9.あの日の誓い
「……魔人の気配。
始まりましたか」
空中を伝わる魔力反応を感じ取り、彼は呟く。
軽く目をやった先には、小さく煙の上がる丘が。
「『月の丘』。
女神の名を冠するあの場所に、何故ノワは――」
ゴンッ!
言いさして、固いものが足にぶつかる音に言葉は途切れる。
「……ああ。
まだいたのですか」
不愉快そうに見下ろす先には――
ズリッ
ハクに向け、必死に手を伸ばす腕。
かすかに残った翼の残骸のようなものが、それが何者であったかを示している。
ズリッ、ズリッ……
地を引っ掻いて進むその爪は、挟まる土で真っ黒に染まっていて。
その上にあるはずの頭部も、その下にあるはずの胴体もない――バラバラの肉体。
フワッ
かすかに吹く生暖かい風の魔力に、ハクの髪が薄く揺れる。
「……醜い。
こうはなりたくないものですね」
心底不愉快そうに呟き、踵を返そうとするも。
ガッ!!!
その手が、ハクの足を捕らえる。
一向に離す様子のないそれを見て、ハクはしばし沈黙した後――
ザクッ!!!
ぴっ、と白い頬に赤い線が走る。
ボトッ
力なく地面に落ちるのは、その腕と――彼自身の足。
「――『氷』」
欠けた足を気にする素振りもなく、瞬時に詠唱。
キンッ!!
凍って動かなくなったそれを見て、少し微笑んで呟く。
「あんなものに触れて、手袋が汚れては困る」
そして、背後の魔王城に向かおうとして。
少しバランスを崩し、そこでようやく思い出したように――
「ああ、そうでしたね。
……これでは、職務に支障が出る」
次の瞬間。
トンッ
傷口はふさがり、つい数分前と同じように二本で立つ彼の姿が。
「さて。
こちらも動き出すとしましょう」
迷いのない足取り。
魔王城の中、深く――もっと深くまで歩く彼は、一つの扉の前で足を止める。
深い黒をたたえたそれは、ひさかたの日の出に喜ぶかのように――薄く光っていて。
(この扉を開けるのは、いつぶりでしょうか)
ノワによって封鎖されていたその場所――『玉座の間』。
はるか昔、ハクにとっては最も良く通った扉であったのに。
(……ああ)
「あの時から、ですか」
扉に指を当てると、その冷たさに記憶が呼び覚まされる感覚。
そう、最後にその扉をくぐったのは――
「忘れもしない、あの日。
大英雄がこの国に入った――惨劇の夜でした」
◇◇
『フォンセ様、お待ちを!』
『ん?
……ああ、ブランシェか。どうしたんだい、そんなに慌てて』
『光の精霊術の全貌も、未だ明らかになっていないというのに――
ノワ1人にかの勇者の相手を任せるのは、あまりに危険というものではありませんか!?』
着々と魔王のもとに迫る女神の使者――勇者。
(既に勇者は、その力――光の精霊術で、魔王軍の精鋭を打ち破ったとか。
このままでは、フォンセ様まで……!)
後にその国にて『大英雄』と呼ばれる彼が召喚されたのには、とある事情があったのだ。
『かの組織の一派が、なぜ突然に隣国――フォルテへ攻め込んだのかも調査中なのです!』
『月桂冠のことかい?
彼らの侵攻に焦ったフォルテは勇者を召喚したんだ。反魔王派としては満足の成果だろう』
『何を呑気なことを……!
とにかく、今すぐにでもノワを連れ戻すべきです!』
必死の形相で訴えるハクに対し、玉座に座る魔王は落ち着いて応える。
『大丈夫だよ。
あの子は強い、勇者なんかに負けはしないさ』
『フォンセ様、それが楽観的すぎると申し上げているのです!
彼を失えば、この国は未来の魔王を失う。それは――』
『ブランシェ。
君はどうなんだ?』
(……え?)
突然の問いに虚をつかれ、ただ呆然と魔王を見上げるハク。
『どう、とは。
それは一体、何をお尋ねに――』
『魔王だよ。
君は白の後継者だ。ノワとこの座をかけて争うことになる』
ぽんっ、とその玉座を叩くフォンセ。
『……しかし。
私では、ノワには勝てない。だから――』
『争わないつもりかい、ブランシェ』
静かな声。けれどその中の何かに圧倒され、身動きが取れない。
『……っ』
『白の氷王。
良く覚えておきなさい』
黒髪の奥の赤い瞳が、まっすぐにハクを射抜く。
『氷と炎。
どちらが優勢かは、わかりきっている』
――けれど。
『いや、だからこそ。
――君は、勝たなきゃいけないんだ』
『……それは』
どういうことか、と言いかけて。
赤い瞳に宿る深いなにかに、思わず言葉を失う。
『ノワは強い。
そして――優しい子だ』
ただただ、ハクはその言葉を聞き続ける。
『誰かを守るために、何かを焼いて。
いつしかその隣には、誰もいなくなるだろう』
ある者は恐れ、ある者は憎み、ある者は崇拝し。
けれど誰一人として、彼を対等に扱うものはいないのだ。
(……それは。
まるで――)
――神
伏せられたフォンセの横顔を、側の柱がぼんやりと照らす。
『……ブランシェ。
これは、僕からのお願いだ』
少し震える声には、確かに懇願の響きがあって。
知らない主の姿に、思わずハクは戸惑ってしまう。
『あの子に、挑み続けてほしい。
何百年、何千年。どうか、その炎が燃え続ける限り』
――そうでなければ。
『優しいあの子はきっと。
この世界を――滅ぼすだろう』
なぜ、と。
問いかけたいけれど、ハクにはどうしても――出来なくて。
『……フォンセ様』
しばしの沈黙の後、彼は跪いて答える。
『申し訳ありませんが。
その願いは、お受けできません』
『……そうか。
すまない、僕の勝手な思いを』
『なぜなら。
私が必ず、ノワを倒し――』
――魔王となるから
見上げた彼の目が、驚いたように見開かれてから。
『……ブランシェ』
――ありがとう
泣き出しそうなほどに、くしゃりと笑った。
『……ですが!
フォンセ様、そもそもあなたがお倒れにならなければ良いだけの話!』
ぎくり、とフォンセの目線が逸らされる。
『フォンセ様、私は今からノワのところへ向かいます!
万が一のことがあっては、我が軍にとって大きな損失に――』
『それは無理だよ、ブランシェ』
カッ
玉座から立ち上がり、魔王はハクの方へと向かう。
『これから君が向かうのは、その反対方向。
北のローレル領だ』
『ローレル領……!?
勇者から最も遠ざかってしまいます、どういうおつもりですか!?』
『……ブランシェ』
コツッ
細められた赤い光に、思わず身がすくむ。
『異論は認めない。
これは、魔王からの――』
――命令だ
(……結局。
ノワは負け、あなたは勇者に討たれた)
「そして私は――」
扉に手をかけ、自嘲気味に笑う。
(あの時、もっと強く申し上げていれば。
フォンセ様のおそばに、とどまっていれば)
溢れ出す思いに、静かに首を振って。
「いえ。
……今となっては、過去のことです」
トンッ
軽く触れれば、扉はゆっくりと開く。
「白の後継者、ブランシェ――ご命令に応じ参上しました」
黒い絨毯の先。
カーンッ
赤黒く染まった剣に手をかけ、その先に座す彼に向けて。
「今度こそ、お傍を離れません」
跪き、恭しく。
「我が魔王――」
――フォンセ様




