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5.深き闇から

「君もずっと――


待ってたんでしょ?」


 ネロの囁き。応えないハクは、無表情のまま棺に歩み寄る。


「……ハク!」


 手を伸ばそうとしても、足元の氷に阻まれる。


「――っ」

(つめ、たい)


 白い息が、震えとともに空気に溶けていく。


「……見事なものですね」


 棺の中に、そっと手を伸ばして。


 その表情に、かすかな懐かしさのようなものが漂う。


「あははっ、この僕の魔法さ。

あの時から――たとえ一秒たりとも、時は流れていない」


 嗤うネロは、右手を高く掲げる。


ドクンッ!


 かつて白翼の魔族のものだった心臓は、今やネロの手の中で所在なげに拍を刻んでいた。


「ネロ様、よろしいのですか。

月桂冠ローリエト』を敵に回すことになりますが」

「構わないよ、執事君。

あいつらには目的通り――魔王を倒してもらえばいいのさ」


 チクタク、と進む時計の針。


「そういう執事君こそ、どっちにつくんだい?」


 軽い調子の問いかけ。けれどハクの呼吸が少し――乱れる音がして。


「……私は」


 棺を見る。


 その指先が、わずかに震える。


「……」


 言葉は続かない。


 その様子には構わず、ネロは上機嫌で続ける。


「ま、いいよ。

これから起こることを見れば、君の心だって決まるんだからね」


 ネロの口元が歪む。


ドクンッ!


「あははっ!

活きが良いね、流石は龍の一族(ドラムス)と並ぶ古き魔族だ!」


 その心臓を力いっぱい握りしめ、そして――


グシャッ


 棺の中に、全身を使って押し込んだ。


(……何が、起きてるの)


 私からは、その中が見えないけれど。


「――知っているかい?」


ゴンッ!!


 棺の中で何かが暴れる。


「魔力だけじゃ駄目なんだ」


 ネロは笑う。


「姿も、声も、記憶も。

何もかも完璧だった」


パサッ


 棺から小さな花がこぼれ落ちる。


「それなのに」


 ネロは囁く。


「足りないんだよ」


――魂が


 声に応えるかのように、棺はますます揺れを増していき。


バキッ


 ついにその黒い隅から、小さくヒビが入っていく。


「だから。

――その力を、僕に貸せ」


 そっと、何かを呟く。


コツッ


 小さな足音が、少し気だるげに近づいてくる音。


「あのなー、オレはお前の部下じゃないっての。

……まあ、約束したことはやるけどさ」


 紫の瞳。まるで深い夢のような、その妖艶な色。


「……アミル様」

「よっ、ブラン様。勇者以来だな」


パラパラパラッ


 手元の本もまた、少しその手からは浮いていて。


「そんじゃ早速。

――始めるか」


 両手を、その棺の上にかざして。


「ああ、あと少しです……!!

しばしお待ち下さい、我らが君よ!」

「一応、言っておくけどな」


 荒い息遣いのネロに向け、アミルは少し冷たく告げる。


「オレは、『空音』だ。

……無駄だと思うぜ?」

「……何いってんの?

不敬罪で処刑されたいなら、勝手に――」

「逆だよ。

誰よりも敬ってるからこそ、こう言ってんだっての」


 睨みつけるネロを見ようともせず、軽く笑って。


「『それ始まりに、偽りやあらん』」


 ぼうっ、と禁色がその手を照らす。


 不思議な詠唱は、思わず聞き入ってしまうほどに――


(……きれい)


 数秒の沈黙の後、ぷつりと言葉が途切れる。


「……約束を違えるわけにも、いかねえからな」


 真剣な表情で、棺の中に向けて手を伸ばし。


「『――空音アミル』」


 ギラリ、と。


 空間を一瞬で照らし出すほどの光が、棺から溢れ出る。


「……っあ!」


 眩しい光に、思わず目を覆うと。


ボウッ!!!!!


 なぜか感じるのは――猛烈な熱。


「ああ、ああ……!!

おかえりなさいませ、我が君!!」


 興奮のあまり、ネロの声が裏返るのが聞こえる。


「長らく、この時をお待ち申し上げておりました。

さあ、偽りの魔王を討ち滅ぼしに――」


グシャッ


「――ぇ゙」


ミシミシミシッ


「あ、あ゙……あ゙あ!!!!」


 ねじれる音と、立て続けに何かが折れる不気味な音。


「どうして、なん――」


ジュッ!!!


 蒸発するような音とともに、ネロの悲鳴が突然に止んだ。


「……ああ。

だから――」


――言ったのに。


 アミルの声からは、何の感情も読み取ることが出来ない。


「んじゃ、約束は果たしたからな。

あとは好きにさせてもらうぜ?」


コツッ、コツッ


 静かに、その足音は遠ざかっていく。


(……あ、つい)


 瞼が溶けそうなほどの、その暑さ。


 そんな中でも――足元の冷たさだけは、異様なほどにはっきりと感じて。


グワンッ


「……え」


 突然、身体が揺れる。


(氷が、溶けた!?)


助かった。


そう思った瞬間だった。


トンッ


「……え?」


 違和感。左右に規則正しく揺れる、私の身体。


「なんで、

どうして――」


――勝手に、動くの


 氷に操られるように、私の足は一歩一歩と確実に歩みを進めていく。


「いやだ、やめて……!

どうして――」


――ハク!!


 暗闇の中、ただ真っ赤な光だけが目に焼き付いていく。


 抗えぬままに、私はどんどんと進んでいって。


トンッ


 突然、その歩みが止まった。


「ハク?

……助けて、くれ――」


ザシュッッ!!


 瞬間、感じたこともないほどの熱が私を貫く。


「な、に……」


 出しにくい声。


 喉からヒューヒューと漏れる、荒い息の音。


「っかはっ」


 口の端に感じる熱いなにかに、必死に目を開けると。


ギラリ


 銀色の何かが、目の前で燦めいた。


「……ま、って」


 思うように動かない身体で、必死に振り返る。


 そこに立つ彼は――


「……あ」


 自然と、口角が上がるのを感じる。


「……よ、か……った」


 目の前が、真っ赤に染まっていく。


 最後に見えたのは――銀に煌めく剣の光と。


(……ああ)


――きれいだなあ


 数百年ぶりに陽を浴びたその黒が放つ、美しくも儚い金の光で。


「……ごめん、ノワ――」


カーンッ


 その金属音とともに、私の思考は途絶えた。


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