貸し会議室
先程、受付を通り過ぎた子どもが、彼にはいやに驕った様子に見えた。
今日は、3階の展示室で書道の展覧会があり、県下で賞を取った作品が一堂に会している。
さっきの子どもも、大方、そこに自分の書を展示されているのだろう。
賞を取ること、それ自体は素晴らしいことだ。
だけど、子どものうちに才覚を使い果たしたのか、大人になってから鳴かず飛ばず、なんてこともあるのだから、自分のことを特別だなんて、努努勘違いしてしまわないことだ。
彼は、3階で止まったエレベーターから降りる子どもとその親を見送りながら、そんなことを思って、静かに息を吐いた。
かく言う自分がそうだったからに他ならないのだから。
幼少期の彼は、確かに、先程の子どもの側だった。
絵画展で賞を取り、親に連れられて展覧会に自分の作品が飾られているのを、度々確認しに来ていた。
そのため、自分はこの先もずっと作品を展示され、賞賛を受ける側に居続けるものだと、その時の彼は疑っていなかった。
まさか、その展示が行われる会場を管理し、貸し出す側に立つことになるとも思わずに。
とはいえ、彼はこの仕事が気に入っていないと言うわけではない。
昔と違って、帳簿を繰る必要もなく、システム上で確認できるようになっているし、貸出予約はネットから可能になっているから、電話での連絡で齟齬が起きる心配も少なくなっている。
要するに昔よりかなり楽になっているのだ。
それでも、貸出後の会場がきちんと片付いているか、現状復帰されているかどうかの確認業務は無くならない。
だから予約が立て込んでいる時の小会議室の確認が一番緊張するのだ。
13時から16時までの利用枠が終わり、次の枠の開始時間の16時半までの30分間で、現状復帰と清掃ができているかを確認しなければならない。
原則として、利用者が借りている枠の中で現状復帰を終わらせていることが貸出の条件となってはいるが、忘れ物が残されていることも少なくない。
それに、このホールに小会議室は五つあるのだ。
会議室がフル稼働している時の彼の内心は、汚さないでくれ、忘れ物しないでくれと言う祈りに近くなる。
幸い今日は、教室型で36人定員の会議室が一室使われただけなので、彼の心象としてはかなり余裕があった。
ほのかに人の気配の名残がある部屋を前から順に確認しながら、彼はここが何の名目で借りられていたのか、思い出していた。
「南地区子ども会定例会」
とシステム上は表示されていた。
子ども会が会議室を借りてまでどんなことを話し合うのか、来年から小学校に上がる子どもがいる彼には、少し興味があった。
部屋の中程、3列に並んだ長机の中央の前から2列目の机上に、藁半紙に刷られた用紙が残されていることに彼は気づいた。
資料の忘れ物は通常、すぐに破棄せずに1週間は拾得物として保管することになっている。
面倒だと思いつつも、手を伸ばす。
ざらりとした薄茶色の表面には、議題が印刷されていた。
(1)年間行事予定
行事は原則として土曜日開催です。
5月16日(土) 新入生歓迎会
7月27日〜8月7日(月〜金) ラジオ体操
8月22日 夏休みの宿題を終わらせる会
12月19日(土) クリスマス会
3月6日(土) 6年生を送る会
彼は書かれている内容を見ながら、今時にしては熱心にやっている子ども会だと感心した。だが次の項には、
(2)ラジオ体操 詳細(渉外係)
と書いてあり、様子がおかしいと思い始める。
ラジオ体操と言う牧歌的なイベントにおよそ似つかわしくない、「渉外」の文字に彼は首を捻る。
その下の文字は、どうやらその「渉外係」の担当者とその活動での注意点のようだ。
月曜日:山本さん
火曜日:上田さん
水曜日:角野さん
木曜日:河野さん
金曜日:木本さん
この割り振り表自体は、彼には普通に見えた。
そもそも渉外係があることを除けば。
だが、続く注意点に目を通すと、「なんだこれ」と思わず声を漏らすのだった。
※田中さん宅には<特に念入りに>ラジオの音がすることを、毎日お詫びしに行くこと。→子どもが集まり始める前の、遅くとも開始20分前には、訪問し終わっておく。
※矢野さん宅には開始前日26日までに、会長と副会長が訪問するため、渉外係は訪問不要。
※木嶋さん宅のおじいさんは体操に参加するので、開催日程を伝えておくこと。→開始日に「今日からです」、終了日に「今日が最終日です」と伝え損ねると、会長宅に苦情が来るので気をつける。
※最終日の8月7日は、子どもたちに配って余ったお菓子を各お宅に配布し、お礼を言うこと。→川田さん宅には、ゼリー系のお菓子を配布しない。
細かく気を遣う事項が書かれているそれは、ご近所トラブルを文字起こししたような様相を呈していた。
彼は、この「田中さん」という人が、面倒そうな人だな、と思いを馳せる。
ラジオ体操の音楽と子どもの声がするくらいで、苦情を言われるのだから、子ども会も大変だ。
とは言え、この内容の細かさを見ていると、顔には変な笑いが浮かんでしまう。
それに、この内容で3時間もこの会場を押さえていたのだから、さぞ紛糾した定例会だったのだろう。
そんなことを思いながら、彼はこの「忘れ物」を鞄に仕舞う。
その時、室内の内線が鳴った。
彼は急ぎの用を察して、すぐに受話器を取った。
「はい。会議室4、現状復帰終わったので、今から戻ります」
「了解です。ところで、今日の役員会の資料、どこにあります?」
相手の声は慌てている。
その声を聞きながら彼は時計を見る。16時15分だ。
話題に上がった役員会まであと1時間程度。
「ああ、太田監査役には、今日の資料メールで送ってありますよ」
「ありがとうございます。じゃあ、監査役が確認できてないだけですね」
受話器の向こうから聞こえる声は、安心からかすぐに和らいだ。
「そうです。あの人、『事前に資料を確認したいから送っておいて』って言うから先にメールで送ってあるのに、メールの確認してないことが多いんですよ」
「なるほど、じゃあメール見ていただけるように伝えておきます」
「よろしくお願いします」
受話器を置くと、貸し会議室はまた静かになった。
ブラインドから差し込む陽光が、穏やかに床の上を照らしている。
彼は、監査役の「役員会の資料を先に確認しておきたいのですが」と言う声がどこからか浮かんでくるような気がして、口角を少し上げた。
月一回の役員会の度にこうなるのだから、もっと上手い対策法があればいいのだけど。
とは言え、相手が忘れっぽいだけだと、どうにもならないな。
そんなことを考えつつ、彼は会議室を後にする。
誰もいなくなった部屋の中には、繰り返される煩わしさだけが密閉されていた。




