第6話「ファンとアイドルの境界線」
静かな夜だった。
レッスンが終わり、メンバーたちと別れて帰宅した私は、薄暗い部屋に一人、スマートフォンを手にしたまま立ち尽くしていた。
画面に映るのは、天野悠翔からのメッセージ。
悠翔:「今日の図書館、ありがとう。
あの時間、すごく大切だった。」
読み返すたびに、胸がぎゅっと締めつけられる。
それは嬉しさだけじゃなくて、怖さでもあった。
「……このままでいいのかな」
リビングのソファに身を沈める。テレビもつけず、電気も薄暗いまま。
外ではまだファンの間で、Lumi:Voice6が次にどんなプロジェクトに挑戦するのか、どの番組に出るのか、そんな話題が飛び交っている。
けれど、そんな期待の中心にいる“私”は、今――ひとりの男の子に、毎晩メッセージを送り、会いたくてたまらなくなるほど、恋をしてしまっていた。
ファンとアイドル。
その関係には、絶対に越えてはいけない一線がある。
それは、これまでたくさんの先輩たちが“破ってきた罰”を背負って消えていった姿を、私は何度も見てきた。
事務所からも、はっきりと告げられている。
「あなたたちは夢を与える存在。
だからこそ、現実的な“恋”は、絶対に見せてはいけない」
わかってる。ずっと、わかってた。
でも、彼は違った。
最初から、私を“アイドル”としてではなく、“私自身”として見てくれていた。
ファンレターに一度も「可愛い」や「推してます」なんて言葉はなかった。
ただ、心の底から“私の人生を応援してくれていた”。
彼の手紙を読んで涙をこぼした夜。
彼の言葉で立ち上がれた朝。
そのひとつひとつが、私にとっては“恋”の始まりだったのかもしれない。
でも、それを言葉にしてしまえば、すべてが壊れてしまう。
ファンを裏切ることになる。
メンバーにも迷惑をかける。
そして何より――彼を、守れなくなるかもしれない。
だから私は、ふたりの関係に名前をつけない。
“交際”でも、“恋人”でも、“好き”でもなく、ただ「会いたい」「話したい」「そばにいてほしい」という願いだけを、胸にしまっておく。
でも、境界線は、確実に揺れていた。
ある晩、事務所からの呼び出しがあった。マネージャーが表情を曇らせてこう言った。
「最近、天音の行動が少し不審だって、監視担当から報告が上がってる。
スマホの通信記録も一部チェックされてるから……気をつけてね」
心臓が跳ねた。
「……ごめんなさい、ちょっと考える時間がほしいです」
そう言ってその場を去り、人気のない控室に入り、私は震える手でスマホを開いた。
天音:「もし、もう会えなくなったとしても――
私は、君に出会えてよかったと思ってる」
メッセージを送ってから、私はスマホを閉じた。
涙は出なかった。ただ、胸の中がざわざわと痛んだ。
恋をしてはいけない。
でも、私は恋をしてしまった。
今はまだ、彼を守るために一線を越えない。
でももし、どこかでその境界が壊れたとき。
私は、彼の手を取ってしまうかもしれない――。
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