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明日やろうと思ったのに  作者: 井桁ライク


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あなたの「大変ですね」が空っぽになった時

 ドラッグストアに限ったことではないけれど、雨が上がると、まるで待ち構えていたと言わんばかりに客が急に増える。

地方での移動の足は、晴れでも雨でも車だ。

だから郊外型の大型店舗には田畑を切り拓いて作られた駐車場が潤沢に用意されている。

家から車に乗ってそのまま目的の店まで行けるのに、やはり雨というのは億劫なものらしい。

駐車場に設置された監視カメラの映像を見ていると、次々に駐車場に車が入ってきている様子が映し出されている。


「レジ応援、お願いします」


無機質な店内放送が流れる。

レジが混んできた時に、ボタン一つで応援を呼べるようになっているのだ。

まだシフト開始まで10分程度あるけれど、店の中にいるのだから、これ以上ぼんやりしていても仕方ない。

緑色のエプロンにインカムを着けると、


「レジ応援入ります」


と応じる。すぐに、


「助かります。お願いします」


という返事が返ってきた。

早く入ったって、別に給料が増える訳じゃないんだよね。

そんなことを思いながらパイプ椅子から立ち上がる。

私の尻が温めていた座面が、軋む音を立てて少しだけ揺れた。


 呼ばれたのは医薬品購入専門のレジだった。

この店はディスカウントストアを兼ねているようなものなので、レジ自体の数は多い。

だけど、登録販売者がいないと第二類と第三類医薬品は売れないので、医薬品用のレジとそれ以外の商品のレジは分かれている。

そのため、現状では一人しかいない医薬品用のレジに列ができていた。

ただでさえ客が症状に合った商品を買おうとしているのか、アレルギーや飲み合わせなどの注意点を理解しているのか、そういうことを確認する必要があるから、一人あたりの対応に時間がかかる。

そこに、ここ数日の寒暖差が重なったのか、並んでいる客はどうにも顔色の優れない人が多い。

レジを開け、


「先頭に並んでいる方、こちらのレジにどうぞ」


と声をかけると、先頭の女性客は少し眉根に入っていた力を解いて、軽く頭を下げてから、こちらに歩いてきた。

通常よりも少しだけ高いカウンターに、「よいしょ」とかごを載せる女性は少し鼻声だ。

かごの中身は漢方薬だった。


「こちらはご自身で使われる分ですか」

「はい。嫌ですよね。

この季節はどうしても花粉症が辛くなるので」


確かにこの女性が買おうとしているのは「葛根湯加川芎辛夷」だ。

この商品なら子どもにも使えて比較的安全とされている。

だが、副作用が出ることもある。


「花粉症、大変ですね。

ところで汗をかきやすい体質だったり、胃腸が弱かったり、そういうのは大丈夫でしょうか。

副作用が出ることもあるので」


そう言って、「体力中程度の方」と書いてある部分を見せる。

その様子に女性は少し面食らったような表情をしてから、静かに息を吐いた。

落胆したようなその音に、何か気に触るようなことを言ったか、と身構える。


「ほら、先日あなたに勧めていただいてこの商品を試したんです。

それがすごく体質に合っていたみたいで、使っている間は調子良かったんです。

今日は使い切ってしまったので、買いに来たんですよ」


自分だけ覚えていることが少し寂しいというような声色だった。

それを聞いて、こちらがすっかり忘れてしまっていたことを思うと、どうも居心地が悪くなってくる。


「そうでしたか。

では、体質に合わないことはなかったということですね。花粉症で病院に通っていらしたら、先生のご意見も聞いてみて、問題がなければ使用を続けてくださいね」


決まり文句を少し早口で続けていることに気づいた時には、女性客は少し遠くを見ているような目をしていた。


「はい、それは大丈夫です」


バーコードを通したレジが「こちらは医薬品です。商品についての説明は必要ですか」と女性に問いかける。

彼女はすぐに「いいえ」のボタンを押した。


「2,600円です」


と値段の表示を読み上げると、「では3,000円で」と女性は札を差し出してくる。

それをレジに入れて、出てきた釣り銭を渡す。

女性は財布を鞄に仕舞うと、私の「お大事に」という声を背中に聞きながら出口の方へ歩いて行った。


 混雑していた医薬品レジも、しばらくしたら落ち着いてきた。

レジ応援を呼んだ主任が、肩の力を抜いてこちらを振り返る。


「助かりました。

応援、来てくれてありがとうございます」


この人はこうやって、少しのことでもお礼を言ってくれる。

だけど、仕事でやっているだけの自分としては、上手く素直に受け取れないものがある。


「いえ、気になさらないでください」


そう言うと、すぐにレジ横のボードに貼られた「お客さまの声」に目を向ける。


「お客さまの声、貼り替えていたんですね。

さっきまで手が空かなくて気づきませんでした」

「ああ、そうなんですよ。

今回は3月末までに入っていた分ですけど、お褒めの言葉が多くてほっとしています」


確かに「お褒め」と書いてある下に4件の用紙が貼ってある。


「挨拶の声が大きくて好感が持てる」

「親身に相談に乗ってもらえて安心できる」

「不安なときに一緒に悩んでくれて良かった」

「副作用の不安を一緒に調べてくれた」


用紙には誰宛か書いていない。

だけど、内容的に全部主任宛のように見える。

一方、私はというと、3月の間は忙しさにかまけて、接客がおざなりになっていた気がするのだ。

と、言うのも、最近は客のことを覚えていない。

前までは、自分が接客した相手には「この前の薬、合いましたか」とか「最近は症状治りましたか」と声掛けを出来ていたような気がするのに。

 一枚だけ「ご指摘」の欄に用紙が貼られている。

自分へのお叱りじゃないかとヒヤヒヤしながら宛名を見ると、そこにはネームタグに書いてある自分の苗字が記載されていた。


「最近のあなたの『大変ですね』は空っぽです」


内容はただそれだけ。

それでも、自分の接客が思いやりを欠いていると指摘されると、胃が冷えて縮むような感覚がある。

いい歳なのに名指しで叱られるなんてと思えば、顔に熱が上がってきて、皮膚が空気と摩擦を起こしている感覚になる。


「すみません。苦情を出してしまって」


気づけば主任に謝っていた。

主任は「うん?」とこちらを振り返り、私がまだ「お客さまの声」を見ていることに気づくと、納得したような声で「あー」と声を漏らした。


「それ、苦情じゃないと思いますよ。

分類上はご指摘のところに貼りましたけど、中身は心配に見えますね」

「心配、ですか?」

「そう。最近忙しそうな感じしますもん」


そう言うと主任はレジに近づいてきた客に向かって「いらっしゃいませ」と声をかける。

微笑んでいるように聞こえる声だ。

こういうところが私には足りていないのだろう。

「忙しそう」というのは、接客が雑になっていると言うことに違いない。

でも、思い出すのは、今日接客した女性客のどこか残念そうな表情だった。


「空っぽだって思うなら、そうじゃなかった時期があったのだろうか」


不意に浮かんだその考えに、接客が上手くいっていた時期を思い出そうとする。

だけど、最近の方がスムーズになったように思えるのだった。この先もずっと空っぽなのかと思うと、少しだけ寂しいような気がした。

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