第3話 雑誌
渚のマンションの最寄り駅に着いた。あと少しの辛抱だ。ヒロは疲れた顔で改札を通り、舗装された道を歩いた。
そういえば、渚は何をしてるだろう。俺が遅れると聞いて、渚は何をして過ごしているのだろう。
先に映画を観てしまっているだろうか。そうなったら、何か代わりの遊びか映画を見つけないとな。
約束の時間まで、あと二十分くらいある。大丈夫、渚のマンションに着くのも含めてまだ余裕だ。
ヒロはそう考えて、スマートホンで面白そうな映画を探そうとした。しかし目の前に大男が立ちはだかっている事に気づかず、正面からぶつかってしまった。
見上げるとそれは、先程別れたはずの大男だった。全く同じ場所で、全く同じ人物との再会。
そんなことは有り得るはずがなかった。だってこの男はさっき、大型家電量販店で───
「時枝殿。────拙者は悲しい」
「鳴上?何でまたここに?」
「迷える子羊とは拙者の事でござるよ。モテる男になる為のセミナーに参加出来るという情報を掴んだので急ぎ参加したが、本か何かで見たような情報しか渡されず、怒り狂って途中で抜け出して走っていたらまたここに辿り着いてしまった」
「そんなにモテたいのか?大変だぞモテるのも。多分」
ヒロが学生時代モテモテの男だった事は間違いないのだが、それはあくまで他者の評価だった。
自己肯定感がガバガバである当の本人は、それを断固として認めない。
認めないというか、モテるのモの字すら自分には縁がないと考えている。
そもそもそんなセミナーこんな所でやってたっけ。そう思いながら、何の気なしにそう返したヒロ。しかし鳴上はビッと勢いよくヒロを指さした。
「時枝殿ほどの男であればそうでござろうな!しかし……拙者はどうだ。拙者とて恥じない学生生活を送ってきたはずだった。なのに、なのに………ッ!」
「な、鳴上さん?」
「決めた。────拙者は、″蝶″になろう。夢幻と華園を飛び回る美しき、何ものにも干渉され得ぬ、そんな存在に────」
何言ってんだこいつ?
早く渚の家に向かわなくては。そう思ったヒロは鳴上の横を通り過ぎようとした。
しかし次の瞬間、ヒロの身体は大男の両腕によって軽々と持ち上げられていた。
「あっちょっ待て!ざけんな!おい!マジで!」
「貴殿だけここで逃すとでも思ったか?時枝殿。誓ったでござろう?生涯、拙者と″″″″添い遂げてみせる″″″″と────」
「誓ってないよ!???」
そしてヒロの悲鳴が響き渡ったが、数秒後にはその叫びも虚しく霧散した。
ヒロを担いだ鳴上は先程とは比にならないスピードで野を掛け、山を掛け、時に海を渡った。
「だぁぁーーーーーーーーーっ!誰か助けてぇーーーーーーーーーっ!」
自由の女神だ。あそこに自由の女神がいる。
明らかに日本人でない金髪の民族がそこに居た。
極寒の氷山でペンギンと戯れる重そうな防寒着の人を見つけた。
明らかに軍事施設と思われる場所で、武装した兵を数人引き潰した。もしかしたらイラン兵かもしれない。
あれ?でもそこには凱旋門が。
と思った次の瞬間には高く飛び上がりながら、ブルジュ・ハリファの横を通り過ぎていた。
あまりにも高速移動しすぎて、次第に自分の肉体が存在しているかいないかも曖昧になった。意識ある故に生があると断言出来るか?だってこんな景色、見たことがない。
もはや景色は真っ白になったが、やがてそれが漆黒であるということに気づいた。何も無きも多く有るも、死と生すら交わり合い、一つになり、変わらない世界がそこにはあった。自分が夢の中にいるのか、生きているのかも分からなくなった。
これ、間違いなく世界最凶のジェットコースターだろ。
ガチで死ぬのかもしれないと覚悟したが、鳴上は十五分くらい世界を縦横無尽に走ると、結局さっき電車に乗って離脱したはずの、例の大型家電量販店の入口前に戻ってきてヒロを降ろした。
いや、何でここなんだよ!?元の場所に戻せよ!???
どんだけこの場所に連れてきたいんだよ!?
そう叫びたいのは山々だが、もう声を出す気力も立っている気力も残っていなかった。降ろされたヒロはその場で倒れ込み、ぜぇぜぇと息を吐いた。
「ぬ?十三時半ではないかッ!そろそろ友の皆と甘目まどか新グッズの物色会!遅れては居られぬ!時枝殿!早く行くぞッ!」
「…………」
鳴上はヒロがついてくると当然のように考えてそう言うと、厳かな足取りで大型家電量販店へ入っていった。
ヒロはしばらく起き上がることが出来なかった。生と死の狭間からの生還に、肉体が安堵している。緊張状態からの解放を、全身が全力で謳歌していた。
「何で、こうなる………」
わざわざまた電車に乗って、もう一度渚のマンションの最寄り駅に着いたはずだったのに。
往来の中でぶっ倒れていると、親切そうな人にめちゃくちゃ心配された。その手を取って起き上がり、礼を言ってとりあえず近くのベンチに腰を下ろした。
スマートホンが震え、手に取ってみると渚から電話が掛かってきていた。時刻は十三時四十分だった。約束の時間をまた、過ぎている。
ヒロはその電話に、出ようとして────やめた。
その応答ボタンはヒロにとって重たすぎるボタンだった。その後も何通か、渚から連絡が来たが返さなかった。
返せなかった。罪悪感が、途方もなくのしかかって。
ヒロは重たい息を吐いて項垂れてから、立ち上がって大型家電量販店前を後にした。
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定食屋で飯を食い、街をブラブラと歩いていた。時刻は十六時といったところか。空を見れば既に日が暮れそうになっている。
鳴上に大型家電量販店の前で降ろされた直後、渚から電話があってそれに出なかった。
それ以来、何か追加で連絡がくることは無かった。約束は果たされぬまま、宙に浮いていた。
ごめん。渚。
とりあえず鳴上は次会ったら殴ろう。一言断ったうえで一発殴らせてもらおう。経緯を話せばそれくらい許されるはずだ────
そんな事を考えながら顔を上げると、ヒロの視界に飛び込んできたのは多くの店が立ち並ぶ中に紛れた、小さな古本屋だった。
中を覗くと、たまたまか分からないけれど、渚がどこの古本屋を周っても全然手に入らないと嘆いていた月刊料理雑誌のレア版がある。
二〇二四年の四月号がどうしても欲しいけど、古本屋を周っても無いし、何故か電子化もされていないって言ってたな……。
渚の部屋にあった本棚を見た時も確かに、二〇二四年三月号と五月号はあるのに、四月号だけが抜けていたのが印象に残っている。
「これだよな?」
店頭に置いてあるのが、まさにその二〇二四年の四月号だった。
ヒロはその料理雑誌を手に取り、千円札いくらか出して購入した。明らかに元の値段より、遥かに高額な金を払って。
「あなたすごく運が良いわね。それは本当にさっき、久しぶりに入荷した激レアなのよ。ネットで無理矢理手に入れようとしたらオークションで二十万円くらいになるかもね」
「そんなレアなんですか!??」
「そうよ。それを探す為に仕事を辞めて、全国の古本屋を旅する人だって沢山いるくらいなんだから」
本当にそんなことがあるのか。それを数千円で買えてしまったのだから、もはや僥倖どころじゃない気がする。
そして気になったので本の中を見てみると、
「わ!すげ………俺が好きな料理ばっか」
ヒロが好きなスタミナがつく大衆料理や、中華のメニューがびっしり詳細に載っていた。
「まさか俺のため………なんて、流石に妄想が過ぎるけど………」
渚がこれを喉から手が出る程欲しがっていたのは事実だ。
古本屋から出たヒロはその本を大切に大切にリュックにしまい、スマートホンを取り出し、渚に電話を掛けた。
「もしもし。渚?ごめん、連絡遅れて」
『…………』
応答自体は一秒でしてくれた渚。しかし何も喋らない。それもそうだ。だって折角のお家デートの約束が果たされず、台無しになっているのだから。
「今から行っていいか?渚にどうしても渡したい物が」
『嘘。どうせ何か、抜けられない用事かお仕事でもあるんでしょ?来なくていいよ』
渚の声色は本当に元気が無かった。
否、元気が無いのを隠そうとしているような、ヒロに迷惑をかけまいと思いを押し殺しているのが分かる声だった。
『来れないなら来れないって、はっきり言ってくれたら良いじゃん。私だって考えるもの』
「違う。違うんだって………!渚!」
『違うってどういうこと?じゃあ、来れるけど来たくなかったってこと?』
「………とにかく待ってろ。今から行くから」
やっぱり抑えようにも抑えられないのか、渚は怒っているのが分かった。
この場で言い合う事に何一つとして意味が無いため、ヒロは電話を切った。
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「ヒロっ!」
「うわぶ」
マンションに到着し、玄関が開くと飛びついてきた渚が出迎えた。ヒロはどうすれば良いか分からず、渚に抱きしめられるがままだった。
渚はヒロから離れると、不満げな瞳を濡らして眉間に皺を寄せた。
「………何があったんだろうって、でも、何回も連絡したら迷惑な状況かもしれないって。分かんなくて、どうしようっていっぱい考えたんだよ?心配させないで」
「ごめん。ほんと。お詫びっていったらなんだけど、買ってきたものがある」
ヒロは渚に、買ってきた本を渡した。
すると渚は流石に酷く驚いたらしい。社会人になってからずっと欲しがっていたらしいその本は、渚の目を爛々と輝かせている。
「すごい、すごい!ありがとう。もしかして、これを探してくれてたの?」
「違うといえば違うし、そうだといえばそうかもしれない」
「これ………すごく高かったよね?待ってね。お金……」
「気にしなくていいよ。お詫びの印なんだから」
財布を出そうとしたのを止めると、渚はきょとんとしてからため息をついた。
「………やっぱり、ヒロはおバカさんだよね」
驚いたヒロだったが、何かを言う暇も与えられないまま渚に手を引かれていた。
渚は悪戯っぽく笑い、心底嬉しそうに頬を染めていた。
「映画観よ。早く」
「あ、ああ」
「もちろん褒めてあげるけど、まだ機嫌良くなった訳じゃないから。本一冊で私のご機嫌取れただなんて、勘違いしないでよね?」
「分かってるよ」
明らかにご機嫌な顔でそう言う渚に、ヒロは苦笑いをした。そしてヒロは手を引かれて渚の部屋の扉に吸い込まれ、消えた。




