第38話 リリアの名を、勝手に異端へ書き換えるな
王宮へ戻る馬車は、東門へ向かった時よりもさらに荒かった。
車輪が石畳を叩く。
馬の蹄が火花でも散らしそうな勢いで鳴る。
王都警備隊の先導がなければ、途中で荷馬車に突っ込んでいたかもしれない。
それくらい急いでいた。
マルクス・グレイが、王宮礼拝堂へ向かった。
目的は、リリアの異端認定。
しかも、ただの宣言ではない。
教会聖印核を使った強制儀式。
それが何を意味するのか、俺にはまだ完全には分からない。
だが、隣に座るリリアの顔色を見れば、それがどれほど重いものなのかは分かった。
彼女の手は、膝の上で固く握られている。
「リリア」
俺が呼ぶと、彼女はゆっくり顔を上げた。
「はい」
「大丈夫、ではないですよね」
「……はい」
正直な返事だった。
「怖いです。異端認定は、教会にとって最も重い処分の一つです。儀式として刻まれれば、教会に属する治癒院や聖堂、支援施設で名前を拒まれる可能性があります」
「名前を拒まれる……」
「はい。聖女としての名だけでなく、人としての信用まで奪われる」
彼女は唇を噛んだ。
「教会にいた頃、異端と呼ばれた人を一度だけ見たことがあります。その人が本当に罪を犯したのか、私は知りません。でも、その日から誰もその人の名前を呼ばなくなりました」
馬車の中が静まる。
「怖かったです。人は、名前を呼ばれなくなるだけで、あんなに存在が薄くなるのだと」
リリアの声は震えていた。
だが、彼女は続けた。
「でも、私は……もう黙って名前を奪われたくありません」
俺は頷いた。
「奪わせません」
セリカさんも剣の柄に手を置いたまま言う。
「儀式だろうが聖印だろうが、リリアを縛るなら斬るわ」
「王宮礼拝堂で剣を抜くと問題になりませんか」
「必要なら問題ごと斬る」
「物騒ですね」
「今さらよ」
セリカさんらしい。
少しだけ笑いそうになったが、すぐに緊張が戻る。
ノエルは、馬車の中でずっと資料と簡易封印具を確認していた。
「教会聖印核って、王宮礼拝堂の中央祭壇にあるやつだよね。王家と教会の共同儀礼に使う正式聖具。あれを個人の異端認定に使うの、普通に越権じゃない?」
アリシア王女が険しい顔で頷く。
「本来は、王国行事や大規模な祈祷、災害時の救護誓約などに使うものです。個人を裁くための道具ではありません」
「じゃあ、マルクスは」
「王宮礼拝堂の教会側権限を悪用しています」
アリシア王女の声は静かだったが、怒りが滲んでいた。
「王宮の中で、王家の聖域を使い、リリア様の名を傷つけようとしている。これは、私にとっても許せることではありません」
王女はリリアを見る。
「リリア様。あなたの名は、あなたのものです」
リリアの目が揺れた。
「殿下……」
「教会が聖女と呼んでも、偽物と呼んでも、異端と呼んでも。あなた自身の名は、あなたが手放さない限り奪われません」
その言葉は、まっすぐだった。
ミュレアの声が頭の奥で響く。
『王女もなかなか言うではないか』
「本当に」
『レン、そなたも続け。白き娘は今、周囲の声を支えにして立っておる』
「分かっています」
『それと、聖印核を壊すなよ』
「また壊すな系ですか」
『あれを壊せば、王宮礼拝堂そのものに傷がつく。政治的に面倒じゃ』
「ミュレアが政治的に面倒とか言うんですね」
『妾は魔王令嬢ぞ。政治的面倒など、嫌というほど知っておる』
軽口の奥に、妙な実感があった。
俺は深く息を吸う。
「聖印核は壊さず止める。リリアの名を書き換えさせない」
口に出すと、やるべきことが少しだけ見えた。
馬車が王宮の外門を抜ける。
礼拝堂は、王宮の東翼にあるらしい。
もう時間はない。
◇
王宮礼拝堂は、美しい場所だった。
高い天井。
色硝子の窓。
白い石柱。
中央奥には、大きな祭壇。
その上に、金と白銀で作られた聖印核が浮かんでいた。
丸い輪の中に、王家の紋章と教会の聖印が重ねられている。
穏やかな光を放つそれは、本来なら祈りや誓いを支えるためのものなのだろう。
だが今、その光は歪んでいた。
白いはずの光に、灰色の線が混じっている。
祭壇の前には、マルクス・グレイが立っていた。
白い法衣。
銀縁の眼鏡。
薄い笑み。
ただし、その笑みはもう完全ではない。
目元に焦りがある。
そして、祭壇の足元には、白い魔法陣が広がっていた。
魔法陣の中央には、一枚の羊皮紙。
そこには、リリア・セレスティアの名が書かれている。
俺の視界に赤い表示が浮かんだ。
強制異端認定儀式
対象:リリア・セレスティア
状態:起動準備中
使用聖具:王宮礼拝堂聖印核
目的:教会記録網への異端印付与
危険:対象名の聖的信用破壊、治癒術使用時の反発発生
治癒術使用時の反発。
つまり、リリアが治癒術を使うたびに、異端印が反応する可能性がある。
彼女から、治癒師として生きる道まで奪うつもりなのか。
「マルクス!」
ダリウスさんの声が礼拝堂に響いた。
王都警備隊、近衛兵、王宮記録官が続いて入ってくる。
マルクスは、ゆっくりこちらを振り返った。
「これはこれは。ずいぶん早いお戻りですね」
「儀式を止めろ」
「儀式?」
マルクスは、穏やかに首を傾げた。
「私は、教会聖務監察官として必要な手続きを行っているだけです。危険な異能者の影響下にある元聖女を、これ以上放置するわけにはいきません」
まだ言う。
ここまで証拠が出ても、まだ正しさの顔で言う。
アリシア王女が前へ出た。
「マルクス・グレイ。王宮礼拝堂の聖印核は、個人の異端認定に用いるものではありません。王族である私の名において、即刻中止を命じます」
マルクスは深く一礼した。
「殿下。恐れながら、聖印核は王家と教会の共同管理です。教会監察部が緊急性を認めた場合、限定使用が認められております」
「その緊急性は誰が認めたのですか」
「私です」
開き直りに近かった。
アリシア王女の目が鋭くなる。
「あなたは現在、審問中の立場です」
「だからこそ、急がねばならないのです。証拠は歪められ、民衆は惑わされ、元聖女は異能者と魔族に囲まれている。この状況で、教会が沈黙することはできません」
マルクスの視線が、リリアへ向く。
「リリア。戻りなさい。今ならまだ、あなたを救えます」
リリアの身体が、少しだけ震えた。
だが、彼女は前へ出た。
「私は、戻りません」
「それはあなたの本心ですか?」
「はい」
「そう思わされているだけかもしれない」
「その言葉は、もう聞きました」
リリアの声は静かだった。
「あなたは何度も、私の意思を疑います。でも、教会にいた頃の私が本当に自分の意思で苦しんでいたのかは疑ってくれませんでした」
マルクスの笑みが少し薄くなる。
「あなたは混乱している」
「混乱していても、戻りたくないことは分かります」
リリアは胸元のギルド治癒師章に手を触れた。
「私はリリア・セレスティアです。今はリアとして、ギルドの治癒師でもあります。聖女でも、偽物でも、異端でも、あなたの所有物でもありません」
礼拝堂の空気が震えた。
聖印核が、リリアの言葉に反応したように白く明滅する。
マルクスの表情から、ほんの一瞬だけ余裕が消えた。
俺の表示が流れる。
聖印核
状態:対象本人の自己定義により儀式文言が不安定化
注意:マルクスが強制認定へ移行します
「強制へ移ります!」
俺が叫ぶと同時に、マルクスが祭壇へ手をかざした。
「迷える魂に、正しき名を!」
聖印核が強く光る。
魔法陣の羊皮紙に書かれたリリアの名へ、灰色の線が絡みついた。
異端印付与開始
対象名:リリア・セレスティア
進行率:12%
まずい。
止めないと。
「ノエル、聖印核の外周回路を止められますか!」
「やる! でも王家系と教会系が絡んでる。無理に切ると礼拝堂全体が鳴る!」
「壊せません!」
「分かってる!」
ノエルが魔力糸を伸ばす。
だが、聖印核から強い白い光が弾いた。
「うわ、硬い!」
アリシア王女が手をかざす。
「王家側の認証を開きます!」
青白い光が聖印核へ届く。
その瞬間、外周の半分が淡く開いた。
「今!」
ノエルの魔力糸が入り込む。
リリアの名に絡む灰色の線が少し揺らぐ。
マルクスが鋭い声を出した。
「邪魔をするな!」
彼の法衣の袖から、白い札が飛ぶ。
監察部拘束札
対象:リリア、レン
効果:発言封鎖、行動抑制
弱点:札中央の銀点
「札、中央の銀点!」
セリカさんが動いた。
剣が抜かれた。
王宮礼拝堂で、ついに。
ただし、彼女の剣は人へ向かわない。
飛来する札だけを、正確に斬る。
白い紙片が光を失い、床へ落ちる。
「王宮で剣を抜いたわよ」
セリカさんが低く言う。
「後で怒られたら、一緒に頭下げて」
「もちろんです!」
俺は叫びながら、聖印核を見る。
異端印付与
進行率:31%
弱点:対象本人の名乗り、王家認証遮断、教会側儀式文の矛盾化
対象本人の名乗り。
つまり、リリア自身の言葉が必要だ。
「リリア!」
俺は彼女を見る。
「自分の名前を、言ってください! 教会の言葉じゃなく、自分の言葉で!」
リリアは一瞬、目を見開いた。
そして、頷いた。
彼女は魔法陣の前に立つ。
聖印核の光が彼女を包もうとする。
俺は思わず前に出た。
だが、セリカさんが俺の腕を掴む。
「待つ」
「でも」
「リリアが言う番よ」
リリアは、震える息を吸った。
「私は、リリア・セレスティア」
灰色の線が揺らぐ。
「かつて聖女と呼ばれ、偽物と呼ばれ、逃亡者と呼ばれました」
声は震えている。
でも、止まらない。
「でも、私はそのどれか一つだけではありません」
リリアの白い光が、足元から広がった。
「私は、痛みを知っています。だから、痛みを隠される人を助けたい」
魔法陣の羊皮紙が震える。
「私は、教会に戻りません。異端という名も受け取りません」
聖印核の光が乱れる。
マルクスが叫んだ。
「聖印核よ、対象を固定せよ!」
灰色の線が一気に強まる。
進行率:58%
「レン!」
ノエルが叫ぶ。
「教会側の儀式文が強すぎる! リリアさんの名乗りだけじゃ押し負ける!」
俺の視界が高速で切り替わる。
対抗補助候補:好感度リンク
目的:対象自己定義の補強
対象:リリア
注意:レンへの精神負荷大
また負荷大。
でも、これならできる。
俺はリリアへ手を伸ばした。
「リリア、手を!」
彼女は迷わず俺の手を取った。
白い光が流れ込んでくる。
怖さ。
痛み。
教会の冷たい床。
聖具の重さ。
偽物と呼ばれた時の息苦しさ。
そして、ギルドで初めて自分の意思を言えた日の温かさ。
それが一気に流れ込んだ。
俺は歯を食いしばる。
これは俺の言葉ではない。
リリアの言葉を、リリア自身へ返すだけだ。
「言ってください」
俺は彼女に言った。
「リリアは、誰ですか」
リリアの目に、涙が浮かんだ。
でも、声は強かった。
「私は、リリア・セレスティア。ギルドの治癒師リア。誰かの聖具ではなく、誰かの所有物でもなく、私自身です」
白い光が跳ね上がった。
対象自己定義:強化
異端印付与:停止
進行率:58% → 42%
押し返した。
アリシア王女が、王家認証の光をさらに強める。
「王家の名において、聖印核の共同権限を停止します!」
青白い光が、聖印核の半分を封じる。
ノエルが叫ぶ。
「教会側の回路、露出した!」
「セリカさん、祭壇下の灰色の線!」
「見えた!」
セリカさんの剣が、祭壇そのものではなく、床を這う灰色の魔力線だけを斬った。
儀式文が崩れる。
異端印付与
進行率:18%
儀式文矛盾発生
注意:マルクスが強制代替文へ移行
まだ終わらない。
マルクスは、眼鏡の奥で目を見開いていた。
もう笑っていない。
「なぜだ……なぜ、認めない……! 聖女は教会が定める。異端も教会が定める。力は管理されなければならない!」
その声には、初めて本音が滲んでいた。
「自由な聖女など、混乱を生むだけだ。管理されぬ異能者など、災いでしかない。魔王令嬢など、封印して利用する以外に価値がない!」
礼拝堂が静まり返った。
今、彼は言った。
利用、と。
王宮記録官の水晶が、その言葉を記録している。
アリシア王女の顔が硬くなる。
ダリウスさんが低く呟く。
「言ったな」
ミュレアの声が、俺の頭の奥で静かに燃えた。
『ほう。妾を利用する以外に価値がない、と』
「ミュレア」
『レン。少し貸せ』
「声を?」
『今度は短くせぬ』
危険表示が出る。
ミュレア音声投影
危険:中
効果:マルクスの儀式文へ干渉可能
理由:魔王令嬢本人の封印対象名が儀式文に含まれるため
儀式文にミュレアも含まれている。
マルクスはリリアだけでなく、俺とミュレアも危険対象として儀式文に組み込んでいるのだ。
「分かりました」
俺はリンクを開いた。
礼拝堂に、ミュレア・ノクターンの声が響く。
『人間の監察官よ』
聖印核が揺れた。
マルクスの顔が強張る。
『妾を封印し、恐れるのはよい。力ある者を警戒するのは当然じゃ。だが、利用する以外に価値がないとは、ずいぶんと安い舌を持っておるな』
その声は冷たかった。
ギルド前での軽口混じりの声とは違う。
魔王令嬢としての声だった。
『妾はミュレア・ノクターン。封印対象ではあっても、そなたの道具ではない。白き娘も、レンも、そなたの管理物ではない』
聖印核に絡んでいた灰色の線が、さらに乱れる。
『名を奪う儀式など、退屈で下劣じゃ。やめよ』
最後の一言が、礼拝堂の石壁に響いた。
聖印核が強く震える。
儀式文矛盾拡大
異端印付与:失敗寸前
ノエルが叫ぶ。
「今なら止められる!」
「どうすれば!」
「教会側の中核文を消す! レン、場所!」
俺は聖印核を見る。
灰色の線の中心。
聖印核の下側に、小さな黒い点がある。
「下側の黒点! ただし本体じゃなく、浮いている影だけ!」
「細かすぎる!」
ノエルが魔力糸を伸ばす。
アリシア王女が王家認証で光を開く。
リリアが自分の名を白い光で包む。
セリカさんが飛んできた最後の拘束札を斬る。
そして俺は、好感度リンクでリリアの自己定義が崩れないよう支えた。
黒い点に、ノエルの魔力糸が届く。
「切る!」
ぱきん、と小さな音がした。
聖印核の灰色が消える。
羊皮紙に書かれたリリアの名から、異端印の線が剥がれ落ちた。
強制異端認定儀式
失敗
対象名:保護
聖印核:正常化
証拠:マルクスの儀式悪用記録保存済み
終わった。
リリアの名は、守られた。
マルクスは祭壇の前で、呆然と立っていた。
あの整った笑みは、もうない。
汗が額に浮かび、眼鏡が少しずれている。
「なぜ……」
彼は呟いた。
「なぜ、誰も理解しない。秩序には管理が必要だ。聖女も、魔族も、異能者も、王族も……力ある者を自由にすれば、必ず乱れる」
アリシア王女が前へ出た。
「力ある者を管理することと、人の名を奪うことは違います」
ダリウスさんも歩み寄る。
「証拠隠滅、リリア奪還未遂、旧研究棟実験への関与、王宮記録への干渉、聖印核の悪用。十分だ」
王宮警備兵がマルクスを取り囲む。
マルクスは、最後に俺を見た。
「レン・クロフォード……君の力は危険だ。いつか必ず、君の周りの者を傷つける」
また、その言葉か。
俺の胸が少し冷える。
でも、今度は沈まなかった。
リリアが俺の手を握っている。
セリカさんが隣にいる。
アリシア王女も、ノエルも、ダリウスさんもいる。
頭の奥には、ミュレアの気配もある。
「危険かもしれません」
俺は言った。
「でも、だから一人で決めません。間違えそうなら、止めてもらいます。見えたものも、みんなで確認します」
俺はマルクスを見る。
「あなたみたいに、自分だけが正しいとは思いません」
マルクスの目が、わずかに揺れた。
王宮警備兵が彼の腕を拘束する。
白い法衣が、礼拝堂の光の中で妙に色あせて見えた。
マルクス・グレイは連れていかれた。
最後まで、何かを言おうとしていた。
だが、もう誰も彼の言葉に縛られなかった。
◇
儀式が完全に止まった後、リリアはしばらく祭壇の前に立っていた。
羊皮紙には、彼女の名が残っている。
ただし、異端印はない。
黒い線も、灰色の光もない。
ただ、リリア・セレスティアという名前だけが、静かに書かれていた。
彼女はそれを見つめていた。
「リリア」
俺が声をかけると、彼女はゆっくり振り返った。
目に涙が浮かんでいた。
でも、泣き崩れる涙ではない。
「名前が、残っています」
「はい」
「異端にならなかった」
「はい」
リリアは小さく笑った。
「よかった」
その一言に、全部が詰まっていた。
セリカさんが、少し乱暴に息を吐く。
「本当に、よかったわ」
「セリカさん」
「何?」
「手、震えています」
「うるさい」
セリカさんは顔を逸らした。
でも、剣を握る手が少し震えているのは本当だった。
彼女も怖かったのだ。
王宮礼拝堂で剣を抜き、聖印核を相手にし、リリアの名が奪われる寸前を見た。
平気なはずがない。
ノエルは床にへたり込んだ。
「……今日、もう研究しない」
「珍しいですね」
「研究倫理と命の危険と儀式妨害を一日で摂取しすぎた」
「言い方」
アリシア王女も、ようやく肩の力を抜いたようだった。
彼女はリリアの前に立ち、深く頭を下げた。
「王宮礼拝堂の管理が悪用され、あなたを傷つけかけました。王族として謝罪します」
リリアは慌てた。
「殿下が謝ることでは」
「それでも、謝らせてください」
アリシア王女は顔を上げる。
「そして、あなたが自分の名を守ったことに敬意を」
リリアは少し泣きそうな顔で微笑んだ。
「ありがとうございます」
その時、俺の視界に表示が浮かんだ。
リリア・セレスティア
状態:解放感、疲労、安堵
好感度:極めて高い
備考:レンと仲間たちが自分の名を守ってくれたことを一生忘れません
極めて高い。
数値ではなくなっている。
なぜ。
いや、今は深く考える場面ではない。
俺が視線を逸らすと、リリアが気づいた。
「レン」
「はい」
「何か見ましたか」
「いえ」
「本当に?」
「……少し」
セリカさんがじとっと見る。
「後で聞くわ」
「はい」
逃げられなかった。
頭の奥でミュレアが笑う。
『ふふ。白き娘の名は守られたな』
「はい」
『よくやった、レン』
珍しく、まっすぐな褒め言葉だった。
「ありがとうございます」
『ただし、妾への甘いものはまだじゃ』
「この状況でそれを言いますか」
『大事じゃ』
礼拝堂の空気が、少しだけ緩んだ。
深刻な戦いの後に、こういう馬鹿みたいなやり取りがある。
それが、今の俺たちらしいのかもしれない。
◇
マルクス・グレイは拘束された。
教会監察部の一部は、王宮と王都警備隊の調査対象になった。
王宮礼拝堂の聖印核は一時封鎖され、教会側権限の見直しが決まった。
リリアへの異端認定は失敗し、記録にも残らなかった。
俺への危険異能者指定も、マルクスの記録干渉と証拠隠滅が明らかになったことで、いったん保留ではなく却下の方向で処理されるらしい。
ただ、すべてが終わったわけではない。
教会全体がマルクスの不正にどこまで関わっていたのか。
白灯商会の残党はどれだけ残っているのか。
聖女再現計画の資料が他にもあるのか。
ミュレアの正式な扱いはどうなるのか。
問題は山積みだ。
でも、その日の夕方。
王宮からギルドへ戻る馬車の中で、リリアは初めて深く眠った。
俺の隣で、静かに。
胸元のギルド治癒師章を握ったまま。
セリカさんはそれを見て、小さく笑った。
「ようやく寝たわね」
「はい」
「レンも寝なさい」
「俺は」
「寝なさい」
「はい」
逆らえなかった。
目を閉じる前に、俺は窓の外を見た。
王都の夕焼けが、赤く街を染めている。
静かな生活は、相変わらず遠い。
でも、守れたものがある。
リリアの名前。
彼女の意思。
俺の力を信じてくれる人たち。
それだけで、今日は十分だった。




