31.引き戻す闇
「戻ってこい」
柔らかいローブと、その奥から伝わる温かい体温。
「ノ……マオ、せんせ」
「ノワでいい」
強く、抱きしめられる。
揺らぐ私の存在を、その手で留めるように。
「今の俺は――
お前の兄だ」
そのまま、優しく頭を撫でられる。
「……だめ、だよ」
(私に触れたら、この光で)
「私のせいで、……傷ついちゃう」
これ以上、大切な人を危険に晒すわけにはいかない。
「……リーナ」
「大丈夫、だから」
カツッ
ノワを手で押すようにして、そっと一歩離れる。
(……ああ)
その手もやはり、透け始めていて。
カツッ、カツッ
硬い地面を、ゆっくりと後ろに下がっていく。
「そんなの、あんまりですわ!」
目に入ったのは、何かに耐える表情のフェリス。
(……泣いてるの?)
私のせいだ。
「フェリス。
……ごめん」
そして。
「……ありがとう」
「っリーナさん、わたくしは――」
視界が霞む。
見えない壁に隔てられているかのように、フェリスの輪郭が歪んで見えた。
(あとは――)
少し遠くに目をやって、なるべく明るく言う。
「カイル、ありがと。
……かっこよかったよ」
「……おい半魔、お前っ!!」
「相変わらず腹は立つけどね、その態度」
「っ」
ふふ、と笑ってみる。
いつもなら生意気に言い返してくるはずのカイルは、横を向いて唇を噛んでいた。
(それと――)
少し、目線を下にやる。
(……アリス)
カイルの治療の光に包まれ、横たわるアリス。
(なんで退学しようとしたのか……聞けないままだったな)
未練、というやつだろう。
「ああ、困ったな」
(……そんなの、まだまだ沢山あるのに)
思い返せば、今世では本当に――多くの人に、出会った。
「ふふっ。
……懐かしい」
その、全ての始まりにいたのは。
(……一番の、未練)
トスッ
背中が、壁についた。
ガラッ
横を見れば、壊れた石像の姿。
(……ここなら、大丈夫かな)
遠くの彼の、その名を呼ぶ。
「――ノワ」
(……私の人生を、変えてくれて)
前世に、未練なんて無かった。
(守られた経験も――守りたいと思うものも、なかったから)
けれど――そんな私に。
「……ありがとう」
(何も、返せなかったけど)
涙を、溢れる未練を断ち切るようにして呼びかける。
「幸せだったよ。
――お兄ちゃん」
最後まで、笑って言えただろうか。
ピチャリ
涙が、一粒落ちた。
ブワッ
光が強まる。
(……ああ)
身体が、ほどけていく。
(……もう、いいか)
痛みも、苦しさも――消えていく。
その時。
「――リーナ」
強く、腕を掴まれた。
「……勝手に終わるな」
引き寄せられる。
消えかけていた輪郭が、無理やり引き戻される感覚。
「お前は――
ここにいろ」
私の光が、闇に呑まれていく。
(……何も、見えない)
怖い。……はずなのに。
不思議と、心地よかった。
「……女神」
コツ、コツ
私の方に向かって歩み寄るのは――魔王。
「こいつは、俺のものだ」
――だから。
私の額に、ノワの指が伸びる。
パチンッ!
(……あ)
戻らなきゃ、じゃない。
(ここに、いたい)
思いに答えるように、何かが私の光を――中へ中へと、押し戻していく。
その強大な力の主は、もちろん。
「奪いたくば、この俺を。
……魔王ノワを――滅ぼしてみよ」
その不敵な笑みを最後に。
(……)
意識が、途切れた。
『クスクスクス』
遠くから、笑い声が聞こえる。
(……ここは)
下を見れば、ボロボロのローファーを履いた私の足。
『ねえ、あいつ孤児なんだって。
生まれてすぐ捨てられたらしーよ』
『え、うけるんですけど。
あんまりガッコ来ないし、ずっと同じの使ってるし』
かわいそー、カケオチ?でもしたカンジなのかな?
『おいおい、そんなに言うなよ』
「ボロ雑巾」泣いちゃうだろ。
夕焼けの光が差し込む教室に、笑い声が響く。
(懐かしい場所。
……私にとっての——地獄)
そっと席を立つ。
キュッ
小さな机が、小さく——悲鳴のように、軋んだ。
『こんな場所——』
コツ、コツ
迷いなく、扉の方へ歩んでいく。
ガラッ
『……もう、いらない』
光に包まれる寸前、ふと思い出す。
(——そういえば)
唯一、この世界にも——不思議と、私に普通に接してくれた人がいた。
『……ん!!』
誰だっけなー?なんて思えど、10年以上前のことなど思い出せようはずがなく。
『……さん』
ああ、そうそう。そういえばこんな声だった気がする。
気の弱そうな、けれど温かい声で——唯一、私の名前を呼んでくれた。
『……なさん。
理奈さん——』
(……誰?)
その声に、手を伸ばそうとして——
「リーナ」
低い声が、重なった。
ぼんやりした意識の中、薄目を開けるとそこには。
「……ノワ?」
下には、ふかふかのベッド。
周囲を見渡せば、見慣れた私の部屋。
(戻ってきたのか)
魔王城に、私の——居場所に。
「っリーナ」
ガバッ!
突然ノワが、私を強く抱きしめた。
「うお!?ど、どうしたの!?」
(い、息出来ない……!!)
むぐぐぐぐ……
必死にもがき、ひょっこりノワの肩から頭を出すと。
「……っリーナ……
——良かった」
布団に顔を埋めたまま、ノワが言う。
(心配、してくれたんだ)
じんわり、胸のあたりが暖かくなる。
「……ごめん」
そして。
「助けに来てくれて、ありがとう。
——嬉しかったよ」
言葉にすると、なんだか少し——恥ずかしい。
「……当たり前だろう」
ふ、とノワが息を吐く。
張り詰めていたものが、一気に解けた。
「リーナ。
お前は、俺の妹だ」
どこにいようと――必ず。
「助けに、行こう」
そう言って、慎重に身体を起こす。
彼の身長では、低いベッドの天井部分に簡単に頭がついてしまうのだろう。
(――そういえば)
「ノワ、ちょっと聞いてもいい?」
「なんだ?どこか欲しい国があるなら遠慮なく――」
「いや、そういうわけじゃなくてですね」
(どうして国という発想になるんだ……)
魔王の感覚に軽く引きつつ、私は尋ねる。
「この部屋……」
ネロの作った、偽物の魔王城。
(いや、正しくは――時を止めた城)
そこと、全く同じ内装をしている部屋。
(でも……あのお城で見つけた地下に繋がる階段、なかったな)
あの後いくら探そうとも、石像まではたどり着けなかった。
「先代の――魔王フォンセの時代から、あるんだよね?」
「――ああ。その通りだ」
頷いて、近くに置かれた木の机を撫でる。
ふと何かに気づいたように、目線が止まったのは。
「……懐かしいな、まだ残っていたのか」
柔らかい布で覆われた、4つの角。
まるで小さな子が、そこで頭をぶつけないよう守るかのごとく。
「これも、あいつが――フォンセが、つけたのだったか」
――不器用なくせに、やけに楽しそうだった。
「フォンセがつけた?
って、もしかしてここ――」
「ああ。
俺の部屋だ、ずっと昔のな」
(そうだったのか……!)
身長低めの私でも十分使えるほど、なんだか小さめな内装。
幼いノワ用に整えられていたのなら、それも納得である。
(ノワのちっちゃいころか。
どんな感じ――)
「それで。
なぜ、そのことを知っている?」
ぐい、と顔が近づいてくる。
「……よ」
「よ?」
(妖精さんに……じゃダメだよな)
慌てて、言い直す。
「読んだ!なんかあの書庫で!」
「読んだ……?
書庫にお前が行くところなど、見たことがないのだが」
「あ、あはは……稀には気分転換みたいな」
疑いの眼差し。数秒の沈黙の後、ノワが小さくため息を付く。
「わかった、そういうことにしておこう。
……今は、休養が最優先だからな」
「よ、良かった……!」
安心していると、思い出したようにノワが続ける。
「それと、リーナ。
光の精霊術の使用は、今後一切禁止だ」
「ん、んえ……!?」
(なんで……!?)
驚いて顎を外しかける私に、信じられないと言った顔を向けるノワ。
「まさかお前、気づいていないのか?」
「え、ななな何に……!?」
(まさか、ノワのケーキ勝手に食べたのバレた……!?)
ドキドキしていると、呆れたような声。
「今回のこと、その原因が光の精霊術だからだ」
「ふぇ?今回のことって……」
これ?と、包帯の巻かれた自分を指差す。
「そうだ。
いいか、魔族にとっての弱点……それこそが、光の精霊術だ」
「それは、知ってるけど」
(だからこそ、フェリスは私を避けたんだよね)
妖精さんも言っていたし、今更何をとか考えていると。
「忘れたのか?
……お前も、半魔だろう」
「忘れてるわけないじゃん―!
私、魔族だからここに――」
(……あ)
どっと、滝汗。
「光の精霊術って」
(まさか、私にも……影響する?)
恐る恐る見上げると、ノワは小さく頷く。
「……そういうことだ。
使いすぎれば、お前の存在が危うくなる」
その言葉を聞いて、私の胸にじわじわと恐怖が湧き上がってくる。
(……あの時)
自分の身体が、解けていく感覚がした。
「……本当に、危なかったんだ」
小さく呟く。
(もし、ノワに引き止められてなかったら今頃私は――)
顔を青くする私に、ノワは安心させるように言う。
「しばらくは、ゆっくり休んでいろ。
……武闘大会も、欠席の旨を伝えておく」
(武闘、大会……!!)
勢い良く起き上がる。
「……どうした?安静にしていろと」
「……っ」
布団の端を、両手で握りしめる。
(精霊術も使えないんなら、私は……
なんの役にも、立てない)
そんなのは――
「嫌だ」
「……リーナ?」
「ノワ」
出ろと言ったのは彼だ。
(何か、考えがある。
……役に立てるはず)
「……お願い。
武闘大会に、出たい」
「なっ……!」
何かを言いかけるノワ。それを遮って、言葉を紡ぐ。
「心配させたのはわかってる。また、迷惑かけるかもしれない」
(……それは、当然嫌なんだけど)
役に立ちたい。
「――それに」
ぎゅ、っと拳を握りしめる。
「友達に、会いたい」
(……まだ、返せてないから)
フェリスに、カイルに。
アリスにも。……伝えたいことは、たくさんある。
「……ダメだ」
「ノワ」
「なんて言ったところで、お前は聞くまい。
……この魔王城から抜け出してでも、行きそうな気がするからな」
微笑んで、ノワは私の手をそっと握る。
「……わかった。
出場を、許可しよう」
「やった……!」
「安全のため、俺も共に学園に向かう。
……さて、そうと決まれば早速準備だな」
ガバッ!
布団が引っ剥がされた。
「……え?早くない?」
「何を言っている?遅すぎるくらいだ」
テキパキ、荷物をまとめ始めるノワ。
「で、でも武闘大会ってまだ時間あるんじゃ」
「ああ、そういうことか。
……お前、7日7晩寝続けていたぞ」
「へ?」
(……え?そんなに?)
よく目を凝らしてみれば——
ノワの目の下に、うっすらと影があった。
(……まさか)
「ま、まさか寝ずに私のこと見ててくれたの!?」
「……さあ、それはどうだろうな」
顔をそらすノワ。その反応が、何よりもの証拠だろう。
(それは本当に……申し訳ない!!)
土下座でもしようか、と思っていると。
「問題は、そこではない」
パチンッ
荷物を詰め終えたのか、カバンが閉じられた。
「いいか、リーナ。寝ていたお前にはわからないだろうが……
武闘大会は――明日だ」




