第19話 もう自分にも、何にも負けない
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ずっと悩ましい感情を抱えたままだった。時枝君が目を合わせてくれても、私はその場から逃げるばかり。
私は朝立ち寄ったコンビニで、時枝君が公園でくれた苺味の飴を探した。案外すぐに見つかったので、それを真似して同じものを購入した。そして授業の合間に食べた。
美味しい。
苺なんて、好きでも何でも無かったはずなのに。
二限目は社会科室でのグループワークだった。グループワークの時だけいつも一緒になる、私と同じ無口でほとんど友達が居ない女の子が居た。その子はいつも、私に対して上から目線だった。
私の髪がボサボサで目も隠れてて、身なりも汚いからかもしれない。私はその子が苦手だった。
しかし今日はその女の子が体調不良で学校を休んでいた。先生は至っていつも通りに、私たちに二人以上のグループを組むように言った。
ど、どうしよう。私、グループ組む人どころかお話する人もいないよ。
私が内心慌てふためいていると、時枝君がさりげなく来てくれた。いつも組んでいる友達からの誘いを、わざわざ断って。
教科書を持って隣に座った彼は、私を透明な瞳で一瞥するとにこり、とだけ笑いかけた。
「と、時枝君………!」
「草津さん。教科書は三十七ページだって」
「えっ!?うん」
時枝君が来てくれた事に気を取られ過ぎて、先生がとっくに話し始めている事に私は気づかなかった。未だに教科書もノートも開いていない。
私のバカ……!慌てふためいて教科書を開き、先生の話を聞くふりをした。
本当は、こうして時枝君が来てくれる気がしていた。同じような状況になった子を見つけたら、派閥もカーストどころか学年も関係なく助けてしまうのが時枝君だと知っていたから。
いつも甘えてばかりの自分が、嫌になってしまう。自分を嫌いになりながら先生の話を理解して頷くふりをしていた。そして隣に居る時枝君を、気づかれないようにちらちらと見た。時枝君は授業中であっても、先生や黒板以外にも色々なところに目を向けていた。静かな眼差しで、教室の隅々を観察しているみたいだった。
たまたま入ってきた先生の話をメモしようとするが、盛大に書き間違えた。そしてあろうことか、その日に限って消しゴムを忘れていた事に気づいた。
私は全身に汗をかいていた。涙すら出そうな気持ちで、静かな表情の時枝君に声を掛けた。
「ごめん……。時枝君。消しゴム、借りてもいい?」
「ん。いいよ」
表情も変えずにこちらを見た時枝君は、にこっと笑って私に消しゴムを貸してくれた。スリーブには、緑を背景にした可愛いひよこのイラストが描かれていた。
「一日持ってていいよ。俺、二個持ってるから」
「ありがとう……」
そんなやり取りをして、しばらくすると授業が終わった。私はどうしても時枝君と話がしたくて、立ち上がった彼を呼び止めた。
「あ、あの。げっげげ、ゲーム」
「ゲーム?草津さんほんと上手くなったよね。もっと自信持ってもいいのに」
「へへ」
時枝君は少し考えるように目線を斜め上に逸らした後、ひらめいたように目を見開いて私を見た。
「草津さんって今日、夜って空いてる?」
「へっ!?よ、夜!?」
「うん。一緒に少し電話しながら、ゲームやらない?」
そう問いかけた時枝君の澄んだ瞳を見て、私の脳はその数秒で今生最大の回転をした。
「し、したい……!でも、週末でもいい?」
「週末?」
「ちょっと今夜は、その。よ、予定があるから」
「そうなの?うん。全然いいよ。じゃあ土曜日にしようか?」
「うん。ありがとう」
時枝君は深く考える素振りもなく、頷いてくれた。
本当は予定なんて無かった。だけど、心を落ち着ける余裕が欲しかった。上手く電話が出来るか分からなかった。心の準備をするために、わざと時間を空けた。
時枝君とお話が出来る……!
私は既に、数日先の事を想像して浮ついていた。
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時枝君とお話出来る時が、いよいよ明日に迫っていた。高鳴る私の胸とは反対に、日常はこれまでと何ら変わらずに過ぎ去っていった。
私は一人教科書と筆記用具を胸に抱えて家庭科室に入った。この日の三限目は選択科目の家庭科で、私の超得意科目。
更に、今日する内容は調理実習。
超超超得意と自負している料理スキルを使える。私が唯一、完全無双出来る時間だ。
班長の号令をもって、その班の実習が始まる。
私が班長なので、号令しなければ。
「えーわたくし、僭越ながら、無双させていただきます」
「む……無双?」
「草津さん何言ってんのー?」
「ア、アア!あの、今のは忘れて……」
「あはは!確かに草津さん料理超上手だから。おもしろいね」
「面白いよー、渚ちゃん〜」
号令しようと思ったのに、実際口からは変なセリフが出てきてしまった。
か、顔が熱い。熱いぃ………恥ずかしいよぉ………
実習で同じ班の女の子たちは、そんな私の発言にちょっと戸惑いを含みながらも笑ってくれた。
この辺りから、私の中で現実とバーチャルの境界が曖昧になっちゃう時があって、たまに変なことを言ってしまうようになった。
実生活に支障が出るって、こういうことを言うのね。
しかし人からするとそれがユーモアを感じて面白いらしくて、この時を機に少しずつ友達が増えていったと思う。
ジリリリリリリリリリリ!!
突然、警報が鳴った。
どこかから、焦げ臭さもする。
家庭科の先生が全体に声を掛けた。
「火災だ。皆慌てずに外に出てー」
隣の家庭科室かな?
突然の出来事に騒然としながら、ベランダの戸を開けて皆脱出していく。
「押さずに出てねー慌てなくていいから」
先生の声がけに従って外に出て振り返ってみて、私は酷く驚いた。
隣の家庭科室一面が、火に包まれている。
「消化器が全部古くて、故障してたんだって」
「えー!!やだ。設置してる意味無いじゃんね」
「今消防車呼んでるって」
徐々にほとんどの生徒が校庭に集まってきて皆の話を盗み聞きする中で、何となく事情が分かってきた。
あれを消す術が今、無いんだ。
ボォォン!!
家庭科室を中心に突然爆発を起こし、生徒たちはどよめいた。
校舎が三つあるうち、私たちのいた第一校舎全体が炎に包まれていく。
「先生!女子が一人いません」
点呼の最中、どこからか声が上がった。
別の学年の女生徒が一人、いないらしい。
その友達らしき女の子が泣き出した。……あれは、三年生?
「ごめんなさい……あの子、確かお手洗いに行ってたんです。気づいてたんですけど、警報も鳴ってたしすぐ戻るかなって、そのままその事誰にも言わずここまで来ちゃって…………!」
それを聞いた私はもう一度校舎を見た。
あの火………もう、校舎全体を覆ってる。
しかも厄介なことにあの校舎のお手洗いは奥にあって、近くに脱出できそうなベランダや窓は無かったはず。
女の子は言い終えると、泣きじゃくってしまった。
先生達は騒然としてどうすればいいか分からず、狼狽えていた。
その時、突然大勢いるうちの一人の男子生徒が立ち上がって、校舎に向かって走り出そうとした。
あれは……
時枝君!?
体育だったのか、ジャージを着ている。
というか、嘘でしょ?
まさかあの中に行くつもり?
「時枝!どこに行くつもりだ!?」
体育教師は時枝君の腕を掴んだ。
「どこって、あそこです。離してください」
「座りなさい!消防車がもうすぐ来るから」
しかし時枝君は先生の腕を力づくで振り払い、校舎へ駆け出して行った。
「先生は辺りに居ないか確認をお願いします!俺は中を見ますから!」
「ま、待て時枝ぁ!!生徒の行動は許可していないぞ!?」
体育教師が叫ぶが、時枝君は振り返る素振りすら見せず走っていった。
辺りはどよめく。
体育教師も立場が無くなると思ったのか、時枝君の後から走っていった。
時枝君は何も躊躇うことなく、校舎の中に入っていった。
「トキ!?嘘だろぉ!?」
「バカヤロウー!!だがかっこいいぞトキーー!!」
「時枝先輩ぃぃぃぃぃ!!」
しかし次の瞬間、校舎で二回目の爆発が起きた。
轟音とともに、校舎は徐々に倒壊を始めた。
校庭中が騒然としてパニック状態となるのを眺めながら、私は頭の中が真っ白になるのを感じた。
う、うそ。時枝君………。
どうしよう、どうしよう………?
もしこのまま時枝君が死んじゃったら?
時枝君は既に火だるまになった校舎の中に入っていって以降、出てくる気配はなかった。時折木材が焼けた地面に勢いよく叩きつけられるみたいな、残酷な轟音が響き渡っていた。
あの中に入ったりなんてしたら、まず服も肌も焼け焦げになるのが避けられないのは一目瞭然だった。
今の今まで自分を変えたいなんて思っていた。
自分を変えられない事が嫌だと思って生きてきた。
だけど、そんなの全部塵に感じる程の後悔が私の中をのたくっていた。
後にも先にももうこれ以上は無いであろうと思う程の、激情が私の中を暴れまわっていた。
やがて、消防車のサイレンが聞こえてきた。半分ほど校舎が崩れ去り、中で誰かが生き延びるのは絶望的な状況だった。
だけど時枝君はとうとう、戻ってはこなかった。皆が立ち上がって校舎に注目する中、私は体育座りをして咽び泣いた。
私、なんでもっともっと時枝君と話さなかったの?
なんで時枝君の視線を感じておきながら、それを無視して立ち去ってきたの?
お話出来るチャンスを、どうして週末になんて回したの?
私は手を合わせて、必死に祈った。
お願い……神様……!時枝君、生きてて……!
もし生きててくれるなら、…………私は。
もう自分にも、何にも負けないから。
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激しい轟音が鳴り響く。どんどん校舎が崩れてる。
出れなくなる前に早く女の子を……。
てかあっつ!熱い熱い。ジャージに引火しそうになるたびに、高く上げて火を避けた。
苦しいし。このままじゃ一酸化炭素中毒で死ぬ。その前にどうにかしないと。
黒縁眼鏡に熱が伝わって熱すぎるから外したいけど、外しちゃうと目が見えなくなるし……。
お手洗いのすぐ前のところで、ポニーテールの女の子がうずくまっているのを見つけた。
近くに駆け寄ると女の子は絶望の表情でその場に座り、涙を流して震えていた。
「大丈夫?まだ間に合うから、早く外に出よう」
俺に気づいた女の子は目に生気が戻り、全くもって信じられない光景を見るような顔で俺を見ていた。
でも、すぐに諦めの表情で自身の下半身を見て言った。
「あ、ありがとうございます……。でも…実はさっき勢いよく転んで、破片が刺さってしまって……もう足が動かないんです」
女の子はブレザーで隠していた足を俺に見せた。
右足に大きなガラスの破片がいくつか刺さって、血が大量に出ていた。
声色にも、諦めの色が滲んでいた。
「うん、うん!!大丈夫!!!」
「ひぇぇ!?」
「肩貸すよ肩!!」
「ひぇ?」
だけど俺は、聞こえないふりをして肩を貸して女の子を立ち上がらせた。
女の子は小動物のような情けない声を上げた気がしたが、血や痛みに狼狽えている時間はもうない。
いつ、天井が降ってくるか分からない。
早く行かなければ。
消防車のサイレンが聞こえる。助かる可能性全然あるよ。
「ごめんなさい……私なんかの、ために……。っ痛っ……」
「助かるよ!大丈夫!あそこまで歩けば!!」
しかし痛みは酷いようで、女の子はすぐにうずくまり動けなくなってしまった。
辺りの火は一層燃え上がり、後方は既に天井が少しずつ崩れ落ちてきている。
俺らがいる場所の天井が、ひび割れてグラグラと揺れ始める。
もう、倒壊が始まる。
女の子は心底申し訳ない、というように俯いた。
「ご、ごめんなさい。私やっぱりもう……。時間もないし、あなただけでも逃」
「うるせーーーーっ!!!!生きろ!!!!!」
女の子はハッ、と顔を上げて俺の目を見た。
気づいたら俺は叫んでいた。諦めたその子の様子を見て、悲しみや焦りとかよりも、湧いたのは『怒り』だった。
柄にもなく怒鳴りつけてしまったけど、なりふりは構ってられなかった。
諦めを口にするその子の目は、どんよりと曇って濁ってて。
だけど心の奥でどこかで微かに助けを求めて、手を差し伸べてもらえるのを待っているような、そんな目をしていたから。
どうしても、生きて欲しい。そう心が叫んだから。
「大丈夫」
女の子はようやく明るい目の色に戻って、真剣な眼差しになった。
「はい!」
安心した。生きたいって顔してる。
俺は女の子に改めて肩を貸して、一緒に出口近くまでやってきた。
同時に建物内に大量の水が噴射され、消防の人が助けに来てくれた。
やっとの思いで外に出れて。
それと同時に、脱出した俺と女の子の後ろで校舎は大きな音を立てて全て崩れ落ちた。
それ以降の記憶は、ない。
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俺は病院のベッドに横たわっていた。
すぐ横に、母親と俺を止めた体育教師、医師がいた。
母は悲しみに眉を顰めていたが、俺が目を覚ました事に気づくと大きく見開いた。
「広志……!良かった……心配かけさすんじゃないよぉ……!本当に……」
ずっと俺の横で見守ってくれていたらしい。そして母は突っ伏し、声を上げて大号泣し始めた。
そんなにおおごとか?
……おおごとか。
母が泣いてる姿をぼんやり見ていると、体育教師が少しバツの悪そうな顔で俺の傍に寄ってきた。そして俺に真剣に頭を下げた。
「広志君。君のおかげで一人、三年生の女子が一命を取り留めた。足の治療で、学校復帰はまだまだ先だがな。本当にありがとう。無事でよかった」
助けたのは、一つ上の先輩だったのか……。
「広志君は奇跡的に軽傷なので、明日には退院できますよ」
医師も安堵した様子だ。
「ありがとうございます」
手荷物を近くに持ってきてもらっていたので、スマホを見ると草津さんからライヌが十通くらい届いていた。
心配かけたなぁ。
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退院し学校に行くと、皆が盛大に迎えてくれた。
退院祝いと言って、沢山お菓子をもらった。
放課後、ライヌで約束した通り草津さんの待つ外のベンチへ向かった。
!?
誰?
草津さんがいつも座ってるベンチには、きちんと手入れされた綺麗な黒髪にすらっと真っ直ぐ伸びた背筋で上品に座る女の子が、退屈そうに頬杖をついてスマホを眺めていた。
その子は俺を見ると、立ち上がって寄ってきた。
「あー。やっと来たー」
歩き方から立ち振る舞いの全てが可憐なその女の子らしい女の子は、ずっと親しい間柄だったかのように、ゆらゆらと俺の目の前にやって来た。
誰?
「え?ごめん……誰?まさか草津さん?」
その可憐な女の子は正面から慌てふためている俺を見つめながら、眉を吊り上げていた。
だけど怖くないし、不思議と怒っている感じも全然しないのだ。
その子は慣れない声を出す前みたいな咳ばらいをして、再び俺の目を見た。そして柔らかな、ラフな表情を作ってみせて言った。
「草津ですー。てか、呼び捨てでいいよ。渚って呼んでね。私も時枝君の事、ヒロって呼ぶから」
「え?えっ。その」
「あのさそれよりも。めっちゃ心配したんだよー?」
草津さん?本当に?
いつもの眼鏡ももう掛けてなくて。
その真っ直ぐな瞳とラフな態度から、すごく垢抜けたような印象を受けた。
草津さんの声って、こんなに通る声だったんだな。
それに、すっげぇ可愛いし。こんなに可愛い子、学年に二、三人と居たかなと思うくらい可愛い。
あまりにも急な展開だけど。ちょっと呆れ顔で俺を見つめる草津さんに………俺は、ドキドキしていた。
「あ………うん。確かにそうだね。じゃあ、ラフに話すよ。えっと……。渚。心配かけてごめん」
「…………」
謝った俺を見て、渚は微笑んでいた。
そして彼女はやがて、微笑んだまま不意にぽろぽろと涙を流した。
俺は渚に駆け寄った。
「え?渚!?どうした?」
「………………ふふ。馬鹿だなぁ」
「ええ?」
渚はとめどなく頬を伝う涙を、流れる度に指で拭った。
彼女は全く泣き慣れてなんかいないように、くしゃっと唇をすぼめて苦しそうに嗚咽を上げて泣いていた。
だけど、流れ続ける涙を指で拭いながら、決して俺から目を逸らす事は無かった。
そして渚は涙を流しながら清い笑顔を見せて、言った。
「ヒロは、かっこいいね」
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よく分からないが、この日から俺は渚に認めてもらえた(?)らしい。
俺は渚と頻繁に連絡を取り合うようになった。
取り合うというか、渚が頻繁に送ってくるから俺がそれに返信しているだけだけど……。
この日以降どうしてか、俺は自分の中に凝り固まった悩みが優しく溶かされていくような感覚を覚えた。
自分で自分を許せるようになってから、不安でいっぱいでどうにかなりそうな自分の中に、ほんの少しだけだけど楽観的な自分が現れた。
そいつは「大丈夫だから多分」といつも俺に言った。
物事を自分ですぐに動くのではなく、メンバーや後輩に頼むことを覚えた。
物事を完璧にせず終えることを、少しずつ覚えた。
心がどんどん軽くなるのと並行して、隙なく物事を遂行できなくなっていった。
マネージャーを上手く遂行できず、部活や生徒会でもこっぴどく怒られたりした。
次第に、だらしないって言われるようになった。今までそんな事、一回も言われたこと無かったんだけどな。
人から嫌な顔されるって、こういう事なんだな。
これは、ずっと俺が恐れてきたこと。
でも、生きることに絶望しない俺がいたんだ。
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