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18.白き落星

――おぎゃあ、おぎゃあ!


『……ふふっ。

元気な子ね』


 よしよし、と私を撫でる暖かい手。


 繊細で細いその指は、けれど私に静かな安心を与える。


『……ごめんなさい』


 ぽたり、と。


 私の頬に、なにかが落ちる。


(――)


 そっと目を開ける。


 初めての色、初めての光――初めての世界。


サラッ


 美しい金の髪が、私の顔にかかる。


 ぽたり、と落ちるそれが――その虹の瞳から溢れるものだと気づいた途端に。


ボウッ!!!


 隙間から見えるのは、真っ赤な炎。


 全てを破壊し尽くすように燃え盛るそれは、彼女のすぐ背後まで迫っていた。


『……泣いて良いのよ。

この世界で、あなただけは』


 恐ろしくて動けないでいると、ふわりと微笑んで彼女は言う。


ガラガラガラッ!


 なにかが崩れ落ちるような音。


 耳を澄ませば――かすかに聞こえてくるのは。


――許さない

――騙したな


『……っ』


 同時に、彼女は痛みに耐えるように顔を歪める。


『ごめんなさ――』

『おぎゃあ、おぎゃあ!!』


 遮られる言葉。


 驚いたように、長い睫毛をまたたかせて。


『……ふふっ、まるで言葉が分かっているみたい。

……ね、』


――あなた


『――ああ』


 低い声。


トンッ


 揺り篭の端にかけられる、大きな手。


 私を覗き込む顔。


 黒い髪、赤い瞳――どこか悲しげな笑顔。


『すまない。

……僕の力は、もうほとんど残っていない』


 端を力強く握るその手は、かすかに震えていた。


『――セレネ』


 何かを決意したようなその声は、苦渋の色が濃く見える。


 励ますようにそっと微笑み、彼女は優しく答える。


『わかっているわよ。

……滅び行く国に、この子を置いては行けないわ』


 そっと、その手が離れていく。


『おぎゃあ、おぎゃあ!!』


 行かないで、と。


 私は、そう言いたかったのだろうか。


 けれど彼女は、両手で揺り篭ごと私を持ち上げ――


『忘れないで』


 力強く、告げるのだ。


『あなたは、私たちの希望。

……クローリナを継ぐ、もう一つの光』


 そして、ふっと微笑んでから。


『――女神の名において導く。

汝が魂を、楽園へと託さん』


――『導月ルナ


パァァッ!


 金色の光が、私を包み込む。


 ゆっくりと、揺り篭から手が離れていき――


『さあ、あなた。

――始めましょう』


 消えゆく視界の中、互いに見つめ合う二人。


 そっと手を取り合って――彼は苦しげにうめく。


『……僕は。

みんなを、守りたかった』


――『楽園』を、作りたかったのに


 後悔と、自責の念に駆られたその声。


『何も。

何一つ、成し得な――』

『それは違うわ』


 ぎゅ、と。


 握る手に、力がこもる。


『あの子が。

――ノワが、いるじゃない』


 笑って、その赤い瞳を見つめる。


『大丈夫。

あの子ならきっと、あなたの思いを継いでくれるわ』


――それに


 微笑んで見つめるのは、光に包まれた私の姿。


『きっとこの子も。

何年後、何十年後……いいえ、何百年後かもしれないけれど』


 こぼれ落ちる光が、虹の瞳に反射する。


『必ず。

この世界に、戻ってくる』


ドンッ!!!


 大きな音とともに、彼らの背後の壁が崩壊する。


 吹き荒れる嵐と炎に、その金の髪が揺れて――


『……だから』


 静かな、けれど固い決意の籠もった瞳。


 見返す彼の赤い瞳にも、美しい炎が宿っている。


この子達(ふたり)が笑って過ごせる、その日まで』


 怨嗟と悲憤の叫びは、もうすぐそこまで迫っている。


『私達が。



――この世界を、守る』


ゴウッ!!!!


 固く握られた手。


 突風が吹き荒れる中、彼女は謳う。


『魔の侵略より、この地を守らしめん』


――あなた


 見上げた先の彼もまた、ゆっくりと頷いて。


『光の侵略より、この地を守らしめん』


ゴーン、ゴーン


 遠くで、重苦しい鐘の音が鳴り響く。


『……これが。

私達の、最後の力よ』


 金に輝く丸い月と、燃え盛る真っ赤な太陽。


 かつて一度、それは地上と天上とに分かたれた。


『創世二神の名のもとに命ずる。

戦火を留め、争いを封じ、世界に安寧をもたらさん』



 す、と息を吐いて。


 二神ふたりは、最後の痕跡を残す。


『『我が命脈に代えて世界を分かて。


――ムールス』』


ピカッ!!!!


 激しい光が、二神の間を割くようにして伸びる。


ドドドッ――


 まるでそこに――見えない『壁』が築かれたかのように。


『――あなた』

『ああ。

……世話になったね、セレネ』


 彼らの輪郭もまた、その中に取り込まれるようにして。


『……ふふっ』


 急速に遠ざかる声が、祈るように告げる。


『頼んだわよ。

あなたの――』


――兄を


 そのいたずらっぽいウインクを最後に。


 私の意識もまた、激しい光にさらわれて――


「……ま」


(――っ)


 気づけば、瞼の裏から見える薄ぼんやりとした光。


 それは、先程まで見ていたものとは少し違っていて。


(……何を)


 私は一体、何を見ていたのだろう。


「――様」


(誰か、呼んでる)


ポタッ


 頬を伝い落ちる、熱いなにか。


(……そうだ。

私、魔王城の地下で刺されて――)


 ならばこの温かさは、何なのだろう。


(そっか。

……そういうことか)


 だって、そうだ。


 その証拠に――


「お嬢様。

もうとっくに、日は落ちておりますよ」


 少し怒ったような、けれど優しい声。


(……良かった)


――やっぱり


(全部、夢だったんだ)


 悪い夢。起こるはずがない、悪夢。


「……んー」


 少し伸びをして、薄目を開ける。


「……ハク」

「おはようございます、お嬢様」


 目に飛び込んでくるのは、安心したような微笑み。


 ふっと彼が力を抜けば、私を包んでいた光は消えていく。


「――ふふっ。

流石はフォンセ様の魔法、効き目は折り紙付きですね」


コツッ、コツッ


(――ハク?)


 何故か、私から遠ざかっていく彼。


 焦って立ち上がろうとすると――


フカッ


 覚えのない感触。


(……何、これ)


 知らないソファ。真っ黒な色の、古びた装飾。


(――ここ。

私の部屋じゃ、ない)

 

「……ふふっ」


 壁に背中を付け、ゆっくりと目を閉じる彼。


「――ハク?

なんで、その手――」


 何かを隠すように脇腹を押さえる、白い手。


――ポタッ


 その隙間から落ちるのは、真っ赤な液体。


「……っハク?

何が、どうなって――」


 彼の方に、必死に行こうとして。


ガキッ!!


 私の足を捉える、透明な氷。


 焦って周囲を見渡せば――真っ黒な空間に、ぼんやりと光る柱たち。


(なんで、どうして)


――夢じゃ、ない


「……私、なんで生きて――」

「お嬢様」


 普段はつけているはずの手袋が、どこにも見当たらない。


 先程の光を思い出し、そして彼の様子を見て――全てを理解する。


「いやだ。

……いやだよ、ハク。いやだよ!!」

 

 落ちる赤を見て、私の視界も滲んでいく。


 困ったように微笑む彼。その口元から垂れる、一滴の血。


「……思えば。

私に初めて『名』を与えてくださったのは、お嬢様でしたね」


ズルッ


 力なく、壁伝いに崩れ落ちる。


「待って!!

そんなの、嫌だ!!私は認めない!!」

「……お嬢様。

最後に、一つお願いがございます」


 きらり、と。


 閉じた瞼からこぼれ落ちる、輝くなにか。


「私を。


五席でもない、白の当主でもない、氷の王でもない――」


――ただの、執事として


 その口元が、柔らかく微笑む。


 氷が溶ける前の一瞬の静寂は、私に叫ぶことを許さない。


「……っ」


 手を握りしめる。


 強く強く、その指が白くなるまで握って――


「――うん」


 まっすぐに、彼の瞳を見つめて。


 初めて塔で出会った日のこと、抜けかけた床を一緒に修理したこと。


 抜け出そうとして壁をよじ登って、落ちた私を呆れつつも受け止めてくれたこと。


 私に、初めて外の世界を見せてくれたこと。


 そして――私に『家族』をくれたこと。


「……全部、あなたのおかげ」


 ふ、と息を吐いて。


 私はちゃんと――笑えていただろうか。


「……ありがとう。


――ハク」


 夜空の星が、一つ落ちる。


 白く輝くそれは、最後まで人々を導き続けて。


「――ええ」


 真っ白な息が、空中に解けていく。


パリンッ


 私の足元の氷が、ゆっくりと割れていき――


「……あのバカを、頼みましたよ。


――お嬢様」


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