29.解放されるもの
「――あ」
彼の手を取った途端、流れ込んでくる記憶。
そこにいるのは、聖女などではない。
(リーナ。
私は――)
「ノワ。
……あなたの、妹」
そう言うと、彼は静かに目を細めた。
「ああ」
たった一言。
けれどその声は、不思議なくらい温かくて。
胸の奥で、凍っていた何かが溶けていく。
「遅いぞ。
城で会った時に、思い出すべきだったな」
「ごめんって……。
なんでかわからないけど、魔族に関する記憶だけ吹っ飛んでてさ」
「ふむ。
その歳でか?不憫だな……」
「いやたぶん認知症じゃないよ!?余計なお世話――
……っわ!!」
突然の浮遊感。抵抗する間もなく、私はノワに抱きかかえられる。
「ちょ、降ろし――」
「断る」
「ええ……」
ジタバタするも、力で魔王に勝つなど無理なわけで。
ふてくされた私は、精一杯の抵抗として彼を見上げ――
「……ノワ」
「なんだ?」
「『妹』って。
自認初対面の人に、そんなこと言うもんじゃないよ」
呆れ混じりにそう呟くと、背後から聞こえてくるのは。
「その通りですよ。
……全く、相変わらずあなたは説明不足が過ぎる」
懐かしい声。氷のように涼やかなそれは、私を心地よく包み込む。
「ハク!」
「ええ。
お久しぶりです、お嬢様。ご無事で何より」
先程口上を読み上げ、そして私に本を手渡してくれた青年。
どうやら彼は、我が完璧執事――ハクだったらしい。
ガッ!!
そのままハクは、私の身体をがっちり両手でホールドする。
「ハ、ハク……?」
「何をするつもりだ?負け犬よ。
また焼かれたいのなら、俺は構わんが……」
「さっさとお嬢様をお離しください、我が君。
……氷漬けにされたいのですか?」
「落ち着こう!!二人とも落ち着こう!?」
じたばたじたばた。
スポンッ!
(……ふう。
危ない危ない、フォルテが吹っ飛ぶところだった)
立ち上がって、ドレスの汚れを落とす。
「全く、高そうなんだから汚しちゃダメでしょーが!
ああ、いくらで売れるかな……!」
「……相変わらず、金と食への執着心が魔王並だな」
「お、ありがとう!」
「褒めてはいない。
……それでリーナ、こんなことをしておいてなんだが」
気まずそうに、ノワが目を逸らす。
「その、壁が復活してな。
魔国に、戻れんのだ」
「……え?」
(え、私今ホームレスってこと?)
膝から崩れ落ちる私を、ハクが丁寧に受け止める。
「……かっこよく救い出しておいて……
みんな、ホームレスなのかい……」
「まあ、ちょうどよくあそこに城がある。
少し奪って――」
「ダメだろ。絶対ダメだろ」
突っ込んでから、魔国の方向を向く。
一見、その深い森と私達を隔てるものはないようで――
(壁、かあ)
ふと、懐かしい気持ちが沸き起こる。
「……ノワ、ハク」
順に、二人の目を見つめる。
(……なんだ)
ここに、私の居場所は――あるじゃないか。
聖女じゃなくていい。
完璧じゃなくていい。
嫌われても、失敗しても、馬鹿みたいなことを言っても。
「……どうした?リーナ。
どこか、具合でも悪いのか?」
「その金髪。
何かのご病気でなければ、よいのですが」
「病気扱い!?」
呆れて、笑って。
こんな風に全力で笑える自分に、どこか驚く。
(ああ、やっぱり)
この人達は、私を見つけてくれる。
ずっとずっと、10年間願っていたこと。
閉じ込められた部屋で、泣きながら夢見ていたこと。
(……ううん)
もっともっと前。
この世界に来る前から、ずっと私は願っていた。
「――私は」
胸の奥から、言葉が溢れる。
「帰りたい!!」
響く声。何かに当たったと思った、次の瞬間――
バキッ!!
私の心で――そして、世界のどこかで。
何かが砕ける音がした。
「っこれは……!!」
ハクが、驚いたように目を見開く。
「壁が。
崩壊、していきます……!!」
北の冷たい風が、私の髪を優しく撫でる。
「……ほう。
原因は――いや、言わずとも良い」
ひょい、とノワは私を持ち上げる。
「あー、せっかく逃れたのにぃ……」
「暴れるな、これから魔国――魔王城まで飛ぶぞ」
「え、急だね」
「今頃は、勇者とかいう空き巣が侵入している頃でしょうね……」
「ぇ゙?」
驚愕に外れそうになる顎を、必死に手で抑える。
「え、空き巣……え、勇者来てんの……?
な、なんで?」
「決まっているだろう、魔王を倒すためだ」
「いや、ここに魔王いるけど!?」
唖然としてご本人を見上げれば、ノワは呆れたように肩をすくめる。
(RPGでボス不在、みたいなことだよねそれ)
「いや、敵ではあるんだけど。
……なんか、可哀想だな」
顔も見たことがない……はずの勇者に、心のなかで合掌しようとして。
「……おや。
この気配は」
ふと、ハクが見つめる先には。
「全く、黙って見てりゃ随分とやってくれてんな」
「ほう、リアムではないか。早かったな」
「いや、結構苦労したんだぜ!?
……お、じょーちゃん久しぶり」
よ、と片手をあげる赤髪の青年。
(あの人、確か……)
「あ、あの自称お付きのうさんくさい視察人」
「ひどくねえか!?」
「ごめん、つい癖で」
ぶつぶつ文句をいいつつ、彼は懐から地図を取り出す。
「……もう、壁は破壊されたんだ。
いらねえだろ、これ。返すぜ」
「おや、ありがとうございます。
それで――」
ハクの眼光が、鋭く彼を射抜く。
「なぜ、壁が生成されたことと。
今、破壊されたことをご存知なのですか?」
「……あっ」
「あなた、本当に人間ですか?
あまりにも知りすぎていますし、王宮にすんなり入れたのだって――」
「ブラン、話すか話さぬかはこやつの自由だ。
……それで」
ノワが、静かに問いかける。
「お前も、伝えたいことがあるのだろう」
全てを見透かしたような、その赤い光。
「……参ったな。
思ったより、似てやがる」
額に手を当て、天を仰ぐ。
しばしのためらい。そして――
「理由は言えねえ。
だが、今すぐに魔国に戻れ」
「……ほう。
さてはお前、俺達の正体も知っていたな?」
「そんなことはいい。 あの方の残したもんを、守りたいんなら」
まっすぐ、ノワの瞳を見つめる。
「勇者を殺せ。
殺して、地下深くに埋めろ」
苦しげに、リアムは続ける。
震える指。それでも、言葉を振り絞って。
「……顔を焼いてでも、隠せ。
骨になっても、見つからねえように」
黒い耳飾りが、微かに揺れる。
「その髪色を。
……誰にも、知られるんじゃねえ」




