放課後の電話
放課後の職員室は、夕方にかけて騒がしくなる。
この学校の電話の数は、教師の人数分には到底足りない。
だが、生徒の親の仕事が終わった時間に電話がかかってくるものだから、日によってはちょっとしたコールセンターのようになることもある。
通販番組のように、「ただいまの時間からオペレーターを増やしてお待ちしております」なんてことができればいいが、現場にいる教員はただでさえ人手不足だ。
先月まで俺は、非常勤で働いていた。
それが、急な人員補充のために常勤での任用となり、前任者の穴埋めする形で担任を持つに至る。
国語教師なんて、主要科目の中でも余っている方だと思っていた。
だから、俺なんてずっと非常勤のままかもしれないって危機感があった。
そんな俺に担任が回ってきた。単に、人手が足りてないだけだとは分かっている。
それでも、今までの頑張りが評価されたのだと思いたい。
「期待しているよ」
って言葉が、単なる社交辞令じゃなかったことにしたいんだ。
科目担当として授業を受け持っていた時を思い返すと、その頃の俺は授業態度やテストの点数から生徒を俯瞰していたように思う。
通信簿の評定をつける側としての先生。
でも、今は生活態度や交友関係も見なければならない。
そこが大きな違いだ。
担任を受け持つと、普段と違った行動をとるようになった子は、要観察になる。今日で欠席が3日続いている花岡篤史は確認が必要だろう。
表向きには「体調不良」ということで、母親から朝8時に電話があった。
だけど、土日を挟んだ後も体調不良が続いているとは考えにくい。
こういうのは早い目に対処しておかないと、学校への「行きづらさ」に繋がることもある。
着任して早々に不登校なんて出したくなかった。
学級名簿を出して連絡先を確認する。
4月当初に提出された内容では、連絡先は母親の携帯電話番号になっており、その母親は市役所に会計年度任用で勤めている。
それなら、今の時間帯なら電話に出る可能性も高いだろう。
備考欄には前任者が一言書き添えている。
「熱心なお母様です」
これは、「教育」に限ったことじゃない。
「面倒」の二文字に置き換えた方が正確な表現だろう。
そう思うと、学年主任のデスクにある電話の方へ向かうのが、少し億劫になった。
「誰に電話?」
学年主任本人は不在だったが、その隣の席の英語教師が話しかけてきた。
「C組……うちのクラスの花岡さんです。今日でお休みが週跨いで3日なので」
俺は軽く肩を竦めて見せた。
「ああ、花岡さん。
真面目な子なんだけどね。
あんまり心を開かないというか、懐いた人にしか話さないタイプだよね。
久米さんとは仲良しだったけどねえ」
遠い目をしてそう話していた彼女は、俺の方に向き直って申し訳なさそうな顔をする。
「久米さん」は俺の前任者だ。
「あ、ごめんね。
今から電話なのに話しすぎちゃって」
「いえ、お気になさらず」
俺は受話器を上げて、母親の番号をダイヤルした。
3コール鳴ったあたりで、今日は履歴だけ残して諦めようかとも考え始めていたが、電話は繋がった。
「はい」
警戒心が強く出ている女性の声だ。
大方、学校の番号を登録していないのだろう。
「第二小学校の松島です。篤史さんの担任をしております」
その声に母親が警戒を解いたのが伝わってくる。
「ああ、お世話になっております。
久米先生の後任の方ですよね?
篤史から聞いてます」
「はい。今日は篤史さんのお加減を伺いに電話しました」
母親が少し息を吐き、受話器から遠ざかった感覚があった。
「もしもし?」
「松岡先生だって」
スマートフォンのマイク部分を覆っているのか、くぐもった声でそう聞こえた。
「松島です」
その訂正が相手に聞こえたかどうかは分からない。
「——そうなの? じゃあ——」
ややあって、言葉が返ってくる。
「うちの子、『しばらくは無理かも』って言ってます」
「体調的に厳しそう、ということでしょうか?」
「行かなくても良いかも、って」
休みが2日続いた時点で電話した方が良かったか?
俺の顔色が変わっていたのか、隣で英語教師の視線がこちらを向いた。
「それは——理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
「松岡先生もご存知とは思いますが、うちの子、久米先生には随分良くしていただいてたんです。
国語が好きになったのも、あの先生のお陰で。
それが、急に離任なさったでしょ?
だから、ショックみたいなんです」
嘘ではなさそうだ。
だからこそ、この理由を他の先生に共有するのは避けたい。
「……久米先生は篤史さんとどのように関わっていたか、お母様から見た印象を伺っても良いですか?」
「うーん、そうですねえ。
篤史、いつも言ってたんです。
昼休みにクラスメイトと馴染めなくて悩んでいたうちの子に一言日記か何かに書いていたアニメの話をしてくださったらしくて。
『このアニメ先生もファンなんだ』って」
そうか。
そうやって、対応していたのか。
「それで、昼休みに先生とアニメの話をしたり、好きなキャラを語るのが楽しいって言ってて——」
花岡篤史は、アニメオタクでクラスに馴染めなかった。
それを、前任者は友達の代替として対応していたということだ。
漫画やアニメなら俺にだって、多少なりとも知識はある。自分は視聴していなくても、いくらでも話を合わせてやることはできる。
「そうだったんですね。
私もアニメは……観ている方なので、話合うと思います。
無理せず、篤史くんのペースで気が向いた時にお話できると嬉しいです」
これなら、対応として問題ないだろう。
「松岡先生、うちの子のためにありがとうございます」
「明日は篤史くんが来てくれると嬉しいです」
俺は名前の訂正は諦めながら、穏やかな声で念を押した。また、電話が遠ざかったような感じがあった。
「ええ、明日は行くと思います」
その言葉に突っ張っていた頬が少しだけ和らいだ。
「くれぐれも無理はしないようにお伝えしてください」
「篤史も横でちゃんと聞いていますので大丈夫ですよ」
その言葉を残して電話は切れた。ずっと彼は話を聞いていたのか。
母親は今頃息子になんと言っているのだろう。
「ほら、あの松岡とかいう先生も、ちゃんとあなたを見てくれそうじゃない」
そんなことを考えると、どうにも俺は前任者の代わりが務まるのか見定められているような気がしてしまう。
ボールペンを無意味に数回ノックしてから、俺は自席に戻った。




