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私は頑張るあなたの味方!  作者: #N/A
第二章 『若葉色の絆』
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第28話 『サナギ』

 自分に今、意識があると言えるかもよく分からないくらいに、何もかも全てが白濁と化した世界だった。北沢は今、もともとブースだったものが粉々に砕かれたものの下敷きになってうつ伏せに倒れている。


 微かに開いた口に何か、固形か液体かも判別し難いぬるりとしたものが入り込んで、深い鉄の味が味覚を支配した。それが血であると理解するまでに時間は掛からなかった。こんなときであっても味覚は働くのだ。かといって分かっていることは少ない。全身の骨が砕けるように痛いことと、鼻と頭から大量の血を流していることくらいだろうか。


「───北沢さん!」


 とおくから、声が聞こえる。誰の声かなんて知っていた。教えられなくたって分かっていた。こうしちゃいられない。こんな状況でお前を置いてはいけない。


 何のために、リスクを背負ってまでこんなところに一緒に来たと思ってる。かといって瓦礫や屋根の一部が腰や足にも食い込んでいて、すぐに動けそうにもない。


 助ける。桃を助ける。


「お前この辺じゃみねえ顔だな?」

「………」

「この金はありがたくもらうぜ。そしてお前は名前なんてんだ。名前教えろ。名前以外も全て教えろ。そして俺についてこい。今晩は寝かさねえぜ」


 まさか、ブースの金が取られているのか。まずい。まずいなんてレベルの話じゃない。既に先ほど時点での報告を上げている以上、金を持ち帰れなければ虚偽の報告をしたことになってしまう。


 しかも時枝さんや自分たちの存続はあの金に懸かっているんだ。なのに何で得体も知れない奴にくれてやれるもんかよ。


「…………おもぉ……!ぐっ」


 声すら出ない。喉と器官を大量の粘り気ある血が犯している。このまま何もせずに救助を待っているのが最も賢明だ。それくらいは流石に分かる。目を一秒でも開けていることが、何か思考を張り巡らせていることが、それだけのことが命のリソースを直にごりごりと削っていき、確実に俺を死へ近づけていくことくらいは分かっている。それは、決して感じてはならない感覚だ。


 その時、再びとんでもない轟音が響き渡った。耳元で夏祭りの花火でも鳴り響いたかのような音だった。近くにあったものが、重たいものも軽いものも硬いものも柔らかいものも全部一緒くたに吹っ飛んでゆくのだ。半壊したブース。近くの施設の建物。そこに備えられていたゴミ箱や換気用の機械。


 見上げるほどに大きな大男。そしてそれに相対する、愛する女がいた。


 なのに、身体が動かない。この窮地を救いたいのにできない。なんて様なのだろうか。こんなところで寝るために俺はここに来たのか。そんな訳じゃないはずだった。


 もうこんな目に遭うことはないと思ったのに。どうしてなのか。俺はきちんと母に謝った。そして傷つけてきた分の貢献をするのだと誓って生きてきた、それ以降は誠実に生きていたはずだったのに。


 よりにもよってまた、あんなデカい奴にいじめられるって訳かよ。


「………教えてなんかあげないよお。個人情報だからねえ?」

「あぁん!?」

「ウチにはちゃんと、全部教えてあげたい人が別にいるからさあ。あんたに教えることなんか何もないわけ」


 肝が据わり過ぎている。俺の愛した女は常軌を逸した肝っ玉だった。彼女は一体どんな人生を送ってきたのだろうと、気になってしまう。しかし何度訊いても恥ずかしいと言って教えてくれなかったのだった。


「がぁーーーー!」


 葛西に振られた大男が咆哮を上げ、辺り一帯をめちゃくちゃに破壊してしまう。周囲は既に粉々になった瓦礫によって生成された霧によって視界が不明瞭であり、あれだけ大勢いた人の気配もほとんどない。誰かが警察に通報したのか、微かにサイレンの音と警官が怒鳴りながら走ってくる音が聞こえた。


 大丈夫だ。助かる。警官が来てくれるなら流石に助かるだろう。そう思い目を瞑ろうとしたその瞬間だった。


 大男が巨大な瓦礫を軽々と持ち合げ、投げ飛ばしてみせた。その瞬間、周囲に形成されていた霧が全てあっという間に散り、視界が晴れた。そしてこちらに来ていた十数名の警官は悲鳴と血を噴き出しながらぶっ飛ばされ、何台か止まっていたパトカーは炎と煙を上げだしたのが見えた。


「もう一度言うぜ。おめえの名前を教えろ」

「………」


 お前に教える桃の名前はねぇ……!!


 じりじりとにじり寄る大男に、後ずさる葛西。それを血眼で見届けながら、腕を必死に伸ばしていた。指から三十センチくらい離れた場所に落ちている、タブレット端末に。


「あが…………!」


 身体のどこの部位に力を入れ、どこの方向に動かそうとしても激痛が走る。腰かどこかに突き刺さってる何かが、想像していた以上に深いようだ。


 だけどこのままじゃ桃は。せわしなく轟音が響き渡り、一瞬だけ静寂に包まれたとき、あいつの声が聞こえた。


「…………時枝さん。申し訳ありません」


 葛西は既にヒロに対して連絡を入れているようだった。それを見た北沢は目を見張る。大男が暴れたことによって生まれた僅かな後隙を使って連絡を取ってみせた。この絶望的な状況を覆す力があるわけじゃない。だけどやれることを全てするしかなかった。一分先の自分へ、一秒先の自分へ全てを託すために。


「おぉぉぉぉああぁぁぁぁぁ………………!!」


 腕を伸ばす、伸ばす、伸ばす。


 骨が軋み、肉が引き裂かれる。プチプチと音が聞こえた。何だろう今の音は?こんな音がまさか、人体から聞こえるものなのか。思わずそう感じてしまうような音が自分の身体から聞こえた。


 この事件が終わったあと、俺の身体には間違いなく何かしらの後遺症が残るであろう痛みだった。下半身を切り落としたほうが楽だろう。引き裂かれ、焼かれるような激痛の中を、たった一人の女への愛だけで腕と身体を突き動かす。


「ーーーーーーーーーー!!!!」


 挙句の果て、プチンという音の果てに下半身の感覚が無くなった。下敷きになった自分の下半身が一体どんな状況になっているか想像したくもない。


 目に溜まっているのは涙であるはずなのに、視界は真っ赤になったり真っ白になったりを繰り返す。


「…………んないだみじゃ、ねぇ」


 母が味わった痛みはこんなもんじゃない。母さんはこれ以上の痛みを味わって俺を抱きしめて涙を流したんだ。なのに俺だけこんなヘボい痛みでくたばれるか。桃にまた会えないのは嫌だ。嫌だ。嫌だ!!!


 そしてついに、自分の手指がタブレットに届いた。触れ、引き寄せて、社内用の緊急連絡を送信した。


 次の瞬間に北沢の意識は闇に落ちて、崩れ落ちた。



 ……………………………………………………



「………っ!」


 スーツというのは動きづらいものである。まさかこれほど追い詰められるとは思いもしなかった。スカートではないからここまで逃げ切れていたが、足元の凹凸が激しくなったところで葛西は転倒してしまった。


 葛西のすぐ傍まで歩み寄った不届きな大男。彼は彼女に顔をすぐそこまで近づけて、にへらりと笑った。


「やっと止まりやがったなぁ?」

「…………」

「さぁ………!こっちに来やがれ!!」


 勢いよく伸ばされた腕。葛西はもう逃げ切れるビジョンが浮かばなかった。警察の増援が来ない事実を察してから五分くらいは逃げていただろうか。しかし、相手との身体能力に差があり過ぎた。


 縮こまって頭を守る以外に出来ることはない。そしてその瞬間に思い浮かんだのはたった一人の人物だった。


 せめてシュン君だけでも………。無事でいてくれれば。


 次の瞬間に響いた音は、振り下ろされた腕の勢いとはあまりにも合わないくらいに軽やかな音だった。葛西はきゅっと瞑っていた目を恐る恐る開いて、目の前を見上げる。


「………おいおい?何だてめえは?つか、どこから出てきやがったんだ………?」


 大男によって振り下ろされた、ランドセルほどの大きさもある拳を難なく、軽々と受け止めて葛西の前に立つのは同じく筋骨隆々の大男だった。荘厳、厳粛、厳かの極みとも呼べるプレッシャーに、理知なる空気を纏う男。


「…………鳴上、さん?」


 あまりにも涼しげな顔で、目の前の巨躯を見上げる鳴上。体格差は鳴上よりも相手のほうがまた頭一つ分大きい。相手が大きすぎる。理不尽をそのまま擬人化したかのような巨躯。


「何というか。存在に、品が無いですね」

「んだと?お前、名前言ってみろ」


 大男を理知的な瞳で見上げてから呆れ口調で瞑目し、溜息をついた鳴上を大男は血眼になって睨みつける。


「私は仕事の最中で、このお二人に用がある。今私のスマートホンに入った緊急連絡のおかげで位置を特定することができたのです。すいませんがお早めに私の前からおどきいただきたい」

「ざけるなよぉーー!俺に勝てると思ってんのかぁ!?地下格闘技場を追い出されてんだよ、こっちは。生まれながらの『違法』………その俺を、楽しませてくれるんだろうなーーーッ!?」


 拳、拳、拳、拳、拳、拳。豪風が吹くと同時に振り下ろされるそれはもはや、プロ野球選手が金属バットをフルスイングするスピードとパワーをゆうに越えていた。何もかもを粉々にして吹き飛ばす彼の拳が幾重にも鳴上に向けて叩き込まれる。


 拳ひとつが着弾するたびに半径五十メートル以内に暴風と豪風が吹き荒れ、轟音が鳴り響き、衝撃が全てを吹き飛ばす。鳴上はそれを全て、両腕のガードを作って受けつつ、頭と顔を守り続けていた。


「……………!や、やめて!逃げてえ………!」


 葛西は目を剥いて、自分の目の前で盾になる鳴上に向けて叫んだ。勝てない。勝ち目なんてあるはずがない。さっき自分たちを助けようとして来てくれた警察官やパトカーが、全てこの男の暴力によってねじ伏せられ、吹き飛ばされるのをこの目で見ていた。この男と相対するなど、自殺行為だ。何も意味のない行為だ。自分を守ろうとして鳴上が死ぬだなんて。一体それは何なのか。それにも耐えがたい。


「…………あちらに倒れている彼を、お願いします。よくここまで誘導して逃げてきましたね」

「………!」


 葛西は走り出した。ひたすら盾になり続ける鳴上と巨大な弾丸のような拳の雨を振り下ろし続ける大男の脇を走り抜け、たった一人の愛する男のもとへ向かう。彼は今血を流していた。救急車を呼ばなくては。そういった車が来る気配もない。あれだけ人で賑わっていた繁華街が、まるで荒廃した都市のようだった。それを葛西は走った。走り抜けた。



 ……………………………………………………



 奥山は握った拳に感情を注入するばかりだった。その拳で阻止することはしない。できない。ヒロが作った資料がシュレッダーに掛けられて、もう残すは半分程度。


「ずっと私たちと笑っていればいいのよ。そうやって、何も考えずにね」

「はは、あはは」

「あら、上手じゃない?素質があるわね」


 笑う自分を見て、伊藤も笑っている。動くことができなかった。そうしていればいい、そうすれば悪いようにはしない、暗にそう言われている気がして。


 自分は一体何をしているのか。こんな光景を見るためにここに来たわけじゃない。だって私は、私は。私は。


 そのとき、伊藤が取った一枚の紙が引っかかった。あの雨の日に、時枝さんがすごく褒めてくれたのを今でも鮮明に覚えていて。


『早速?すごいですね。努力の成果が出てる』


 その報告の時に渡した紙だった。あのやり取りのおかげで、もっと頑張ろうと思えた。自分が頑張るために必要なものを一緒に探してくれる人だった。だから自分は時枝さんを信頼して………。


 そしてその紙もシュレッダーにかけられて、細切れの屑となってしまった。


 それを見た時に、奥山は自分の胸の中で何かがはじける音がした。そして伊藤に歩み寄り、シュレッダーの電源スイッチを押して止めた。


「は?何するのよ?」

「返して………!その資料を返してください!」

「邪魔ねえ」


 精神が強いわけでもなければ、身体もそこまで強いほうではない。奥山は突き飛ばされて、すぐに倒れ込んでしまった。資料を奪い取れていない。伊藤はすぐにシュレッダーのスイッチを入れてしまった。


 今度は後ろに回ってきた川村に、両腕を拘束されてしまった。奥山は動けない。叫ぶしかない。しかし口もすぐに川村の手によって塞がれてしまう。


「静かに」

「………………!」


 両手を掴み、口を塞いで、奥山と頬を擦り合いながら川村は面白がるように笑っていた。このままではヒロの作った資料は全て無くなってしまう。無くなってしまう。努力が、死にもの狂いの結晶が無くなってしまう………!


 涙が出てきた。どうして自分はこれほどまでに無力で、どうしようもなく使えない存在なのだろう。もっと気が利いて、都合の悪いことに目を背けずに戦うことができたら良かったのに、一体どうしてそれが出来ないのだろう。


 涙がぼろぼろと零れて、川村の手を濡らしても彼女は奥山の口から手をどかすことはしなかった。嘲るように笑っているだけである。こんなことのために私はここへきたのか。次に時枝さんと顔を合わせる時、なんて言えばいいのか。


 そんなふうに考えていたとき、こつこつと足音が響き渡るのを感じて、次の瞬間に伊藤の手元から資料が取り上げられ、シュレッダーは凄まじい勢いで蹴り飛ばされていた。


「………!?」


 奥山も川村も、驚きのあまり目を剥く。伊藤に至っては何が起こっているのかも半ば理解していない様子だったが、それをしでかした人物が誰かを認識した途端に瞳を憎々しげな怒りに見開く。


「離せ」


 伊藤に背後から近づいてもう半分しかなくなった資料を奪い取り、シュレッダーを蹴り飛ばして痛ましい音を上げながら横転させたのは古谷だった。古谷は青い瞳で川村を見て、ただその一言だけを突き放すような口調で刺す。


「………!」


 古谷の様子に気圧されるようにして川村が奥山から手を離すと、古谷は戸惑い続ける奥山の手を取った。そしてそのまま手を引いて、この場をさっさと去ろうとする。


「ゆ、ま」

「……………」


 しかし、川村が悪辣に足を引っかけたことで二人を逃がさない。引っかけられた古谷も手を引かれていた奥山も、一緒になってその場にすっ転ばされてしまう。


「ゆ、ゆーま」

「あすか。………思いやりだ。大事なのは思いやり」

「!」

「俺にいつも、してくれてたみたいに」


 尻もちをついたまま、いつの間にか握り合っていたお互いの手の温かい感触を感じながら、見つめ合う。古谷のどこまでも青い瞳に魅入られて、奥山は心臓を高鳴らせる。あのときの瞳だ。あの入社式の日に、助けてくれた彼の目だ。


「チッ。つまんないわね。さっさと返しなさいよ」


 伊藤が二人に歩みより、シュレッダーを再開しようと古谷から資料を取り上げようとした。


「ーーーーーー助けてーーー!!」


 奥山は瞑目し、全身の力を敢えて抜いて、腹の底から叫んだ。恐らくこの中では誰よりも通って響く声であろう。そんな彼女が、このフロア内で叫べばどうなるか。


「なんだ?このクソ忙しい時に」

「何かありましたか!?」


 燕のパワハラ騒動であれほどの影響が出た現場だ。すぐにこの場所の空気は一変する。


 弱き者を守る、そのために。あの日ヒロと鳴上の言い合いの場を終始しっかりとこの目に焼き付けていた奥山は、それを本能で理解していたのだ。すぐに多くの社員が、こちらに向かって走ってくる。


「………!最悪。覚えてなさいよ」


 憎々しげに頬を紅潮させた伊藤も、面白おかしげに笑う川村も急いで去ってゆく。駆けつけた社員達が状況を確認しにやってくる。


 その瞬間、腕をぐっと掴まれて振り向かせられた。何が何だか分からず呆然としたまま身を回された奥山は、そのまま、古谷に唇を奪われていた。


 抱きしめられ、キスをされて、奥山は目を見開いて驚愕する以外にできることが何もない。だけど確かに込み上げるものがあった。愛おしくて、愛おしくて、ずっとこうしていられたらと、否が応にも力づくでそう思わさせられるものが。


 駆けつけてきた社員たち十数名は若き新入社員の男女が熱々のキスをしているのを見て、唖然として立ち尽くした。そして十秒くらいずっとキスをしていた古谷は頬を真っ赤に赤らめて瞳を強い感情に揺らし続ける奥山を手放して、駆けつけた彼らに向けて挙手してみせた。そして、


「僕が彼女にキスしようとしたもんで、嫌がられて叫ばれました。だけど結局我慢できませんでした。どうかご勘弁ください」


 と、古谷はあたかも観念した罪人みたいな口調と顔で説明したのだった。



 ……………………………………………………



 できた。


 ……………出来た!!


「ふう………ふう………」


 渚は目を見開き、大きく肩で息をしながら狭い天井を見上げ、椅子に深くもたれかかる。イラストと、それをパソコンに入れ込む作業が完成した。ヒロへの愛とあの美少女キャラクターに対する嫉妬心から完成させた、その努力の結晶がついに。


 まだこのイラストを3Ⅾにして動かすには到底至らないけれど、完成したこと自体が嬉しいものである。


「どうせなら………私も、やってみたいもの」


 渚はそのまま作業を中断することはなかった。既に作業開始から六十時間ほどが経過しているが、その間渚は一睡もしていない。食事もしていない。たまに手元にあるウーロン茶をちまちまと飲んだくらいだろうか。


「待っててね。ヒロ。………絶対に、びっくりさせてあげる」


 某配信サイトへ登録し、作り上げたイラストを壁紙にして完成。動くわけではないが、配信部屋が出来上がりだ。


 登録ネームは『サナギ』にした。深い意味などない。自分の名前を前後しただけの、今この一瞬で作った名前である。


 早速配信を開始すると、二、三人くらいの人が見に来てくれた。渚はこの時のために買ってきた安いマイクのスイッチをオンにするが、その瞬間に馬鹿みたいにテンパってしまう。


 何を話したらいいの?分からない。何を話したら喜んでもらえるの?どうしたら笑ってもらえるの。


 そんなふうに考えて無言でいると、来てくれていた三名の視聴者はすぐに去ってしまった。渚はあっ、と思わず声を上げる。その後二分くらい待ってみるが、なかなか視聴者は入ってこない。


 諦めちゃだめ………。どうしてわざわざここに登録したのかを考えなくちゃ。コミュ障を直して、絶対に同窓会は失敗しないためなんだから。


 決して諦めない意思を瞳に宿し、また新たに入ってきてくれた二名くらいの視聴者に向けて話しかける。しかし、滑ってまた視聴者が消える。次新たに入ってきてくれた視聴者に向けてまた喋りかけ、しかし失言してすぐ消える。を繰り返し続けた。


 どうしたらいいの………?


 一体どうしたら皆、私の話を聞いてくれるの。


 渚の不眠不休の試行錯誤はもはや、何百回に到達しつつあった。差し込んだはずの朝日がどんどん昼を示すように高く昇ってゆく。


 色々な方法を試した。様々な喋り方を試して自分にしっくりくる方法を探した。


 私がどんな喋り方をすれば、皆は振り向いてくれるだろうか。あの時ヒロがウワキしてた配信者は、明るくて甲高い喋り方をしていた。


「ヘイヘ~イ!マイネミズ、サナギ。イエ、イエ~!パリナイ、イエ~!」


 どんな話題を吹っ掛けるか。どんな風にタイトルを入れ込んだら皆が楽しんでくれるのか。皆の目を引けるのか。しかしただ自分が盛り上がっているだけではすぐに視聴者はいなくなってしまう。これではだめだ。すぐに作戦を変更し、次なる作戦を実行する。渚はもはや戦っていた。戦士になっていた。


「サナギっていうんだお~★ あんこの惑星から地球に侵略に来ましたあ★ ドーナツにしちゃうぞ?♡ きゃぴ、きゃぴっ♡」


 足掻くように実に様々な方法や話題を模索して、筋トレするかのように繰り返し続ける。試行錯誤を繰り返すが、結果は見えない。渚はもはや、ヒロに目にモノを見せるという執念だけで身体と脳を動かしていた。寝ずに過ごすというのは忙しい現代人にとって避けて通ることができないことも時にはあるかもしれないが、既に渚が活動し始めて七十二時間が経過しようとしている。これ以上継続しての活動は本格的に人体へ悪影響であり、最悪の場合は一生涯消えずに残る目の下のクマや精神障害など、致命的な後遺症が残る可能性がある。


「ワールドカップ見た!?♡ 日本、過去のリーグでも見ない快挙なんだって、凄いよねー!?★」


 渚はめいっぱいの笑顔と普段のオクターブの三、四段階以上高い声質でマイクに語り続ける。食事もそう。眠ることもそう。ヒロと過ごす夜を妄想することもそう。ヒロと一緒に過ごした夜のことを思い出して静かに頬を染め、息を乱し、抱き枕をきゅっと抱きしめることもそう。全て渚にとって、重要でかけがえのない日々だ。それらを全て投げ打って、投げ捨てて、たった一つの成果を追い求めてひた走る。血肉を結果に変えてみせる。その為に走る。全力を目の前のモニターとマイクにぶつけ続けろ。


 しかしどれだけ頑張っても、何をしても、なかなか視聴者は寄り付かない。二、三とゼロをひたすら繰り返し続けている。


「皆さんは地球から三百光年離れたところにある惑星、ケプラー1649cをご存じでしょうかっ?★ これは人間が住める可能性がある惑星で……(ネット記事ガン見)」


 もしや知性が足りていないのではないかと思い、難しいことはさっぱり分からないが、何やら知的な雰囲気漂うネット記事を読み漁り、それをガン見して喋ってみた。そして専門用語で容赦なく舌を噛み、血の味がした。


 しかしそれだけ身体を張ったとて、当然のように視聴者は安定しない。擦り切れてしまいそうだ。何も成果が出ない。先ほどからこちらは様々な方法を試しているというのに、こんなに血の滲むような頑張りを発揮しているというのに、視聴者数が安定する気配は全く感じられない。もう時間がない。ヒロと一緒に同窓会に参加する日はすぐそこまで差し迫っているというのに。


 自分がやっていることに意味はあるのか?何ができるのか?


 もっとウケのいい話題は?もっと面白がってもらえる喋り方は?何をしたらいい?何を見ている?皆が受け入れたくなる私は、一体どこにいる?


 アイドルになり切れ。私はアイドルになる。キラキラのアイドルで、私を見たヒロは頬を赤くして息を呑んで、ゆっくり私に歩み寄ってくるの。そして…………私を抱きしめて。


「最近の総理大臣の自堕落ぶりは目を見張るものがあるよねっ!?私たちが収めた血税を何だと思ってるんだかね!?ぷんぷ~ん★」


 そんなこんなで、試行錯誤し始めて相当長い時間が経過していた。渚の起床時間はもう既に八十時間になろうとしているだろうか?常人離れした集中力も、流石に限界に達しようとしていた。だけどそれも、ヒロへの愛があれば無限大となる。限界など、ありはしない。



 ……………………………………………………



 あれからどれくらい経過しただろうか。それすらよく分からないままに、渚は未だ配信をやめていなかった。


 眼球がひん曲がりそうだ。脳みそに血が足りていない。全身の血が停滞しているように感じる。瞼に重りでも付けたかのように眠たい。もう何も考えられない。それでも渚はやめなかった。


 渚の身体には完全に限界がきていた。雄たけびのような叫び声を上げ、マイクの音割れへの配慮すら一ミリもせずに拳を机に力いっぱい叩きつけ、


「ねえ………!ねえっ!!皆聞いてよ!私の彼氏がね。どうしようもなくカイショーなしなわけ!どう思う??どうしてそうなんの!?こんなに可愛くてお料理も家事も完璧なこの私をエスコートしようとか思わない訳!?この間なんてね、私じゃない女の配信見て鼻の下伸ばしてたんだよ?〇していいよね?」


 アイドルになり切ってみせるという誓いは一体何だったのか。渚は眉を吊り上げ、興奮気味で喋り続けていた。言葉遣いなど知ったことか。自分を高めるだの、成長だの知ったことか。いつの間にか自分が雑談配信を始めた理由すら忘却の彼方へ吹き飛ばされる。


 しかし何とも驚くまいことか、皮肉なことだが、そのあたりから突然視聴者が安定し始めた。視聴者の数は二十人くらいに昇っている。


『寝ろ』『彼女さん可哀想。俺だったらそんな風にはしないけどなー(チラッチラッ)』『寝てください』『舌回ってないw』


『明日も来るからね』『頑張って』


 もはや渚は誰に楽しんでもらうとか、そんなことは考えてはいなかった。何も考えてはいなかった。頭は空っぽだ。何を考えているのかと問われれば、私は分からないと答える。至高の領域か?精神と時の部屋か?透き通る世界か?私は一体どこの誰で、どこに居るのか?ただそこにあるのは熱意だけ。そんな不器用な思いに答えるかのように、視聴者さんがコメントをくれていたのだ。


 楽しいかも。だって、私の本当の声を聞いてくれる人たちがいるんだもの。


 あれ?雑談のコツって、もしかして。


 渚は配信のスイッチを切って、フラフラとベッドに向かい、バタリとうつ伏せに倒れ込んだ。そしてスイッチが切れたかのように、死んでしまったかのように深く、深く眠った。夕日を背中に受ける渚の眠りは、二度と目覚めないのではないかと思わされるほどに深かった。



 ……………………………………………………



「オラオラオラオラオラオラオラァ!!」

「………」


 叩きつけられる鉄風の豪拳、それを鳴上は両腕の筋肉のカーテンで受け続ける。


 凄まじい衝撃だ。まるで無数の隕石が地に落ち始めたみたいな地の揺れが収まる気配もない。葛西に出来るのは、ボロボロになって薄目でぼんやりと世界を眺める北沢を抱きしめていることだけだった。


 屋根の下敷きになっていた北沢を助け出した葛西は、陰に隠れることもできず鳴上の様子を見ていた。先ほど転んだせいで葛西自身も出血しているし、緊迫した中で走り回ったことから北沢をこの場から動かす体力ももう残されてはいなかった。


「まさか………」


 鳴上さんが負けるかもしれない。もしそうなったらと考えて葛西は背筋を凍らせる。しかし一体どうやってこの場を離脱するのか。鳴上が負ければ、もう詰みだ。もう自分も北沢も動けないのだ。売上がどうのこうの以前に、私はあいつに連れていかれてしまう。


「甘ぇぞ!ハハハハハ!」

「………………!」


 暴虐の大男による、弾丸のような蹴りが鳴上の腰に炸裂した。それを防ぐこともできずに直で食らった鳴上は凄まじい勢いで吹き飛ばされて、百メートルほど離れたビルの壁へ叩きつけられた。ビルはその部分を起点として轟音と大量の煙を上げ、大穴とともに傾き、地が揺れる。


 そんな………!!


 最後の頼みの綱であった鳴上は居なくなってしまった。吹き飛ばされてしまった。大男はあまりにもゲスな表情で、うずくまる葛西と倒れ虫の息の北沢に微笑みかける。


「これで、終わりだなぁ」

「………」

「金はもう貰って、仲間に渡してあるからよ。おめえが大人しくついてくるなら、そいつの命は取らねえでやるよ。どうすんだ。え?どうすんだ」


 シュン君。そして時枝さんや、可愛い後輩であるあすかのことを思い出した。あすかちゃんは手が焼けるから、まだまだ面倒を見てあげなければいけないというのに。


 時枝さん。お世話になったお礼がまだできていません。他のメンバー達ももちろんそうだ。


 そして誰よりも。


 葛西は膝枕していた北沢の頭を優しく地面に置いて立ち上がり、大男を真っ直ぐに、真剣な眼差しで見上げる。


「無論、ついていきます。この人にはくれぐれも手を出さないでください」

「おぉ、やっと観念したか。てかおめえ、しっかりした喋り方できんだな?」

「………」

「ま、何でもいいわ。さっさとついてこいって。俺ほど強い男に目をつけてもらえるなんて、お前も幸せだな!?ハハハ!」


 大男に腕を掴まれる。何という大きさの手だろうか。無理やり逃げるなんて、絶対に叶いはしない残酷な手。それに引っ張られる。引っ張られ、連れていかれる。


「北沢さん。………デートは、またの機会ですね」


 葛西はすぐそこに吹き零すような小さな声でそう言って、大男に手を引かれながら共に一歩、二歩とその場を踏み出す。


 都市の繁華街とは思えない程に荒廃としていた。何らかの警報が出たのか、どう見渡しても人はいない。本格的に犠牲者として選ばれてしまったという自覚が出てきて泣きたくなった。


「楽しみにしとけって。俺の家は豪華だからよ」

「そうなのお?うふふ」

「ああ。早く見せてやりてえぜ」


 嫌だなあ。行きたくないなあ。ねえ。行きたくない。行きたくないよ………。


 口に手を当てて、大男と一緒に笑う。涙が零れそうだった。今すぐ舌を噛み切ってしまいたかった。そんな泥にまみれた思いに浸っていたそんな時に、


「ざけ、るなよ………!」


 信じられないことに、もう聞くことは無いと思っていた声が大男と葛西の背中を突いた。振り返ると、満身創痍の北沢が血を吐きながら、生まれたての小鹿のように足腰を震わせながら立ち上がって、大男を睨みつけていたのだ。




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