐ。白銀救護会館については、クラリッサとの再接触後に動く」


 俺たちは頷いた。


 マルクスの背後に、白銀枢機卿の影が見えた。


 教会は割れ始め、次の戦いは静かに形を変えていく。


 そしてその中心には、また俺たちがいる。


 静かな生活は、相変わらず遠い。


 けれど、今度は少しだけ思う。


 遠くてもいい。


 守るべき名前と、守るべき相手がいるなら。


 俺は、もう少しだけこの面倒な道を歩ける気がした。

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