深夜の品出し
深夜のスーパーは客がいても、不気味に感じる瞬間がある。
品出し中に屈んだ自分の後ろを、誰かが通ったような気がして振り返っても誰もいない、なんてこともあれば、呼び出しボタンが押されたのでレジに向かってみたのに誰もいない、ということだってあった。
レジにいれば、ガラス張りの店先の向こう側に、片側1車線だけど大きめの県道が見える。
昼間は渋滞が起こるその道も、深夜2時を過ぎると通る車はほとんどない。
照明が煌々と光っているのに、何も停まっていない駐車場と、その向こう側の赤が点滅する信号機。
そんな景色を見ていると、世界に俺だけが取り残されたみたいで、どうにも落ち着かない気分になってくる。
深夜と早朝のどちらともつかない3時を過ぎると、俺は品出しに回ることにした。
こんな時間に品出しをする理由は2つある。
ひとつは、早朝の4時半頃から、早番で出勤する人たちが朝の軽食を買いにくるからだ。
その前にデリカコーナーとパンコーナーを中心に充実させておかなければならない。
天気予報を確認すると、朝方に雨が降る感じではない。
それなら客足が遅れることもないだろうから、いつもどおり出しておこうというわけだ。
問題はもうひとつの理由だった。深夜から早朝のシフトに入った人が、口々に語る「ある噂」がある。
「早朝4時に店内を巡回していたら、インカムから昔辞めたAさんの声で、『3番通路に雨漏りで水溜りができています』と言われた」
「居眠りしかけて、品出しが早朝4時を過ぎた時、『遅いぞ』とインカムから叱責された」
共通点は、妙に店に詳しいことと、今そこにいないはずの人の声で話しかけられること、そして4時台に起こるということだった。
俺は時給の良さから深夜から早朝のシフトに好んで入っている。
でも、そんなインカムを受けてしまったら、と想像すると、次から一人でそのシフトには入れなくなるだろう、と思うのだ。
つまり、この早めの品出しは予防的対策だ。
バックヤードに下がり、キャスター付きのコンテナに売れ筋のパンを載せ、それを押してまた店内に戻る。
パン売り場に近い冷凍食品コーナーに差し掛かった時だった。
インカムがどこかに繋がる時の動作音が、耳元で小さく鳴った。背筋が強張り、足が止まる。
視線だけが、ゆっくりと辺りを見回す。
俺を誰かが見ているような気配はない。
だけど、インカムから当たり前のように声が流れてきた。
「まだ3時半だろ? パンを出すには早過ぎないか?」
その声は、まだ来ていないはずの店長の声に似ていた。
だが、違う気がする。
「店長、おどかさないでくださいよ」
その呼びかけには、返事がなかった。
「店長」を否定するような間を開けてから、また声が続ける。
「パンよりも先に、デリカを出しといた方が良いんじゃないか?
今日は、火曜日だからいつもサンドイッチを買ってる青いワゴンの人が、早めに来るだろ?
あの人、早い時は4時前には来るぞ」
その指摘は的確だった。
俺は咄嗟に「すみません」と返事して、言われるままにパンを載せたコンテナを売り場に残して、裏に戻る。
それからデリカをコンテナに乗せて運んでくる。
いつもなら、朝方にかけて魅力的に見えてくるソースたっぷりのハムカツサンドも、今は喉を通らないような気がした。
「デリカは準備できたな。
次はパンを売り場に並べた方がいい。
だけど、乳飲料売り場からコーヒー牛乳系の飲み物が切れてるぞ。
大体、サンドイッチやパンと一緒に買う人が多いんだから、後で補充しろよ」
「……すみません」
どうにも、自分より店内を把握できているものだと感心する。
いや、感心している場合じゃない。
どこから見られているのか分からないというのは、不安でしかない。
視線がどこから来ているのか探ってみても、3時47分の店内には、店員は俺だけで、客すら一人もいないのに。
だけど、この指示に従う方が速いのも事実だ。
俺は、見張っているはずの視線を探すのをやめた。
乳飲料を商品棚に並べていると、清涼飲料水コーナーのペットボトルのコーヒーや缶コーヒーの棚も確認しておくべきだったことに気づく。
パンと一緒に、カフェオーレやマウントレーニアを買う人もいれば、ジョージアを好む人だっている。
さっき、裏に商品を取りに行く前に、清涼飲料水コーナーも通ったのだから、見ておけば良かったのだ。
少し考えれば分かるようなことなのに、と恥ずかしくなる。
最近、良かれと思ってやったことが、裏目に出ることばかりだった。
こうしてインカムの指示に従っているだけなら、誰にも迷惑を掛けずに済むかもしれない。
それに、従うだけなら仕事は非常に単純になる。
インカムの先にいるのが誰だったとしても、失敗が起こらないならそれに越したことはないんじゃないか。
疲れているのか、どうもそんなことまで考えてしまう。
3時56分にはレジに呼ばれた。
インカムの声が言っていた、いつもサンドイッチを買う青いワゴンの人だった。
カゴの中には、ロースカツサンドとチルドカップのほうじ茶ラテ。
インカムは何も言わないが、「ほらどうだ?」と言われたような感覚だけがあった。
4時台に入るとちらほらと客足が増えてくる。
前日に朝食の味噌汁に使う出汁の素を買い忘れたと思しき、まだ眠そうな主婦や、深夜の工事作業の現場で交通整理をしていたような、青っぽいブルゾンの上に蛍光ベストを着たおじさん。
そういった、これから今日を迎える人たちと、ようやく昨日を終える人たちが、同じスーパーの中で買い回り、やがて俺のいるレジに来る。
店内が賑わってきた頃には、インカムから聞こえた声のことなんて、俺は忘れていた。
6時頃、店内の賑わいが一段落着き、息をついていた時になって、店長の車が駐車場の入り口に入ってきた。
やっぱり、あのインカムは店長じゃなかったんだ。
それが確認できた瞬間、夜中の不安が一気に蘇ってきた。
「お疲れ様。そろそろ交代だな」
店長が軽く手を上げながら声を掛けてくる。あのインカムの声よりも、少し高い声色。
「あの、店長。
夜中に店見に来てないですよね?」
店長は困ったような顔をしてから、納得したように吹き出した。
「もしかして、インカムに指示されたか?」
「え?」
「休憩室に行ったら分かると思うぞ。今日はもう上がれ」
店長は思わせぶりに答えて、俺に上がるように促した。
「……お疲れ様でした」
「うん。お疲れ。気をつけて帰れよ」
その言葉に見送られながら、休憩室に戻る。
身構えて入った休憩室には、いつもの警備員のおじさんしかいなかった。
「お疲れ。今日はもう上がり?」
人懐っこい笑顔を見て、俺は緊張が解れるのを感じた。
「はい。今日は何だか疲れました」
「だろうなあ。
ずっと心配そうな顔でキョロキョロ見回してたもんな」
「え?」
「ほら、コーヒー。
疲れた時は甘いやつが良いだろ?」
そう言って渡されたのは、カフェオーレだった。
俺がインカムの指示で品出しした商品。
一気に力が抜けた気がした。
「いやあ、暇な時はインカムで遊んでも良いって店長に言われてな。
君は反応が面白い割に素直だったから、なんか罪悪感あるわ」
おじさんは、愉快そうに笑っていた。
「勘弁してくださいよ」
そう言いながら飲んだカフェオーレは、妙に甘く感じた。




