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4.空の玉座

「あ、に゙……ぎ」


グシャッ!


「アリスからその名を聞いた時、もしやと思いましたが。

『風浪』とは――随分と偉くなったものですね」


ザクッ!


「……ドゥーベ」


 真っ赤な泡を浮かべる彼の顔を、ハクは指一本で上向かせて。


「何か、勘違いをしているようですが」


ドゴッ!!


「っかはっ――!」

「私は、あなたがたの下へ戻るわけではない」


 残忍な笑みを浮かべ、もはや腫れて開かないその目を覗き込む。


「大英雄を、そしてフォンセ様の死を招いたお前たちを。

私は、決して――」


――許さない


 次の瞬間。


バキッッッッ!!!!!


 ハクの足が、ドゥーベを踏みつけ――そのまま、床全体が崩壊した。


「っ――!?」

「……ふふっ」


 彼の笑い声とともに、私の視界は闇に飲まれる。


(どう、なってるの……!?)


 成すすべもなく、一直線に落ちていく感覚。


「っま、ずい……!

これ――」


(多分、死ぬ!!!)


 本能的に危険を感じた私は、無意識にその名を呼ぶ。


「――ハク!!!」


 その瞬間。


 ハッとしたような息遣いと、そして――


バサッ!


「……」


 温もりとともに、落下が緩やかになった。


「た、助かった……!

ありがと――」


(……え?)


 見上げた先のハクは、私と目を合わせようとはしない。


ブワッ


 瓦礫とともに静かに着地した瞬間、素早い動きで私を降ろす。


「ま、待って――」

「……ああ」


 額に手を当て、上を向く。


「……参りましたね」


 乾いた笑みを浮かべたその表情には、なぜか少しの怯えが見える気がして。


「わけがわからない。

……私は――」


――どうすれば


(こんなハクの様子。

見たこと、ない)


 いつもなら、どんな時だって平気な顔をしているはずなのに。


 そんな彼が――まるで今にも壊れてしまいそうな顔をしていて。


(……怖い)


そう思ったのは、ハクに対してじゃない。


そんな顔をしている彼を、初めて見たからだ。


(何か、言わなきゃ)


 そう思っても、言葉は見つからなくて。


 もどかしさと共に、ただその場に立ち尽くしていると。


「……あれは」


 ハクの後方、その空間の奥に何かが見えた。


(黒い椅子?

――いや)


 粉塵の中、見上げた先にぼんやりと映るのは。


「玉座?

……どうして、こんなところに」


 足元の柔らかさに下を見ると、玉座に向けて一直線に伸びる黒いカーペットが。


(ここ、単なる地下じゃない……?)


 そっと周りを見渡し、またもや驚く。


 広いホールのようになった、見れば見るほど本格的な作り。


(重要な部屋なのは、間違いない。

……それなのに)


 この目で見たことも――聞いたことすらないその空間に、違和感を覚える。


 そっと歩いて、近くの黒い柱に触れたところで。


「――『玉座の間』

かつてここは、そう呼ばれていた」


 静かな声が、淀んだ空気を震わせる。


「……ハク」

「見事な色でしょう。

この魔国でしか取れない、本当に貴重な石材なのです」


 私から見えるのは、遠ざかっていく背中のみ。


「長らく陽の光を浴びていないので、今はこのように深い黒をしていますが。

本来は、闇の中で美しく光ります」


 無機質なその声からは、一切の感情が見えなくて。


(……やっぱりハク、おかしいよ)


 迷いの末に、私はそっと声をかける。


「……ハク」


 返事はない。


 それでも、精一杯何気なく――普段通りに。


「なんていうの?

その――石、って」


 沈黙。


 少し後悔しかけたその時に、彼は小さく応えた。


「ノワール。

……かのお方が最も愛した、深き闇ですよ」


(それって――)


カーンッ!


 鋭い金属音が、私の思考を遮る。


「何……!?」


ズリズリズリ……


 続いて聞こえるのは、何かを引きずるような異質な音。


(っ――!)


 鼓膜を刺すその音に思わず顔を歪め、一歩下がろうとすると。


ピキッ


「……え?」


 思考が追いつかない。


(動けない。

でも、これって)


 まるで私を拘束するかのように、足に絡みつくのは――


「……ハク?

これ、どういうこと?」


 返事はない。


 ただ、背を向けたまま動かない。


「ねえ、ハク」


 足元の氷はさらに広がる。


(なんで)


(どうして)


「……冗談、だよね?」


ズリッ


「なんで、ハクが」


カーンッ


「わ、わかった。

またなにか、策があるんでしょ?」


ズリッ


「で、でもこれはちょっと冷たい……かな。

ごめん、できれば解いてもらえると――」

「あはは!

相変わらずおもしろいね、君!」


 突然、謎の音が止む。


カチッ


 続けて聞こえてきた謎の音に、不思議な既視感を覚える。


(……この音、どこかで)


「呆然としちゃって、執事君の裏切りがそんなにショック?

あーあ、可哀想だなぁ」


 あははっ、という笑い声。


 きっとまともな精神状態の私なら、そこでなんとか逃げようとしたはずだ。


(……ああ、そっか)


 けれど、その時の私には――


「時計……

動き出したんだ」


 半笑いのまま、そう呟くことしかできなくて。


「執事君もさ、残酷だなぁ。

これまで何も話さずに、味方のフリして――」

「ネロ様」


 刃のように冷たい風が、私の頬に鋭く触れる。


「あなたの側についたつもりも、私にはない」


グシュッ


「……ア、ゥ……」


ズブッ!!


 何かが引き抜かれる音とともに、ドゥーベの息遣いが絶える。


「……ハク、何を――」


 恐る恐る問いかけようとした視界の端を、何かが横切る。


 一瞬見えたそれは赤黒くて、濡れていて――動いていて。


「……っしん、ぞう」

「お、新鮮だね!

……うんうん、これで魔力は十分だ!」


(何が、起こってるの?)


ガコッ!


 立ち尽くす私の耳に、重い扉を外すような音が聞こえた。


「……何?この花。

なんでこんなもの、一緒に入れたの?」


 理解に苦しむ、と言った声。


 対照的に、静かにハクは答える。


「マーガレットですよ。

ノワが、入れたのでしょう」

「ふーん。

いつかは朽ちる植物を一緒に、だなんて。変なことするね」


 それきり彼は、花には興味をなくしたらしい。


「ん〜!

流石は僕の魔法、あの時のままだ!」


 そう言って長い箱のようなものを覗き込む様子を見て、私はようやく思い至る。


(……あれは)

「棺、なの?」


 見覚えのある形。


 この世界では見たことがないはずなのに。


(だけど)


 前世の記憶の中で何度も見た。


 人を弔うための箱。


(どうして、こんな場所に)


 この世界に、この魔国に。


(そして――誰が入っているの?)


 カチッ


 まただ。


 どこにもないはずの時計が、時を刻む。


 まるで――何かの始まりを告げるように。


 「材料は揃った」


ネロは笑う。


「君もずっと、待ってたんでしょ?


――執事君」

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