24.獅子の咆哮
「……『咆哮』」
震える声で告げられた、その獅子の名。
「なぜここに、封印されているはずでは!」
「グルルルル……」
小さく喉を鳴らしながら、それはゆっくりと近づいてくる。
間近に迫る牙。そこから垂れた一滴の唾液が、私の足に落ちる。
(ひっ……!)
その生暖かさに我に返り、壁際まで張って逃げる私。
「ア、アリス……
こういう時、どうすれば……?」
ジリジリと距離を詰めてくる獅子を前に、私は声を絞り出す。
「ど、どうって」
「ル、ルディキウス……って、いうんでしょこいつ!
知ってるんなら何か弱点とか……!そしたら、倒せるかもしれない!」
(お願い、何かあって……!)
しかしそんな祈りも虚しく、アリスも目に涙を浮かべて弱々しい声で答えた。
「……リーナ。
その獅子の目に、何が見えますか」
「何、って……」
(目に、何か弱点があるとか!?)
恐怖からの震えを必死に押さえ、獅子の目を凝視すると――
「……グルル」
「なに、これ」
(何枚も、花びらが重なったような)
見覚えのある文様。フォルテ王国にて、何度も何度も目にしたその。
「薔薇……?
こ、これが弱点なの!?」
手探りでバッグから短剣を取り出し、獅子に向ける。
(……やられる前に、やる。一撃で仕留め――)
「駄目です、リーナ!!
……それ以上、刺激してはいけない!」
アリスから、思わぬストップ。
「なんで!?だって、ここが弱点なんじゃ。倒せば問題な――」
「違うのです、リーナ。
それは……その印は。『咆哮』というのは、魔獣ではない」
ボロボロとこぼれる涙。
「神話の時代に生まれた、女神の使いが一柱。
私達には、決して――倒せないのです」
「倒せないって、なんで……!!」
カッ、カッ……
獅子の爪が、静かに地面を交互に突く。
「い、嫌だ……」
金の目は、もうすぐそこまで。
「来ないで、来ないでよ……!」
(なんで、なんで私なの)
精一杯下がろうとするも、背中に感じるのは……冷たい、石の壁。
ズズッ……
ピチャッ
首筋に、生暖かいものがつたり落ち――
ゆっくりと、口が開いてゆく。
(やめて、やめ――)
「ガァ゙ッ゙ッッッ!!!!」
「いやぁぁぁぁぁーーーーーーーー!!!!!!!」
ガキッ
「っ……!!!!」
ギギッ、ギギギッッ………
「ガルル……!!」
恐怖で目を閉じた私に、されどその牙は刺さらない。
代わりに聞こえてくるのは、牙と硬い物が噛み合うような金属音と、そして――
「フェリス……!?」
「っ……こいつ、つよ、い……ですわ」
ギギ……ギギギギ……
私の前で、獅子の牙を両手で持った斧で受け止めるフェリス。
「……リーナさん。
ごめんなさい、ですわ」
彼女の頬を伝う、汗……いや。
一筋の、涙。
「フェリス、斧が曲がってっ……!!
逃げて、私はいいから……助けをっ!」
「わたくしの、せいですの。
……でも」
ピキッ
木製の斧の柄に、ヒビが入る。
「ガルル……グルッ!!」
ピキピキッ
「でも……いえ、だから。
わたくしは!!」
バキッ!
斧が、折れる。
「グルァァァ!!!!」
自由になった牙を見せつけ、再び吠える獅子。
(ああ。
……私のために、フェリスまで)
宙を舞う柄の残骸と、尖った金属部分。
「あなたを、戦士として。
守る義務が、あるのですわ!!」
ガッ!
突然、その金属を――フェリスの手が、掴んだ。
ザクッ
「フェリスっ……!?」
あっという間にその綺麗な肌に、赤い線が走る。
「くっ……これしきっ!」
溢れ出る血。彼女の白髪に、赤が飛び散る。
「ガルルル――」
「うおりゃぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
その手の刃を、全力で獅子に振り下ろす。
ザシュッ
「か、たい……ですわねっ!!」
一瞬、その金属は皮膚に食い込む。
「グル……」
怯んだように、少し後退する獅子。しかしすぐに――
カーンッ!
「まずい、斧が割れてっ……!!」
「十分ですわ!!」
フェリスの声と同時に、私の全身が持ち上げられる。
「今のうちに、逃げますわよ!!!」
「ち、ちょっと……!?」
状況が飲み込めていない私を持ち、全力で出口へ走るフェリス。
「アリスさん、足止めをお願いしますわ!」
「足止めって、だからあれは私達では絶対に倒せない化け物――」
「死にたいですの!?」
諦めたように座り込むアリスに、フェリスは珍しく大声で怒鳴る。
「女神だかなんだか知りませんけれど、あれだって生き物ですわ!所詮畜生ですのよ!」
「畜生って……!!倒せなかったから、これまで封印されていたのですよ!?
私達ごときが」
「御覧なさい、血が出てますわ!!!」
叫ぶフェリスの目線を追えば、確かに先ほど彼女がつけた傷から血がにじみ出ている。
「グルルル……」
先程の警戒しているのか、当の獅子はそれ以上距離を詰めては来ない。
「生き物なら、全員倒せますのよ!」
「んな、暴論……!」
「早くするですわ!
……時間が、ありませんの!!」
突然、私の全身がグラッと揺れる。
「……!
フェリス、その足!」
見ると、私を支えているフェリスの足に……えぐられたような、深い傷。
「先程、逃げる時に牙にかすっただけですわ。大丈夫、あなたが走るよりは早いですの。
……でも、長くは持ちませんわ」
少し苦しそうに息をしながら、フェリスはアリスの方を向く。
「……アリスさん」
その背後では、獅子が徐々に彼女に向かって歩み始めている。
「一緒に。
生きて、ここを出ますわよ」
その言葉を聞き、アリスの瞳が揺れる。
そして――
「ガァッッッッッッ!!!!」
「アリス!!!!後ろ!!」
「アリスさん!!」
再び獅子の、獰猛な牙が……彼女に向けて、閉じられる。
(まずい、この距離だと魔法も間に合わな――)
「『氷の檻』」
カキンッ!!
静かに唱えるアリス。
「ガル……?」
突然自身の周囲に展開された鋭い檻。戸惑ったような様子で、獅子が動きを止める。
「今のうち、ですね!!」
その隙にアリスは走り出し、あっという間に私達の側へ。
「アリス、すごい……!」
「なんですの、心配する必要なかったじゃありませんの!」
「……いえ、フェリスさんの攻撃を押し返すほどの力です。
私の魔法など、気休めにしか――」
ガンッ、ガンッ
言い終わらないうちに、獅子が檻に体当たりし始める。
少しずつ、崩壊を始める檻。
「……やはり、流石は女神の使いですね。魔法への耐性が高すぎます……!
今のうちに、逃げましょう!」
「そうだね、……フェリス、私一人で走れるから、無理しないで――」
「何言ってますの、これしきの怪我ではあなたごときには負けませ……」
(……フェリス?)
突然、目を見開いて硬直するフェリス。
「フェリスさん、何か」
「……ごめんなさい、ですわ。
少しだけ、無理……しましたの」
ドサッ
「フェリス、フェリス!?」
突然、その場に倒れ込むフェリス。
「なんで、いきなり――」
「リ、リーナ!!これを……!」
焦ったようなアリスの声。見ると――
「何、それ……!?」
(傷口が、変色してる……!)
明らかに、異常な色。
「……ゆだん、しまし……たわ」
意識が朦朧としているのか、呂律のはっきりしない彼女の声。
じわり、じわりと白い肌が紫色の斑紋に覆われていく。
「きを、つけて、です……の」
バキッッ
檻は、もう倒壊寸前。
「ガルルル……」
ひび割れた氷の向こうで、金色の瞳が――こちらを捉えた。
「っ……!」
かすれた声が、苦しげに続ける。
「……その、牙。
毒……ですの」




