39.還す月
「まだ。
やることが、あるの」
そっと歩み寄る先には――倒れる奏汰。
遠い昔の記憶に、その優しげな表情が重なる。
――リーナ!
――理奈さん!
彼だけは、本当に――ただ、普通に接してくれた。
(何も出来なかった、なんて言ってたけど)
「その、『普通』が。
嬉しかったよ」
ゆっくりと、その額に手を重ねる。
(確かに、死者を返すことはできない)
「だけど、今の私になら」
私の手に、薔薇の文様が浮かび上がる。
(導くことは、できるから)
耳元に、そっと口を寄せて。
――『導月』
その瞬間、彼を金の光が包み込む。
「――っ」
眩しげに目を細めるノワ。彼にはきっと、その光しか見えていないのだろうけど。
『……リ、リーナ?』
「奏汰」
私にだけ聞こえる、少し驚いたようなその声。
『こ、これって――
ぼ、僕死んじゃったんじゃ』
「うーん。
まあ少なくとも、生きてはいないね!」
『そ、それ死んでるよね!?』
声から伝わってくるその慌てぶりに、思わずくすりと笑ってしまう。
「……大丈夫だよ。
ちゃんと――」
――導くから
それを聞いた途端、安心したような温かい感情が流れ込んできて。
「……光を目指して、進んでいって。
振り返ってはダメ」
そっと、月の方角を指し示す。
「安心して。
……そこの勇者も、ちゃんと送るから」
視線の先では、英二が白目を剥いて倒れている。
(本当に、嫌だけど)
――それが、あなたの幸せなら
目一杯顔をしかめつつも、その耳元で同じように詠唱する。
『……リーナ、待っ――』
「あなたの居場所は。
幸せは、ちゃんと向こうにある」
両手で、その光をすくい上げるようにして。
「……奏汰」
『ぼ、僕は、
また、君を守れなくて――』
「ありがとう」
(私の。
――勇者)
『……っ』
涙を飲むような小さな音。
フワッ
光が、遠ざかっていく感覚がする。
小さくなりゆくその声を、精一杯に心に刻みつけて。
「……そうだ。
向こうについたら」
精一杯、明るい声を装う。
「線香くらい、あげてくれるとうれしいな」
(……あれ、でも私そもそも墓作ってもらえんのか?)
一瞬そんな疑念がよぎるが、彼はちゃんと受け止めてくれたらしい。
『っ……
うん!』
彼もまた、笑顔で。
「……そうだ、奏汰」
『え?』
「私って、向こうではなんて呼ばれてたっけ」
その問いは、『理奈』への私なりの供養だったのかもしれない。
ふっと、懐かしむような気配が揺れる。
『玄里さん。
……あ、これ名字だった』
少しだけ困ったように笑って。
『理奈さん、だよ』
「……そっか」
記憶の中で、そう呼んでくれたのは。
(奏汰。
あなただけだった)
胸の奥が、じんわりと熱くなって。
消えゆく声が、最後に告げる。
『またね、理奈さん!』
陽に隠れようとする月が、少し笑ったような気がして。
「……うん」
(またね。
――奏汰)
最後の光が、そっと地に落ちた。
「リーナ」
「……もう、大丈夫。
待っててくれてありがとう、ノワ」
木にもたれかかるノワが、そっと目を開ける。
(――あ)
「色、戻ってる!」
私に向けられたその瞳は、見慣れた緋色で。
(良かった……!)
思わずうれしそうに声を上げたものの、彼の反応は薄い。
「……ノワ?」
「気にするな、光の精霊術に当てられただけだ」
短く答えるその表情には、確かに疲労の色が見える。
(そっか。
魔族にとって、光の精霊術は天敵だから)
「……ごめん、もう使わない」
申し訳なさから思わず俯くと、その視界にすっと手が差し出される。
「何をしている、さっさと帰るぞ」
低い声。感情は読めないけれど、不思議な温かさを感じる。
(――『帰る』)
ここに来てから、聞き慣れた言葉で。
ずっとずっと、私が欲しかったもの。
「……そうだね」
そっと、自分の手を重ねる。
伝わってくる熱に呼応するかのように、少しだけ私の目頭も熱くなって。
「帰ろう」
その一言だけで。
どうしようもなく、胸が熱くなった。
(……もう)
――独りじゃ、ない
見上げた空には、美しい赤に溶けかけた月が静かに浮かんでいて。
その光は、もう怖くなかった。
◇◇
(……これは、一体)
なにかに殴られたかのような鈍い痛みが、彼の思考を妨げる。
「――っ。
『氷』」
呟くも、思い描いた冷たさは一向に伝わっては来ない。
(魔法が、無効化されている。
……女神の力、なのでしょうか)
必死に薄目を開け、状況を把握しようとする。
真っ先に目に飛び込んできたのは――暗闇にほとばしる金と、鮮烈な赤。
「お嬢、様?」
光に照らされる彼女は、今や黒髪へと戻っていた。
(良かった。
魂も、半魔のものへと変化している)
「……っ!」
ホッとしたのもつかの間、激しい痛みがハクの全身を襲う。
「……困りましたね。
本日の夕食は、あのバカに用意させるしかなさそうです」
濁りゆく意識の中、ふっと微笑んで赤を目に映した途端。
「……!?」
息を呑む。
悲鳴をあげる脳にもかまわず、彼の思考は急速に回り始める。
(なぜ。
……そんなはずは)
これまでずっと、側にいたのに。
「この私が、気づかないはずは――
っまさか」
無理やり体を捻り、ハクが見つめる先には――
「……あなた、なのですか。
『空音の証人』――アミル様」
万物を、たとえ魂すらも上書きする圧倒的なその魔法。
(けれど、所詮はそれも魔法に過ぎません)
何かのきっかけで、剥がれることもある。
――そう、例えば。
(今、この時のように。
魔法が、無効化される空間においては)
無意識のうちに逸らそうとする自らの目線を、無理やりその存在に合わせる。
「……我が君」
数百年前より、常にその隣にハクはいた。
荒廃した魔国を共に立て直し、時には諌め、時には衝突し。
ずっと、その黒の王の――魔王の姿を、目に焼き付けてきた。
(それなのに)
「ノワ。
どうして、その魂は」
喉の奥からは、かすれた声が漏れるのみ。
「……お嬢様と、同じ色を」
歪む視界と、震える手。
「半魔の色を、しているのですか」
混じり合う光の、不気味な明かりの下で。
黒き魔王は、ただ静かにそこに立っていた。
三章、完結です!
なかなかにややこしい内容で、途中かなり挫折しかけましたが……ここまで来られたのは皆さんのおかげです、心より感謝申し上げますm(_ _)m
本編は次の章で終わりにするつもりでおりますので、最後までお付き合いいただけますと嬉しいです。
本当に、ありがとうございました!




