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姫様と従者  作者: きいな
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第11話

 強張った表情の侍女に、破流姫は少しの興味を持って聞いてみた。

「お前は何だと思っていたんだ?」

 侍女は喉が張り付いて返事もできなかった。それでも、これ以上機嫌を損ねて命を縮めたくはなかったので、何とか言葉を絞り出した。

「わ、私は、あの……姫様が、出奔、なさったと……」

「何で?」

「あの……ヒール様、を、お慕いして、それで――」

 あとは続けられなかった。

 破流姫がそれはそれは恐ろしい形相で侍女を睨みつけたからだ。

 ゆっくりと起き上がる破流姫を、侍女は死を覚悟して見つめた。


「貴様……よくもそんなふざけた話ができたもんだな」

 破流姫は一瞬にして体から怒りを発した。目は細く吊り上ってギラギラと光り、歪んだ赤い唇からあふれ出る声は恐ろしいほど低く、両手は握りしめて小刻みに震え、両足は死神の歩みのごとく一歩一歩侍女へ迫る。

 激しい憤怒の気に晒され、侍女は自分の発した言葉を後悔するとともに、死への恐怖に恐れおののいた。

 ガタガタと震えながら、座り込んだままずり下がって行く。壁に追いつめられると、破流姫の手が伸びてきた。


 今度こそ殺される……!


 目をつぶった侍女の胸倉を、破流姫は掴み上げた。

「ひぃっ! お許しください!」

「お前はそんなろくでもない嘘を真に受けたのか!?」

 噛みつきそうな迫力と至近距離で、侍女は半泣きになってひたすら謝った。

「申し訳ございません! お許しください! お許しください!」

「誰が慕ってるだと!? 知りもしないやつを慕う馬鹿がいるか! それともお前、私がその馬鹿だと言いたいのか!?」

 激しく揺さぶられて、侍女はひたすら謝罪の言葉を口にした。と同時に涙腺が緩んでボロボロと涙を零した。


 侍女が悪いのではない。主がそうだと言えば、従者は疑う余地はないのだ。事実、破流姫はここにいたのだから、信憑性も確かだった。


 しゃくりあげて言葉にならない侍女を、破流姫は突き放した。侍女は壁にぶつかり、床に倒れ込んだ。

「ふざけやがって。ただでは済まさないぞ」

 元凶のヒールに向けて言った言葉だが、恐怖に支配された侍女には自分への死の宣告に聞こえたらしく、大泣きに泣いた。

「うるさい! ピーピー泣くな!」

 そう怒鳴られて、何とか涙を堪えようとするのだが、あまりの怖さに一度緩んだ涙腺はなかなか閉まらない。声を押し殺してさめざめと泣いた。


 破流姫は侍女を無視し、収まらない怒りを持て余して苛々と歩き回った。と言っても、部屋中に物が散乱しているため、寝台の横を行ったり来たりするだけだったが。

 泣きじゃくっている侍女の目の前を行きつ戻りつする様が、余計に侍女の恐怖を煽るだけなのだが、そんなことは無頓着に、破流姫は自分を侮辱した相手にどう落とし前をつけるか、それだけを考えていた。


 会ったこともないのだから、どんな人物なのか、どれほどの力を持っているのかまったくわからない。一国の姫を攫うくらいだから頭の程度は知れているが、基本的な情報は何もない。この部屋からは出られないので、城の様子を探ることもできない。

 不愉快ではあるが、やはり会いに行くしかないだろう。その時だけが唯一部屋から出られる機会なのだから。そして、会って直接叩きのめすがいいか、裏をかいて自滅させるがいいか、相手の懐を探ってみよう。


「おい、お前」

 あふれる涙を手の甲で拭いながらひっそりとしゃくり上げる侍女は、自分が呼ばれたことも気づかずに泣き続けていた。

 恐怖のどん底に突き落とされ、死の直前に自分の身の不幸を嘆いている侍女に、周りの雑音など届きはしない。

 破流姫は舌打ちをして、床に落ちている若草のドレスを手に取った。

「いつまでも泣くな、鬱陶しい」

 涙に濡れる侍女の顔を、それでごしごしと拭いた。

 侍女は殺されるとばかりに悲鳴を上げ、両手でもがいて振り払おうとした。

 抵抗もむなしく顔中を拭かれ、破流姫が離れた時には侍女の涙も止まっていた。

 そこで初めて、涙を拭いてくれたのだとわかった。しかも破流姫のために用意した美しい洋服で。

 殺されるのではなかった、という安堵のあと、せっかくの洋服に涙の染みをつけてしまった、という暢気な罪悪感が湧き上がった。


「お前の主人に会いに行くぞ」

 侍女はそれをどこか遠くのほうで聞きながら、ぼんやりと破流姫を見ていた。

「おい、聞いてるのか? お前の主人に会うと言ったんだぞ?」

 それでもまだ呆けている侍女にしびれを切らし、声を荒げて肩をついた。

「おい!」

 侍女は現実に戻り、上から見下ろす破流姫の視線をしかと受けてしまった。

 途端に表情を歪め、見る見るうちに目に涙を溜めた。

「泣くな!」

 破流姫が一喝すると、侍女はひくりと喉を鳴らした。

 あふれて零れそうな涙が止まったのを確認してから破流姫は言った。

「お前の主人、名前は何だった?」

 侍女は何度か深呼吸をし、気持ちを落ち着けてからか細い声で言った。

「ヒール様……」

「よし、じゃあ、そのヒールにこれから会いに行く」

 長い沈黙の後、侍女は声を絞り出した。

「お会い、するのですか?」

「そうだ。私が直々に会ってやろうと言ってるんだ」

 侍女は無意識に、床の上に捨てられて丸まっている洋服を見た。

 釣られて破流姫もそちらに目をやり、嫌そうに目を細めた。

「これを着ろと言うのか?」

 侍女が小さく頷くと、破流姫は大きなため息をついて洋服を手に取った。

 自分の城の中ならともかく、見ず知らずの者の前に夜着で出るというわけにはいかない。さすがの破流姫も一国の姫である。そこまで落ちぶれてはいない。

 嫌々ながら、昨晩から付けっぱなしの腕飾りを外し、夜着を脱ぎ捨て、わざわざ誂えたという若草のドレスに着替えた。腕飾りを改めてはめ直すと、大事そうに幾度か撫でた。

 侍女は自分の目の前で可憐に変身する破流姫を眺め、そして恐怖も忘れて感嘆のため息を吐いた。

「あぁ、お綺麗です、姫様」

 涙に濡れた目をうっとりととろけさせ、胸の前で両手を組んで言った。

スカートの中ほどに染みを見つけたが、目立つというほどでもなかった。何より破流姫の美しさに目を奪われて気にもならなかった。

「それで? どこへ行けばいいんだ?」

 侍女は慌てて床に転がっている櫛を引っ掴み、遠慮がちに、

「御髪も……よろしいですか?」

 と言ってみた。

 破流姫は嫌そうな顔をしたが、倒れている椅子を持ってきて素直に腰かけた。

 また一悶着起こして侍女が泣き出すと面倒だと思ったのかもしれない。

 侍女は恐る恐る櫛を差し入れた。もつれに引っ掛けて髪を引っ張らないよう、細心の注意を払って梳かした。もつれて飛び跳ねた長い髪が次第に艶やかさを増し、さらりと流れる。

 この黒髪をまとめ上げようか、そして宝石の髪飾りをつけようか。それとも流したままで飾り立てようか。

 あれこれ考えながら梳いていると、半ばで破流姫はしびれを切らした。

「もういい」

 立ち上がるとその反動で黒髪が揺れた。さらさらと音がしそうなほど軽やかだった。

 心残りではあったが、侍女にはそれ以上縛りつける度胸はなかった。


「さぁ、どこへ行けばいいんだ?」

 破流姫の気が変わらないうちにと、侍女は櫛を放り投げて素早く扉を開けた。

 侍女の手はいとも簡単に取っ手を動かし、扉を開けた。


 それを目の当たりにし、破流姫は無表情の下に驚きを隠した。

 確かに扉は開かなかった。取っ手は固まっているかのように少しも動かなかった。なぜ侍女は容易く扉を開けられたのだろう? 何かしら細工をしているようには見えなかった。ごく普通に手をかけ、ごく普通に開けたはずだ。

 開いた扉にそっと手をかけてみた。

 やはり取っ手は固まったまま、押しても引いても扉はびくともしなかった。

 二人とも廊下に出ると、侍女は静かに扉を押して閉めた。

 どうやら破流姫だけに何かの力が働いているようだ。

 それは一体どういうものなのか。なぜそんなことができるのか。誰がそれを行ったのか。


「お前の主人は何て名前だった?」

 侍女の後をついて歩きながら破流姫が問うた。

 侍女は、これで何度目だろうか、と思いながら、立ち止って答えた。

「ヒール様です」

 破流姫は何度も頭の中でその名を繰り返してみたが、やはり心当たりはなかった。過去のどこかで会っているのかもしれないが、薄い記憶の中にヒールという人物は浮かび上がってこなかった。見ず知らずの者――恐らく――に攫われ、監禁される理由とは何なのか、わからないだけにことさら不快感も募る。


「おい、お前」

 再び歩き出した侍女は、呼び止められてまた立ち止った。

「あの部屋、きちんと片づけておけ」

 自分がやったなどとはもちろん口にしない。侍女もまた脳裏に浮かんだ余計なことは口にしなかった。

 深々と頭を下げ、謝罪の言葉を口にする侍女の姿が、破流姫の目には一瞬三杉と重なった。


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