第35話 教会声明、俺を危険異能者に仕立て上げる
朝は、来てしまう。
どれだけ夜が重くても。
どれだけ眠れなくても。
どれだけ明日が来てほしくないと思っても。
窓の外は白み、王都の街はいつものように動き始める。
パン屋は火を入れ、馬車は石畳を鳴らし、露店商は店先に布を広げる。
誰かにとっては、ただの一日だ。
でも俺たちにとっては違った。
教会が正式声明を出す。
リリアを異端として告発し、俺を危険異能者として指定する。
昨夜、スキルに出た警告がずっと頭から離れなかった。
マルクス・グレイ
次行動:王宮報告前の最終反撃
手段:世論操作、リリア異端告発、レン危険異能者指定
注意:明朝、教会が正式声明を出します
ギルドの客室で迎えた朝は、妙に静かだった。
俺は寝台に腰かけたまま、しばらく自分の手を見ていた。
危険異能者。
そう言われるのは、正直怖い。
外れスキルと笑われるのとは違う。
外れは、役に立たないという意味だった。
危険異能者は、存在しているだけで警戒されるという意味だ。
役立たずから、危険物へ。
極端すぎる。
俺は思わず小さく笑った。
笑うしかなかった。
「……静かに暮らしたいだけなのに」
何度目か分からない台詞が口から落ちた。
その瞬間、隣の部屋との扉が軽く叩かれた。
「レン、起きていますか」
リリアの声だった。
「起きています」
扉が開く。
リリアは白いケープではなく、ギルドの治癒師章をつけた外套姿だった。
顔色は少し白い。
でも、目は落ち着いている。
「眠れましたか」
「少しだけ。リリアは?」
「私も、少しだけです」
つまり、ほとんど眠れていない。
お互いに分かっているので、深く追及しなかった。
リリアは俺の向かいの椅子に腰を下ろした。
「今日、教会が私を異端と呼ぶのですね」
「……はい」
「不思議です」
「不思議?」
「教会にいた時は、聖女と呼ばれていました。偽物と言われた時は、自分の価値が消えたように感じました。そして今度は、異端」
リリアは少しだけ目を伏せた。
「呼び名が変わるたびに、自分が別のものにされていく気がします」
その言葉は、胸に刺さった。
聖女。
偽物。
逃亡者。
異端。
全部、誰かが彼女に貼った名前だ。
でも。
「リリアは、リリアです」
俺は言った。
リリアが顔を上げる。
「教会が何と呼んでも、俺にとってはリリアです。ギルドではリアで、治癒師で、仲間です」
言ってから、少し恥ずかしくなった。
だが、取り消すつもりはなかった。
リリアは驚いたように俺を見て、それからゆっくり微笑んだ。
「ありがとうございます」
「いえ」
「レンも、危険異能者ではありません」
「それは、どうでしょう」
思わず弱い声が出た。
リリアの目が静かに細くなる。
「レン」
「はい」
「自分で認めないでください」
「すみません」
「危険な力かもしれないと怖がることと、自分自身を危険物のように扱うことは違います」
まっすぐだった。
昨日、俺が言いそうなことを先に封じられた気がした。
「レンの力で、私は助かりました。セリカさんも、エマさんも、ミュレアさんも、アリシア殿下も。学園の学生たちも」
「でも、使い方を間違えたら」
「間違えないように、一緒に考えればいいのです」
リリアは静かに言った。
「一人で怖がって、一人で結論を出さないでください」
それは、優しい叱責だった。
俺は頷いた。
「はい」
そこへ、廊下からセリカさんの声がした。
「二人とも、朝から重い話をしてるところ悪いけど、会議室に呼ばれてるわ」
扉の向こうに、セリカさんが立っていた。
完全に聞こえていた顔だ。
「どこから聞いてました?」
「リリアが『レン』って低い声で言ったあたりから」
「かなり聞いてますね」
「入るタイミングを逃したのよ」
セリカさんは肩をすくめた。
それから、俺を見て言う。
「危険異能者なんて呼ばせておけばいいわ。実際に危険なのは、力じゃなくて使う人間よ」
「セリカさん」
「あなたは危ない時もある。でも、自分が絶対正しいと思い込むタイプじゃない。むしろ考えすぎて動けなくなりかけるタイプ」
「褒めていますか」
「少し」
「少し」
「だから、私たちが背中を押したり、襟首を掴んで止めたりする。以上」
分かりやすい。
そして、ありがたい。
俺は立ち上がった。
「行きましょう」
リリアも頷く。
「はい」
セリカさんは扉を開けたまま、少しだけ笑った。
「今日も忙しくなるわよ」
「知っています」
「言い方が少し強くなったわね」
「周りに鍛えられました」
「よろしい」
俺たちは会議室へ向かった。
◇
会議室には、すでに人が集まっていた。
ギルド長ダリウスさん。
受付嬢のエマさん。
魔法使いのオルフェさん。
ガルムさん、ニルさん、シェラさん。
そして、王立学園から来たミリア先生とノエル。
アリシア王女はいない。
さすがに朝からギルドに来るわけにはいかないのだろう。
ただ、学園長経由で王宮へ向かう準備をしているらしい。
机の上には、教会から配布されたばかりの声明文の写しが置かれていた。
白い紙。
整った文字。
教会の印。
見た目だけなら、清らかで正式な文書だ。
ダリウスさんは俺たちが入ると、短く言った。
「来たか」
「声明が出たんですね」
「ああ」
エマさんが、少し硬い声で読み上げた。
「教会聖務監察部は、元聖女リリア・セレスティアが不明な異能者の影響下にあり、教会管理下から離脱した件について、王都の安全と信仰秩序を守るため、速やかな保護を求める」
リリアの指が、少しだけ動いた。
だが、俯かない。
エマさんは続ける。
「レン・クロフォードなる人物は、詳細不明の異能を用い、元聖女および古代迷宮封印対象に干渉した疑いがある。その力は人心誘導、聖力歪曲、封印破壊を引き起こす可能性があり、教会は王国に対し、同人物の一時拘束および異能検査を求める」
部屋の空気が冷たくなる。
人心誘導。
聖力歪曲。
封印破壊。
言葉だけ見れば、俺がとんでもない危険人物みたいだ。
さらにエマさんは読み続けた。
「また、魔王令嬢ミュレア・ノクターンは危険な魔族王家の生き残りであり、ギルド管理下に置かれている現状は王都防衛上の重大な懸念である。教会封印管理部署への移送が必要である」
ミュレアの声が、頭の奥で低く響いた。
『妾をまた所有するつもりか。懲りぬ連中じゃ』
いつもの軽さがない。
怒っている。
エマさんは最後まで読み上げた。
「教会は、王都の民に冷静な判断を求めるとともに、異端的異能に惑わされぬよう警告する」
沈黙。
紙の上では丁寧だ。
だが、内容は完全に攻撃だった。
リリアは異能に惑わされた元聖女。
俺は危険な人心誘導者。
ミュレアは危険な魔族。
そして教会は、それらを保護し、管理し、検査する正義の機関。
うまく作ってある。
気持ち悪いくらいに。
ノエルが低く言った。
「情報操作としては、かなり上手いですね。最悪」
「そうだな」
ダリウスさんが頷く。
「自分たちに不利な白灯商会、ラゼル教授、聖女再現計画には触れず、相手を危険物にする。先に民衆へ不安を植えつけるやり方だ」
セリカさんが拳を握る。
「卑怯ね」
「卑怯だが、効果はある」
オルフェさんが言った。
「教会の言葉を信じる人は多いです。特に、元聖女や魔族、異能という言葉には強い不安を抱くでしょう」
俺は窓の外を見る。
ギルド前の通りには、いつもより人が多かった。
何かを聞きつけたのか、遠巻きにギルドを見ている者たちがいる。
好奇心。
不安。
疑い。
俺の表示にも、それが浮かんだ。
王都民A
状態:不安
備考:教会声明を信じかけています
王都民B
状態:好奇心
備考:危険異能者という言葉に怯えています
王都民C
状態:半信半疑
備考:ギルド側の説明を待っています
世論が動き始めている。
ダリウスさんは、机に別の資料を置いた。
「こちらも声明を出す」
「ギルド声明ですか?」
「ああ。ただし、感情的な反論ではなく、証拠を添える」
資料には、白灯商会南倉庫の押収物一覧、ラゼル教授の証言、旧研究棟地下炉の記録、昨夜の教会監察部特務班襲撃の装備リストがまとめられていた。
エマさんが寝ずに整理したのだろう。
目の下に少しだけ疲れがある。
「エマさん、これ」
「はい。できる限り、分かりやすくまとめました」
彼女は少しだけ緊張した顔で笑った。
「私の名前も、証言者として入れています」
「いいんですか?」
「怖いです。でも、黒蛇金融商会の契約書から始まったことです。私も、隠れているだけではいたくありません」
エマさんも変わった。
借金契約に怯えていた受付嬢が、今は教会声明への反論資料に自分の証言を入れている。
リリアが静かに言った。
「エマさん、ありがとうございます」
「リアさんこそ」
二人は短く見つめ合った。
言葉は少なかったが、十分だった。
ダリウスさんは俺たちを見る。
「王宮報告は午後だ。それまでに、ギルド前で簡単な説明を行う」
「ギルド前で?」
俺が聞き返す。
「民衆と冒険者に向けてだ。黙っていれば、教会の声明だけが広まる」
「俺たちも出るんですか?」
「出る」
即答だった。
胃が重くなった。
セリカさんが横で言う。
「逃げない」
「まだ何も」
「顔」
「はい」
リリアも静かに言う。
「私も出ます」
全員の視線が彼女へ向いた。
「教会は、私が惑わされていると言いました。なら、私自身が話します。私は自分の意思でここにいると」
「リア、無理は」
俺が言いかけると、リリアは首を横に振った。
「無理ではありません。怖いです。でも、黙っていたら、また誰かが私の意思を勝手に語ります」
その声は強かった。
「それは、もう嫌です」
ダリウスさんは静かに頷いた。
「分かった。だが、長く話す必要はない。自分の言葉で一つだけ言え」
「はい」
俺も腹を括るしかなかった。
「俺も話します」
セリカさんが少し驚いたように見る。
「大丈夫?」
「大丈夫かは分かりません。でも、俺が危険異能者と言われているなら、黙っているわけにもいかないので」
「……そう」
セリカさんは少しだけ笑った。
「なら、隣に立つわ」
「ありがとうございます」
「震えたら背中叩いてあげる」
「優しいのか厳しいのか」
「両方」
いつもの返しに、少しだけ笑えた。
◇
昼前、ギルド前には多くの人が集まっていた。
冒険者。
商人。
近所の住民。
教会の信徒らしき者。
王都警備隊の姿もある。
石段の上に立ったダリウスさんは、いつものように大きな声を張った。
怒鳴るのではない。
だが、よく通る声だった。
「王都冒険者ギルド長、ダリウス・ガルドだ。本日朝、教会聖務監察部より声明が出された。元聖女リリア・セレスティア、レン・クロフォード、魔王令嬢ミュレア・ノクターンに関するものだ」
群衆がざわめく。
リリアは俺の隣に立っている。
セリカさんはさらにその横。
エマさんは資料を抱え、少し後ろにいる。
俺の足は少し震えていた。
人前に立つのは得意ではない。
前世からずっとそうだ。
発表の順番が来る前の教室。
会議で発言を求められた時の職場。
視線が集まるたびに、喉が乾く。
今も同じだ。
でも、今回は一人ではない。
ダリウスさんは続けた。
「教会声明では、リリアが異能に惑わされているとされた。レンが危険異能者であるともされた。ミュレアは教会管理下へ移すべきだともされた」
ざわめきが大きくなる。
「だが、ギルドはそれを認めない」
ざわめきが止まった。
「理由は証拠があるからだ」
ダリウスさんが手を上げると、職員たちが押収品の写しを掲示板へ貼り出した。
白灯商会の契約記録。
黒蛇金融商会の不正契約。
対聖女用呪具の解析概要。
旧研究棟地下炉の記録。
教会監察部特務班の拘束具と転移札。
民衆の間から驚きの声が上がる。
「白灯商会?」
「教会御用達の?」
「旧研究棟って、王立学園の?」
「対聖女用呪具って何だ?」
ダリウスさんは、ひとつずつ説明した。
白灯商会が封印石片を不正に扱っていたこと。
黒蛇金融商会と結び、債務者を利用しようとしていたこと。
王立学園旧研究棟で、聖力を利用した危険な実験が行われていたこと。
その記録に教会監察部代理人の署名があったこと。
そして昨夜、教会監察部特務班がギルドへ侵入し、リリアを極秘に連れ去ろうとしたこと。
話が進むにつれ、群衆の空気が変わっていく。
最初は疑いと不安だった。
今は、ざわざわとした怒りが混じり始めている。
ただ、それでもまだ半信半疑の者はいる。
教会への信頼は根強い。
そこでダリウスさんは、リリアへ視線を向けた。
「リア」
リリアが一歩前へ出る。
ざわめきが広がる。
白い髪。
静かな目。
ギルド所属治癒師の章。
誰かが小さく言った。
「元聖女様……?」
リリアの手が少し震えた。
俺は隣で、彼女にだけ聞こえる声で言った。
「一緒です」
リリアは、小さく頷いた。
そして、群衆へ向かって話し始めた。
「私は、教会に戻りません」
最初の一言は、短かった。
でも、よく通った。
「私は、誰かに惑わされてここにいるのではありません。自分の意思で、ギルドにいます」
群衆が静かになる。
「教会にいた頃、私は自分の苦しみを信仰が足りないせいだと思っていました。聖具と呼ばれたものが、私の力を奪っていたことも知りませんでした」
言葉が少し震える。
でも、止まらない。
「私は、もう誰かに自分の意思を決められたくありません。助けを必要としている人を助ける治癒師として、生きたいです」
それだけだった。
短い。
けれど、その一言一言は本物だった。
群衆の中から、誰かが息を呑む音がした。
次に、俺が前へ出る番だった。
足が重い。
喉が乾く。
逃げたい。
でも、ここで逃げれば、リリアが一人で立った意味が薄れる気がした。
俺は一歩前へ出た。
「レン・クロフォードです」
自分の声が思ったより小さい。
セリカさんが後ろから小さく言う。
「腹から」
体育会系の指導だ。
でも少し助かった。
俺は息を吸い直した。
「教会声明では、俺の力が人心誘導や封印破壊を引き起こす危険なものだとされました」
群衆が見ている。
怖い。
でも、話す。
「正直に言います。俺自身、自分の力が全部分かっているわけではありません。怖いと思うこともあります」
ざわめきが少し起きる。
危険異能者本人が怖いと言うのは、変かもしれない。
でも、嘘はつきたくなかった。
「でも、俺はこの力を誰かを縛るためには使いません。見えた危険を伝えるために使います。助けられる人がいるなら、助けるために使います」
俺はリリアを見る。
セリカさんを見る。
エマさんを見る。
「この力で、助けられた人がいる。それだけは、ここにいる人たちが証明してくれます」
エマさんが一歩前へ出た。
「私も、レンさんに助けられました」
彼女の声は震えていた。
でも、しっかりしていた。
「黒蛇金融商会の不正契約を見抜いてもらわなければ、私は今も脅されていました。白灯商会との繋がりも、見つからなかったかもしれません」
次に、セリカさんが前へ出る。
「私も」
彼女の声は短く、強い。
「レンの指示で、命を拾ったことがある。外れでも危険物でもない。少なくとも私にとっては、仲間の力よ」
その一言が、胸に響いた。
群衆の中から、冒険者たちの声が上がる。
「俺も見たぞ! 東の森の件、あいつの警告がなきゃ危なかった!」
「ギルド長が認めてるなら、教会の言い分だけじゃ分からねえな!」
「白灯商会の件、うちの店も被害あったぞ!」
空気が変わり始めた。
完全にこちらへ傾いたわけではない。
だが、教会声明だけが真実だという流れは崩れた。
その時、群衆の後方から声が飛んだ。
「だが、元聖女が異端でない証拠はあるのか!」
教会信徒らしき男だった。
俺の表示が出る。
教会信徒風の男
状態:扇動
所属:教会監察部協力者
目的:リリアへの不信拡大
仕込みだ。
男は続ける。
「教会を離れた聖女が、魔族と異能者に囲まれている! それで本当に正気だと言えるのか!」
ざわめきが戻る。
リリアの顔が少し白くなる。
だが、彼女が答える前に、頭の奥でミュレアの声が響いた。
『レン。妾の声、外へ出せるか』
「え?」
『少しでよい。妾が言ってやる』
「危険では?」
『このままでは白き娘が傷つく。妾は、それが気に入らぬ』
ミュレア。
俺は迷った。
魔王令嬢の声を民衆に聞かせる。
どう考えても危険だ。
だが、表示が出る。
ミュレア音声投影
可能
危険:中
効果:扇動の流れを断つ可能性
注意:短時間限定
俺はダリウスさんを見る。
彼も俺の表情で何か察したらしい。
「何だ」
「ミュレアが、話すと言っています」
会場の空気が凍りかけた。
ダリウスさんは一瞬だけ考えた。
そして言った。
「短くしろ」
許可が出た。
俺はリンクを開く。
胸の奥に、金色の火のようなものが灯る感覚。
そして、ギルド前にミュレアの声が響いた。
『人間どもよ』
群衆が一斉に息を呑んだ。
どこから聞こえるのか分からない声。
若い少女のようで、同時に古い王族のような響き。
『妾はミュレア・ノクターン。そなたらが魔王令嬢と呼ぶ者じゃ』
悲鳴が少し上がる。
だが、ミュレアは構わない。
『教会は妾を危険と呼ぶ。それは否定せぬ。妾は力ある魔族じゃ。恐れるのも当然であろう』
自分で認めた。
だからこそ、群衆は聞いた。
『だが、妾を所有しようとしたのは誰じゃ。封印石を盗み、妾の封印を歪め、力だけを奪おうとしたのは誰じゃ。教会と商会の者どもであろう』
空気が変わる。
『白き娘は、妾を道具として扱わなんだ。赤き剣姫も、レンも。妾を警戒しながら、それでも所有しようとはしなかった』
ミュレアの声が少しだけ柔らかくなる。
『ゆえに妾は言う。白き娘は正気じゃ。自分の足で立っておる。あの娘を鎖へ戻そうとする者こそ、妾にはよほど危うく見える』
沈黙。
圧倒的な沈黙。
最後に、ミュレアは少しだけいつもの調子を戻した。
『それと、レンは危険ではあるが、愚かなくらい人を助けようとする男じゃ。利用するには面倒すぎる。妾が保証しよう』
「ミュレア!」
思わず声が出た。
群衆の何人かが、ぽかんとした。
次の瞬間、冒険者の一人が吹き出した。
そこから少しずつ笑いが広がる。
恐怖だけだった空気に、妙な緩みが生まれた。
ミュレアの声は、すっと消えた。
『短くしたぞ』
「最後の一言、いります?」
『いる』
いるらしい。
リリアが、少しだけ泣きそうな顔で笑っていた。
「ミュレアさんらしいですね」
セリカさんも額を押さえている。
「魔王令嬢に保証される危険異能者って何よ」
「俺が聞きたいです」
だが、効果はあった。
扇動していた男は、明らかに勢いを失っている。
その隙を逃さず、ダリウスさんが声を張った。
「以上だ。ギルドは、証拠に基づき王宮へ正式報告を行う。教会声明だけを信じる前に、これらの資料を見ろ。白灯商会、ラゼル教授、教会監察部特務班。すべて事実だ」
群衆は、もう先ほどとは違っていた。
疑いは残っている。
不安も残っている。
だが、教会が一方的に正しいという空気ではなくなった。
◇
説明を終え、ギルド内へ戻ると、俺はその場で壁にもたれた。
「疲れた……」
「でしょうね」
セリカさんが水を渡してくれる。
「よく話したわ」
「途中から何を言ったかあまり覚えてません」
「でも伝わってた」
リリアがそばに来る。
「レン、ありがとうございました」
「リリアが自分で話したからです」
「でも、隣にいてくれました」
その一言で、疲れが少しだけ軽くなった気がした。
ダリウスさんが近づいてくる。
「世論戦の第一波は凌いだ。だが、マルクスはまだ終わらん」
「はい」
「午後、王宮へ行く。そこで証拠を提出する。教会側も呼ばれるだろう」
つまり、マルクス本人と王宮で対峙する可能性がある。
俺は深く息を吐いた。
「次は王宮ですか」
「そうだ」
「俺、本当に普通の冒険者なんですかね」
「もう普通ではないな」
即答だった。
少しは慰めてほしい。
しかし、ダリウスさんは続けた。
「だが、普通ではないからこそできることがある」
「……はい」
「昼まで休め。今度こそ本当にだ」
セリカさんとリリアが、同時に俺を見る。
逃げられない。
「休みます」
俺は素直に言った。
頭の奥で、ミュレアが満足そうに笑う。
『よいぞ、妾の保証付き危険異能者よ』
「その呼び方、絶対やめてください」
『気に入った』
「やめてください」
リリアが笑い、セリカさんも少し笑った。
外では、まだざわめきが続いている。
教会との戦いは、言葉の場へ移った。
次は王宮。
マルクス・グレイとの正面対決が、いよいよ近づいていた。




