第13話 古代迷宮の奥で、魔王令嬢が俺を呼んでいる
古代迷宮の階段は、想像していたよりもずっと静かだった。
石造りの階段。
壁に刻まれた、読めない文字。
長い年月で削れた角。
ところどころに絡みついた、黒ずんだ蔦。
地上から差し込む光は、数段下りただけで頼りなくなった。
ダリウスさんが先頭に立ち、その横を大盾の冒険者ガルムさんが固めている。
少し後ろに斥候のニルさん。
弓使いのシェラさんと魔法使いのオルフェさんが中衛。
俺たちはさらにその後ろ。
セリカさんは俺の斜め前。
リアは俺のすぐ隣。
完全に守られている配置だった。
ありがたい。
ありがたいのだが、少しだけ落ち着かない。
「レン」
隣から、リアが小声で呼んだ。
「はい」
「顔が硬い」
「古代迷宮ですから」
「それだけ?」
「……奥から声が聞こえたので」
「それは、そう」
リアはフードの奥で小さく頷いた。
彼女の表情にも緊張がある。
無理もない。
教会から逃げ、王都に入り、冒険者登録をして、災害級魔物と戦って、宿で魔物に襲われて、その翌日に古代迷宮である。
普通なら、一つひとつで一週間くらい心の整理が必要な出来事だ。
それを数日で詰め込まれている。
俺の異世界生活、展開が早すぎる。
いや、そもそも俺は静かに暮らしたかっただけだ。
陰キャ非モテだった前世をやり直すにしても、もう少し穏やかな方向でよかった。
なのに今、俺は古代迷宮の階段を下りている。
しかも奥には、俺を「運命の男」と呼ぶ謎の魔王令嬢がいるらしい。
意味が分からない。
まったく分からない。
セリカさんが前を向いたまま言った。
「レン。考え込むのはいいけど、足元を見なさい」
「あ、はい」
「こういう場所では、転んだだけでも命取りよ」
「気をつけます」
「それと、何か見えたらすぐに言うこと」
「分かっています」
「本当に?」
「俺の信用、低くないですか」
「無理をする人間は信用しないことにしているの」
強い言葉だった。
だが、否定できない。
リアも静かに続ける。
「セリカさんの言う通り。レンは、危険が見えると自分で何とかしようとするから」
「そんなことは」
二人の視線が同時にこちらへ向いた。
俺はすぐに言い直した。
「……あるかもしれません」
「あるわね」
「あります」
「二人で同時に言わなくても」
小声のやり取りだったが、斥候のニルさんには聞こえていたらしい。
彼は前方で苦笑した。
「新人くん、いい仲間じゃないか」
「監視役が二人いる気分です」
「それを仲間って言うんだよ」
そう言われて、少しだけ言葉に詰まった。
仲間。
その言葉には、まだ慣れない。
前世で俺に仲間と呼べる相手がいたかというと、正直かなり怪しい。
会社の同僚はいた。
クラスメイトもいた。
でも、俺が倒れそうになった時に手を伸ばしてくれるような相手は、ほとんどいなかった。
今は違う。
リアがいて、セリカさんがいる。
出会ってからの日数は短い。
それなのに、俺の隣に立ってくれている。
それは、妙に心強かった。
パーティー補正:危険察知共有・微
状態:安定
備考:仲間との距離が精神耐性を上昇させています
表示までそんなことを言ってくる。
やめてほしい。
少し照れる。
階段を下りきると、広い通路に出た。
天井は高い。
壁には青白く光る鉱石のようなものが埋め込まれている。
おかげで完全な暗闇ではないが、その光は冷たく、どこか死んだ月明かりに似ていた。
床には古い紋様が刻まれている。
円。
直線。
星のような記号。
ところどころに獣の爪痕。
ダリウスさんが低く言う。
「ここは上層だ。通常なら低ランクの訓練にも使われる。だが今日は油断するな」
大盾のガルムさんが前に出る。
「魔物の気配は薄いな」
斥候のニルさんが床に手をつき、周囲を確かめる。
「足跡はある。小型が何匹か通った跡。新しいな」
俺の視界にも表示が浮かんでいた。
古代迷宮・上層通路
魔力乱れ:小
魔物反応:小型三体、距離百二十メートル
罠反応:軽微
注意:床紋様の一部に感圧式魔法陣
床紋様。
俺はすぐに手を上げた。
「少し待ってください」
全員が止まる。
ダリウスさんが振り返った。
「何か見えたか」
「床の紋様の一部に、罠みたいな反応があります。感圧式魔法陣、と出ています」
「位置は?」
俺は通路の少し先を指差した。
「あそこの星形の紋様と、その斜め右の円です」
ニルさんが目を細めて近づき、腰の道具袋から細い棒を取り出す。
彼は俺が指差した紋様を慎重に突いた。
瞬間、床の一部が淡く光り、壁から細い針のようなものが飛び出した。
全員が息を呑む。
針は通路の反対側の壁へ刺さり、すぐに黒い煙を上げて消えた。
「毒針か」
シェラさんが低く呟く。
ニルさんは俺を見て、口笛を吹いた。
「新人くん、本当に見えるんだな」
「俺もまだ慣れていません」
「慣れてないのに、よく言えたな」
「言わないと刺さりそうだったので」
「そりゃそうだ」
ダリウスさんが頷いた。
「レン、よくやった。ニル、罠解除を頼む」
「了解」
ニルさんが手際よく魔法陣を無効化していく。
セリカさんが小声で言った。
「やっぱり役に立つわね」
「俺自身は何もしてません」
「見つけたでしょう」
「見えただけです」
「その“見えただけ”で命が助かるの」
そう言われると、少しだけ胸が詰まる。
俺は前世から、何かができる人間に憧れていた。
話が上手い人。
スポーツができる人。
仕事を素早くこなす人。
誰かを笑わせられる人。
誰かに頼られる人。
自分はそうではないと思っていた。
でも今、俺の「見える」が誰かの役に立っている。
それはまだ、少し不思議だった。
リアがそっと言った。
「レンの力は、ちゃんと人を助けています」
「……ありがとうございます」
「だから、もう少し自分でも認めていいと思う」
「努力します」
セリカさんが横から言う。
「そこは即答で認めなさいよ」
「自信がなくて」
「鍛えるところが多いわね」
「精神も鍛えられるんですか?」
「鍛えられるわ」
「怖い」
セリカさんが笑った。
その笑顔を見ると、東の森で自分の剣を信じきれずにいた彼女とは少し違うように感じる。
セリカさんもまた、前へ進もうとしているのだ。
◇
上層の通路を進むと、小型魔物の群れに遭遇した。
石の身体を持つ小鬼のような魔物。
数は三体。
魔物:ストーンインプ
危険度:低〜中
弱点:胸部核、関節部
注意:集団で足元を狙う
ダリウスさんは俺たちの訓練も兼ねているのか、前衛をセリカさんに任せた。
「セリカ、やれるな」
「はい」
セリカさんが剣を抜く。
俺は後ろから表示を見て、必要な情報だけ伝える。
「胸の核が弱点です。足元狙いに注意」
「分かった」
ストーンインプが甲高い声を上げて飛びかかってくる。
セリカさんは一体目を横薙ぎで弾き、二体目の足元攻撃を軽くかわした。
昨日より動きが鋭い。
いや、正確には迷いが少ない。
リアが後方から支援を送る。
「セリカさん、右」
「見えてる!」
セリカさんの剣が赤い軌跡を描く。
一撃。
胸部核が砕け、ストーンインプが石の破片になって崩れた。
残り二体。
俺は杖を構え、近づいてきた一体の関節を打つ。
硬い感触。
だが、浄化魔力を乗せると動きが鈍った。
「レン、下がって!」
リアの声と同時に、白い光の盾が俺の前に生まれる。
ストーンインプの爪が光に弾かれた。
「助かりました!」
「無理に前に出ない!」
「はい!」
やはり怒られた。
だが、今のは自分でも少し前に出すぎたと思う。
セリカさんが二体目を斬り、ガルムさんが盾で三体目を押し潰すように止めた。
最後は俺が胸部核を示し、シェラさんの矢が正確に撃ち抜いた。
戦闘はすぐに終わった。
ダリウスさんが満足げに頷く。
「悪くない。レンの感知、リアの支援、セリカの前衛。即席にしては噛み合っている」
即席にしては。
それでも褒められたことに変わりはない。
セリカさんは少しだけ誇らしそうだった。
リアも安心したように息を吐いている。
俺はというと、戦闘が終わった瞬間にどっと疲れが来た。
「大丈夫?」
リアがすぐに聞いてくる。
「大丈夫です」
「本当?」
「少し疲れました」
「正直でよろしい」
セリカさんが横から言う。
「でも、最後の一歩は出すぎ。あなたはまだ前衛じゃない」
「すみません」
「謝るだけじゃなくて、覚える」
「はい」
完全に先生だ。
でも、こういう注意はありがたい。
カイル兄上のように、こちらを貶めるための言葉ではない。
俺を生かすための言葉だ。
それが分かるから、素直に聞ける。
戦闘後、リアが軽い治癒を全員にかけた。
大きな怪我はない。
だが、彼女の白い光に触れると、疲労が少し和らぐ。
ガルムさんが感心したように言った。
「リア、あんたの支援は上等だな。教会所属か?」
空気が、ほんの少し止まった。
リリアの肩がわずかに強張る。
俺はすぐに口を挟もうとしたが、リリアは自分で答えた。
「以前、少しだけ教会で学びました。今はギルド所属の治癒師です」
声は落ち着いていた。
ガルムさんは「そうか」とだけ言った。
それ以上聞かない。
ありがたかった。
俺はリリアを見た。
彼女は少し緊張していたが、前のように怯えてはいない。
リリア
状態:緊張、自己確認
備考:教会ではなくギルド所属の治癒師と自分で言えたことに、小さな手応えを感じています
俺は小声で言った。
「今の、よかったです」
リリアは少しだけ目を丸くした。
「そう?」
「はい」
「……ありがとう」
その声は小さかったが、嬉しそうだった。
◇
上層の奥に着くと、空気が変わった。
壁の青白い光が弱まり、代わりに床の紋様が淡く紫色に光っている。
ニルさんがしゃがみ込み、床を調べた。
「ここから先は通常解放区域じゃないな。封鎖扉へ続く通路だ」
ダリウスさんが頷く。
「下層へ通じる管理区域だ。通常なら、王国の封印鍵がなければ開かん」
だが、その先にある巨大な石扉は、わずかに開いていた。
人ひとりが通れるほどの隙間。
扉の表面には複雑な紋様が刻まれている。
その一部が黒く焦げ、ひび割れていた。
まるで、内側から無理やり押し開けられたように。
俺の視界に表示が浮かぶ。
下層封印扉
状態:破損、内側開放
封印術式:七割損傷
残留魔力:魔族系、王位血統反応
危険度:高
王位血統反応。
またその単語だ。
ミュレア・ノクターン。
魔王令嬢。
封印対象。
奥にいる存在と、この扉の破損は間違いなく関係している。
「内側から開いています」
俺が言うと、オルフェさんが眉を寄せた。
「内側に何かがいたということか」
「表示では、魔族系の王位血統反応、と出ています」
部屋の空気が重くなる。
シェラさんが低く言った。
「魔王家の血筋ってこと?」
「可能性はあります」
ダリウスさんが俺を見る。
「奥の声と関係しているな」
「たぶん」
セリカさんが剣の柄に手を置く。
「魔王令嬢、と言っていたわね」
全員の視線が俺に集まる。
「表示には、そう出ました」
「名前は?」
「ミュレア・ノクターン」
その名前を口にした瞬間、扉の奥から小さな笑い声が響いた。
『ふふ』
全員が一斉に身構えた。
俺の背筋が冷える。
『妾の名を呼ぶとは、礼儀を知っておるではないか』
声は、扉の奥から聞こえている。
だが、音として耳に届いているだけではない。
頭の奥に直接触れられるような、不思議な感覚があった。
リアが俺の袖を掴む。
セリカさんが一歩前へ出る。
「姿を見せなさい」
『威勢の良い娘よ。剣の匂いがする。まだ若いが、悪くない』
セリカさんの眉が動く。
「何を」
『そして、そちらの白き娘。ほう、聖なる力を持つか。だが教会の匂いは薄い。逃げてきたか?』
リリアの身体が強張る。
俺は思わず前に出た。
「やめろ」
声が自分でも驚くほど低くなった。
扉の奥の声が、楽しそうに揺れる。
『おお、怒ったか。妾ではなく、その娘のために』
「相手の事情を勝手に触るな」
『そなたの力も似たようなものではないのか? 好感、傷、恐れ、才。そなたは人の内側を見る』
心臓が跳ねた。
なぜ知っている。
俺のスキルのことを、なぜ。
リアとセリカさんがこちらを見る。
ダリウスさんの目も鋭くなった。
『隠さずともよい。妾には分かる。そなたの魂は、この世界のものとは少し違う』
息が止まりかけた。
この世界のものとは違う。
転生者だと、気づいているのか。
俺は言葉を失った。
声はさらに笑う。
『前の世で誰にも選ばれなかった魂。だが今は、女たちに守られておる。面白い。実に面白いぞ、レン』
その瞬間、リアの手が俺の袖を強く掴んだ。
セリカさんが剣を抜く。
「それ以上、レンをからかうなら斬るわよ」
『ふふ。そなたでは、まだ妾には届かぬ』
「試す?」
『いずれな』
ダリウスさんが低く言った。
「精神干渉を止めろ。こちらは調査隊だ。交渉の意思があるなら姿を現せ」
『交渉? 人間はいつもそうじゃ。封じ、奪い、名を奪ってから交渉と呼ぶ』
声に、初めて冷たさが混じった。
さっきまでの妖しい余裕とは違う。
怒り。
あるいは、長く閉じ込められた者の怨み。
『だが、今はまだよい。妾の封印は完全には解けておらぬ。そなたらに会うには、もう少し扉を開けてもらわねばならぬ』
「開けると思うか?」
ダリウスさんが問う。
『思わぬ。だから呼んだのじゃ』
声が、また俺へ向く。
『レン。そなたなら開けられる』
「俺が?」
『好感を超え、才を開き、縁を結ぶ力。そなたの力は、封印と相性が良い』
嫌な予感がした。
非常に嫌な予感がした。
封印扉奥部
解除条件:外部からの縁結び干渉
対象適性:レン
注意:解除により封印対象との接触イベント発生
危険度:MAX
出た。
接触イベント。
やめてほしい。
俺は表示を見て、額に手を当てた。
「無理です」
『即答か』
「危険度MAXと出ています」
『正直でよろしい』
「褒められても開けません」
『ふふ。では、見せてやろう』
その瞬間、扉の隙間から紫の光が漏れた。
空気が震える。
俺の視界が、一瞬だけ切り替わった。
見えたのは、広い石の間だった。
巨大な魔法陣。
鎖。
黒紫の結晶。
その中心に、一人の少女が座っている。
黒髪。
金色の瞳。
小さな角のような飾り――いや、本物かもしれない。
豪奢な黒いドレス。
退屈そうに頬杖をつきながら、こちらを見て笑う少女。
彼女の表示が浮かぶ。
ミュレア・ノクターン
身分:魔王令嬢
状態:封印中、退屈、興味
好感度:測定不能 → ?
初期感情:期待
備考:レンを観察しています
金色の瞳が、俺をまっすぐ見た。
『見つけたぞ』
視界が戻る。
俺は息を吸った。
今のは幻視か。
それとも、彼女が見せた映像か。
リアが心配そうに俺を覗き込む。
「レン、大丈夫?」
「……見えました」
「何が」
「奥に、女の子がいます。黒髪で、金色の目で、鎖に繋がれて」
セリカさんが眉をひそめる。
「封印されているのは本当なのね」
ダリウスさんはしばらく考え込んだ。
「現時点で封印解除はしない。まずはこの扉周辺の調査と、魔力漏れの応急封鎖を優先する」
『つれないのう』
ミュレアの声が響く。
ダリウスさんは動じない。
「こちらは調査隊だ。封印解除の権限はない」
『では、レンだけ置いていけ』
「却下します」
俺は即答した。
リアも同時に言った。
「却下です」
セリカさんも剣を構えたまま言う。
「却下ね」
三人の声が重なった。
ミュレアは楽しそうに笑った。
『ふふ。愛されておるな、運命の男』
「違います」
俺は即座に否定した。
しかし、リアとセリカさんの視線が少しだけ刺さる。
「レン」
リアの声が静かだ。
「違う、とは?」
「えっと、愛されているという表現がですね」
セリカさんも静かに言う。
「そんなに強く否定しなくてもいいんじゃない?」
「いや、俺ごときがそんな」
「俺ごとき、も違うわね」
「はい」
迷宮の中で、何をやっているのだろう。
ミュレアの笑い声がまた響く。
『面白い。実に面白いぞ。よかろう、今日はこのくらいにしてやる』
扉の奥の魔力が少しだけ引いた。
『レン。妾は待つ。そなたが、妾をここから連れ出しに来る日を』
「行くとは言ってません」
『来る。そなたは来る。なぜなら、そなたは見捨てられぬ男じゃ』
その言葉に、反論できなかった。
ミュレアは俺の性格を、短時間で見抜いている。
いや、スキルか何かで見ているのかもしれない。
彼女は最後に、柔らかく告げた。
『その時は、妾もそなたを見極めてやろう。前世で選ばれなかった男が、この世界で何を選ぶのかをな』
声が消えた。
扉の隙間から漏れていた紫の光も、少しずつ弱まっていく。
通路には、重い沈黙が残った。
ダリウスさんが低く言う。
「一旦撤退する」
誰も異論を挟まなかった。
「封印扉周辺の状況は確認した。奥の対象は会話可能だが、危険度は高い。これ以上の接近は準備不足だ」
正しい判断だと思う。
俺も、今はこれ以上進むべきではないと感じていた。
だが、同時に分かっていた。
これで終わりではない。
ミュレア・ノクターン。
封印された魔王令嬢。
彼女は、俺を認識した。
そして俺の前世に触れた。
あれは偶然ではない。
俺の【好感度限界突破】と、彼女の封印。
何かが繋がっている。
撤退の準備をしながら、リリアがそっと俺の隣に来た。
「レン」
「はい」
「さっきの声が言っていたこと」
「……」
「前の世、という言葉」
俺は息を止めた。
隠し通せるとは思っていなかった。
でも、こんな形で触れられるとは思わなかった。
リリアは静かに続ける。
「今すぐ聞くつもりはないわ」
「リリア」
「レンが話せる時でいい。でも、私は知りたい」
彼女の声は責めるものではなかった。
ただ、知りたいと言っているだけだった。
セリカさんも近づいてくる。
「私も。まあ、前の世とか言われても、正直よく分からないけど」
「ですよね」
「でも、あの魔王令嬢があなたを揺さぶろうとしたのは分かった。なら、知らないままにしておくのは危ない」
セリカさんらしい言い方だった。
感情ではなく、戦うために必要な情報として知りたい。
それが逆にありがたい。
俺は少しだけ笑った。
「いつか、話します」
「いつか?」
「早めに」
「ならいいわ」
リリアも頷いた。
「待っています」
待ってくれる。
その言葉が、妙に胸にしみた。
前世のこと。
陰キャで、非モテで、誰にも選ばれなかった自分のこと。
それを話すのは、正直怖い。
でも、いつかこの二人には話してもいいのかもしれない。
そう思えた。
撤退のため、調査隊は来た道を戻り始める。
その時、俺の視界の端に最後の表示が浮かんだ。
ミュレア・ノクターン
好感度:測定不能 → 35
状態:興味、期待、退屈の緩和
備考:レンとの再会を望んでいます
測定不能が、数字になった。
三十五。
高いのか低いのか分からない。
だが、初対面で封印越しに三十五は、たぶん低くない。
俺は頭を抱えたくなった。
リリアがそれに気づく。
「また何か?」
「ミュレアの好感度が見えるようになりました」
「いくつ?」
「三十五です」
リリアは少しだけ目を細めた。
セリカさんも小さく反応する。
「初対面で?」
「はい」
「……増えそうね」
「やめてください」
リアが静かに言う。
「レン」
「はい」
「その魔王令嬢にも、優しくしすぎないでくださいね」
「え?」
セリカさんが続ける。
「そうね。あなた、困っている相手を見るとすぐ助けに行くから」
「いや、封印されている魔王令嬢ですよ?」
「だから危ないの」
「そうですか」
「そうよ」
二人の意見は、また一致していた。
俺は深く息を吐いた。
古代迷宮に入って分かったこと。
封印扉は壊れていた。
奥には魔王令嬢がいた。
彼女は俺を知っていた。
そして、リリアとセリカさんは、俺が魔王令嬢に近づくことを早くも警戒している。
状況が複雑すぎる。
俺はただ、静かに暮らしたいだけなのに。
迷宮の出口へ向かいながら、背後から微かな笑い声が聞こえた気がした。
『また会おうぞ、レン』
聞こえなかったことにした。
だが、表示は冷酷だった。
新規対象:ミュレア・ノクターン
関連イベント:再接触待機中
注意:好感度上昇速度、予測不能
俺は心の中でつぶやいた。
神様。
好感度限界突破って、もしかして俺の手に負えるスキルじゃないのでは?
もちろん、誰も答えてはくれなかった。




