第9話「君が私を信じてくれるなら」
待ち合わせ場所は、誰もいない川沿いの公園だった。
春の風がやわらかく頬を撫で、少し遠くでカモメの鳴き声が聞こえる。
街ではまだ騒ぎが続いていた。
SNSには今も天音の名前が並び、ファンサイトはコメント欄が閉鎖され、テレビ番組の出演情報もいくつか“未定”に切り替わった。
そんな中でも、彼女は約束の場所に現れた。
マスクとキャップで顔を隠していたが、目元だけははっきりわかった。
「……来てくれたんだね」
彼女の声は少し震えていた。
それでも、悠翔は黙って首を振る。
「俺じゃなきゃ、誰が来るんだよ」
天音の肩が、小さく揺れた。
ふたりはそのまま、人気のないベンチに腰を下ろした。
しばらく何も話さず、風と川の音だけが流れていた。
「……みんな、私のこと責めてる。“なんで恋なんかしてるの”“夢を壊さないで”って。
それ、分かってたはずなのに……君に会ってから、止められなくなってたの。
本当は、最初から……怖かった」
天音の瞳に、初めて涙がにじむ。
アイドルとして、プロとして、たくさんのルールを守ってきた。
ファンの気持ちを誰よりも大切にしてきた自負もあった。
だからこそ、自分の“恋”が誰かの夢を壊してしまうことが、なによりも怖かった。
「君のこと、巻き込んで、本当にごめん。
このままじゃ、君まで傷つく。だったら――」
「やめようって、言うつもりだった?」
悠翔が言葉を遮った。
ゆっくりと、彼は天音の手を取った。
「俺は、君がアイドルだから好きなんじゃない。
君が、如月天音だから好きになったんだ。
どんな記事が出たって、どんな噂が立ったって……それが嘘じゃないなら、俺は何も怖くない」
彼女は目を見開いたまま、言葉を失っていた。
「俺の両親、もういないんだ。中学のときに事故で亡くなって、そこからずっと、妹と一緒に祖父母の家で暮らしてる。
あのとき、俺を支えてくれたのは――“君”だった。
ファンレターを送り続けてたのも、自分を保つためだった。
だから……今度は俺が、君の支えになりたい」
そのまっすぐな想いに、天音の涙が頬を伝った。
「……どうして、そんなに強いの」
「強くなんかないよ。
でも、君が俺を信じてくれたから、俺も君を信じたいって思った。それだけ」
しばらくして、天音が顔を上げた。
「……じゃあ、信じてくれる?」
「うん」
「私の“これから”を、信じてくれる?」
「もちろん」
天音は、少しだけ微笑んだ。
そして、人目のないことを確かめるように、そっと手を伸ばし――悠翔の手を両手で包み込んだ。
「……ありがとう、“1番くん”。」
その言葉には、すべての想いが込められていた。
もしかしたらこの先、もっと大きな壁が立ちはだかるかもしれない。
でもふたりは今、同じ場所で、同じ景色を見ていた。
信じること。
それは恋の始まりでもあり、最大の試練でもある。
でもふたりは、その一歩を、確かに踏み出したのだった。
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