32.遺されたもの
「……弱い。
弱すぎる」
深い森の中、ノワは呟く。
その足元には――全身を黄金の鎧に包んだ、今代の勇者。
バサッ
静かな翼の音。舞い降りたハクもまた、倒れる彼を見て気だるげにため息をつく。
「勇者の残りの一味も、全て片付けましたが。
……この分では、私は必要なかったのでは?ノワ」
「念には念を入れて、というやつだ。
――まさか、俺の炎の一発すら耐えられんとは思わなかったからな」
冷たく勇者を見下ろし、つまらなそうに顎に手を当てて。
「――ノワ」
氷のように澄んだ声が、咎めるような響きを帯びる。
「数百年前の惨禍を、まさか忘れたとは言わせませんよ」
「……ああ」
そう返しつつも、動かないノワ。
苛立ったよな声音で、ハクは彼をせかす。
「今、ここで。
確実に、とどめを刺すべきです」
「……その通りだ」
そう返しつつも、ノワの指は動かない。
「リアム――あの青年の言う通りに。
フォンセ様の残したものを、ここで絶やすおつもりか」
答えないノワ。
「ならば、私が――」
そう言いかけて、ハクは止まる。
(……なぜ)
その問いは、彼が無意識に記憶の底に沈めていたもの。
(……なぜ、これほどまでに弱き勇者に)
考えてはいけない、そのはずなのに。
「――ノワ」
「……わかっている。ここで――」
「いえ。
なぜフォンセ様は、負けたのですか」
先代魔王、滅びる前の魔国――その頂点。
後継者たるノワが生還できるような相手に、どうして彼は。
「勇者だろうが、精霊だろうが――たとえ女神だろうが。
あのお方が負けるとは思えないのです」
ハク達を見つめる目は、あまりにも優しさに満ちていて。
(魔王には、向かないお方だったかもしれません。
――けれど)
そんな彼を倒せる未来を――いや。
少しでも傷つく姿など、ハクには想像できなかった。
「さあな。
あいつのことだ、わずかに生き残った同胞を救うため――その生命を、自ら差し出したのやもしれんぞ」
「しかし――」
「俺の知る限り、あいつが直接戦う姿など見たことはない。
魔法すらめったに使わんやつだったからな」
この話は終いだ、とでも言うようにノワは視線を逸らす。
けれどどうしても、ハクにはその違和感が拭えなかった。
(……私にとってのフォンセ様は。
戦場で勇ましく駆け、敵を屠る――まるで、戦神でした)
向かうところに敵無し。まるで、それは今のノワのように。
(それが、なぜ『魔法を使わない』などと)
それも彼の最も身近にいたはずの、黒の後継者が。
「……いえ。
考えても、仕方のないことです」
首を振って、ノワに歩み寄ろうとして。
パキッ
足元の枝が、踏み折られる音。その音を合図に、彼の中で何かがつながり始める。
(あの方が――魔法を使わなくなったとするならば)
遥かに長き時を生きる彼にとって、それは本当に些細な時間。
(それは。
ノワが、現れてからです)
突然現れ、黒の後継者となった彼。
魔王派のほとんどを把握するハクですら――気づかないほどに。
(……それに)
記憶に新しいフォンセ、その右の薬指に光っていたのは。
――『魔力封じの指輪』
彼の時代から受け継いだそれには、殆ど魔力は残っていなかったけれど。
(あのお方は、なぜあんなものを)
魔族の頂点。底の見えない魔力に、圧倒的なその密度。
そんな彼が指輪をつけ始めたのもまた――ノワが現れてからで。
(必要など、ないはずなのに。
どうして――)
「……ブラン?」
低い声に、ハクの意識は現実へと引き戻される。
「いえ。
すみません、少し考え事を」
「わかっている。
これは、俺の魔王としての――責務だ」
ボウッ!
暗い森の中、現れるのは美しい炎の剣。
その赤に照らされるのは――今の主。
(……ノワ)
数百年、見続けてきたその魂。
黒く美しく燃え盛るそれは、疑いようもなく魔族のもので。
それでも彼は、問いかけずにはいられない。
(ノワ。
あなたは一体――)
――何者なのですか。
◇◇
「……行っちまったな」
ぽつり、リアムは呟く。
その目線の先は――ノワたちが飛び去った、魔国の方角。
「これで最後。
……これで、終わりにしよう」
その言葉は、まるで自分に言い聞かせるように。
ぼんやりと空を眺めてから、しばらくして。
「よっ、と!」
ぐい、と背伸びを一つ。
「さ、いつも通りに情報でも集めるとすっか。
……お?」
(何だ、騒がしいじゃねえか)
魔王の登場に、聖女の誘拐。
突然のことに理解が追いつかず、静まり返っていたその場に――
「……ねえ、あれ」
「っひ、どうして……!」
ざわざわと、不安と恐怖と――好奇の声が飛び交い始める。
「ん〜!こりゃいい情報の匂いがしやがるぜ」
嬉しそうに笑って、人混みの中へ。
(……ッチ、思ったよりも人が多いな)
かき分けかき分け、その中心へと出た先には――
「あ、あの!!
リーナっていう、金髪の子を見ませんでしたか!?」
「……金髪?
お前みたいな黒髪が、何言ってんだ」
「ちょっとアナタ、近寄らないでおきましょ!
ワタシたちまで精霊様に嫌われちゃたまらないわよ!」
「ま、待って――」
少年が手を伸ばすたびに、それを避けるように群衆が動く。
「ああ。
なんだ」
それでも必死に声を張り上げる彼を見て、リアムはぽつりと呟く。
「……来て。
損、したぜ」
そういう彼は、しかし少年から目が離せなくて。
(……なんでだ)
踵を返そうとしても、その足は言うことを聞かない。
「俺はもう、この件からは手を引いた。
……あれで、最後だ」
魔王への忠告。偽りの金髪の勇者から、魔国を守るための。
たったそれだけのことすら――リアムは、自分に許してはこなかった。
(俺は、『証人』だ)
関わってはいけない。介入してはいけない。
――それなのに。
「……あ、あの!!
お願いです、聖女って呼ばれてた子はどこに――」
「ああ゙?
黒髪が、聖女様のことを気安く呼ぶんじゃないよ!!」
ヒュンッ!!
一人の女が投げた石が、少年の頬に傷をつける。
それを合図に、群衆は瞬く間に活気づき――
「そうだそうだ、殺しちまえ!!」
「汚らわしい、黒なんかこの国にいらないんだよ!!」
飛び交う石。飛び交う言葉。
「っあ……
り、りーなっていう――」
それでも少年は、必死に彼らに向けて手を伸ばす。
「……どうしてだよ。
この世界は、こんなにも醜いってのに」
動けないまま、拳を握りしめる。
「なんで、お前も魔王のガキも――
フォンセ様も」
――『僕はね、この世界を平和にしたいんだ』
「出来やしねえのに、なんで」
――『なんでか、って?
んー……』
「一番殺して、殺されてんのがあんただろうに」
――『責任。
……なんて言葉、僕には似合わないか』
「責任?
そんなもの、この世界の神がとっくに放棄してんだろ!!」
そうだね、と言うフォンセの笑顔には。
どこまでもどこまでも、深い悲しみが宿っていて。
――『遠い未来に、あの子が帰ってきた時に。
笑って過ごせる世界を、作ってあげたいんだ』
太陽に向けて、手を透かして。
――『たとえそこに。
僕が、いなかったとしても』
(――っ、
本当に、いなくなってんじゃねえよ)
歯を食いしばる。
気づけば。
「……おい!!」
その怒声は、群衆すら黙らせていた。




