2.魔王の出立
「本当に任せてよいのだな、ブラン?
もしもリーナに万が一のことがあれば、たとえお前といえど――」
「もう二時間くらい経ってるよ!?
私は本当に大丈夫だから!ハクもいるし!」
「……俺の留守中に、あろうことか聖女になっていたやつの言うことではあるまい」
「う……」
魔王城の門から、一歩たりとも動こうとはしない魔王。
(反乱を鎮圧する、って話だったんだけどなー……)
私の側から離れたくない、という理由でノワは遠征を拒んだのである。
確かに、本来ならば魔王自らが出向くほどことでもない――はずなのだが。
「ノワ、いい加減にしなさい。
あなたが出向かねば、アリスやフェリスが疲労で倒れることでしょう」
呆れた様子で促すハク。
勇者騒動によりかなりの打撃を受けた魔王軍では、もともとの人手不足も相まって鎮圧に人数を割く余裕がなかった。
(各地で同時に、ってことだし。
魔王派の貴族に対応させるとしても、やっぱり追いつかないところもあるんだろうな)
そういうわけで、結局はノワが渋々赴かざるを得なかったのである。
「……ブラン」
「分かっていますよ、お嬢様は私が責任を持ってお守りいたします。
ほら、分かったらさっさと邪魔者は去ってください」
「ハク、色々本音が漏れちゃってる……」
「おや、これは失礼しました。
言い直しましょうか」
ニコニコ笑顔のハク。そのままノワに触れ、軽く押してから。
「さっさとバカは立ち去ってください」
「あんまり、変わってないような……」
何も言わずふふふ、と微笑むハク。
けれどそんな軽口にも、珍しくノワは言い返さずに。
「では、行ってくる。
……必ず戻る」
そう言って、私達に背を向けた。
「いってらっしゃい、気をつけてねー」
「時間がかかるようなら領地ごと焼くゆえ、安心して待つがいい」
「何も安心できないな!?」
不満げなノワを笑顔で送り出し、ハクは私を連れてそそくさと城の中へ入ってしまう。
(……そういえば)
「ハク、昨日書庫で何してたの?」
朝から晩まで籠もっていたようだったが、なにか調べ物だろうか。
「……書庫。
――ああ、そのことですか」
するとハクは、何故か少しだけ目をそらして。
「少し、気になるものがありましたので。
……大したことでは、ないのですが」
曖昧に微笑んで、それ以上は答えようとはしない。
「……ハク?
なにか、隠して――」
「そうだ、お嬢様。
昨日書庫にて、面白いものを見つけたのですよ」
私の言葉を遮り、異様なほどに明るく笑う。
まるで何かを取り繕うようなその様子に、違和感を覚える間もなく――
ドサッ!!!
「……うげっ、これまさか」
「ええ、全てこの魔国の歴史書です」
「す、すごい量だね。
……ちなみにこれ、覚えるとか言わないよね?」
(フォルテの歴史書は、ハクのスパルタによってかなり覚えさせられたからなー……)
天井につきそうなくらいに積み上げられたその本の山を見て、恐る恐る尋ねる。
「ご安心ください、今のところはざっくりと把握していただくだけです」
「よ、良かっ――」
「ええ、今のところは。
いずれは――」
と、そこでハクは何故か言い淀む。
一瞬だけ目を伏せ、その長いまつげが目の下に小さな影を作った。
「……いえ。
――本日使うのは、これだけですよ」
どこか固く、乾いた声。
ゴソッ
本の山の一番下の一冊を、ハクは慎重に引き抜く。
(……あれ?)
「色が、違う?」
上に積み重ねられた十数冊とは、明らかに色合いが異なるその一冊。
紙の質感も古ぼけていて――表紙に書かれた文字も、私の見たことのない形をしていた。
「ええ、お気づきになりましたか」
ぱらぱら、その本をめくるハク。
割れ物を扱うようなその手つきからも、相当古いものであることがうかがえる。
「……魔国の歴史書というのは、先代の――フォンセ様の晩年に作られたものなのです。
けれど、この一冊だけは――」
――そうではない
パタッ
机の上に、慎重にそれを置く。
白い手袋をはめた細い指が、黄ばんだ表紙に妙に映えて見えた。
「少なくとも、私がこの魔王城に来た頃には既に存在していた物語。
この魔国の――『神話』なのですよ」
「神話……魔国の。
んー、聞いたこと無い。有名なの?」
「いえ、殆どの者は存在すら知らないことでしょう。
魔族は信仰の薄い生き物です、神にすがることもありませんから」
「そりゃ、神話も広まらないよね。
……フォルテで聞いてたやつとは、なにか違うの?」
見上げると、ハクは小さく首を振る。
「大まかな流れは、確かに同じと言って良いでしょう。
……ですが一つだけ――決定的な違いがあるのです」
「違い?」
「2柱の創世神が『楽園』を真似て作った、というのは同じです。
ただ、魔国の神話には――」
ぱらり、とある一頁を開いて見せてくれる。
そこに書かれていたのは、古めかしい羊皮紙に描かれた大きな挿絵。
(これって――)
弓矢を片手に、輝く月から長い髪を揺らす美しい女性。
見覚えがある。特に――聖女として、王宮に居た時に散々目にしたその姿は。
「女神……ルナ?」
「おそらくは、そうなのでしょう。
この魔国では別の呼び方をされますが」
「別の?」
「ええ。
狩猟の女神、太陽を食う者――」
――アルテミス
何故かためらうようにその名を告げてから、ハクは静かに語り始める。
「神話を知る魔族は、この女神について全く異なる印象を抱くことでしょう。
……ある者は憎み、恐れ。そしてある者は崇拝する」
(憎んで恐れて……
だけど、崇拝する?)
「なぜなら。
魔国の神話には――」
――続きが、あるのですよ
ハクの指先が、挿絵の月をなぞる。
「――女神が、唯一の神となるまでの物語が」




