37.導月と憤怒
――『導月』
不思議な声が、そう呟いた。
(……なんだろ)
どこかでこの声を、聞いた気がする。
『ごめんね』
――今、還すから
(……ああ)
そうだ。あれは、この世界に来る前に。
(僕を……
導いてくれた、光だ)
そしてそれは、悲しくなるほどに彼女に似ていて。
(理奈、さん)
そっと目を開ける。
「んー」
じんじんと痛む頭に顔をしかめながら、顔を起こすと――
「っわぁぁ……!」
世界に、金の光が満ちていた。
月の光のように優しく、けれどどこか悲しさを帯びた色。
(あれ、は?)
目を凝らせば、遠くに何かが見える。
天に向けて祈るように伸ばした手からは、美しい金の光が出ていて。
それはまっすぐ、月へと伸びていった。
(……僕も)
――あそこに、いきたい
思わず立ち上がろうとすると――
『ふぉっふぉっふぉっ。
……まだ、そなたには早い』
突然、笑い声が聞こえてくる。
聞き覚えのあるけれど、なにかに隔たれたようにくぐもったその声は。
「エ、エー爺、なの?」
『ふぉっふぉっふぉっ、その通り。
声だけの儂も、なかなかニンジャっぽいじゃろ?』
ウインクでもしていそうな、前にあったままに陽気な声。
「……っ」
けれどソータの両目からは、何故か涙がこぼれ落ちる。
「っう、エー……爺」
『泣くでない。
……儂らは、ようやく救われるのじゃ』
カツン、と。
聞こえるはずのない杖の音が、ソータの鼓膜をそっと震わす。
『黒髪の同胞は。
……数百年もの長き間、救われなんだ』
大英雄の折、犠牲となった彼ら。
『救いを求めた女神は、とうに力を失っておった。
魂を楽園に導くどころか、勇者に力を与えることすらできぬまでにじゃ」
ゆえにその魂もまた――白髪と同じく、ずっと救いを求め続けて。
『今日、やっと。
……現れたのじゃよ』
月夜に照らされ輝く、長き金髪。
それは、神話に出てきた彼女――女神そのままだった。
『……ソータよ』
そう呟く彼の声も、少し湿っているように感じて。
『儂は、もう行かねばならん』
「そ、そんなっ――
いやだ、よ……!」
『だから、泣くでない。
……大丈夫じゃ』
温かいものが、ソータの頭を優しく包み込む。
『そなたは。
勇者とともに、楽園に帰るのじゃろう』
「――っ」
『儂らもまた……これより、楽園へ導かれるのじゃ』
祈るような声。
『じゃから』
そっと、その温度が離れていって。
「……まって――」
伸ばした手は、空を切る。
消えゆくその気配は、最後に少し振り返って。
『また、会おうぞい』
そう言っていた気がした。
「……っエー爺」
ぽたりと落ちる涙をそのままに、呆然と前を見つめていると。
――救われる
――導かれる
優しい声が、彼を包みこんでいく。
一直線に声が向かう先は――その光の中心で。
「……え」
目を凝らしてその顔を見た途端に、言葉を失う。
「リ、リーナ?
……ちがう」
見つめているうちに、彼女の髪は色を失い初めて。
徐々に徐々に、闇のような黒へと変わっていく。
「理奈、さん」
あの声も。
月みたいな金の光も。
(懐かしい)
疑念は、確信へと変わっていき。
「……っ待って――」
いても立ってもいられず、彼女に駆け寄ろうとした瞬間。
「……う」
ドスンッ
背後で、重いなにかが落ちる音。
「……なん、だよ。
だから――俺は、騙してなんか」
「お、居戸……くん?」
「あ゙あ゙?
何だ陰キャ、お前まだいやがったのか」
まだ『声』の恐怖が忘れられないのか、引きつった笑みを浮かべた英二。
その表情のまま、重い鎧とともに立ち上がって――
「あ?
なんだ、あれ」
彼女を見て、はたと静止する。
「か、彼女はリーナで、僕のともだ――」
「……声が、あっちに向かってやがる。
さては、あいつが――っ!!」
ガシャンッ!!!
無造作に転がっていた剣を、勢い良く引き抜く。
「ち、違うよ!!リーナはただ、僕達を――彼らを救って!!」
「あーくそっ!あいつさえいなけりゃ、俺が勇者で――世界を救って!
英雄に――」
――なれたのに!!
止める間もなく、英二は彼女に向けて走っていく。
その表情には、ただただ怒りと恨みが混じり合っていて。
(だめだよ)
それじゃ――彼らとおんなじで。
「……だめだ」
このままじゃ――また僕は、同じ過ちを繰り返す。
「――っ」
ドスンッ!!!
刃が、肉を切り裂く。
「……え」
呆然とした表情で、リーナはそれを見つめる。
「なん、で。
ソータ――」
――奏汰?
「っげほっ、げほげほっ――」
ドサッ
腹を押さえ、崩れ落ちるソータ。
「なんでだよ!!
なんでお前が、陰キャ――」
「……えいじ、く……ん」
ガサッ
彼の血で染まったそれは、そっと英二の手に握らされる。
「な、なんだよこれ。
こんな、こんなの……っ!?」
目を見開き、固まる英二。
震える手で、それをそっと光にかざし。
――ほら、俺が作った手裏剣だ。
「……なん、で」
――見てな、良く飛ぶんだぜ?
「……兄、ちゃん」
ぽたり、と。
涙が、その上に落ちる。
「英二、くん。
ぼ、僕――」
苦しい息のまま、けれどソータは微笑んで言う。
「ま、また。
一緒に――忍者ごっこ、したいよ」
赤に染まった手が、剣を握り込む英二の手をそっと包みこんで。
「……ご、めん。
僕――距離、おいてた」
怖くて。
変わってしまった彼に、近づけなくて。
「だ、けど」
――変わったのは
「ぼ、僕……も、で。
ほんとは、ずっと――」
――友達だと、思ってたんだ
ガシャンッ!
剣が、勢い良く地面に落ちる。
「……なんで。
そんなのもう、遅いのに」
震える手で、必死にぱっくりと割れた傷口を塞ぐも。
「……奏汰!!
ごめん、ごめん……!!」
どんどんとその手も、腕も朱色に染まっていく。
「……あ、あ」
奏汰の瞳から、光が消えていく。
涙だけが、不自然に光を反射して。
「……久しぶり、だ。
名前……呼んで、もらえたの」
にっこり、最後に笑って。
「……また、ね。
ありが――」
コトッ
無機質な機械のように、彼の頭が力を失う。
「っあ、あ、
うわぁぁぁぁぁ!!!!」
それを抱きしめ、ただ無力に叫ぶ勇者。
側では、古びた紙が一枚――無力に地面に落ちていて。
「おれ、おれは………
なん、で……ああああ!!!」
泣き叫ぶ彼に、突然冷たい声が降り注ぐ。
「ねえ」
「あ、あ……あ」
「ねえ。
……あなたの――」
――幸せは?
何もかもを見透かされたように、英二はゾッとする。
けれど彼は、すがるような心地で祈るのだ。
「……おれ、は。
こいつと――颯太と、また一緒に」
「――そっか」
視界の端で、金が燦めいて。
「それならまずは」
突然それが、真っ黒に塗りつぶされた。
「……その罪を、裁いてもらわないとね」
優しいはずの声だった。
なのにその瞬間だけ――ぞっとするほど、冷たかった。
(何が――)
考える間もなく、それは起こる。
ゴウッ
光が、目を焼いて。
ボウッ!!
世界が、燃えた。
「旧神たる魔王の名のもとに命ずる」
地を震わせる、低い声。
先程まで響いていた、優しい祈りとは正反対の――地獄の業火。
「……っひっ」
本能的に、這って後ずさる。
「我が怒りを以て、その理を砕け」
赤黒い炎が、闇を喰らう。
英二の瞳が、恐怖に見開かれて。
そして――
「怒れ、叫べ、貫け」
――『大罪・憤怒』




