第23話 教会使節、ギルドに乗り込んでくる
翌朝、王都冒険者ギルドの空気は、露骨に硬かった。
いつもなら食堂からは肉を焼く匂いと冒険者たちの笑い声が流れてくる。
依頼掲示板の前では、今日の獲物を探す連中が肩をぶつけ合い、受付ではエマさんが穏やかな笑顔で応対している。
けれど、その日は違った。
笑い声はある。
会話もある。
食器の音も、足音も、受付の声もある。
ただ、その全部が少しだけ低い。
誰もが分かっているのだ。
今日、教会の使節が来る。
リリアを引き渡せ。
ミュレアを渡せ。
俺を異端として調べさせろ。
そんな文書を送りつけてきた連中が、今度は直接ギルドへ来る。
俺は食堂の隅の席で、硬いパンをスープに浸しながら小さく息を吐いた。
「……朝から胃が重い」
「食べなさい」
向かいに座ったセリカさんが、即座に言った。
「胃が重いと言っているんですが」
「食べないと余計に動けなくなるわ」
「正論ですね」
「正論よ」
セリカさんは今日、いつもより装備を整えていた。
軽装鎧。
腰の剣。
赤い髪は高く結われている。
教会使節を迎える場に剣を抜くわけにはいかない。
だが、いざという時に動けるようにしているのは分かる。
隣のリリアは、いつものフード付き外套をまとっている。
ただし、今日はギルド所属治癒師の章をはっきり見える位置につけていた。
教会の聖女ではなく、ギルドの治癒師。
彼女なりの意思表示だ。
「リリア、食べられていますか?」
俺が小声で聞くと、リリアは少しだけスプーンを止めた。
「少し」
「無理しなくても」
「でも、セリカさんが言う通り、食べないと動けませんから」
リリアはそう言って、スープを口に運んだ。
顔色は昨日より落ち着いている。
けれど、緊張していないわけがない。
自分を追い詰め、力を奪い、偽物として捨てた組織。
その教会の使節が、彼女を取り戻しに来るのだ。
怖くないはずがない。
「レン」
「はい」
「心配してくれているのは分かります」
リリアはフードの奥で、ほんの少し笑った。
「でも、今日は私もちゃんと話します」
「無理はしないでください」
「はい。無理はしません。でも、黙って連れていかれることもしません」
その言葉には、静かな芯があった。
セリカさんが頷く。
「それでいいわ。何か言われて言葉に詰まったら、私が割って入る」
「ありがとうございます」
「レンも、変に自分だけ差し出すとか言い出さないこと」
「昨日叱られたので、さすがに言いません」
「本当に?」
「本当です」
俺が答えると、リリアとセリカさんが同時にこちらを見た。
信用がない。
いや、仕方ない。
俺はスープをもう一口飲んだ。
その時、頭の奥に声が響いた。
『レン』
ミュレアだ。
昨日より声は安定している。
封印区画にいるはずなのに、リンクが繋がっているせいか、距離があっても声が届くことがあるらしい。
「何ですか」
俺が小声で返すと、リリアとセリカさんがすぐに気づいた。
「ミュレアさんですか?」
「また?」
「はい」
ミュレアは楽しそうに言った。
『教会の犬どもが来るのであろう?』
「言い方」
『では、教会の使節殿とやらが来るのであろう?』
「最初からそれでお願いします」
『妾は寛大じゃからな。言い直してやった』
どこまでも偉そうだ。
俺はパンをちぎりながら答える。
「来ます。聖務監察官マルクス・グレイという人らしいです」
『ほう。名に聞き覚えはないが、匂いは想像できる。正しさを顔に貼りつけた男であろう』
「会う前からひどい評価ですね」
『経験則じゃ』
ミュレアの声が、少しだけ低くなる。
『気をつけよ、レン。ああいう者どもは、剣で斬りかかってくるより面倒じゃ。正しい言葉で縄を編み、救いの名で首にかける』
リリアの手が止まった。
聞こえていたらしい。
ミュレアは続ける。
『白き治癒師よ。そなたは特に気をつけるがよい。あやつらは、そなたの罪悪感を突いてくる』
リリアは静かに息を吸った。
「分かっています」
『ならよい。自分が悪かったのではないか、と考えるな。鎖をつけた者が悪い。鎖をつけられた者ではない』
リリアは目を伏せた。
そして、小さく答える。
「……ありがとうございます」
『礼はいらぬ。妾も、自分に言い聞かせておるだけじゃ』
その声は、少しだけ遠かった。
封印された魔王令嬢と、元聖女。
立場は真逆に見えて、どこか似ている。
誰かの都合で名を与えられ、力を管理され、利用されそうになった者同士。
ミュレアがすぐにいつもの調子へ戻った。
『ところでレン』
「はい」
『甘いものはまだか?』
「今その話ですか」
『大事じゃ。妾は昨夜から何も食べておらぬ』
「封印中に食事できるようになったか、まだ確認中でしょう」
『気持ちの問題じゃ』
セリカさんが呆れたように言う。
「魔王令嬢って、案外わがままね」
『聞こえておるぞ、赤き剣姫。わがままでなく、高貴なる要求じゃ』
「同じよ」
『違う』
朝から騒がしい。
だが、少しだけ救われた。
教会が来る前の重苦しさを、ミュレアの勝手な会話が少しほぐしてくれたからだ。
本人に言うと調子に乗るので言わないが。
◇
昼前、ギルドの正面扉が開いた。
最初に入ってきたのは、白い法衣を着た男だった。
年齢は三十代後半くらい。
淡い金髪を後ろで整え、細い銀縁の眼鏡をかけている。
顔立ちは整っているが、笑みが薄すぎる。
まるで、笑顔を礼儀として貼りつけているようだった。
その後ろに、同じく白い衣をまとった聖職者が二人。
さらに、灰色の上着を着た魔術師風の男が一人。
その男の胸元には、白灯商会の小さな徽章があった。
ギルド内の冒険者たちの声が、自然に静まっていく。
先頭の男が、ゆっくりと周囲を見回した。
俺の視界に表示が浮かぶ。
マルクス・グレイ
役職:教会聖務監察官
状態:冷静、優越感、警戒
目的:リリア回収、ミュレア移送、レン査問
備考:穏やかな態度で圧力をかけることに慣れています
やっぱり面倒な人だ。
マルクスは受付前に立ち、穏やかに言った。
「王都冒険者ギルド長、ダリウス・ガルド殿に面会を求めます。聖務監察官マルクス・グレイです」
声は柔らかい。
だが、下手に出ている感じはまったくない。
エマさんが受付で対応する。
「お待ちしておりました。会議室へご案内します」
「ありがとう」
マルクスはにこりと笑う。
その視線が、一瞬だけエマさんの顔を通り過ぎ、俺たちのいる席へ向いた。
リリアのフード。
セリカさんの剣。
俺。
順番に、見られた。
目が合った瞬間、マルクスの表示が少し変わる。
状態:興味
備考:レンの外見が予想より平凡であることを確認しています
平凡で悪かったな。
いや、実際平凡なのだが。
マルクスは何も言わず、エマさんに案内されて二階へ上がっていった。
ギルド内の空気が、少し遅れて動き出す。
「……あれが教会の監察官か」
「嫌な感じだな」
「笑ってるのに笑ってねえ」
冒険者たちの小声が聞こえる。
セリカさんが立ち上がった。
「行くわよ」
「はい」
リリアも席を立つ。
その手が、ほんの少しだけ震えていた。
俺は彼女に手を伸ばそうとして、一瞬迷った。
だが、リリアの方からそっと俺の袖を掴んだ。
「少しだけ」
「はい」
俺は頷いた。
セリカさんがそれを見て、何も言わずに先へ歩き出す。
その背中が、いつもより頼もしかった。
◇
会議室には、すでにダリウスさんが座っていた。
マルクスたち教会側は向かいの席。
白灯商会の顧問魔術師らしい男は、部屋の隅に控えている。
俺たちが入ると、マルクスは穏やかに微笑んだ。
「お初にお目にかかります。レン・クロフォード殿、セリカ・ヴァンブレイド嬢。そして……」
彼の視線がリリアへ向く。
「リア、と名乗っておられる治癒師殿」
名前をわざと区切るような言い方だった。
リリアは黙って一礼した。
マルクスは続ける。
「まずは、ギルド長殿。急な訪問を受け入れていただき、感謝いたします」
「儀礼はいい。本題に入れ」
ダリウスさんの返答は短い。
マルクスは少しも表情を崩さなかった。
「では率直に。昨日の文書へのご返答、拝見しました。非常に残念です」
「こちらも、あの文書は残念だった」
「教会は王国における信仰と秩序を守る機関です。逃亡した重要人物、危険な封印対象、そして異能による干渉者について確認を求めるのは当然の責務です」
言葉は丁寧だ。
だが、すでにこちらを下に見ている。
リリアの袖を掴む手に、ほんの少し力が入った。
俺は小声で言う。
「大丈夫です」
リリアは小さく頷く。
マルクスはそれを見逃さなかった。
「リア殿。あなたに直接お尋ねしたい」
リリアが顔を上げる。
「はい」
「あなたは本当に、自らの意思でここにいるのですか?」
来た。
いきなりそこか。
「はい」
「恐怖や混乱、あるいは特殊な異能による誘導を受けている可能性は?」
俺を見る。
やはり、俺のスキルを問題にするつもりだ。
リリアは静かに答えた。
「ありません」
「即答されるのですね」
「自分のことですから」
「人は、自分が操られている時ほど自覚できないものです」
柔らかい声。
だが、中身はかなり嫌な言い方だった。
リリアの意思を最初から疑っている。
自分で選んだと言っても、それは操られているからだ、と。
リリアは一度だけ目を閉じた。
そして、ゆっくり開く。
「私は、教会にいた時も、自分の苦しみを正しく理解できていませんでした」
マルクスの眉がわずかに動く。
「私は、自分が悪いのだと思っていました。聖力が乱れるのは信仰が足りないからだと。痛みに耐えられないのは弱いからだと。そう教えられました」
声は震えていない。
「でも、違いました。私の聖力は呪具によって奪われていた。私の痛みは、必要な試練ではありませんでした」
マルクスの笑みが薄くなる。
「それは誤解です。聖具の管理には高度な専門性が」
「押収した対聖女用呪具があります」
リリアは遮った。
静かな声で。
「私に使われたものと同系統だと、ギルドの魔術師が確認しています」
オルフェさんが書類を机に置く。
「解析中ですが、少なくとも聖力循環妨害と吸収機構が存在します。治療用聖具とは呼べません」
マルクスは、ちらりと白灯商会の顧問魔術師を見た。
その男は無表情を装っているが、表示は正直だった。
白灯商会顧問魔術師:ベリオ
状態:焦り、隠蔽思考
備考:対聖女用呪具の構造に心当たりがあります
心当たりあり。
俺はそれを見て、すぐ口を開いた。
「あの人、心当たりがあります」
会議室の視線が俺へ集まる。
ベリオの顔が強張った。
「な、何を根拠に」
「俺のスキルです」
「そんな不確かなものを」
「では質問します。白灯商会は、古代迷宮産の封印石片を扱っていますか?」
ベリオが黙った。
マルクスが口を挟む。
「根拠のない誘導尋問はお控えいただきたい」
「押収記録があります」
エマさんが資料を差し出した。
黒蛇金融商会から押収された取引記録。
白灯商会名義の領収書。
封印石片の記載。
マルクスはそれを見ても、大きく表情を変えなかった。
「白灯商会は多くの魔道具素材を扱っています。個別の取引が直ちに不正を意味するわけではありません」
「では、封印石片がなぜ民間商会に流れているのか説明してもらおう」
ダリウスさんが低く言った。
「古代迷宮は王国とギルドの共同管理下だ。教会御用達商会が勝手に扱えるものではない」
マルクスは微笑みを保ったまま、指先を組んだ。
「その点については、教会側でも調査いたします。だからこそ、封印対象ミュレア・ノクターンの管理を教会へ移す必要があるのです。危険な魔族を冒険者ギルドが独断で抱え込むのは、王都にとって危険です」
「危険な魔族を利用しようとした疑いが、そちらにある」
「一部商会の不手際と、教会の責務を混同しないでいただきたい」
「都合がいいな」
セリカさんが低く言った。
マルクスが初めて、セリカさんへ正面から視線を向けた。
「ヴァンブレイド家のご令嬢ですね」
セリカさんの表情が硬くなる。
「だったら何」
「由緒ある騎士家の方が、魔族を庇うような立場に立つのは、ご実家もお嘆きになるのでは?」
部屋の空気が、一瞬で冷えた。
セリカさんの目が細くなる。
俺は思わず立ち上がりかけた。
だが、セリカさんは自分で答えた。
「私の剣をどう使うかは、私が決める」
「ご家名を背負う者として」
「家名のために人を道具として差し出すつもりはないわ」
セリカさんの声は鋭かった。
「魔族だろうが聖女だろうが、事情を聞く前から所有物みたいに扱うなら、私はそっちの方が嫌いよ」
マルクスの笑みが、ほんのわずかに歪んだ。
だが、すぐに戻る。
「感情的ですね」
「ええ。感情はあるから」
セリカさんは一歩も引かない。
「あなたたちと違って」
その一言に、会議室の空気がぴりついた。
ダリウスさんが片手を上げる。
「ここはギルドの会議室だ。言葉でやれ」
「分かっています」
セリカさんは座り直した。
だが、マルクスを見る目は少しも弱まっていない。
◇
話は、俺へ移った。
正直、一番嫌な流れだった。
マルクスは穏やかな声で言う。
「レン・クロフォード殿。あなたの異能について、教会は重大な懸念を抱いています」
「懸念ですか」
「好感度、状態、破滅の予見、才能への干渉、封印への干渉。報告にあるだけでも、極めて危険な力です」
俺は黙った。
否定はできない。
自分でも怖いと思っている。
だからこそ、マルクスの言葉は少しだけ刺さった。
「その力は、人の自由意思を歪める可能性がある。元聖女リリア・セレスティアがあなたに従っているのも、その力の影響では?」
「違います」
俺が答える前に、リリアが言った。
はっきりと。
「私は従っているのではありません。自分で選んで隣にいます」
マルクスは微笑む。
「その自覚すら、異能の影響かもしれません」
「なら、教会にいた頃の私の自覚はどうなるのですか」
リリアが問い返した。
「私は教会にいるべきだと信じていました。苦しみは試練だと信じていました。自分が悪いと信じていました。それは教会の影響ではないのですか?」
マルクスは一瞬、言葉を止めた。
リリアは続ける。
「私の意思を疑うなら、教会で教え込まれたものも同じように疑ってください」
静かだが、強い反撃だった。
俺は思わずリリアを見た。
彼女は震えていない。
俺に守られるだけの少女ではない。
自分の言葉で、自分の居場所を守ろうとしている。
表示が浮かぶ。
リリア・セレスティア
状態:恐怖、決意、自己主張
備考:自分の意思を取り戻そうとしています
胸が熱くなる。
マルクスは、少しだけ表情を消した。
「……なるほど。ギルドは、すでに彼女をかなり手懐けているようだ」
その言葉に、俺の中で何かが切れた。
手懐ける。
まただ。
管理。
所有。
回収。
聖女。
封印対象。
どうしてこの人たちは、相手を一人の人間として見ないのか。
「取り消してください」
俺は言った。
自分でも驚くほど低い声だった。
マルクスが俺を見る。
「何をですか」
「手懐けた、という言葉です」
「比喩ですよ」
「リリアは道具でも動物でもありません」
リリアが俺を見る気配がした。
セリカさんも、少しだけ息を止めた。
俺は続ける。
「あなたたちはずっと、言葉を選んでいるように見せながら、人を物みたいに扱っています。回収とか管理とか、手懐けるとか」
マルクスの目が冷たくなる。
「若いですね、レン殿。社会には秩序が必要です」
「秩序と所有は違うと思います」
「危険な力を放置すれば、多くの人が傷つく」
「危険な力を利用して、人を傷つけたのは誰ですか」
俺は机の上の資料を見る。
「対聖女用呪具。封印石の密売。密偵。エマさんの借金契約に関わった白灯商会。全部、教会の周辺から出ています」
「教会そのものの関与は証明されていません」
「なら、調べてください。リリアを連れていく前に。ミュレアを要求する前に。俺を異端だと疑う前に」
手が少し震えていた。
怖い。
マルクスのような相手に正面から言い返すのは、やはり怖い。
でも、言葉は止まらなかった。
「あなたたちは、まず自分たちの鎖を調べるべきです」
会議室が静まり返った。
セリカさんが、わずかに笑った。
リリアは、目を伏せている。
泣いてはいない。
ただ、何かを噛みしめているようだった。
マルクスはしばらく俺を見ていた。
そして、ゆっくり笑みを戻した。
「よく分かりました」
その声は、さっきまでより冷たい。
「レン・クロフォード殿。あなたは非常に危険だ」
「そうですか」
「人を惑わせ、秩序を疑わせ、教会の正当性を揺るがす」
「それが危険なら、そうなのかもしれません」
「開き直るのですね」
「いえ」
俺は首を横に振った。
「怖いです。自分の力も、あなたたちに狙われることも。でも、怖いからって、リリアを差し出す理由にはなりません」
セリカさんが言う。
「ミュレアもね」
リリアも続ける。
「私自身も、戻りません」
ダリウスさんが文書を机に置いた。
「ギルドとしての返答は変わらん。三件すべて拒否する」
マルクスは立ち上がった。
「本日のところは、回答を持ち帰りましょう」
「そうしてくれ」
「ですが、ギルド長殿。教会はこの件を見過ごしません」
「こちらもだ」
ダリウスさんの声が低く響く。
「白灯商会、封印石、呪具、密偵。全部調べる」
マルクスの目が一瞬だけ細くなった。
だが、すぐに穏やかな笑みに戻る。
「では、また近いうちに」
教会使節団は去っていった。
白灯商会の顧問魔術師ベリオは、最後までこちらを見なかった。
あれは逃げの視線だ。
俺のスキル表示も、それを示していた。
ベリオ
状態:焦燥
備考:証拠隠滅の必要性を感じています
まずい。
「ギルド長」
「見えたか」
「ベリオが証拠隠滅を考えています」
ダリウスさんの目が鋭くなる。
「ニル。尾行をつけろ。白灯商会を張れ」
「了解」
ニルさんがすぐに部屋を出ていく。
会議室に残った空気は重かった。
だが、負けた感じはしなかった。
リリアが、俺の方を見た。
「レン」
「はい」
「ありがとう」
「俺は、言いたいことを言っただけです」
「それが嬉しかったです」
セリカさんも腕を組んで言う。
「今日のあなたは、少しだけ格好よかったわ」
「少しだけですか」
「調子に乗らないように」
「はい」
俺は少し笑った。
手はまだ震えている。
怖かった。
今も怖い。
けれど、隣にリリアとセリカさんがいた。
後ろにはギルドがいた。
迷宮にはミュレアがいる。
だから、言えた。
その時、頭の奥にミュレアの声が響いた。
『よく言った、レン』
「聞いていたんですか」
『当然じゃ。妾の監視者が面白いことをしておるのだからな』
「面白いで済ませないでください」
『ふふ。だが、胸のすく思いであったぞ。正しさを笠に着た者に、鎖を見ろと言ってやるとは』
ミュレアの声が、少しだけ優しかった。
『ますます気に入った』
「やめてください」
『好感度とやらも上がったかもしれぬぞ』
俺の視界に表示が出る。
ミュレア・ノクターン
好感度:96 → 101
状態:愉快、好意、信頼上昇
備考:レンが教会に言い返したことを高く評価しています
百を超えた。
俺は頭を抱えた。
リリアが静かに言う。
「上がりましたね」
「……はい」
セリカさんが聞く。
「いくつ?」
「百一です」
会議室に、別の意味で沈黙が落ちた。
ミュレアの笑い声だけが、頭の奥で楽しそうに響いていた。




