46.きっと後は走るだけ
課題審査会前日は、あっという間に過ぎていった。
朝の緊急告知で参加者が集められ、改めて明日の予定と諸注意の説明を受ける。そのあいだ本人がいないので、どこのチームもダメ押しの試験はすることができない。急にぽっかり空いた時間を利用して疲れ果てた身体を休める組もあれば、休まず分解整備に余念のないチームもあった。
今回の突発的な一件。そもそもが課題内容と参加者の専攻とが畑違いなうえに、普段の研究姿勢はマジメと言い難いのが我らがエンシェント万能学院の学風である。今までだらだら無為に学生生活を過ごしてきたのが、やったこともない根を詰めた研究で誰もが疲労困憊しているのが見て取れる。
ざっと学内を見渡せば。
動学系の学院生はどいつもこいつも顔色悪く、うつろな目つきで足を引きずっている。学力審査の俎上に上っているのは二十人ぐらいなものだけど、工造学科と魔導学科はほぼ全員が仲間の補助で走り回っている。そしてどのチームも成果がはかばかしくない(当たり前だ)ので、どうしたって徒労感と先行きの暗さに表情が陰鬱になっている。
その一方でほとんど関わっていない静学系の者たちは、明日の課題審査会はまるっきり他人事だ。ピクニック気分で見に行く相談を楽しそうにしていたりして、ラルフやホッブみたいにボロボロなのはまずいない。中には敷物と弁当を抱え、席取りの臨時収入の為にすでにキャロル湖畔へ向かう者もいる。学院生たちの態度も両極端なのが、万能学院らしいと言えばらしいところだ。
クラエスフィーナが戻って来るまでに、ラルフとホッブ、ダニエラは湖のほとりへ最後となる飛行試験の為に機材を運んだ。泣いても笑っても、この道をたどるのはあと一往復。
用意し終わって、ダニエラが芝生の上に大の字になった。
「あー、くそっ……中途半端にヒマ作られると、だるくって眠くなってきちまうぜ」
「いいじゃん、寝てたって。もう後はクラエスが来ないとできないし」
近くに胡坐をかいているラルフが軽く笑う。こっちもすでに眠そうだ。
「んなこと言ってもよ、ラルフ。花も恥じらう年頃の乙女が往来の地べたに転がって寝られるかよ」
そう思うのなら、まずは本人が起き上がるのが筋ではなかろうか。
「あたしみたいな美少女が公園で寝入ったりして、通りがかりの良からぬ男にイタズラされたりしたらどうすんだ。お嫁に行けなくなっちまうぞ」
何故か自慢げに心配を口にするドワーフの言葉を。
「ははは」
軽く笑っただけで済ますラルフ。
そこへホッブが戻ってきた。
「どうも事務局棟が騒がしいから説明会が終わったみたいだぜ。もうすぐクラエスも来るだろ……ダニエラがなんだか不満そうだが、何かあったのか?」
「え? べつに。今ダニエラの小粋な冗談で笑ってただけ」
猛抗議したいけどなんて言っていいのだかわからなくて、言葉に詰まりながらジェスチャーをしまくるダニエラ。何も言わなければ何が言いたいかなんて当然伝わるはずもなく……一人で無音芝居やっているドワーフを放っておいて、ラルフとホッブは試験の支度に取りかかり始めた。
今日はクラエスフィーナを疲れさせないために実験機材の運搬は手伝わせず、夕食を取りに行くように先に街へ送り出した。もちろん最後の最後ではらぺこエルフの我慢が決壊しないよう、話し相手兼監視係でラルフ妹を呼んである。
「不思議なものだね。明日が来て欲しくないような、すぐにでも結果が欲しいような……」
「ああ。この三か月はいつだって時間が足りねえって思っていたもんだが……本番前に足掻くには時間が足りねえが、心静かに出番を待つには長過ぎるな」
「他の連中もこんな感じなんかな? 全く落ち着かねえ一晩になりそうだぜ」
三人がぼやきながら作業小屋に最後の荷物を運んでいると。
『チクショー! 俺はもうダメだ! 飛び降りてやるうぅぅぅぅっ!!』
『先輩落ち着いて! どうせ明日飛び降りるでしょ!?』
どこかの研究室からやけくそな雄叫びが響いてくる。それも一か所だけじゃない。
「……落ち着かねえどころじゃねえ連中もいるみたいだな」
「ああいうの聞いちゃうと、ウチよりも下がいるってホッとするよね」
「相対評価じゃねえぞ、ラルフ。課題審査は絶対評価だから、順位関係ねえからな?」
「そんなのはわかってるよ、ダニエラ。だけどさ」
ラルフはまじめな顔で二人を見た。
「単純に自分よりダメなヤツがいると、心安らかに明るく過ごせない?」
「言いたいことはわかる」
「つくづくクズだな、おまえら」
「特にダニエラ、おまえを見てると成人猶予期間学生の自分でもそれなりに価値がある人間のような気がしてくるぜ」
「ホントにクズだな、ホッブ」
「箸にも棒にもかからないクズはおまえだ。図面は書けるようになったのか? 工造学科」
作業小屋に戻した“翼”を、出来るだけ細かく点検していく。今ラルフたちにできるのは、それぐらいしかない。
ガタつきはないか。
破断しかかっているところはないか。
可動部は滑らかに動くか。
素材が弱くなっているところはないか。
特に布やロープは負担をかけているせいなのか、場所によっては三、四回飛べば穴が開くような物もある。元々使い捨ての素材を使っているせいか品質にばらつきがあったりするし、その時の運もある。指先でさまざまに張力をかけながら、肝心の本番で部品不良が起きないように調べていく。
帰って来たクラエスフィーナが手伝おうかとぐずぐず言うので、ダニエラがエルフを無理矢理寝床に押し込んだ。それでも起きてきてしまうので、ラルフが「黄金のイモリ亭」のオヤジからもらった寝酒を飲ました。これはこれで明日の朝ちゃんと起きて来るか心配な事態になったけど、とりあえずはぐっすり寝てくれたので十分な休息が取れるだろう。
「クラエスもちゃんと寝られたみたいだし、僕らも納得出来たら仮眠をとるか」
「寝るのは良いけど、明日の朝はちゃんと起きられるか? 全員寝坊で不参加はやべえぞ? 実行委員会が開始前に太鼓でも叩いてくれるといいんだけどな」
「いやもうマジで、あたしも限界だわ……正直早朝に起きられる自信がねえ」
ダニエラが言うように、あと少しと思うと急に体の疲れが表面化してきたような……全身をむしばむ倦怠感をラルフとホッブも感じている。
ホッブが腰を下ろした。
「実は俺もそう思って、幼年学校の連中に朝起こしてくれるように頼んどいた……疲労が溜まりに溜まりまくってるからな」
「おお、ホッブよくやった!」
ラルフとダニエラも崩れるように座り込んだ。さっきまでクラエスフィーナの手前、徹夜も全然いけるみたいな顔をしていたけど……実際にはこの三か月のツケがこの瞬間も押し寄せてきている。何時間寝られるかわからないけど、今は少しでも休みたい。
「なんか飲み物残ってねえか?」
「夕方に買ってきた果実水の瓶が、振るとまだチャプチャプ音がする」
「門前の青髭親父の店のヤツか? 味どころかほとんど香りもしねえじゃねえか……あそこのて、本当に果汁入ってんのかよ?」
つくづく近所にロクな店がないエンシェント万能学院であった。
「前に『これ無果汁じゃないのか!?』って訊いてた学院生がいたけど、親父さんに『てやんでぇ、たらい一杯に一滴でも垂らしてありゃあ果汁入りだバカ野郎が!』って怒鳴られて謝っていたっけ……あいつ何学科だったかな?」
「そんなロジックで論破されてる事実の方がバカ野郎じゃねえか。要するにほぼ無果汁だろ、これ」
「食中毒起こさなければいいよ、別に」
ラルフとホッブが“無果汁の果実水はジュースに入るのか”論争をしている間、やけにドワーフが静かだと思ったら……見たらすでにダニエラは胡坐をかいたまま、よだれを垂らして寝落ちしていた。
「おいホッブ、よく見とけ。これが“花も恥じらう年頃の乙女”の寝かただぞ」
「花も恥じらう“年頃”だろ? それはきっと年代の話で、ダニエラ自身がそういうわけじゃないんだろ」
藁束に背中を預けたホッブがランプを手に取って、ツマミを捻って明るさを最小限まで落とした。倒して引火しないように、柱に刺さっている釘に引っ掛けて宙に吊る。
ラルフも同じように横になった。薄暗がりの中、ホッブの声が小さく囁くように耳に入ってきた。
「なあラルフ。確か前も聞いたんだが」
「なんだい?」
「なんでクラエスの研究を手伝おうと思ったんだ? これだけ面倒で身体につらい作業、今までのおまえはやるようなガラじゃなかっただろ? しかも他人の研究だから無給の上に成績がプラスになるわけでもねえ」
「まあねえ……その時、僕はなんて言ったっけ?」
質問に質問で返され、黒いシルエットが身じろぎするのが見えた。ホッブもすぐに思い出せなかったのか、ややあってから答えが返ってくる。
「確か……『多分俺たちが静学系だから』って言ってたな」
「……ああ、そんなことを言ったっけか」
ラルフも寝返りを打つ。さっきまで体の疲れで意識が飛びそうだったのに……今は重たい意識の中でも頭の芯がなんだか熱を持っていて、妙に目が冴えた感じがする。
「僕たち静学系ってさ、一人で資料調べて一人でレポート書いて一日終わるじゃないか。それが毎日続いて、期末試験も論文で、卒業試験も論文で……いや、自分でそう望んでそういう学院生活しているわけなんだけどさ」
さっきまで頭上は全くの暗闇に見えていたけれど、僅かな光源に段々目が慣れて来た。ラルフの目は、今は小屋の梁と屋根の裏板が見分けられる。
「だらだら暮らす言い訳で進学しただけだから、別にそれは良いんだけど」
「堂々言うんじゃねえ」
「ホッブは違うのかよ」
「こんな学院に来るんだから違うわけが無いに決まってるだろう。本音を剥き出しにするんじゃねえって言ってんだよ」
「おまえ如きに取り繕ってられるか」
ホッブが寝転んだ辺りで、黒々した影が足を組み替えた。
「で?」
「ああ」
ラルフも再び寝返りを打って横を向いた。
「そういう生活でいいんだけど、クラエスに泣きつかれた時にちょっと……ちょっとだけ思ったんだよね。みんなで難しいことに挑戦して、みんなで泣いて笑って、無理だと思ったことをやり遂げて達成感を分かち合うって……僕にもそういう人生もあったのかなって」
「……確かにそいつは静学系では味わえねえわ。動学系の特権かも知れねえな」
ホッブが長々と息を吐きだした。
「祭りは見るだけの見物客より、準備している方が楽しいって聞いたことがあるな。あれと一緒か」
「おまえ実は町内の祭りの準備に出たこと無いだろう?」
「俺は学院で忙しいんだ。一日中家にいる兄貴にも出番を用意して置かねえとな」
「おまえんトコは兄貴も出て来ないよ」
ラルフは手を挙げ、暗がりの中で掌を顔の前にかざしてみた。
「いよいよってなってみると、信じられないよね。工造学のことなんて一つも知らない僕たちが、たった三か月で一から“翼”を作ったんだぜ? 僕たちのこの手で」
機体は鍛冶屋のエンジェル工房謹製。
ホッブの声にもわずかに弾んだ雰囲気が混じる。
「ああ。それもただ作ってみただけじゃない。ちゃんと何度も飛ばして試験して、本当に人間が乗れるヤツを作ったんだ。クラエスに研究室に連れ込まれた時は即座に無理だって言ってたのにな。空を飛べる理屈なんかまったく知らない俺たちの設計した“翼”が、今じゃこの空を飛んでる」
設計は幼年学校のフィッチャー五兄弟。
「……なんか自分で言ってて、“自力で作った”ってところにちょっと引っかかるものがあったんだけど?」
「こまけえことを気にすんな。こういうのは大体企画を立てた監督がえらいことになってんだ」
リンゴ印のオッサンとか。
「明日、ていうか今日ついに結果が出るんだね」
それを思うとラルフの胸が高揚感でいっぱいになる。心配な気持ちももちろんあるけど、クラエスフィーナと自分たちの努力の終着点を早くこの目で見てみたい。
「望んだ結果になればいいがな」
ホッブが憎まれ口を叩くが、それでも口調に滲む期待は隠しようがない。
「おら、さっさと寝るぞ。朝一でもう一回“翼”を湖まで運ばなくちゃならないんだからな」
「わかってるって」
そう。全部は寝て起きてから。
今はどんなに気分が逸ったって、前準備に過ぎないのだから。
「お休み、ホッブ。聞こえてないと思うけど、クラエスとダニエラも」
「ああ。ちゃんと起きろよ?」
ラルフに返事をしたホッブが、一回言葉を切ってからもう一言付け加えた。
「あとこのドワーフ、せめていびきは止められねえのかな」
「結構派手にかいてるね……僕らの方が寝れるかな」




