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姫様と従者  作者: きいな
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第12話


「破流姫様をお連れ致しました」

 重々しい扉を開け放ち、侍女は一礼してから声を張って中へ告げた。

「おぉ、待ちかねた! 早くこちらへ!」

 そう声がかかると、侍女は破流姫を部屋の中へと促し、自分は外へ出てゆっくりと扉を閉めた。


 視界が閉ざされて行くにつれ、自分の使命の達成感が募っていった。死にそうなほどの恐怖を味わった後だから、なおさら胸に込み上げるものがあった。

 感無量だった。

 完全に閉まりきると、侍女は大きなため息を吐いた。と同時に、涙が零れた。あれだけ泣いたにもかかわらず、涙が溢れて止まらない。

 侍女はその場に崩れてひっそりと泣いた。嬉しさと安堵がないまぜになり、気分が高揚している。仕事をやり遂げてこんなにほっとしたことなどなかった。泣くほど嬉しかったことなどない。

 侍女は肩を震わせ、わずかに笑ったまま泣いた。通り掛かった同僚が何事かと駆け寄り、侍女の泣き笑いを見てギョッとし、とにかく連れて行こうと助け起こしてもまだ泣いていた。


 一方破流姫は不機嫌この上なかった。というよりも激怒していた。


 広々とした一室の、正面に脚を組んで座る若い男がヒールらしい。飛び掛かって締め上げてやりたい気分だったが、それを無理に抑えた。

 ヒールの傍には四人の家来と思しき人物がいたからだ。

 左には腰に剣を差した男が三人。護衛隊かと思われる。右にはフードをかぶって姿のわからない人物が一人。昨晩見た怪しげな人影と同じような気がした。修道士のようにも見えるが、どうせ見た目と同様に怪しい人物なのだろう。

 そして正面のヒールに焦点を合わせる。

 金色のやや長めの髪、あまり日に当たってなさそうな白い肌、細身の体には濃い緑色の洋服、組んだ足には黒い革のブーツ。

「姫君、こちらへ」

 そう言って差し出す手には銀色の指輪がいくつか見えた。

 その言葉に従うのも癪に障るが、荒ぶる感情を押し殺しながら一歩ずつゆっくりと近づいた。

 ヒールの目が緑だとわかるくらいに近づくと、周りから感嘆のため息が漏れ聞こえた。ヒールは身を乗り出してこちらを見つめている。


「あなたが破流姫か?」

 破流姫は何も答えず、鋭い眼差しを向けていた。

「ようこそ、我が城へ」

 ヒールは両手を広げて歓迎の意を表したが、破流姫は冷たく、ふん、と鼻を鳴らしただけだった。


「まさしく噂に違わぬ美しい姫だ。こんなにも美しい姫を妃にできるのなら、何物も惜しくはない。どんな犠牲を払ってでも迎え入れたいのは当然だ」

「私はどこへも行くつもりはない」

「そうでしょう。だから再三の恋文にもたった一通の返事しかもらえなかった」

「返事?」

 話の趣旨がわからず、そう聞き返すと、ヒールは身を乗り出し、まるで内緒話でもするかのように声を落とした。

「私の兄はあなたに幾度も手紙を出して求婚したのですよ」

 つい昨日、三杉との話題に上ったあの王子だろう。

 破流姫は何とか名前を思い出した。

「ウェイン……か?」

「そう! よく覚えていましたね。あなたを見初めた王子などたくさんいたでしょうに」


 ヒールがウェインの弟なら、ここはすぐ隣の国である。あの時名前を聞いておいてよかったと、珍しくも三杉の有難味を感じた。


「兄は春にあなたを見てからというもの、あなたのことしか頭にないようでした。どうすればあなたの気を引くことができるか、どうすればあなたに振り向いてもらえるか、どうすれば他の王子たちの先を行けるか。それもついこの間、あなたからの手紙をもらうまででしたが」


 それを聞いて、破流姫はほんの少しだけ――本当に少しだけ――不安になった。


 まさか倫のヤツ、とんでもないことを書いたのではないだろうな……。


 おととい来やがれなどと書こうとしていた自分を棚に上げて、そう思った。


「それはそれは落ち込んでいましてね。食事にも手を付けない有様で……」

 ヒールは困ったように眉根を寄せてため息を吐いた。

 そんな兄のために一肌脱いで、こんな暴挙に出たというのだろうか?

「麗しき兄弟愛か?」


 途端にヒールは声を立てて笑い出した。心底可笑しそうに、腹を抱えて大笑いしている。笑い声は広間に響き渡り、破流姫の神経を逆撫でした。

 蹴りつけて黙らせようと、一歩前へ出た。すると、

「まさか」

 ヒールは笑いを堪えてそう言った。

「私は兄が大嫌いなのです」

 笑いを含ませながら言い、肩を震わせた。何とか抑えて一呼吸吐くと、滔々と喋り始めた。


「兄は王位継承者です。次期国王になる男です。生まれ落ちた瞬間にそう決まったのですから、私に勝ち目はない。例え兄が愚鈍でもです。いつも側近の後ろに控え、人の助言なしに行動できず、いつまでもぐずぐずとくだらない我儘を言うしか能のない男でもです。まぁ、王になったところで、私が後ろにいればどうにでもなりますけどね。ただ、それではあまりにも馬鹿馬鹿しいと思いませんか? 実際能力があるのは私であるのに、馬鹿な兄の陰にならなければいけない。そんな役目など真っ平です」

「だから兄の座を奪おうというのか?」

「現実的には無理ですがね。兄がいなくならない限り」

 ヒールは意味ありげに含み笑いをした。


 王の座を争っての兄弟喧嘩だろうか? 周りを巻き込んでの相続争いは珍しいことではない。殺し合いにまで発展する場合だってある。それにしてもなぜ関係のないところで自分が巻き込まれなければならないのか、全く意味不明である。


「あぁ、兄を殺そうなどとは考えていませんよ」

 怪訝そうな破流姫の表情を読んだのか、ヒールが笑いながら言った。

「愚かな兄に、自分は弟にも劣る愚か者だと認めさせる方が楽しい」


 ヒールの思惑など、他国の破流姫にはどうでもいいことだ。喧嘩でも罵り合いでも殺し合いでも、好きなだけやればいい。

 機嫌の悪い所へきて、ヒールの言い分を聞いているとさらにムカムカとしてくる。


「この春にあなたの宴に行ったのも、側近たちに言われてのことでした。そうでなければ自分からあなたのような高嶺の花に近づくなど、考えもしない人ですからね」

 花見の席で見かけたウェインは――あまり記憶には残っていないが――一番華々しかったように思う。内面的にはおとなしくおっとりとした人物だったろうか? あれ以来毎日のように手紙を寄越したのだから、図々しくもある。それが誰かの入れ知恵だったとしたらわからないが。

「本当は私が行きたかったのですが、兄を差し置いて行くわけにもいかず、悔しい思いをしました。でもまぁ、こうしてお目にかかれたのですから、良しとします」

「で? 私に何の用があるというんだ?」

「もちろん、私の妃になっていただきたいのです。兄が執着し、惨めにも相手にされなかったあなたが私のものになったと知ったら、どれほど嘆くでしょう。失意に満ちた兄を想像するだけでも楽しいが、実際に目の前で見られたらどんなに胸が空くことか。そして父上にも従者たちにも全国民にも、私の方が優れていると知らしめるのです」

 そう言ってヒールはまた楽しそうに笑い出した。


 破流姫は怒りでふるふると震えた。耳障りなヒールの笑い声が余計に破流姫を刺激した。

 凶器にもなりそうなほどの鋭い視線をヒールに向け、声まで怒りに震わせて低く唸った。

「貴様ぁ……!」


 あまりの迫力に、笑い声はピタリと止まった。

 美しい破流姫が怒り狂って自分を睨みつける様は、まるで猛獣が猛っているようでそれは恐ろしく見えた。

 ヒールは思わず肘掛を握り締め、破流姫を凝視した。

「よくも私を巻き込んでくれたな……」

 スッと右手を挙げ、ヒールを指さす破流姫の白い人差し指は、剣や槍のような鋭い武器にも見えた。


「貴様ら馬鹿兄弟の喧嘩など知ったことか! 殴り合いでも殺し合いでも勝手にやれ!」

 溜まりに溜まった怒りが口から流れるように出てくる。

「夜の夜中に人の部屋に忍び込んで、可笑しな術をかけて攫って行くとはどういうつもりだ!」

 破流姫は右側に立っているフードの男に目を転じ、白い指も差して怒りの矛先を変えた。

「お前だろう! お前があのときの男だろう!」

 破流姫は叫びながら男の胸倉をつかみ上げた。

 男は破流姫とそう変わらないほどの小柄で、フードの奥に見えた顔つきはまだ若いが、やや陰のある暗い色をしていた。

「貴様、自分がどうなるのかわかっててやったんだろうな? そんなに死にたいのか!? 何とか言え、おい!」

 首元を閉められては声が出るはずもなく、男は何度も首を横に振った。そもそもヒールの命令なのだから否応もなかっただろう。

 破流姫は突き飛ばすように手を離し、咳き込んで大きく息をする男を蔑んだ目で睨みつけた。

「主人が馬鹿だと家来まで馬鹿か」

 その主人を振り返り、噛みつきそうな勢いで食って掛かった。

「兄弟喧嘩なら兄弟だけでやれ! ウェインが馬鹿だろうが貴様が馬鹿だろうが、私にはどうでもいい! さっさとここから出せ!」

 ヒールはただただ唖然として破流姫を見つめている。

「聞こえなかったのか? 早く、ここから、出せ!」


 最後の一言で我に返り、ヒールはやや険しい顔してフードの男に、本当に破流姫か? と声を抑えて訊いた。本人を目の前にして声を落としたところで何の意味もないのだが、心情的に疑いたくもなるのだろう。問われた男はまごつきながら、そのはずですが、と頼りなく答えた。


「正真正銘、私が破流だとしたらどうだと言うんだ?」

 牙を剥いた猛獣のごとく緊張を孕んだ破流姫に、ヒールは押されながらもたどたどしく言い訳した。

「あ、いや……世間の噂も少し違っていたようで……」

 破流姫はヒールを真似て、両手を広げておどけて見せた。

「噂に違わぬ美しい姫だ」

 ヒールは羞恥なのか怒りなのか、真っ赤になって歯軋りした。

「そ、そのような強気でいられるのも今のうちですよ!」

 ヒールは護衛隊に向かって何やら合図をした。一人が奥の扉から誰かを呼び込んだ。

「私の妃となる方なのですから、態度を改めていただきたいものですね」

 ヒールは意味有りげな笑みを浮かべた。

 ふざけるなこの野郎、と破流姫は暴言を吐いた。だが、現れた人物を見て息を飲んだ。


「私の従者の三杉です」

 三杉は破流姫にではなく、ヒールに一礼した。


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