Leathal Fragrance 8
マセラティの速度は現在190kph。燃料は残り20ガロンほど。燃料計の針は先程と比べだいぶ下を向いている。
磯の生臭い匂いが乙鬼の鼻を刺激した。タイムリミットは確実に、急ぎ足で近づいている。
そして新富町の標識がマセラティを横切る。遂に中央区に入ったのだ。東京湾はもう目の前である。
乙鬼はバックミラーを見た。ミラーはひび割れているが、かろうじて、後ろを見ることは出来た。フロントが半壊したメルセデスベンツ・C55AMGはまだ後ろに喰らいついている。
乙鬼はクラッチをきり、4速から2速上の6速に入れた。そして、左手を胴体に巻きつけるようにクロスし、後方に撃った。メルセデスのボンネットに無数の火花が散り、風穴を開け始めた。フロントライトが割れ、ライトカバーの破片がアスファルトに飛び散った。
香織は蹴飛ばすようにブレーキを踏み込んだ。セラミックブレーキがディスクに食い込む。甲高いスキール音と白煙を上げながらメルセデスは勢いよく減速した。摩擦熱でブレーキディスクがオレンジ色に光る。香織は左のパドルシフトを2回引き、回転を合わせる。そして、再度アクセルを踏み込む。V8エンジンが吹け上がり、メルセデス製エンジン特有の強烈なトルクが後輪に解き放たれる。そしてメルセデスはマセラティに突進してゆく。マセラティのエンジンが吼える。だがもう遅い。
すさまじい衝撃が乙鬼を襲う。ハンドルが強制的に左に切れる。ハンドルを右手で固定し、グリップを失わぬよう、乙鬼はアクセルを踏み続ける。
更にカウンターを当て、マセラティの姿勢を戻す。クラッチを踏み、5速にいれる。衝撃でマセラティはリアのボディーワークとリアサスペンションを損傷したものの、まだ走ることは出来た。そのまま回転を5600rpmまで上げる。
燃料は残り19ガロン。
前方に海岸線がちらつき始めた。
乙鬼は空になったARX160のマガジンに噛み付いた。左手でリリースボタンを押しながら、一気に引き抜いた。マガジンを吐き出し、乙鬼はバッグから新しいマガジンを取り出した。そしてセンターコンソールを使って押し付けるように装填した。この日乙鬼が持ってきたARX160用予備マガジンは7本。
既にその内5本は使い果たしていた。よって現在残っているマガジンは、今装填した1本とバッグの中のもう一本だけだった。ベレッタ90-Twoのマガジンも10本ほど携帯しているが、この状況内ではサイドアームとしか機能できないのであまり使う気にはなれなかった。
コッカーが引かれ、弾がチェンバーに送り込まれる。
肘でハンドルを押さえながら香織はXM110のマガジンを交換した。予備マガジンはあと4本、まだ多少の余裕はある。コッカーを引き、香織はXM110を前に向けた。
トリガーが引かれ、フルオートで連射した。
サプレッサーにより、くぐもった発砲音が連続的に響く。
シュカカカカッと言う音を立てて、マセラティの周りのアスファルトが火花を散らせ、爆ぜる。乙鬼はアクセルを煽り、ギアに入れる。マセラティは爆音を轟かせながら加速して行く。
この距離で乙鬼はまだARX160は使いたくはなかった。
「もう少し・・・・・・できるかな?」ひび割れたバックミラーで敵の位置を確認しながら、乙鬼は微かに呟いた。そして更にアクセルを踏んだ。
香織は少年が撃って来なくなったことに気づいた。彼女は少々驚きの表情を見せたが、直にそれは笑みに変わった。
「ははっ!!なるほど。」優勢を確信し、香織は静かに笑った。獣のような瞳がぎらりと光った。
残り12ガロン。東京湾まであと2分59秒。
突如、道路の左右が海原に変わる。2台は中央区から月島に繋がる橋、国道475線に入ったのだ。
乙鬼は後方を確認する。黒いメルセデスはマセラティのちょうど右斜めの位置にいる。攻撃に持って行くには十分だった。
そして乙鬼は行動に出た。
乙鬼は素早くギアをニュートラルに入れた。クラッチが繋がり、ギアがエンジンから離れる。そしてブレーキを踏み込む。ブレンボ製のブレーキパッドが勢いよくディスクに噛み付き、マセラティは一気に速度を落とした。
乙鬼は再度バックミラーを確認する。ミラー越しにメルセデスは一気に巨大化する。
そして2台の距離が3メートルに縮んだ時、乙鬼はアクセルを3000rpmまで煽った。クラッチを切り3速に叩き込んだ。
そして2台のサイドが接触する瞬間、乙鬼は猛烈な早さでARX160の銃口を右に向け、6発撃ち込んだ。弾丸はサイドウィンドーとサイドウィンドーを突き抜け、女の左胸に着弾した。撃たれた部分の服が連続的に爆ぜた。乙鬼は更に4発発砲した。弾丸が更にめり込み、彼女の胴体部分はズタズタになった。だが撃たれた筈の女はまるで何事も無かったのように顔を乙鬼の方に向けた。突撃銃型自動小銃、アーマライトXM110SUPER SASSを乙鬼に向けた。
「っ・・・・・・!!」
咄嗟にステアリングを切る。同時に女のXM110が火を吹いた。Bピラーの窓が粉々に割れ、リアシートを滅茶苦茶に破壊した。乙鬼は更にアクセルを踏み込んだ。ターボチャージャーが稼動し、酸素をエンジンに加給する。マセラティとメルセデスの距離が一気に離れた。
「くっそ・・・・・・あの女・・・なんて防弾チョッキ着てるんだよ!!」ステアリングをブッ叩きながら乙鬼はうなだれるように叫んだ。
「はぁ…はぁ、レベルIIIの防弾チョッキ着てなかったら完全に死んでたわね……」
新しいマガジンを装填しながら香織は
大きな溜息を着いた。
パドルシフトを引き、ファイナルギアに入れる。レブカウンターが動き、5000rpmで止まる。強力なトルクが伝達しメルセデスは加速した。
残り燃料10ガロン。
乙鬼の前方に、白い物体が列になっているのが見えた。しかしフロントガラスが欠損し直視するのが困難な為、その時点でそれが何なのか断定できなかった。
マセラティが近付くにつれ、白い列は次第に大きくなって行き、正体が鮮明になって行った
「・・・・・・っ!!」
20秒後、乙鬼はその正体を理解した。銀色のマセラティ3200GTの900m先に、8台もの4トントラックが列を成して走っていた。
東京湾まであと2分、地の果ては、もう目の前だ。




