第7話「卒業式と、あのときの返事」
三月。
雲ひとつない青空のもと、卒業式の朝が静かに始まった。
天野悠翔は、自分の制服の第二ボタンを指先でそっとなぞりながら、鏡の前に立っていた。
白いワイシャツ、締めたネクタイ、少し大きくなった学生服――
この制服を着るのも、今日が最後だと思うと、胸の奥にぽっかりと穴が空いたようだった。
「……これで、学生じゃなくなるんだな」
呟いた声に返事はない。
けれどその言葉を、彼の心の中に一番近い誰かが、きっと聞いてくれている気がした。
•
学校では式の準備が進み、卒業生の教室には、華やかな花束や寄せ書きが並んでいた。
男子たちは普段より少し照れていて、女子たちは目元を赤くしながら、笑ったり泣いたりしていた。
そんな中で、天野悠翔はやはりいつも通りだった。
静かに、けれど穏やかに、教室の隅で誰かの話にうなずいていた。
「なあ天野」
声をかけてきたのは飯田だった。
いつも通り飾らない笑顔で、でもどこか“本音”を混ぜた声だった。
「お前、マジで俺らの中で一番“成長した”よな。いや、ほんとに。最初、誰とも口きかなかったじゃん」
「……別に、変わったつもりはないけど」
「いや、変わったって。今日なんかすげー顔してるもん。“何か決めてる人”って感じの」
悠翔は少し笑って、ありがとう、とだけ言った。
•
その頃――校門近くの花壇の前で、制服姿のふたりの少女が待っていた。
「……来るって言ってたよね?」
「うん。絶対来るって、思ってた」
茉音と結音。
昨日の文化祭で天音と交わした“約束”を、ふたりはずっと胸に抱えていた。
すると、ふと春風が吹いたあと、コートの裾を揺らしながら、彼女は現れた。
如月天音。
黒いマスクをしていたが、目元だけでわかった。
いや――“会いたいと願う人”の姿は、どんなに隠されても見つかるものだった。
「……来てくれて、ありがとう」
茉音が言い、天音がそっと微笑む。
「こっちこそ。ちゃんと、話したかったから」
「昨日……本当は、もっと聞きたかったことがあって。
お兄のこと。天音さんが、どう思ってくれてるのか」
結音が真っ直ぐな瞳でそう言った。
天音は、一歩近づき、しゃがんでふたりと目を合わせた。
「……私はね、悠翔くんのことを、誰よりも強いと思ってる。
静かで、目立たなくて、でもいつも誰かを守ろうとしてる。
そんな人と一緒にいられることが、誇りだよ」
「じゃあ……これからも、お兄のそばにいてくれますか?」
「うん。もちろん。……家族になるって、そういうことでしょ?」
その言葉に、ふたりの目が見開かれる。
「えっ……それって……」
「今日、彼が卒業したら、私……プロポーズを受けようと思ってる」
一瞬の沈黙。
でもそれは、すぐに歓声に変わった。
「わぁ……! それって、つまり!」
「“お姉ちゃん”になるってことだぁあああ!」
ふたりは歓喜のあまり、天音に飛びついた。
天音は戸惑いながらも、その小さな体を優しく抱きしめた。
「ありがとう。……ふたりがいてくれるから、私も勇気が出るよ」
•
式が終わる頃――
悠翔の制服の第二ボタンは、すでに誰かに渡されていた。
クラスメイトたちが「誰にあげたんだよー!」とからかう中、彼は笑ってごまかした。
だがその裏で、ひとつの封筒が、彼の手の中にあった。
それは、彼女から届いた手紙。
「“1番の人”へ。卒業おめでとう。
今日、君が新しい道を歩き始める日。
私も、君のそばを歩いていいですか?」
彼はゆっくりと、ポケットから“箱”を取り出した。
彼女に、渡すための指輪。
彼女に、伝えるための言葉。
それは、春風に乗って、
今日、ようやく“声”になる。
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