The Double Agent 6
これでDouble Agent編は完結します
「本当に悪かったと思ってます」
「・・・・・・・・・・・・」
「仕方ないじゃないですか、上からの命令なんですから、どうしようもないですよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「この仕事終わったら当分邪魔しませんから」
「・・・・・・・・・・・・」
「なんとか言ってくださいよ・・・」
「・・・・・夜はトレーダー・ヴィックスがいい」
「・・・分かりましたって」
乙鬼が目を覚ましたのは今から10分前、本人は浜田山の自宅に着いたと思い目を覚ましたが辺りは見慣れないマンションの一室、そして申し訳なさそうに愛想笑いをする不愉快な男円城を見るやすべてを理解した。
「ああなるほど、この男は僕に嘘をついたんだ」そう悟った乙鬼は大声で円城に怒鳴り始めた、円城はあれやこれやと釈明するがそもそも言い訳しようとする事自体気に入らないので一層怒ってしまい、そしてとうとう騙された悔しさの余り半泣きになってしまった。
円城は円城で、へそを曲げてしまった乙鬼の機嫌を取ろうとした結果、ニューオータニでの夕食を約束するという、なんとも高額な代償を払うはめになってしまった。
「……………あの男は一体何者なの?」
数分経って乙鬼がやっと口を開いた。
円城は何も言わずポケットからパーラメントを一本取り出し、火をつけた。甘いタバコの香りが部屋に広がる。
「知りたいですか?」わざとらしく聞いた。
「何も教えないまま最後まで僕を振り回すつもり…?」聞くんじゃなかったという顔をしながら乙鬼は返した。
円城はパーラメントを吸い込むと、ゆっくり煙を吐いた。
「…ディミートリ・カロイェフ……またの名をアレクセイ、1968年産まれで出身はモスクワ、ソ連海軍を経験した後1984年にKGBに入る、1994年、チェチェン紛争時テロリストに潜入するも軍が市街地戦で壊滅し作戦失敗、FSBは彼を見捨て連邦軍は彼諸共グロズヌイを爆撃したにもかかわらず生還、その後FSBを辞職し長い間行方をくらましてました」
「なんでそんな死に損ないの諜報員崩れがここに来てるの?」
「彼が再び姿を現したのは去年の11月、彼はウクライナの反ロシア組織に身を置いていました。しかしフランスで「とある」取引の最中に同行していたメンバー3人と取引相手のウクライナ人8人を殺害し、彼らが持っていたアタッシュケースを奪い逃走しました。まぁ要するに彼には別に雇い主がいたわけです
、 二日前の話ですがFSBが我々にコンタクトを取って来ました、「とても『重要な商品』の取引を日本でさせて欲しい」と、」
眈々と喋る円城の顔からは、完全に笑みが消えていた。いつにもなく冷静で冷たいその表情は、乙鬼ですら見た事がなかった。
「連中には日本が丁度良い取引場所とでも思ったのでしょう、邪魔者が日本まで追いかけて来たらどうなるか分かってますから、」
そう言うと円城はパーラメントを強く吸い込んだ、冷たかった表情は、次第に怒りへと変わっていった。
「もっとも私としては別に面倒事を持ち込むのは構いません、でも……日本を体の良い取引場所としか見ていない、PSIAを舐め切った態度は…正直少し頭に来ますね………」
そう言うと円城はフィルター間際まで短くなった煙草を灰皿に押しつぶした。乙鬼はただ目を細めながら、円城を見つめていた。
「すいません話が逸れてしまいました、まぁそういう訳です、今のは忘れて下さい」
いつものニヤニヤした顔に戻る、乙鬼はため息を着くと、近くにあるソファに座った。
「分かったよ、つまり明日は護衛と監視なだけでしょ、その分今はシャワー浴びて、寝かせてもらうから」
乙鬼はジャケットを脱ぎ捨てテーブルに置くと、シャワールームへづかづかと歩いて行った。
「ありがとうございます、作戦については明日の朝お伝え致します」
乙鬼の機嫌が多少良くなったことに、円城は少し安堵した。
「あ、あとそれ」
廊下の真ん中で乙鬼がくるりと振り返る。
「それ、煙草、一本ちょうだい」
「乙鬼に煙草あげたら私叱られるかもしれないですよ…」
「叱られるもんか、僕に年齢なんてあってないものだ」
それもそうかと思い、胸ポケットからライターとパーラメントを一本差し出した。
時刻は午前5時、ブラインドの向こうの空はもう白け始めていた。
「円城、位置についた」
『了解です、間もなく"お客"がやって来ます準備をしておいて下さい』
「了解」
3月9日、午前2時59分。千葉県成田市付近にある巨大な化学工場跡、空港拡大のため停止状態に追い込まれたこの工場は、土壌汚染などの理由からそのままにされている。
工場は4つの建物が2列に並ぶように形成されており、その間を長さおよそ900m、幅250m弱の広い道路が跨いでいる。その一番高い建物の非常階段の踊り場に乙鬼はいた。昨夜と同じ黒いニットのセーターに黒いズボン、足にはマットブラックのブーツを履いていたが、昨日とは違い胸には防弾ベスト、顔の下半分を黒いフェイスマスクで覆っていた。手には黒いボルトアクション式狙撃銃、レミントンM700が握られており、先端には消音器が付いていた。乙鬼はレミントンのボルトを引くとマガジンを装填しボルトを戻した。カシャンという金属音と共に弾がチャンバーに装填される。レミントンを構えながら乙鬼はスコープを覗き込んだ。レティクルを調整すると乙鬼はインカムに話しかけた。
「準備完了」
『了解です、今車がゲートを入ります』
一台の黒いメルセデスベンツSクラスが工場の敷地に入ってゆく、メルセデスは敷地内の道路の中央辺りで一度Uターンし、止まった。ドアが開き、運転席から一人の男が出てきた。歳は50代半ば程の白人の男だったが目は細く、乙鬼にはロシア人だと瞬時に分かった。男は黒のトレンチコートを着ており、頭には黒の防止を被っていた。
『彼の車が来ます』
円城から無線が入る。黒のメルセデスから数分遅れて、青のBMW3シリーズが入って来た。BMWはメルセデスの真正面で止まると、エンジンを切った。運転席のドアが開かれ、男が出てくる。こちらもロシア人で、歳は30代半ば程、ウェーブがかった長い髪をしており、ファーの着いた黒いコートを着ていた。男の左手にはシルバーのアタッシュケースが握られていた。乙鬼は、ゆっくりとレミントンの標準をその男に合わせた。
今、アレクセイの目の前に一人の男が立っていた、50代半ばのロシア人の男。自分の覚えていた頃より大分老けていたが、アレクセイは彼の顔をよく知っていた。
男はアレクセイを見るとニヤリと笑い、懐かしそうな顔をした。
「Alexei, it's been long time(久しぶりだな、アレクセイ)」
「Yes, it's been a long time(そうだな、しばらくぶりだな…」
アレクセイは無表情のまま返すと、男にアタッシュケースを渡した。男はケースを開き中を確認した後、またニヤリと笑みを浮かべた。
「Alexei, looks like you have shown yourself as worthy man, you have succeeded your mission Alexei(どうやらお前は自分の有用性を示たようだな、今度こそ作戦は成功だ)」
アレクセイはなにも言わなかった。ただ、じっと、目の前の男を見つめていた。
「I know you still haven't forgave me about what happened 20 years ago, what I did to you in Cechnia...(お前がまだ私を許していないのことは知っている、20年前、チェチェンで私がお前にしたことを)」
「But here I am, giving you the greatest opportunity, chance to be back in FSB(だがこうして私はお前に素晴らしいチャンスを与えた。FSBの所へ戻る機会をな)」
男はアレクセイに手を差し伸べた。
「All you need to do is shake this hand(後はこの手を握るだけだ)」
アレクセイはゆっくりと、手を伸ばした。
だが、男の手の前でピタリと止めた。
「No......(いや……)」
「I won't be coming back (戻らんさ)」
アレクセイは素早く男の腕を掴むと同時にコートから軽機関銃を引き抜き、引き金を引いた。
乾いた破裂音が辺りに響いた。
男は大きく目を見開き、その場に倒れた。
アレクセイは男の左手からアタッシュケースを奪うと車の方へ走り出した。
乙鬼は素早く男の胸に照準を合わせると、撃った。弾丸は男の背中数センチを掠め、後ろの道路に着弾した。素早くボルトをスライドし、もう一度撃った。今度は男の左肩を抉ったが、致命傷にはならなかった。男はそのまま車の中に消えた。
「ちっ…!」乙鬼は素早くレミントンを地面に置くと腰のホルスターからベレッタ90-Twoを引き抜き、階段を全速力で駆け下りた。
「外した、円城!あいつケースを持って逃げるぞっ!!」
乙鬼はインカムに向かって吠えた。
『既に下に車を止めてます!急いで下さい』
階段の下には既にクラウンが止まっていた。
乙鬼は素早く後ろに乗り込むと、円城はフルスロットルでクラウンを発進させた。
中央の道路に出ると男のBMWは既にUターンし、入り口ゲートへ猛スピードで向かっていた。
「彼がゲートを出る前に止めます!シートベルトを閉めてください!」
そう言うと円城はアクセルを全開にした。3.5リッターV6とモーターにより、クラウンは弾丸の如く加速した。クラウンはあっという間にBMWに追い付き、そのまま斜め後ろから突っ込んだ。
強烈な衝撃が走る。後ろからの衝撃にBMWは一気にバランスを崩しスピンした。激しいスキール音と共に四輪から白煙が巻き上がる。スピンから回復しようとBMWのタイヤが右にフルロックされる。
円城はそれを見逃さなかった。そして再びアクセルをフロアまで踏み込んだ。スピードメーターが170kphまで跳ね上がり、クラウンはBMWの土手っ腹に突っ込む。ボディが激しくひしゃげ、大量の火花とプラスチックパーツが撒き散らされる。そのまま2台は200kphを超える速度で、建物の壁に激突した。
BMWの車体は激しくくの字に曲がり、ガラスやボディパネルが粉々に砕け散り、吹き飛んだ。横から突っ込んだクラウンは強大な衝撃に車体後部が跳ね上がり、一瞬宙に浮いた後、激しく地面に叩きつけられた。
グシャグシャになったBMWのフロントウィンドーからアレクセイは這い出た。全身擦り傷だらけで頭と左肩は血で真っ赤に染まっていた。左手には銀色のアタッシュケースが握り締められ、右手にはロシア製 短機関銃が握られていた。アレクセイはボンネットから転げるように地面に倒れた。頭と左肩がひどく痛んだが幸い脚は折れていないようだった。
まずはここから生きて帰らなければならない、刺すような痛みに耐えアレクセイは起き上がり、走ろうとした。
次の瞬間、左足の感覚が消えた。
乙鬼は男の左足首を撃ち抜いた。男はバランスを崩し始めると同時に右足を撃ち抜いた。両足から鮮血を噴き出し男はそのままうつ伏せに倒れこんだ。
乙鬼はうめき声を上げる男に近づくと、握られた銃ごと男の右手を踏み潰した。
「ガァアアアァァァァ!!!!」
バキバキと骨が砕ける音と共に男の叫び声が木霊した。乙鬼は銃を蹴飛ばすと、男の右肩を掴み仰向けに寝かせた。男は顔中血まみれで、息も絶え絶えとしていた。乙鬼は男のコートを開くと、左脇のホルスターに入っていた拳銃、Serdukov SPSを抜き取り、男の額に突きつけた。
「Tell me before you die...(死ぬ前に教えて…)」
乙鬼は流暢な英語で男に話しかけた。
「What's inside the case?(ケースには何が入っているの?)」
男は暫く乙鬼を見つめると、ゆっくり口を開いた。
「The proof.......The proof that will impact Russian federation........the proof of their crime.....(証拠だ……あの中にはロシア政府に大打撃を与える証拠が入っている………彼らの犯罪の証拠…)」
男の息は切れ切れになりはじめていた。
死が目の前まで近づいている。
「How many times you're going to double cross, Alexei(あと何回裏切るつもりだ、アレクセイ)」
アレクセイと呼ばれた男は静かに笑うと、目を閉じた。
乙鬼は引き金を引いた。
タァーンという乾いた発砲音と共に、男の額から片と脳漿が頭から吹き出たし、破裂した。
乙鬼は男の左手から銀色のアタッシュケースを抜き取ると、クラウンのほうへ歩いていった。
「はい、それでは彼らによろしく伝えておいてください」
携帯を切ると円城はスバル・レガシィのエンジンをかけた。
「円城………」
「はい、なんでしょう?」
数分前はクラウンの運転席で気絶していたにも関わらず円城はえらくご機嫌な様子だった。まるで誰かに一泡吹かせてやったような、そんな顔をしていた。
乙鬼には、その理由の見当は大体ついていた。
「わざと彼らに言わなかっただろ、あいつが銃を持ってた事」
「さぁ、なんのことでしょう?」
円城はギアをDに入れると、レガシィを発進させた。
「いいの?あんなことして」怪訝そうな顔をしながら乙鬼は聞いた。
「良いんですよ、ケースを取り戻しただけでも有難く思ってもらわないと」
不敵そうな笑みを浮かべる円城に、乙鬼は何も言わず、ヘッドレストにもたれかけた。
兎に角ここまで振り回されると、不満を言う気にもなれなかった。二日ぶりの自宅に戻るまでの道の中、乙鬼は静かに眠りについた。
解説コーナー:
スバル・レガシィ: 富士重工の自動車部門、スバルが製造するEセグメント4ドアセダン。スバル伝統のフルタイムAWDと水平対向4気筒エンジンを搭載し、左右対象のバランスと重心の低さを実現している。作中に登場したのは2014年にフルモデルチェンジした6代目のBN系。
パーラメント: アメリカの大手タバコ会社、フィリップモリスが製造するタバコのブランドの一つ。フィリップモリスの中でも一番高級なブランドで、世界のプレミアムタバコのシェアでNo.1を占める。フィルターが数センチ吸い口から後退している「リセスド・フィルター」が特長で、この隙間により煙草の煙が冷やされ、まろやかな味わいが楽しめる。味は煙草の甘さのなかに、無駄な雑味を一切省いた上品さ、キレがある。またフィルター自体にも特長があり、吸うとフィルターに太陽のようなマークが浮かび上がるようになっている。アメリカのブランドだが日本輸出用はドイツで製造されている。
トレーダー・ヴィックス:東京千代田区にある高級ホテル、ホテルニューオータニ東京内にある高級レストラン。南国がテーマになっており、南国をモチーフとした様々なコース料理が楽しめる。




