第37話 東門封鎖、教会監察部の馬車を止めろ
王宮の廊下を走ることになるとは思わなかった。
いや、正確には走ってはいけない場所なのだろう。
磨き上げられた石床。
壁に並ぶ王家の紋章。
鎧姿の近衛兵。
重厚な扉。
どこを見ても、俺のような元追放貴族の三男で、冒険者登録数日目の男が息を切らして通る場所ではない。
けれど、今はそんなことを気にしていられなかった。
教会監察部が、王都東門から証拠品を運び出そうとしている。
白灯商会の残党護送を名目に。
本当は、旧研究棟や聖女再現計画につながる最後の証拠を消すために。
王宮審問室で、マルクス・グレイの聖印に記録干渉術式が仕込まれていたことが発覚した直後だった。
あの男は、まだ笑おうとしていた。
追い詰められても、言葉で逃げ道を作ろうとしていた。
だが、裏で証拠を動かしていたことまで露見した以上、もう猶予はない。
「レン、足元!」
セリカさんの声で、俺は我に返る。
廊下の角で滑りかけていた。
「あ、はい!」
「王宮で転んで大惨事とかやめてよ!」
「それは俺も嫌です!」
リリアが隣で息を整えながら言う。
「レン、無理に前へ出ないでください。まだ審問の疲れもあります」
「分かっています」
「本当に?」
「最近、その確認が毎回入りますね」
「必要なので」
否定できない。
王宮警備兵が先導し、ダリウスさんがその横を大股で進む。
後ろには王都警備隊の一隊。
さらに、アリシア王女も来ていた。
正直、王女が同行するとは思わなかった。
宰相は最初、止めた。
学園長も止めた。
だがアリシア王女は、静かに言った。
「私が対象候補にされていた証拠が持ち出される可能性があるのなら、私は見届けます」
その一言で、宰相は数秒黙った。
そして、近衛騎士二名をつけることを条件に同行を認めた。
強い。
王族というのは、ただ守られるだけの存在ではないのだと、彼女を見ていると分かる。
ノエルも来ている。
記録水晶と簡易封印具を抱えて。
「証拠品に焼却術式が仕込まれてる可能性があるなら、私がいないと危ないでしょ」
そう言って、当たり前のように混ざっていた。
危ない場所に自分から来るタイプが増えた。
セリカさんが「レンが二人」と言った理由が少し分かる。
王宮外の馬車止めに出ると、すでに馬車が用意されていた。
王都警備隊の紋章入りの馬車。
ギルド職員の馬もいる。
ダリウスさんが振り返る。
「東門まで急ぐ。レン、見えたらすぐ言え」
「はい」
俺たちは馬車へ乗り込んだ。
車輪が石畳を鳴らして走り出す。
王宮の門を抜け、王都の大通りへ。
昼過ぎの王都は人通りが多かった。
だが、王都警備隊の先導があるため、道が開いていく。
通行人たちが驚いた顔でこちらを見る。
教会声明、ギルド声明、王宮審問。
今日一日だけで、王都中に噂が広がっているのだろう。
俺の視界にも、すれ違う人々の状態がちらちら浮かぶ。
王都民
状態:不安、好奇心
備考:教会とギルドの対立を噂しています
商人
状態:警戒
備考:白灯商会の名が出たことで取引先を見直そうとしています
教会信徒
状態:混乱
備考:教会声明とギルド側証言のどちらを信じるべきか迷っています
世論は揺れている。
まだ決まっていない。
だからこそ、ここで証拠を逃がすわけにはいかない。
俺は目を閉じ、東門方向へ意識を向けた。
遠い。
けれど、危険の線が見える。
赤黒い線が、王都の東門へ伸びている。
東門
状態:教会監察部護送隊が通過手続き中
偽装名目:白灯商会残党護送
実態:証拠品搬出、焼却予定
危険:証拠箱内に浄化炎術式
「東門で、もう手続き中です。白灯商会残党護送という名目。証拠箱には浄化炎術式があります」
ダリウスさんが短く言う。
「間に合うか」
「まだです。でも、門を出たら焼くつもりです」
「門外でか」
「はい。たぶん、王都内の権限が及ばない場所で」
ダリウスさんの顔がさらに険しくなる。
「小賢しいな」
セリカさんが剣の柄を確認する。
「馬車を止めればいいのね」
「まず止める。次に燃やさせない」
ノエルが封印具を抱え直す。
「浄化炎術式なら、火がつく前に封印箱の内圧を下げる必要がある。燃え始めてからだと、紙だけ綺麗に灰になる」
「具体的にどうするんですか?」
「箱の焼却核を抜く。レンが場所を見て、私が回路を止めて、リアさんが聖力の暴走を抑える」
「また連携ですね」
「昨日よりは慣れたでしょ」
慣れたくはない。
でも、確かに前より動き方は分かってきた。
リリアが言う。
「浄化炎は教会式ですか?」
「たぶんね。悪しきものを清める名目で、都合の悪い書類を燃やすのにも使える。皮肉が効きすぎてて嫌になる」
ノエルの声は冷たかった。
アリシア王女は窓の外を見ている。
表情は静かだが、手は膝の上で固く握られていた。
俺は声をかけるか迷った。
すると彼女の方から言った。
「王宮の中で、マルクス監察官は終始落ち着いていました」
「はい」
「けれど、聖印の件で一瞬だけ顔が変わりました」
「俺も見ました」
「あれが、本当の顔だったのかもしれません」
アリシア王女は、少しだけ目を伏せた。
「教会は、王国にとって必要な組織です。信仰も、治癒も、福祉も、民の心を支える役割もあります。だからこそ、腐った部分を見つけた時、どこまで切ればいいのかが難しい」
王女の言葉は重い。
ただ悪を倒せば終わり、ではない。
教会全体を敵に回せば、救われている人まで巻き込む。
だが、不正を見逃せば、また誰かが利用される。
「難しいですね」
「はい」
アリシア王女は俺を見る。
「だから、証拠が必要なのです。感情ではなく、事実として切るために」
その目は、王女のものだった。
俺は頷く。
「止めましょう」
「はい」
馬車が大きく揺れた。
東門が近い。
◇
東門前は、混乱していた。
大きな門の前に、教会紋章付きの馬車が三台。
白い外套を着た聖職者数名。
武装した護衛。
そして、王都警備兵と何やら言い争っている。
白灯商会残党の護送という名目らしく、馬車の周りには拘束された商会員らしき者もいた。
だが、俺の表示はすぐに違和感を示した。
拘束者A・B
状態:偽装拘束
所属:教会監察部協力者
備考:白灯商会残党を装っています
偽装だ。
「拘束されている二人、偽物です。白灯商会残党を装っています」
俺が言うと、ダリウスさんが低く唸る。
「護送ごっこか」
王都警備隊長が大声を出した。
「東門を一時封鎖する! すべての馬車を停止させろ!」
門番たちが慌ただしく動く。
教会側の男が抗議した。
「これは教会監察部の正式護送です! 王宮の許可を得ています!」
ダリウスさんが前に出る。
「その許可は確認する。馬車を開けろ」
「ギルド長に教会護送を調べる権限はない!」
その男は、白い法衣に灰色の肩掛けをしていた。
表示が出る。
教会監察部副官:セム
状態:焦り、強硬
目的:証拠品搬出
所持:浄化炎起動符
備考:マルクスから直接指示を受けています
直接指示。
「副官セム。マルクスから直接指示を受けています。浄化炎起動符を持っています」
俺が言うと、セムの表情が明らかに変わった。
ダリウスさんが手を上げる。
「拘束しろ」
「なっ、無礼な!」
セムが懐へ手を伸ばす。
浄化炎起動符。
しかし、その動きより早くセリカさんが踏み込んだ。
「遅い」
剣の鞘が、セムの手首を打つ。
起動符が宙に舞う。
リリアの白い光がそれを包み、床へ落ちる前に無力化した。
「無効化しました」
「助かるわ」
セリカさんはそのままセムの肩を押さえ、膝をつかせた。
周囲の教会護衛が動こうとする。
だが、王都警備隊とギルド冒険者がすでに囲んでいた。
ガルムさんが大盾を構え、にやりと笑う。
「王都の門前で暴れるなら、相手になるぞ」
護衛たちは動けなかった。
ノエルが一台目の馬車へ走る。
「レン、箱はどれ?」
俺は表示を追う。
第一馬車:偽装資料、囮
第二馬車:白灯商会帳簿一部、低重要
第三馬車:本命証拠箱、浄化炎術式付き、聖女再現計画中枢記録
「三台目です! 本命は三台目!」
「了解!」
俺たちは三台目の馬車へ向かう。
馬車の扉には教会の封印がされていた。
白い蝋に聖印。
見た目だけなら清浄だ。
だが中身は真逆だった。
証拠箱
内容:聖女再現計画中枢記録、マルクス私印入り命令書、リリア回収指示書、ミュレア封印移送計画
罠:浄化炎術式、記録水晶破砕術式
起動条件:封印破壊、外部衝撃、遠隔聖印反応
「罠があります。封印を壊しても、衝撃でも、遠隔反応でも燃えます。中身はマルクスの私印入り命令書、リリア回収指示書、ミュレア移送計画です」
リリアの顔が強張る。
ミュレアの声が頭の奥で低く響いた。
『ほう。妾の移送計画とな』
「怒っています?」
『怒っておる。とてもな』
いつもの軽口がない。
ミュレアもまた、所有されかけた当事者だ。
ノエルが箱を見て、目を細める。
「遠隔聖印反応があるなら、マルクスが王宮側から焼こうとする可能性がある」
「今まさに?」
表示が赤く光る。
遠隔起動準備
起点:王宮審問室、マルクスの予備聖印
起動まで:短
「来ます! 遠隔起動!」
ノエルが叫ぶ。
「封印膜張る!」
リリアが両手をかざし、白い光を箱に重ねた。
アリシア王女も王家結界を展開する。
青白い光が白い光と重なり、箱全体を包む。
「レン、核は!」
「箱の底、中央より少し右! 黒い点!」
「見えない!」
「ノエル、右下の回路から入って、内側へ曲がってます!」
「了解!」
ノエルの魔力糸が封印の隙間から入り込む。
箱が白く光った。
浄化炎が内部で起動しかけている。
紙の焦げる匂いが、かすかに漏れた。
「急いで!」
「やってる!」
ノエルの額に汗が浮かぶ。
リリアの手も震えていた。
アリシア王女の結界も少し揺らぐ。
俺は表示を読み続ける。
「浄化炎、左側へ流れています。違う、囮です。本核は下! 底の二重板!」
「二重板とか性格悪い!」
ノエルが叫びながら魔力糸をもう一本伸ばす。
その瞬間、箱が大きく震えた。
記録水晶破砕術式:起動準備
対象:内部記録水晶
起動まで:三秒
「記録水晶を割る術式も来ます!」
セリカさんが箱の横に立つ。
「斬る場所は?」
「右側面の銀線、ただし深く切らないで! 外側だけ!」
「分かった!」
セリカさんの剣が走った。
金属の表面に刻まれた銀線だけを、正確に断つ。
普通の剣士なら、箱ごと壊してしまうだろう。
だがセリカさんの剣は、必要な線だけを切った。
記録水晶破砕術式の表示が消える。
「破砕停止!」
「浄化炎も止める!」
ノエルの魔力糸が底の核に届いた。
ぱちん、と小さな音。
箱の白い光が消えた。
浄化炎術式:停止
証拠箱:開封可能
証拠保全:成功
「止まりました!」
俺が叫んだ瞬間、周囲から大きな息が漏れた。
ノエルはその場に座り込みそうになったが、踏ん張った。
「これ、今までで一番いやらしい箱だった」
「箱の評価がすごいですね」
「作った人の性格が出てる」
否定できない。
副官セムは、青ざめた顔でこちらを見ていた。
「なぜ……なぜ止められる……」
ダリウスさんが彼の前に立つ。
「お前たちが隠したものを、見る者がいるからだ」
セムは唇を噛む。
その時、俺の表示がまた浮かんだ。
副官セム
状態:崩壊寸前
備考:マルクスに切り捨てられることを恐れています
切り捨てられる恐怖。
そこを突けるかもしれない。
「セムさん」
俺が声をかけると、彼は睨んできた。
「何だ、異能者」
「マルクスは、あなたも切り捨てます」
彼の顔が歪んだ。
「黙れ」
「ラゼル教授も切り捨てました。白灯商会も切り捨てようとしています。あなたも、証拠搬出を勝手にやったことにされる」
「黙れ!」
声が大きくなる。
当たりだ。
セリカさんが俺の横に立つ。
リリアも静かに見ている。
俺は続けた。
「あなたに全部押しつけられる前に、本当の命令者を話した方がいい」
セムは歯を食いしばった。
「……私は、教会のために」
「マルクスのためではなく?」
彼の表情が揺れた。
ダリウスさんが低く言う。
「今ここで証言すれば、王宮記録に残る。黙れば、マルクスがお前の沈黙を利用するだけだ」
長い沈黙。
東門前に集まっていた人々も、息を潜めている。
やがて、セムは膝をついたまま、低く言った。
「……命令は、マルクス監察官からだ」
王都警備隊の記録官が、すぐに記録水晶を向ける。
セムは顔を伏せたまま続けた。
「白灯商会の残党護送を装い、証拠品を東門外へ運び出せと。門外の廃礼拝堂で浄化炎により処分せよと。失敗時は、白灯商会残党の逃亡と放火に偽装せよと」
完全な証言だった。
俺は深く息を吐いた。
これで、マルクスへさらに近づいた。
アリシア王女が静かに言う。
「その証言、王宮へ提出します」
セムは顔を上げない。
「……私は、どうなる」
ダリウスさんが答える。
「それを決めるのは王宮だ。だが、黙って燃やすよりはましだろう」
セムは何も言わなかった。
◇
証拠箱は、東門の詰所で開封された。
王都警備隊、ギルド、王宮記録官、アリシア王女の立ち会いのもと。
中身は、表示通りだった。
マルクスの私印入り命令書。
リリア・セレスティア回収指示書。
ミュレア・ノクターン封印移送計画。
聖女再現計画中枢記録。
白灯商会を介した封印石片の入手経路。
ラゼル教授への研究支援指示。
そして、最も決定的だったのは、一枚の小さな手紙だった。
宛名はない。
だが、私印がある。
文面にはこうあった。
『聖女は個人であってはならない。再現可能な制度であるべきだ。失敗した聖女は回収し、成功した構造は王国へ示す。異能者レン・クロフォードについては、危険指定ののち能力の封印または転用を検討する』
転用。
その言葉を見た瞬間、胃の奥が冷えた。
俺の力も、結局は利用対象だった。
危険だと言いながら、封じるか、使うか。
リリアがそっと俺の袖を掴んだ。
「レン」
「大丈夫です」
そう答えたが、声は少し硬かった。
セリカさんが手紙を見て、低く言う。
「本当に、人を何だと思ってるの」
ノエルも珍しく黙っていた。
アリシア王女は、手紙を見つめたまま言った。
「これで、マルクス監察官は逃げられません」
その声は静かだった。
だが、怒りがあった。
ダリウスさんが頷く。
「王宮へ戻る。今度こそ、審問で終わらせる」
その時、俺の視界に表示が浮かんだ。
マルクス・グレイ
状態:東門作戦失敗を感知
次行動:王宮礼拝堂へ移動
目的:教会聖印核の起動、リリア異端認定の強制儀式
危険度:極大
背筋が凍った。
「まずい」
俺の声に、全員が振り向く。
「マルクスが王宮礼拝堂へ移動します。リリアを異端認定する強制儀式を起動するつもりです」
リリアの顔が白くなる。
アリシア王女が目を見開く。
「王宮礼拝堂は、教会と王家が共同管理する聖域です。そこを使われたら……」
ノエルが続ける。
「聖印核があるなら、王都中の教会記録に影響するかも。異端認定を儀式として流されたら、後で取り消すのが面倒どころじゃない」
セリカさんが即座に剣を握る。
「戻るわよ」
ダリウスさんも短く命じた。
「馬車へ!」
また走る。
東門を止めたばかりなのに、今度は王宮礼拝堂。
マルクスは、追い詰められてもまだ諦めていない。
いや、追い詰められたからこそ、最後の手段に出たのだ。
リリアが俺の横に立つ。
顔は白い。
でも、目は逃げていない。
「私は、異端ではありません」
「はい」
「私の名前を、勝手に決めさせません」
「行きましょう」
ミュレアの声が、頭の奥で低く響いた。
『鎖をかける儀式か。くだらぬ』
「止めます」
『うむ。今度こそ、あの男の仮面を剥がしてやれ』
俺は杖を握りしめた。
証拠は掴んだ。
証言も得た。
だが最後に、マルクスはリリアの名を奪おうとしている。
なら、止めるしかない。
王宮礼拝堂へ。
俺たちは、また馬車へ飛び乗った。




