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明日やろうと思ったのに  作者: 井桁ライク


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クリーニング後

 自分が触りたくないものを処理するために、クリーニング店を使おうとする輩は意外と多い。

春なら、お花見の席で吐瀉物まみれになった薄手のコート。

夏なら、ビールが掛かって台無しになった浴衣。

秋なら、押し入れから引っ張り出したばかりの異臭を放つ毛布。

冬なら、放置しすぎて汗染みが変色した夏布団。

そういう衣類を、汚れが外から見えないように大きな袋に詰め込み、ドンとカウンターの上に置いてしまえば、次に見る時には綺麗になっているという算段だろう。

 でも、カウンターに広げて私たちが一点一点確認し、必要であれば特別料金を請求するのだから、そんなことをしたって意味はない。

後ろに他のお客さんが並んでいたら、それこそ赤っ恥だろう。

 しかも、そういう人に限って、預けたまま長期間放置する。電話をかけて、


「保存期間がありますので早めのお引き取りを」


と何度伝えても、「分かりました」と答えるばかりで、ワンシーズン取りに来ないということもあり、私たちも悩ましいところだ。

下手をすれば、次に必要になる時期まで、店舗のスペースを貸しタンス代わりにされてしまう。

そういう衣類を整理するために、閉店後の時間を使って定期的に棚卸しのようなことをするのだ。


 今日も閉店間際の30分間は比較的混雑していた。

春は礼服や新社会人のスーツが多くなる時期だから当然だ。

そんな時期に、今日のように閉店後作業をする場合は、シャッターを半分下ろしておかなければ、際限なく客が来ることもある。

うっかり店舗中に店員が残っていると知れて、


「明日絶対にいるので引き取れないと困るんです」

「これ、明日の夕方には必要なので、今からだったら間に合いますよね?」


なんて言いながらガラス扉をガタガタされても敵わない。

 私は整理の段取りを考えつつ、手に保湿クリームを塗っていた。

春先とはいえ、衣類を触っているとどうしても手指の乾燥は免れない。

指先のまだぱっくりとは裂けていない薄いひび割れ予備群に塗り込んだ。

潤いを取り戻した指で、ノートを捲る。

このノートには引き渡しが済んでいない品物と、その連絡先をピックアップして綴っているのだ。

前年度中に預かった洋服が、まだ12点残っている。

返却したのにノートから消し忘れているものがないか、まず現物確認をすることにした。

 こうして並んでいるのを見ると、前年度のものだと分かる。

ハンガーに吊られていた時間が長くなっており、新しく入ってくる預かり品に常に押されているため、衣服は洗い立てのふっくら感を失っている。

それに、去年以前に流行っていたタイプの色味やデザインのものが並んでいるその様は、この場所だけ少し昔に取り残されているような感じだ。

 その中に見覚えがあるジャケットが混ざっていた。

グレージュでヘリンボーンの織りが入った生地。

袖にタックが入ったビッグシルエットで、体型をカバー出来る形。

これは、去年のお気に入りのジャケットだ。

なぜ、引き取らずにずっと店に置いたままにしていたのだろうか。

商品タグには私の名前が印字されており、ノートを見てもこのジャケットのことは未返却品一覧に書いていない。

つまり、私はすぐに持って帰るつもりだったということだ。

ジャケットを包む薄いビニールを捲って中身を確認する。

ポケットの中身を検めると、右の方から映画の半券が出てきた。

思わず眉間に皺が寄る。

クリーニング後の衣服のポケットからごみが出てくるなんて検品不足だ。

洗われたことで少し歪んで硬くなった半券を摘み上げる。

印字はまだ読める状態だった。

それを見て少し時間が止まったような気分になってしまう。

これは、あの人と観に行った映画だ。


 あの人とのデートでは、お気に入りのこのジャケットをよく着ていた。そのジャケットを初めて彼とのデートに着て行った日、


「暖かみのある色がよく似合うね」


と彼が言ってくれたのをまだ覚えている。

本当はもっと青みがかったグレー寄りの方が欲しかったのだけど、イエベの自分にはグレージュの方が映えた。

少し不本意だったそのジャケットが、お気に入りになったのはその時だった。

 まだ肌寒い4月の夜に見たその映画は、身体に直に響くような記憶としてまだそこにある。

教官に激しい罵声を浴びせられ、追い詰められながらも、鬼気迫る勢いでドラムに固執していく主人公には全く共感できる余地はなかったけれど、最後の演奏の迫力は、上映後もしばらく動けなくなるようなものだった。

終わった後に、彼の部屋でコーヒーを飲みながら、


「どうだった?」


と尋ねられて、映画好きの彼を落胆させまいと、演出について聞き齧りで話したのだ。

楽しかったけれど、もう終わった話。

そう言い聞かせて、半券をごみ箱に捨てようと思ったのに、私はもう一度ポケットに入れ直して、ジャケットも元あった場所に戻してしまう。

もう少しこのままで置いておいても良いよね。

良い思い出のまま保存するくらい罰は当たらないよね。


 自分が触りたくないものを処理するために、クリーニング店を使おうとする輩は意外と多い。

思い出の染みついたジャケットを、自分だけで処理できるようになるまでの間。

私は、この場所に思い出を圧縮しておくのだ。


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