第28話 王女殿下に呼ばれた俺、旧研究棟の鍵に近づく
訓練場の空気が、さっきまでとまるで違っていた。
ほんの少し前まで、観覧席には軽い笑いがあった。
ギルド推薦の特別調査生。
外れスキルで追放された元貴族三男。
普通の顔をした、地味な男子。
そういう目で見られていたのは分かっていた。
俺自身、慣れている。
前世でも今世でも、最初に期待される側ではなかった。
誰かの中心に立つ人間ではなかった。
むしろ中心から少し外れた場所で、空気を読んで笑っている方が性に合っていた。
だが今、訓練場にいる学生たちは黙っている。
俺が三分制限の魔力異常点を二十秒で五つ全部当て、そのうえ試験用ではない地下の異常まで言い当てたからだ。
しかも、その異常が旧研究棟方面へ伸びている。
王立学園が隠したい場所。
白灯商会の搬入記録に出てきた場所。
教会と封印石の不正が繋がっているかもしれない場所。
俺は、たぶん初日から踏んではいけない地雷を踏んだ。
自分で分かる。
これは目立った。
かなり目立った。
アリシア王女が俺の前に立っている。
淡い金色の髪。
澄んだ青い瞳。
白い制服外套。
年齢は俺たちとそう変わらないはずなのに、立ち姿に妙な静けさがあった。
周囲の学生たちは、自然に一歩引いている。
王女という立場だけではない。
この人自身が、軽々しく近づきにくい空気を持っている。
アリシア王女は俺を見て、もう一度言った。
「レン・クロフォード様。その反応について、詳しくお話を伺いたいです」
様。
王女に様づけされた。
どう反応すればいいのか分からない。
「あ、はい。俺で分かる範囲なら」
声が少し裏返った。
セリカさんが横から小声で言う。
「落ち着きなさい」
「王女様に話しかけられています」
「分かるけど、深呼吸」
俺は言われた通りに息を吸った。
リリアも隣で静かに見守ってくれている。
「レンなら大丈夫です」
その言葉で、少しだけ足元が戻った。
しかし、そこで黙っていなかったのがレオン・バルツァーだった。
観覧席から降りてきた彼は、笑顔を保ったまま近づいてくる。
「アリシア殿下。少々よろしいでしょうか」
ミリア先生が眉をひそめる。
「レオン君、今は試験中です」
「だからこそです。これはさすがに不自然ではありませんか」
レオンは俺を見る。
視線には、さっきより露骨な敵意が混じっていた。
「三分の試験を二十秒で突破。そのうえ、試験に含まれていない異常まで指摘する。事前に情報を得ていた可能性を考えるべきです」
観覧席がざわめいた。
なるほど。
そう来るか。
チートだの外れだの以前に、不正疑惑。
俺はため息をつきたくなった。
しかし、アリシア王女は表情を変えなかった。
「レオン様は、レン様が不正をしたとお考えですか」
「可能性の話です。王立学園の試験は公正であるべきですから」
「それは当然です」
アリシア王女は静かに頷く。
「では確認しましょう。ミリア先生、この試験の異常点は誰が設定したものですか」
ミリア先生はすぐに答えた。
「魔力感応科の教師三名が、今朝設定しました。試験対象者には一切知らせていません」
「設定場所を知る生徒は?」
「いません」
「地下魔力線の異常については?」
ミリア先生は一瞬だけ言葉を止めた。
「……少なくとも、私は把握していませんでした」
周囲がさらにざわめく。
レオンの眉がわずかに動いた。
アリシア王女は俺へ視線を戻す。
「レン様。あなたはどのように見えたのですか」
「見えた、というか……表示される感じです」
言ってから、説明が雑すぎると思った。
「すみません。うまく言えないんですが、魔力の流れや危険な場所が、頭の中に情報として浮かぶんです。北壁の水晶、床下、魔導人形、観覧席下、封印箱。それから、地下の魔力線だけ流れが不自然でした」
「不自然とは?」
「本来なら、訓練場の魔力線は均等に循環しているはずです。でも北西方向にだけ、細く吸われるような流れがありました。旧研究棟の方へ」
俺は訓練場の北西を指した。
「封印石か、聖属性魔道具に近い反応です。まだ弱いですが、自然発生ではないと思います」
アリシア王女の表情が、ほんの少しだけ変わった。
驚きではない。
何か、心当たりがある顔だった。
表示が浮かぶ。
アリシア・ルミナス・ヴァレンティア
状態:警戒、確信に近い疑念
備考:旧研究棟の異常について以前から違和感を持っていました
やはり。
彼女は旧研究棟に何かあると感じていた。
レオンが割り込む。
「殿下、言葉だけなら何とでも言えます。そもそも彼は、外れスキルで家を追われた人物でしょう。そんな者の曖昧な感覚を、学園の問題として扱うのは危険です」
その言葉で、セリカさんの気配が少し変わった。
リリアも静かに目を細める。
俺は古傷を押されたような気分になったが、さっきよりは揺れなかった。
外れスキル。
家を追われた。
事実ではある。
でも、それだけではないと知っている人が、今は隣にいる。
俺が何か言う前に、リリアが口を開いた。
「レオン様」
リリアの声は静かだった。
だが、訓練場によく通った。
「レンの力は、曖昧なものではありません。少なくとも私は、その力に助けられました」
レオンが彼女を見る。
彼の目に、また妙な興味が浮かぶ。
それが嫌だった。
「あなたは彼の同行者でしょう。身内の証言では」
「身内だからこそ、見ています」
リリアは引かなかった。
「彼は見えた危険を、自分だけのために使いません。誰かを助けるために使います。外れかどうかは、周囲が決めることではなく、その力で何をしたかで決まるのではありませんか」
訓練場が静かになる。
俺は、何も言えなかった。
リリアはまっすぐだった。
俺のために怒ってくれている。
それが嬉しくて、少し恥ずかしくて、胸が熱かった。
セリカさんも続ける。
「それに、不正を疑うなら再試験すればいいわ。今ここで別の異常点を作っても、レンは見つけると思うけど」
レオンが少し笑う。
「ずいぶん信頼しているんだね」
「ええ」
セリカさんは即答した。
「私は、レンの指示で命を拾ったことがあるから」
また訓練場がざわつく。
セリカさんはそれ以上説明しなかった。
グラウルベア戦のことだ。
俺の危険察知がなければ、負傷者を守れなかったかもしれない。
彼女はそれを、堂々と言ってくれた。
アリシア王女が、静かに頷いた。
「では、簡単に確認しましょう」
彼女はミリア先生へ視線を向ける。
「この場で即席の異常点を一つ、作れますか。レン様には目を閉じていただき、場所を知らせない形で」
ミリア先生は少し迷った後、頷いた。
「可能です」
レオンの笑みが戻る。
「それなら公平ですね」
俺は思わず内心でため息をついた。
追加試験。
来ると思った。
目立ちたくないのに、さらに試される。
ただ、ここで拒む方が面倒になる。
「分かりました」
俺は目を閉じた。
ミリア先生たちが動く気配がする。
魔力が揺れる。
わざと複数の教師が動いて、位置を分かりにくくしているらしい。
観覧席からもざわめきが聞こえる。
俺は深く息を吸った。
スキルに頼りすぎるのは怖い。
でも、ここで使わなければ、またリリアやセリカさんの言葉まで疑われる。
それは嫌だった。
「目を開けてください」
ミリア先生の声。
俺は目を開けた。
視界に、すぐ表示が出る。
即席異常点:一
位置:アリシア王女の足元三歩右、石床の紋様内
属性:水系微弱魔力
偽装:教師三名による周辺魔力攪拌
よりによって王女の近くだった。
俺は少しだけ困った。
「どうしました?」
アリシア王女が尋ねる。
「言っていいですか」
「もちろんです」
「殿下の足元から三歩右です。石床の紋様内。水系の微弱魔力だと思います。周囲に攪拌された魔力もありますが、本体はそこです」
ミリア先生が、はっきり息を呑んだ。
魔術担当の教師が、手元の水晶を確認する。
「……正解です」
今度こそ、訓練場全体が大きくざわめいた。
レオンの笑みが消えた。
完全に。
アリシア王女は、俺を見て静かに微笑んだ。
「疑いは晴れたようですね」
レオンは唇を引き結ぶ。
「……偶然にしては、見事でした」
「偶然ではないでしょう」
王女の声は柔らかい。
だが、逃げ道を残さない言い方だった。
「少なくとも、今の結果は学園の教師が確認しました。レン様の感知能力は本物です」
王女がそう言った瞬間、周囲の空気が変わった。
外れスキル。
不正疑惑。
その言葉が、少しだけ遠ざかった気がした。
俺の胸の奥にあった古い痛みも、ほんの少し薄くなる。
完全には消えない。
でも、今は上書きされている。
リリアとセリカさんが、俺の力を信じてくれた言葉で。
アリシア王女が、結果を認めてくれた事実で。
その時、頭の奥にミュレアの声が響いた。
『ふふ。外れ扱いからの掌返し。なかなか胸がすくではないか』
「楽しんでますね」
『もちろんじゃ』
「こっちは胃が痛いです」
『そのうち慣れる』
「慣れたくないです」
リリアが小声で言う。
「ミュレアさんですか?」
「はい。楽しんでます」
セリカさんが呆れる。
「本当に好き勝手言う魔王令嬢ね」
『聞こえておるぞ、赤き剣姫』
「聞こえるように言ってるわ」
『よい度胸じゃ』
試験場の真ん中で何をしているのだろう。
俺は気を取り直して、試験官へ向き直った。
「これで、試験は終わりですか?」
心からの確認だった。
ミリア先生は少しだけ苦笑した。
「はい。レン・クロフォード君の魔力感応適性は、最上位評価とします」
「最上位」
俺は固まった。
また目立つ評価が来た。
レオンの取り巻きたちが、微妙な顔をしている。
さっきまで笑っていた学生たちも、今は俺を見る目が変わっていた。
値踏み。
興味。
警戒。
そして少しの敬意。
表示が次々と浮かぶ。
学生A
状態:驚き
備考:外れスキルではないと認識を改めています
学生B
状態:警戒
備考:レンを侮るべきではないと考えています
学生C
状態:興味
備考:リアとセリカにも改めて注目しています
やめてほしい。
そんなに認識を改めなくていい。
ほどほどでいい。
でも、もう遅い。
◇
実技適性試験が終わると、俺たちはそのまま訓練場横の小応接室へ案内された。
アリシア王女が、詳しい話を聞きたいと言ったからだ。
王女と個別面談。
昨日まで冒険者登録数日目だった俺には、あまりにも荷が重い。
小応接室には、俺、リリア、セリカさん、アリシア王女、ミリア先生が入った。
護衛らしい女性騎士が扉のそばに立っている。
レオンたちは当然入れない。
部屋に入るなり、アリシア王女は深く一礼した。
「先ほどは、失礼いたしました」
王女に頭を下げられた。
俺は慌てる。
「いえ、こちらこそ何か、その、目立ってしまって」
何を言っているのか自分でも分からない。
アリシア王女は少しだけ笑った。
「レン様は、目立つことがお嫌いなのですね」
「できれば静かに暮らしたいです」
言ってから、また言ってしまったと思った。
セリカさんが小声で言う。
「いつもの」
リリアも小さく笑う。
アリシア王女は不思議そうに首を傾げた。
「いつもの、ですか?」
「レンは、よくそう言います」
リリアが答える。
「でも、困っている人や危険なものを見つけると、結局放っておけません」
「リア、それは」
「事実です」
リリアの声は穏やかだが、逃げ道がない。
セリカさんも頷く。
「静かに暮らしたいと言いながら、自分から火の中に入っていくタイプね」
「自分からは入ってません」
「足は向いてるわ」
「否定しきれない」
アリシア王女が口元に手を当てて笑った。
「皆様、とても信頼し合っているのですね」
その言葉で、少しだけ空気が変わった。
信頼。
確かに、そうなのかもしれない。
出会ってからの日数は短い。
でも、その短さに見合わないほどの出来事を共有してきた。
リリアは少し照れたように視線を落とす。
セリカさんは腕を組んで顔をそらす。
俺も何と言っていいか分からず、曖昧に頷いた。
アリシア王女は表情を整える。
「本題に入ります。レン様が見つけた旧研究棟方面の魔力異常についてです」
「はい」
「実は、私も旧研究棟には以前から違和感を抱いていました」
やはり。
「殿下も?」
「はい。半年ほど前から、夜間に旧研究棟周辺の結界が微かに揺れることがありました。学園警備に報告しましたが、古い建物なので魔力の乱れは珍しくないと処理されました」
ミリア先生の表情が曇る。
「殿下、それは初耳です」
「正式に報告はしています。ただ、教務局までは上がらなかったのでしょう」
その言い方には、学園内の情報伝達に何か問題があるという含みがあった。
俺の表示が反応する。
旧研究棟異常報告
状態:学園内で握り潰し
関連:旧研究棟管理担当、聖属性魔道具研究室
注意:王女の報告を軽視した人物あり
握り潰し。
やっぱり学園内協力者がいる。
「殿下の報告、途中で止められている可能性があります」
俺が言うと、ミリア先生が息を呑んだ。
アリシア王女は、驚かなかった。
むしろ、静かに目を伏せた。
「そうですか。やはり」
「心当たりがあるんですか?」
「確証はありません。ただ、旧研究棟の管理担当であるラゼル教授は、近頃かなり様子が変わりました」
ラゼル教授。
新しい名前だ。
表示が出る。
ラゼル教授
役職:旧研究棟管理担当、聖属性魔道具研究室顧問
状態:未確認
関連度:高
高い。
かなり怪しい。
セリカさんが聞く。
「ラゼル教授は、白灯商会と関係が?」
「表向きは、聖属性魔道具の共同研究で寄付を受けています。白灯商会は学園に多額の研究支援をしていました」
ミリア先生が苦い顔をする。
「寄付枠ですね。学園では珍しくありませんが……」
「そこに入り込まれた」
セリカさんが言う。
アリシア王女は頷いた。
「私が調べられる範囲には限界がありました。王族とはいえ、学園内で一方的に研究室を調べることはできません。政治的な問題になります」
「王女様でも難しいんですね」
「王女だからこそ、難しいこともあります」
その言葉は、少しだけ寂しそうだった。
立場があるから動けない。
自由に見えて、鎖がある。
リリアが静かにアリシア王女を見た。
ミュレアの声が頭の奥で小さく響く。
『王族とは、不自由なものじゃ』
「ミュレア?」
『妾も、魔王の娘でなければ別の道があったかもしれぬ。あの王女も、おそらく似た檻の中におる』
珍しく、ミュレアが静かだった。
俺はアリシア王女を見る。
王女は、俺たちに微笑んでいる。
だが、その笑みの奥には確かに疲れのようなものがあった。
アリシア王女は言った。
「レン様。リア様。セリカ様。お願いがあります」
「お願い、ですか」
「旧研究棟の異常を調べるため、私に協力していただけませんか」
王女からの協力要請。
俺はリリアとセリカさんを見る。
リリアは静かに頷いた。
セリカさんも、迷いなく頷く。
俺も腹を括るしかなかった。
「俺たちも、そのために来ました」
アリシア王女の表情が少しだけ緩む。
「ありがとうございます」
その瞬間、表示が浮かぶ。
アリシア・ルミナス・ヴァレンティア
好感度:28 → 42
状態:信頼芽生え、期待
備考:レンたちを協力者として見始めています
上がった。
また上がった。
俺は顔に出さないよう努力した。
だが、リリアがこちらを見る。
「レン」
「はい」
「上がりましたね」
「……少し」
セリカさんも聞く。
「いくつ?」
「四十二です」
アリシア王女が不思議そうに首を傾げる。
「何のお話ですか?」
俺は慌てた。
「あ、いえ、その、信頼度というか」
「信頼度?」
まずい。
説明しづらい。
ミュレアが頭の奥で笑う。
『ふふ。王女の次は信頼度四十二か。順調じゃのう、レン』
「黙っててください」
思わず口に出た。
アリシア王女がさらに不思議そうな顔をする。
リリアが静かにフォローした。
「レンは時々、遠くの声に返事をしてしまうことがあります」
「遠くの声」
王女の目が少し鋭くなる。
「まさか、ミュレア・ノクターンの?」
隠せなかった。
俺は頷く。
「はい。リンクの影響で、時々声が聞こえます」
アリシア王女は驚いたようだったが、すぐに表情を整えた。
「魔王令嬢と意思疎通が可能……。本当に、あなた方は想像以上ですね」
「俺も自分で想像以上です」
心から言った。
アリシア王女は小さく笑う。
その時、ミリア先生が少し咳払いした。
「殿下。あまり長時間ここにいると、周囲に勘ぐられます」
「そうですね」
アリシア王女は立ち上がった。
「旧研究棟については、夜ではなく、まず明日の放課後に正式な見学許可を取ります。ラゼル教授には、私から学術資料の確認という名目で連絡します」
「そんなに早く?」
俺が聞くと、アリシア王女は静かに答えた。
「遅くすれば、証拠が動かされます」
さすが王女。
判断が早い。
「ただし、今夜は動かないでください」
王女は俺を見た。
「特にレン様」
「俺ですか」
「はい。あなたは放っておくと、見えた危険へ向かいそうです」
初対面の王女にまで読まれている。
俺は言葉を失った。
セリカさんが頷く。
「正しい判断です」
リリアも頷く。
「私たちも見ています」
「みんな俺を何だと思ってるんですか」
三人とも、少しだけ笑った。
その空気に、初めてアリシア王女の笑顔が年相応に見えた。
◇
応接室を出る頃には、外の騒ぎは少し落ち着いていた。
だが、俺たちを見る学生たちの目は、試験前とは明らかに違っていた。
さっきまで外れスキルだと笑っていた者たちは、距離を測るようにこちらを見る。
話しかけたいが、どう接すればいいか分からない。
そんな視線が多い。
レオン・バルツァーは、回廊の柱のそばでこちらを待っていた。
またか。
正直、もう関わりたくない。
レオンは俺の前に立つと、表面上は穏やかに言った。
「先ほどは失礼した。君の感知能力は本物のようだ」
「ありがとうございます」
「ただ、特別調査生として認められたからといって、学園の秩序を乱すことは許されない」
謝罪と牽制が同じ口から出てきた。
器用だ。
「気をつけます」
「特に、アリシア殿下へ不用意に近づくのはやめた方がいい。君のためにもね」
脅しだ。
遠回しな。
セリカさんが前へ出ようとしたが、俺は軽く手で制した。
「忠告ありがとうございます」
俺は言った。
「でも、殿下から協力を求められた件については、学園長とギルドにも報告します。必要な手順は踏みます」
レオンの目が細くなる。
「君は思ったより、言うね」
「最近、周りに鍛えられています」
正直な答えだった。
リリアが少し笑う気配がした。
セリカさんも口元を緩める。
レオンは一瞬だけ不愉快そうな顔をしたが、すぐに笑みを戻した。
「実技試験の結果は認めよう。でも、学園は感知だけで渡れるほど甘くない。魔術、家格、人脈、作法。そのすべてが問われる」
「でしょうね」
「せいぜい、足をすくわれないように気をつけることだ」
そう言って、レオンは去っていった。
嫌な人だ。
だが、完全な馬鹿ではない。
そういう意味で厄介だ。
表示が浮かぶ。
レオン・バルツァー
状態:警戒、対抗心
備考:レンを軽視対象から競争相手候補へ変更しました
競争相手候補。
勘弁してほしい。
俺は競争したくない。
セリカさんが言う。
「ライバル認定されたわね」
「やめてください」
リリアも静かに言う。
「レンは目立ちましたから」
「目立ちたくなかったです」
「でも、必要なことでした」
そう言われると、何も返せない。
旧研究棟の異常を隠すわけにはいかなかった。
その結果、また目立った。
いつもの流れだ。
◇
その日の授業参加は簡易的なものだけだった。
学園長の判断で、俺たちは正式な授業には翌日から入ることになった。
今日は実技試験と施設説明で終了。
夕方、ギルドへ戻る馬車の中で、俺は完全に疲れていた。
「初日から濃すぎます」
俺が言うと、セリカさんが窓の外を見ながら頷いた。
「濃かったわね」
「試験、王女、旧研究棟、レオン」
「あとミュレアさんの声」
リリアが付け加える。
頭の奥でミュレアが反応する。
『妾を忘れるでない』
「忘れませんよ」
『ならよい。で、学園の甘いものは?』
「買ってません」
『何じゃと』
「初日からそれどころじゃありませんでした」
『使えぬ監視者じゃ』
「監視者に買い物係まで求めないでください」
リリアが小さく笑う。
「明日、学園の売店で何か見てきます」
『白き治癒師は優しいのう』
「ただし、身体に合うかオルフェさんに確認してからです」
『やはり厳しい』
セリカさんが言う。
「甘いもの一つでこんなに騒ぐ魔王令嬢って、何なのかしら」
『封印生活が長いと、些細な楽しみが重要なのじゃ』
その言葉に、少しだけ空気が変わった。
ミュレアはすぐに冗談めかして続ける。
『だからレン、忘れるでないぞ』
「はいはい」
『はいは一度でよい』
いつものやり取り。
でも、その裏にある長い孤独を思うと、少しだけ胸が痛む。
馬車がギルドへ近づく。
俺は窓の外の夕焼けを見ながら、今日の表示を思い返していた。
旧研究棟地下区画。
ラゼル教授。
聖属性魔道具研究室。
アリシア王女。
レオンの対抗心。
問題は増えた。
でも、協力者も増えた。
アリシア王女は、旧研究棟の異常を調べたいと言った。
彼女が味方になるなら、学園内で動きやすくなるかもしれない。
もちろん、王女と近づけば別の問題も起きるだろう。
主にレオンのような連中が。
俺は深く息を吐いた。
「明日は放課後、旧研究棟見学ですか」
セリカさんが頷く。
「その前に授業もあるわね」
リリアが言う。
「治癒術科の授業、少し緊張します」
「俺は魔力感応関連の授業でしょうか」
「それか実技再確認ね」
「もう十分確認されたと思うんですが」
そんな話をしていると、スキル表示が浮かんだ。
明日イベント:通常授業参加
注意:聖属性魔道具研究室の天才魔導師生徒と接触可能性
注意:旧研究棟見学前に小規模トラブル発生
まただ。
小規模トラブル。
俺は目を閉じた。
「どうしました?」
リリアが聞く。
「明日、小規模トラブルが起きるみたいです」
セリカさんが、あきらめたように笑った。
「もう驚かないわ」
「俺は毎回驚いています」
ミュレアが楽しそうに言う。
『退屈せずに済むではないか』
「俺は退屈でいいんです」
馬車の中に、小さな笑いが起きた。
たぶん、明日も平穏ではない。
それでも、今日よりは少しうまく立ち回れるかもしれない。
リリアとセリカさんがいて、遠くにはミュレアがいて、学園にはアリシア王女という協力者候補がいる。
外れ扱いされた俺のスキルは、また厄介事を見つけてしまうのだろう。
でも、それで誰かを助けられるなら。
ほんの少しだけ、悪くないと思えてしまった。




