16.白の当主
「――白の、後継者」
差し出された手袋を見つめ、困惑するブランシェ。
「……失礼ですが。
正気ですか?」
「僕が狂っているように見えるのかい?」
「ええ、どこからどう見てもまともな魔王がすることとは思えません」
(白の後継者、いずれは白の当主となる存在。
魔王――黒の当主と並ぶ権力を持つ、その座を)
「あなたの敵である、この私に」
『月桂冠』。
魔王の打倒を掲げ、王の軍に幾度となく壊滅的な被害を与えてきた集団だ。
(その幹部ともあろう私を――)
なぜ、という彼の疑問を汲み取ったかのように、フォンセは剣を収めながら語りかける。
「ブランシェ、君は強い。
僕の配下全員でかかっても、君に勝てるかは怪しいだろう」
「ですが。
危険過ぎる、とはお思いにならないのですか」
(現に私は今、あなたを殺しに――)
そう思いかけて。
「ははっ、はははっ……!
まあ、それはそうだけど……っはは!」
目に涙を浮かべ、笑い転げる魔王。
「やはり、まともには見えませんが」
「っはは、ごめん……ちょっと、ははっ……!!」
(何なのだ、この魔王は)
そっと距離を取ろうとする彼の様子を見て、魔王は慌てたように居住まいを正し――
「ゴホンっ!
その『危険』も含めてだよ、ブランシェ」
「……それは、どういう――」
「良く考えてみなさい」
急に真剣な表情になり、ブランシェをまっすぐに見つめる。
(――美しい)
思わず赤い光に魅入られていると、そのままフォンセは。
「僕が負けるなんて、ありえないだろう」
極めて真面目な表情で、そう言い切った。
「……は?」
「いや、だから。
魔王が倒されたら、次の魔王を選ぶために後継者同士が戦うわけだ」
「ええ、そう聞いておりますが」
「僕が負けることはありえない。
つまり――後継者が必要になることも、ありえない」
はははっ、と愉快そうに笑うフォンセ。
「……では。
なぜそもそも、その後継者制度は存在するのですか」
(その制度を作った魔王は、ここまで強くはなかったということでしょうか。
この男以外の魔王など、聞いたこともありませんが)
投げやりに、そう問いかけてから。
「――それは」
その笑顔に、かすかな影が落ちる。
「……僕だけでは。
『理想』を――創ることが、できなかったから」
ぽつり、と呟く。
「人と魔族は、誕生からずっと争い続けている。
……多くの民が、犠牲になっている」
――それなのに
「僕は。
この魔国一つすら、まとめることができていない」
剣の柄を握る手が、かすかに震える。
「ブランシェ。
僕はね、『平和』が好きだ」
「――『平和』ですか」
殺すことで生きてきた彼には、馴染みのない言葉。
かつて、それを夢見たこともあったけれど――
生きるか死ぬかの冷たい戦場をかけるうちに、その温かさなど忘れてしまった。
(……所詮。
この世界では成し得ない――)
――『理想』
そう、信じて来たのに。
「ああ、そうだよ。
そのためなら、僕は命をかけてもいい」
真っ直ぐな赤い瞳を見つめるうちに。
(……ああ、もしかしたら)
――この人なら
そう思ってしまうのは、どうしてだろう。
ただただ見つめ返すしかできないブランシェに、魔王は少し俯いて続ける。
「……だけどね。
僕だけでは、道を踏み外してしまうかもしれない」
その手に宿る炎を、静かに見つめる。
「その時に。
この国は、世界は――必ず滅びる」
(――何を言っている)
思わず眉をひそめる。
その言葉は傲慢ですらあった。
まるで、自らが世界を背負っているかのような。
「……恐ろしいんだ」
炎を握り潰すフォンセ。
消えたはずの赤い光は、けれど彼の手の中で小さくくすぶり続ける。
「……だから、必要なんだよ。
僕を止められるような、才能と強い意志と――謀略を兼ね備えた」
ピチャッ
水たまりの中を、そっと歩み寄って。
「――『白がね」
開かれた手にあるのは、純白の手袋。
不思議とそれは、ブランシェの手の大きさとぴったりで。
(私と初めて出会った、その時から)
まるで、今日この日を予感していたかのような。
「……全く。
本当に、黒は謀略が苦手なのですか?」
呆れたように笑う彼の声には、けれど確かに楽しむような響きが隠れていた。
「まあ、僕は完璧だからね。
厳密に言うなら、白でも黒でもないさ。だって――」
――魔王だし
飄々とした様子の彼は、しかしブランシェの前から動こうとはしない。
(返答するまで帰さない、ということですか)
いや、あるいは――
「もしこの誘いを断った場合。
私は、どうなりますか」
「えっ、断っちゃうの!?」
さめざめ、ローブの袖でわざとらしく目元を押さえるフォンセ。
(……面倒な)
ため息をつきつつも、その背中をさすってやるブランシェ。
しばらくその茶番を続けるうち、魔王は機嫌を直したらしい。
「断ったら、か。
そうだね、んー……」
ボウッ!!
彼の背中から、一対の巨大な翼が現れる。
真っ赤に燃え上がるそれは、けれど一方で鳥のように繊細に文様を描いていて。
「6つの光が夜空から消えるのと。
――7つが消えるのも、大差はないだろう」
ジュッ
「……っ!」
(防御魔法が、焼き切れた……!?)
衣服が焼け露わになった自身の腕に、思わず目を見開く。
ひとしきり無表情でそれを見つめた後に、ふいにフォンセは息を吐いて。
「……だけど。
君はきっと、断らないはずだよ」
ふ、と空気が緩む。
「だって――
君が一番、僕の『理想』を理解してくれるはずだから」
その言葉に、ブランシェの脳裏に鮮やかな光景が浮かぶ。
舞い散る花、美しくたなびく雲、野原の鮮明な緑――
目を細める彼に向け、魔王はそっと手を差し出す。
「ブランシェ。
もう一度聞く」
――白の後継者に、なってくれないか
乞うような響きすらあるその言葉に、不思議な感情が湧きおこる。
(……理解できない)
魔王なのに。
誰より強いくせに。
なぜこの男は、自らを止める者を求めるのだろう。
(だが)
その理想の行く末だけは――
「……ふふっ」
何かが吹っ切れた気がした。
微笑みと共に立ち上がり、差し出された手を見つめる。
「私は。
戦いで相手を下す方法しか、知りません」
キンッ!
その手に現れるのは――一振りの剣。
「……そうか」
それを見たフォンセは、少し悔しそうに顔を歪める。
「それが、君の答え――」
「だから」
輝く刀身に映るのは、『氷王』の残忍な笑み。
「魔王フォンセ。
私を――」
――下してみせなさい
一瞬驚いたように、目を瞬かせて。
「――ははっ。
そうか、それなら」
ボウッ!!!
燃え上がる炎が、氷に迫る。
「かかってきなさい、ブランシェ。
僕の『獄炎』が――」
――君の氷を、溶かし尽くすだろう




