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第30話 ラゼル教授、笑顔で証拠を回収しようとする

 ラゼル教授は、笑っていた。


 柔らかい笑みだった。


 怒っているようには見えない。

 慌てているようにも見えない。

 ただ、昼休みの食堂で起きた小さな騒ぎを、大人として穏やかに収めようとしている。


 ――ように、見せている。


 俺の視界には、まったく別の表示が浮かんでいた。


ラゼル教授

状態:警戒、焦り、隠蔽

目的:試作聖具の回収、欠陥発覚の防止

備考:レンたちが低純度封印石片の混入を見抜いたことを危険視しています


 危険視。


 やっぱり、ただの事故ではない。


 食堂の床では、治癒術科の一年生がまだ座り込んでいた。

 リリアがそばで支え、白い光で呼吸を整えている。


 セリカさんは、周囲の学生たちを下がらせる位置に立っていた。

 剣は抜いていない。

 だが、いつでも動ける距離にいる。


 ノエルは、問題のペンダント――試作聖具を布で包み、片手でしっかり持っていた。


 ラゼル教授は、まっすぐその布包みへ視線を向ける。


「ノエル君。それは私の研究室で管理している試作聖具です。こちらへ返してもらえますか」


 声は穏やか。


 だが、ノエルは一歩も動かなかった。


「返す前に確認したいんですけど、これ、聖力安定補助具って名目ですよね」


「ええ。聖力の流れが不安定な学生のために開発しているものです」


「でも今、過剰増幅を起こしました」


「試作品ですから、不具合が出ることもあります」


「不具合で済ませるには危なかったですよ」


 ノエルの声は、普段より低かった。


 研究対象を前にした時の興奮とは違う。

 本気で怒っている。


「この子、聖力が逆流しかけてました。リアさんが抑えなかったら、倒れるだけじゃ済まなかったかもしれません」


 ラゼル教授は、わずかに眉を下げた。


「それは大変申し訳ない。だからこそ、原因を調べる必要があります。研究室で解析しますので」


「ここで封印して、学園長と治癒術科の先生の立ち会いで解析すべきです」


 ノエルが即答する。


 ラゼル教授の笑みが、ほんの少しだけ固まった。


「ノエル君。君はまだ学生です。研究室の管理品について、勝手な判断をする立場ではありません」


「学生でも、危険な魔道具をそのまま返すほど馬鹿じゃありません」


 食堂がざわついた。


 学生が教授にここまではっきり言うのは、珍しいのだろう。


 俺はノエルを少し見直した。


 変人研究者っぽいが、危険なものを危険と言える人らしい。


 ラゼル教授は、今度は俺を見た。


「レン・クロフォード君、でしたね」


「はい」


「君が、この聖具に低純度封印石片が混ざっていると言ったそうですが」


「はい」


「何を根拠に?」


 来た。


 俺の能力を曖昧なものとして崩すつもりだ。


 昨日のレオンと同じ方向だが、ラゼル教授の方がずっと静かで厄介だった。


 俺は慎重に答える。


「魔力の流れが見えました。聖力安定用というより、聖力を一度引き上げてから押さえ込む構造に見えます。素材反応は、古代迷宮の封印石片に近いです」


 ラゼル教授は少し笑った。


「見えました、ですか。特殊感知能力と聞いていますが、それは随分便利な力ですね」


 嫌味だ。


 だが、露骨ではない。


「便利かどうかは分かりません。でも、今の暴走は本物です」


「試作品の不具合で、そこまで断定するのは危険ですよ」


「不具合なら、第三者立ち会いで解析しても問題ありませんよね」


 俺が言うと、ラゼル教授の目が少し細くなった。


 食堂の空気が一段冷える。


 セリカさんが半歩、俺の横へ来た。


「レンの言う通りです。危険が出た魔道具を、開発者本人だけに戻すのは不自然でしょう」


 ラゼル教授はセリカさんを見る。


「剣術研修生の方ですね。魔道具の専門知識は?」


「ありません」


「ならば、専門家に任せるべきでは?」


「専門家が信用できるかどうかを確認するために、立ち会いが必要だと言っているの」


 セリカさんの声は冷たい。


 周囲の学生たちが息を呑む。


 ラゼル教授は、今度はリリアを見た。


「リアさん。あなたは治癒術研修生でしたね。今の学生の容態は?」


 リリアは女子生徒の手を取りながら答えた。


「聖力の流れは落ち着いています。ただ、胸元の聖力路に軽い炎症のような乱れがあります。今日は治癒術棟で休ませるべきです」


「そうですか。それは助かりました。あなたの処置は見事です」


「ありがとうございます」


 リリアは静かに答えた。


 だが、ラゼル教授は続ける。


「ですが、あなたも教会式の正式な資格はお持ちではないと聞いています。治癒術の判断については、学園の担当教師に任せた方が」


 リリアの指が、わずかに強張った。


 教会式の正式な資格。


 その言葉の裏には、教会に認められていない者の判断は不確かだ、という含みがある。


 俺は口を開きかけた。


 だが、リリアが先に答えた。


「私は教会式の資格は持っていません」


 声は静かだった。


「でも、この方の聖力が乱れていたことは分かります。苦しんでいたことも分かります。目の前で倒れている人を助けるのに、まず資格証を見せる必要があるとは思いません」


 食堂が静まり返った。


 ラゼル教授の笑みが、さらに薄くなる。


 リリアは続けた。


「もちろん、正式な診断は担当の先生にお願いします。ですが、この聖具は危険です。少なくとも、同じものを他の学生に使うべきではありません」


 その言葉には、リリア自身の痛みが乗っていた。


 聖具の名で呪具をつけられた彼女だからこそ、言える言葉だった。


 ラゼル教授は数秒だけ黙り、やがて小さく息を吐いた。


「……分かりました。では、学園長立ち会いのもとで解析しましょう。ただし、その聖具は本来、私の研究室の管理品です。破損や紛失があった場合、責任は問われます」


 ノエルが即座に返す。


「記録を残します。今この場で封印箱に入れて、ミリア先生に預けましょう」


「用意がいいですね」


「研究者なので」


 ノエルは悪びれない。


 ミリア先生が騒ぎを聞きつけて食堂へ入ってきた。


 状況を聞くと、表情を引き締める。


「試作聖具は教務局で一時預かります。解析は学園長、治癒術科主任、魔道具科主任の立ち会いで行います」


 ラゼル教授は微笑んだ。


「承知しました」


 承知した顔ではなかった。


 表示もそう言っている。


ラゼル教授

状態:焦り増大、計画修正

備考:旧研究棟の証拠移動を早める必要があると判断しました


 まずい。


 やはり動く気だ。


 俺はすぐにミリア先生へ言った。


「先生、ラゼル教授は旧研究棟の証拠を動かそうとしています」


 食堂がざわついた。


 ラゼル教授の目が、初めてはっきり冷たくなった。


「根拠のない名誉毀損は困りますね」


「俺の感知です」


「それは証拠ではありません」


「でも警戒はできます」


 俺は引かなかった。


 怖い。


 教授という立場の相手に、学生食堂で正面から疑いを向けている。


 前世の俺なら絶対にできなかった。


 だが今は、目の前に苦しんだ女子生徒がいる。


 そして、彼女の胸元にあった聖具から封印石片の反応が出ている。


 ここで黙れば、また誰かが同じ目に遭うかもしれない。


 ミリア先生は、俺とラゼル教授を見比べた。


 そして、業務的な声で言った。


「ラゼル教授。本日放課後、アリシア殿下と特別調査生が旧研究棟の見学を予定しています。それまで旧研究棟の資料移動は禁止します」


 ラゼル教授の頬がわずかに動いた。


「それは急ですね」


「学園長の許可も出ています」


「……承知しました」


 ラゼル教授は穏やかに一礼した。


 そして、俺を見る。


「レン君。君の感知能力には興味があります。ですが、見えたものをそのまま真実だと思い込むのは危険です」


「気をつけます」


「ぜひ、気をつけてください」


 その声は柔らかかった。


 でも、背筋が冷えた。


 ラゼル教授は踵を返し、食堂を出ていった。


 周囲のざわめきが一気に戻ってくる。


 ノエルは布包みを封印箱へ入れながら、小さく呟いた。


「完全に黒じゃん」


「声が大きいです」


「研究者の勘だけど、あれは隠してる顔」


「勘じゃなくても表示で出ています」


「いいなあ、その能力。やっぱり研究したい」


「今その話ですか」


 ノエルは真剣な顔で頷いた。


「危険な時ほど好奇心を失わないのが研究者」


「危険な研究者の発言ですね」


 セリカさんが呆れた。


     ◇


 倒れた女子生徒は、治癒術棟へ運ばれた。


 リリアは付き添いを申し出たが、治癒術科の教師が来たことで一旦任せることになった。


 ただ、女子生徒は運ばれる前に、リリアの手を握った。


「あの……ありがとうございました」


「無理をしないでください」


「はい。あの聖具、先生に勧められて……私、聖力が弱いから、これをつければ安定するって」


 リリアの目が少し揺れた。


 自分と重なったのだろう。


「あなたが悪いのではありません」


 リリアは静かに言った。


「苦しくなったなら、苦しいと言っていいんです。聖力が弱いから駄目だなんて、そんなことはありません」


 女子生徒は泣きそうな顔で頷いた。


 それを見て、俺は胸が詰まった。


 リリアが、かつて自分に言ってほしかった言葉を、今度は誰かに言っている。


 その姿は、強かった。


 女子生徒が運ばれた後、リリアはしばらく黙っていた。


「リリア」


「はい」


「大丈夫ですか」


 リリアは少し考えてから答えた。


「少し、思い出しました」


「……」


「でも、今は大丈夫です。あの子に、あなたが悪いのではないと言えましたから」


 そう言って、彼女は小さく笑った。


「昔の私にも、少しだけ言えた気がします」


 俺は何も言えず、ただ頷いた。


 セリカさんも静かにリリアの肩へ手を置いた。


「よく言ったわ」


「ありがとうございます」


 その短いやり取りだけで、十分だった。


     ◇


 放課後。


 旧研究棟見学の時間が近づいていた。


 俺たちは本校舎の北西通路で、アリシア王女と合流することになっている。


 同行者は、俺、リリア、セリカさん、ノエル、ミリア先生、そしてアリシア王女。


 ノエルが加わったのは、彼女が試作聖具の応急解除に関わったことと、旧研究棟の魔力線異常を以前から観測していたからだ。


 正直、かなり助かる。


 同時に、かなり不安でもある。


 ノエルは危険なものを見つけると目を輝かせるタイプだからだ。


「ノエル、旧研究棟では勝手に触らないでくださいね」


 俺が言うと、彼女は心外そうに眉を上げた。


「触る前に記録は取るよ」


「触らないとは言わないんですね」


「必要なら触る」


「危険」


「研究はだいたい危険」


 セリカさんが小さくため息をつく。


「レンが二人に増えたみたい」


「俺、あそこまで研究欲はありません」


「でも危険に近づくところは似てる」


 否定できない。


 リリアが静かに言う。


「二人とも、危険があれば私とセリカさんで止めます」


「はい」


「了解」


 ノエルが軽く返事をする。


 軽い。


 本当に止まるか不安だ。


 その時、アリシア王女が回廊の奥から歩いてきた。


 今日は昨日よりも簡素な白い外套を羽織っている。

 護衛の女性騎士が一人、少し後ろに控えていた。


「お待たせしました」


「いえ」


 アリシア王女はリリアの顔を見て、少しだけ表情を和らげた。


「食堂での件、聞きました。リア様、学生を助けてくださりありがとうございます」


「私は、できることをしただけです」


「それが一番難しい時もあります」


 王女の言葉は静かだった。


 リリアは少しだけ目を伏せた。


 次に、王女はノエルを見る。


「ノエル様も、協力感謝します」


「いえ、面白……重要な魔道具だったので」


 今、面白いと言いかけた。


 アリシア王女は少しだけ笑った。


「あなたらしいですね」


 二人は知り合いらしい。


 ノエルが俺に小声で言う。


「殿下は魔術理論の成績もかなりいいよ。王族なのにちゃんと勉強してるタイプ」


「王族なのに、って言っていいんですか」


「本人にも言ったことある」


「強い」


 アリシア王女は聞こえていたのか、苦笑していた。


 ミリア先生が全員を見回す。


「では、旧研究棟へ向かいます。許可された範囲は一階資料室と二階旧実験室のみです。地下区画への立ち入りは禁止です」


 地下区画。


 禁止されると、余計に怪しく見える。


 俺の視界には、すでに表示が出ていた。


旧研究棟

地下区画:強い関連反応

注意:一階から地下へ続く隠し階段あり

注意:ラゼル教授が先行しています


 先行。


 やっぱり動いている。


「ラゼル教授、もう中にいます」


 俺が言うと、全員の表情が変わった。


 ミリア先生が眉を寄せる。


「資料準備のためと言って先に向かったと聞いていますが……」


「証拠移動の可能性があります」


 アリシア王女の目が鋭くなる。


「急ぎましょう」


 俺たちは旧研究棟へ向かった。


     ◇


 夕方の旧研究棟は、昼に遠目で見た時よりもずっと不気味だった。


 灰色の壁。

 蔦に覆われた窓。

 古い扉には、学園の紋章が刻まれた錠前。


 周囲の木々が風に揺れ、枝が窓を叩く音がする。


 普通なら、ここで引き返したい。


 だが、ここまで来て引き返せるはずもない。


 ミリア先生が鍵を使い、扉を開ける。


 ぎい、と古い音がした。


 中は埃っぽかった。


 玄関ホールには、古い掲示板と壊れた魔力灯。

 床には掃除された跡があるが、端には埃が残っている。


 人がまったく入っていないわけではない。


 俺の視界に表示が浮かぶ。


旧研究棟一階

状態:表面上は資料保管区画

魔力反応:地下から漏出

最近の通行痕:三名

うち一名:ラゼル教授


「最近、三人通っています。一人はラゼル教授」


 俺が言うと、ノエルがすぐ床を見る。


「足跡、確かに新しい。埃の沈み方が違う」


「分かるんですか」


「旧棟観察趣味があるから」


「趣味」


 かなり怪しい趣味だ。


 セリカさんが周囲を警戒しながら言う。


「レン、危険反応は?」


「今のところ罠は薄いです。でも地下から魔力が漏れています」


 リリアが小さく息を吸う。


「聖力がざらつきます。迷宮の封印石に近い感覚です」


 アリシア王女の表情が硬くなる。


「やはり……」


 ミリア先生が一階資料室の扉を開ける。


 中には古い棚が並び、魔道具の箱や記録紙が置かれていた。


 だが、俺の視界には別の表示が出る。


一階資料室

証拠品:一部移動済み

残留:白灯商会搬入印、封印石粉末微量

隠し導線:棚裏の床板


「棚の裏、床板に隠し導線があります」


 俺が指差すと、ミリア先生の顔色が変わった。


「そんなもの、管理図にはありません」


「公式にはない地下室、ですね」


 ノエルが少し楽しそうに言う。


 セリカさんが睨む。


「楽しそうにしない」


「ごめん。でもすごく重要」


 アリシア王女が静かに命じる。


「確認しましょう。ただし、無理に開けないでください」


 ノエルとミリア先生が棚をずらし、床板を確認する。


 そこには、小さな魔法鍵が刻まれていた。


 俺の表示が出る。


隠し床扉

施錠:聖属性魔力認証

登録者:ラゼル教授、他二名

警告:無理に開けると警報


「聖属性魔力認証です。登録者はラゼル教授と、他二名。無理に開けると警報が鳴ります」


 リリアが床扉を見つめる。


「聖属性認証……」


 ノエルが目を輝かせる。


「リアさんなら開けられる?」


「登録されていなければ難しいと思います。無理に合わせれば開くかもしれませんが、危険です」


「ならやめよう」


 意外と判断が早い。


 その時、奥の廊下から音がした。


 かすかな足音。


 全員が身構える。


 セリカさんが剣に手をかける。


「誰かいる」


 俺の表示が赤く光る。


接近者:ラゼル教授

状態:焦り、隠蔽、敵意低

所持:封印箱

目的:地下資料の移送


 来た。


 廊下の奥から、ラゼル教授が姿を現した。


 手には小さな封印箱。


 彼は俺たちを見ると、一瞬だけ目を見開き、それからすぐに穏やかな笑みを浮かべた。


「皆さん、予定より早いですね」


 アリシア王女が静かに言った。


「ラゼル教授。その箱は何ですか」


 ラゼル教授は微笑んだまま答える。


「旧資料の一部です。見学に備え、危険なものを移動しようとしていました」


 俺の表示は違う。


封印箱

内容:封印石片、試作聖具記録、白灯商会署名入り契約紙

重要証拠


 ビンゴだ。


「その箱、証拠です」


 俺が言った瞬間、ラゼル教授の笑みが止まった。


 旧研究棟の空気が、一気に冷たくなる。

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