47.緊張の朝、本番の朝
不意にラルフは腹になかなかの鈍痛を感じ、暗闇の中から意識を取り戻した。
「な、何だっ!?」
跳ね起きた瞬間は周囲の景色が見慣れた自分の部屋でないのに驚いたけど、すぐに自分は昨日作業小屋で仮眠したんだったと思い出した。そこまで思い出して周りを見回せば、すぐ横に幼年学校の制服姿の妹が立っている。
「ジュレミー……?」
妹は同じ制服の少年少女二人を後ろに侍らせ、腕組みして冷ややかな目で兄を見下し……見下ろしている。
「声をかけたらサッサと起きなさいよ、ダメ兄が。つい足が出ちゃったじゃない」
普通そこは、“手が出ちゃった”じゃないだろうか?
今の痛みは、愚妹が革靴のつま先を勢いよくラルフの腹にめり込ませた物らしい。手荒すぎる起こし方について抗議……は無駄に違いないので、別の疑問を聞いてみる。
「なんでジュレミーがこんな所に……」
ラルフの妹ジュレミーは、クラエスフィーナを家に連れ帰ったときこそ酔いどれエルフの介護をかって出ていたけど、課題研究にはノータッチだ。“翼”の製作には確かにクラスの友達を紹介してくれたが、今まで学院に来たことはなかったはず。
妹は肩に流れた髪を様になるしぐさで後ろに払いながら、至極当然のように言い放った。
「クラエスちゃんの一大事なのよ? 人任せにできないじゃない。フィッチャーたちがホッブさんに起こすよう頼まれたって聞いてたから、念を入れて私が自ら見に来たに決まっているでしょうが」
十四歳にしてこの管理職臭。家の跡継ぎはジュレミーに決まりだなとラルフは思った。
そのクラエスはまだ眠そうな目をごしごしこすりながら、ペタンと座り込んでぼんやりしている。ホッブも何とか起きられたようで、眠気が勝るのかのろのろ身を起こしているところだった。ダニエラは昨晩胡坐をかいたまま猫背で熟睡していたものだから、四つん這いでプルプルして「痛てえ!? 体中がバキバキ言ってる!?」と悲鳴を上げていた。自業自得だ。
起きるのに妹が手を貸してくれるなんてことはありえないので、ラルフは自分で地面に手をついてよろよろ立ち上がる。動くとちょっと頭がハッキリしてきて、見える光景に何か違和感を感じた。どことは言えないけど、何かがおかしい。
「あれ? 何か……昨日と違うような?」
「おまえの脳ミソはホントに呑気でいいなあ」
まだ床に座り込んでいるホッブが、広く開いたスペースを指し示した。そこには確か、大きなものが……。
「……何か、無い?」
「何か、じゃねえよ。“翼”が無いんだよ」
ホッブが頭をガリガリ掻きながら独り言のように話すのを聞いて、ラルフは血の気が一遍に下がる気がした。
「なんだって!? この期に及んで盗まれひぎゃあっ!」
思わず驚きに叫びかけたラルフのセリフが途中で悲鳴に代わる。後頭部をラルフ妹が遠慮なくバインダーの角で殴ったのだ。
「いい加減しゃんとしてよ。起こすのに結構な時間がかかりそうだったから、手伝い組がもうとっくの昔に湖畔へ運搬中よ」
「あ、ああ……そうか」
道理で起こしに来たはずの幼年学校生たちがいないわけだ。はっきり見下した目で(お礼の言葉は?)と視線で要求している妹に、兄はバツの悪さを感じながら謝った。
「重ね重ね、お手間かけます……」
情けなさそうに頭を下げるラルフに深くため息をついた妹は、後ろを振り返ると同級生らしい二人に声をかけた。
「応援の方は大丈夫?」
「はい、ジュレミー様。ホッブさんから指定された辺りで、無事スペースが取れたと先遣隊から連絡が。本隊もすでに学校から移動して合流しつつあると伝令がありました」
「よろしい。さっき頼んだものは?」
「すでに寸法を携えてコーリンが準備に走っています。間に合うかどうかは……くじ引きの順番次第になるかと」
「そうね……わかった、ご苦労様。それじゃ貴方たちも本隊に合流して」
「はっ!」
いつの間にかにじり寄ってきていたホッブがラルフに囁いた。
「以前手伝いの連中の態度でも思ったけどよ……おまえの妹、学校でどういう立場なんだよ?」
「僕に聞かれてもわかんないよ! ……ただ、僕の幼年学校の頃と、ちょっと違う学園生活してるのは確かっぽいね」
おそらくちょっとどころではない。
「家で見た時は偉そうだったが、ここまで背筋伸びてなかったじゃねえか。内と外でこの違い、役所のエリート官僚みたいだな……」
「本人は別に上昇志向は無くて家業を継ぐつもりなんだけどね……僕を見て、商売するのに何の足しにもならないからって学院も行く気はないらしいよ」
「遊んで飲んで留年に怯えて。妹から見りゃ完璧な反面教師だもんな、おまえ」
「ハハッ、偉大な兄の背中を見て育った自慢の妹さ!」
「兄の方が自慢になれよ」
「おまえんちの家庭環境でそれを言うか、ホッブ」
手配りを終えたラルフ妹が兄を見た。
「もう開会式まで時間がないわよ? 早く待機場所へ行って」
「ああ、それは大丈夫だよジュレミー」
この慌ただしい時に呑気な兄に、自分も出ていこうとした妹は鼻の頭に皺を寄せた。
「……なんで?」
「学院長のこういう時のスピーチ、まず一時間はかかるんだ。毎回貧血で何人か倒れるぐらいなんだよ。終わるまでに配置についていればいいから、まだ朝飯食って風呂入るくらいの時間はある」
「そういう根拠もない皮算用でギリギリな事ばっかりしてるから、“一生補欠止まり”なんて言われるの! おらっ、さっさと行けっ!」
「ごめんなさいっ!」
年上の威厳もなく反射的に謝るラルフを見て、やっと二足歩行の動き方を思い出したらしいダニエラがジト目で呟いた。
「もういっそさ……妹のことを“お姉ちゃん”って呼んだらどうだよ、ラルフ」
「末っ子のダニエラには、デキる妹を持った兄のつらさなんかわからないよ!」
「デキるデキねえ以前の内容だろ、ラルフよう……」
小屋を出ていきかけたジュレミーが振り返った。
「そうそう、お兄がつべこべ言うから忘れるところだったじゃない。さっき空飛ぶ機械を見て思いついた秘密兵器を手伝いメンバーに急いで用意させているから、それが間に合うまでは何とか飛ぶのを引き延ばして」
「はぁっ!?」
急に妹が言い出した話に、ラルフ(と他二人)は面食らった。今まで“翼”の開発にかかわったことがないラルフ妹が、初めて機体を見て何か思いついたらしい。
三か月も開発に携わって来たメンバーが気付かない問題点を、一発で見抜いただなんて……。
「おいおいジュレミー、吹かしちゃいけないよ。そんな、今朝一目見ただけで改善箇所がわかるだなんて……僕らクラエスの学院生チームはともかく、専門家であるおまえの同級生が一人も気づかなかっただなんてありえないよ!」
今さら言うまでもないことだが、チームの立場が逆である。
情けないことを胸を張って言う兄に妹は目を細めたが、
「お兄たちが気付かないボンクラぶりもどうかと思うけど、私が派遣したメンバーじゃ気づかないこともあるのよ。まあダメもとでやってみる価値はあるから、コーリンが帰って来るまで引き延ばして」
それだけ言ってジュレミーは出ていく。少女の背中を見送り、ホッブがラルフの背中を叩いた。
「もし一番を引いちまったら、どうやって引き延ばすよ?」
「そうだなあ……」
妹の無茶ぶりに、不出来な兄は頭を抱えた。
「ホッブを湖に突き落とすか。いくら何でも審査会の進行より救助を優先してくれるだろ、多分」
「うちの導師たちじゃ、どうかなあ……」
ダニエラが否定的に呟いた。
キャロル湖の湖畔はまだ早朝なのに、一面の群衆で埋め尽くされていた。物見高い王都の住人が、足の踏み場も無いほど大量に押しかけてきている。まだまだ開始まで時間があるのに、おそらく明け方から場所取り合戦を繰り広げた勝者たちなのだろう。ご苦労様なことだ。
毎度毎度セレモニーのたびに話が長い学院長が、今日も予想通り「天地開闢のみぎり……」から話し始めたので四人はそっと待機スペースへ抜けだした。人数が四人しかいないので、全員試験の準備に移動しても(表立っては)何も言われないのがありがたい。
「今日ばっかりは『準備作業があります』って言えるのは助かるな」
「そもそも課題研究に参加しなければ、あのスピーチを聞かされることもなかったんだけどね……」
クラエスフィーナのチームが荷物を広げているところでは、今日が最後になる手伝いに来ている幼年学校生たちが荷物番をしてくれていた。
……つまり、別にラルフたちがセレモニーを抜け出す必要もなかったりする。実際問題、本当に準備をするつもりで抜けてきたわけじゃないけど。
一人抜けているので四人いる幼年学校生たちが、クラエスフィーナに次々握手を求めてきた。
「それじゃ、僕たちも応援席に行ってます。頑張ってくださいね!」
「ありがとう、みんな! 最後の最後まで……」
年下の激励に、もう涙腺が崩壊しそうになっているクラエスフィーナ……なんだけど。
「おい、クラエス。まだ何にも始まってないからな? 感動のお別れは審査会が終わった後だからな?」
今の段階では、審査どころか順番のくじ引きさえまだ始まっていない。全部終わったみたいな雰囲気を出すのは時期尚早もいいところだ。
ダニエラに言われて赤面するクラエスフィーナを置いて、やるだけのことをやった幼年学校生たちは晴れ晴れとした顔で退出していく。それを見送って、ホッブが珍しく感傷的な顔でぽつりと言った。
「アイツらの頑張りの分も、クラエスは背負って飛ばないとな」
「……うん!」
また目尻がうるんできているクラエスの顔を、ホッブとダニエラが両側から覗き込んだ。
「もちろん、アイツら以上に協力している俺たちにも感謝を忘れないでくれよな!」
「その感謝については当然、気持ちより物の方が良いな! なあ!?」
鼻息荒く詰め寄ってくる二人を押し戻しながら、クラエスフィーナはうんざりした顔でため息をついた。
「……なんでかな。何故かみんなには、素直に“ありがとう”って言う気がしなくなるんだよ……」
手持無沙汰にずっと待機してダベッていたラルフたちがカードを持ってきておけばよかったと後悔し始めた頃、やっと実行委員がくじ引きの開始を告げに来た。
緊張の面持ちで立ちあがったクラエスフィーナにダニエラが声をかける。披露する順番には確実に風向きの有利不利が付いて来るので、さすがにダニエラの声も固い。
「何としても前の方の順番を引いて来るんだぞ!?」
「う、うん……頑張るよ!」
何を頑張るのか。
ホッブも声援を送った。
「昼を過ぎるかどうかで、おまえの場合は難易度が倍以上変わる! 頼むぞ!」
「うん、努力するね!」
何を努力するのか。
ラルフがさっきの妹の言葉を思い出した。
「あ、だけどジュレミーから釘を刺されているから、あんまり早い順番は引いて来ないでね?」
「ええっ!? そんなこと言われたって、私は何をどうしたらいいの!?」
これだけは正しい。
セレモニーを行った発進場所の広場で、課題審査に参加する特待生たちが列を作っている。誰かが歓喜の声をあげたり不安そうに叫ぶたびに僅かに列が動き、次のいたたまれない沈黙の時間が訪れる。くじを引いた特待生はある者は急いで、ある者はふらふらと自分のチームが待機している場所に戻って人垣はだんだん小さくなる。
クラエスフィーナはくじ引き会場の人間が消滅する直前に戻ってきた。
「どうだった!?」
「うん、あのね!」
クラエスフィーナが紙を見せて来た。
「九番!」
発表を息を呑んで見守っていた三人が硬直し……一斉に首を傾げた。
「微妙だね……」
「微妙だな……」
「これは……どうだろ……」
仲間のまさに微妙な反応に、自信なさげなエルフが泣きそうになる。
「これ、マズい? 順番的にマズいのかな!?」
見せられたラルフたちが顔を見合わせる。
「二十三人中で九番目なら、普通はまずまずなんだけどさ……」
「朝一からやってりゃ、絶対午前中の順番だとは思うんだが……」
歯切れの悪いラルフとホッブの言葉に、ダニエラが何とも言えない顔で中天に上り始めた太陽を見上げる。
「……学院長の御高説が長すぎて、午前がかなり潰れちまっているんだよな……もうどこの家でも昼飯の支度をはじめようって時間だぞ」
耳をへにょんと垂らした泣きそうなエルフは、遠くの貴賓席でゴマをすり始めている白髭ジジイをにらみつけた。
「私、この課題審査が無事に済んだら……学院長のえらそうなヒゲを全部剃り落としてやるんだ……!」
温厚なエルフをそこまで怒らせた学院長の開会の辞をもって、エンシェント万能学院特待生の学力審査がついに始まった。




