45.人事を尽くして保険をかける
中庭での一件を聞いたダニエラは面白そうに口笛を吹いた後、クラエスフィーナに尋ねた。
「メシ奢ってくれるって言ってたんだろ? よくついて行かなかったな」
「初対面の妙に調子がいい人だよ? うさん臭いじゃない」
エルフは思い出しただけでも気分が悪くなったみたいで、長い耳をピコピコ上下させながらぶるっと震える。
「話しかけられた時からおかしな人だな、変なことを言うなあと思ったけど……まさか、ラルフに聞いていた自然を愛する変態さんが本当に声をかけてきていただなんて! 街中どころか学内も危険だよ!」
すでに一度、「ものぐさ狼亭」で全裸紳士の襲撃に会っているクラエスフィーナは心的外傷持ちである。今回はいつも壊れている危険察知の感覚が珍しく仕事をしたと言えるのかもしれない。相手は露出魔ではなくナンパ師だったので過剰反応気味ではあるが。
「クラエスの事だから、高級食堂なんて言われたらノコノコ付いていくかと思った」
「ダニエラは私を過小評価しすぎだよ!? お菓子くれるって言われてもついて行っちゃいけませんって子供のころに習わなかった?」
「それを忘れるのが大人なんだよなあ」
一拍置いて、クラエスフィーナがダニエラの顔を覗き込んだ。
「……高級食堂はダニエラが連れて行ってくれてもいいよ?」
「ざけんな阿呆。寝言は寝て言え」
遅れて研究室にやって来たラルフとホッブも、話を聞いてクラエスフィーナに尋ねた。
「高級食堂って誘いからもクラエスを研究してるなって思うけど……」
これはステファンを過剰評価し過ぎだろう。クラエスフィーナが頭のゆるい食いしん坊なのは、今ここにいるメンバーぐらいしか知らないトップシークレットだ。
「アイツ顔だけは良いから、女の子もフラフラついて行っちゃうみたいなんだよね。そういう点でクラエスはよく警戒したね」
皆の視線を集めて、クラエスフィーナは問題点がよくわからないと言うように首を傾げた。
「顔が良い?」
反応がいまいち薄い。
「普通じゃない?」
「そう?」
「あの人、ラルフやホッブと大して違わなかったと思うけど」
訝し気なエルフを置いて、ダニエラが男二人を手招きした。
「なあおい、もしかしてさ……クラエス、エルフを見慣れているから人間レベルだと顔の善し悪しがドングリの背比べに見えてんじゃねえ?」
言うまでもないけれど、エルフ族は人間から見ると神像レベルの美形しかいないことで有名な亜人種である。
「それで学院で一、二を争うモテ男にも普通に返してたのか……」
逆に言えば、人間はイケメン程度ではエルフの興味を引けないという事でもある。一つ勉強になった三人だった。
「“人間中身が大事”って、まさかこんな場面で実感するとはな」
「クラエスの感性が麻痺しているとは希望が見えて来たなあ、ラルフ。おまえの抜けたツラでもステファンと同格に見えてんだってよ」
「わあい。うれしくって涙が出てくるなあ」
「同じように見えるって言えばさ」
ダニエラがコーヒーを入れながらつぶやいた。
「手伝ってくれる幼年学校生の五人、あたし全員同じ顔に見えるんだよね……王都でもう五年暮らしているから、いくら何でも人間の顔の区別がつかねえってことは無いと思ってたんだけどよ」
ドワーフはエルフと逆で、顔よりも体型的に特徴がある。ずんぐりむっくりのチビで横に広い者が多い。力仕事が得意なせいか、筋骨隆々なイメージがあって子供には見えないけれど。その中でもダニエラは人間に近い横幅で童顔なので、コイツに限っては本物の幼女に見える。
顔については実年齢より歳に見える男が多いが、特に人間に比べて美醜が問題になることは無い。人間の顔も普通に見えているはず……たぶん。
だから王都にも慣れているダニエラが人間の顔の区別が今までつかないことは無かったのだが……。
もしやあたしはエルフに近いのかもしれん、美人過ぎるドワーフだしな……とか血迷ったことを言っているダニエラのボヤキに、何気なくラルフが返す。
「ああ、あの五人? そりゃそうだろうね。ジュレミーに聞いたら学校じゃ『フィッチャー五兄弟』って有名な五人なんだって」
「なんだ、五つ子かよ」
趣味も顔も似ているはずだ。
てっきり人種の違いで見分けがつかないのかと思っていたダニエラが、種明かしにホッと息を抜く。
「ははは、実はあたしゃ見分けがつかないって言うのも悪いかと思って、髪型や口癖で一生懸命見分けようとしてたんだぜ」
こいつは笑い話だと言いかけたダニエラだったが。
「五兄弟って言っても、本当は双子と三つ子なんだって」
「……何?」
「アベルとベンジャミンとダスティンが双子のお姉さんの方の子供で、コーリンとエステバンが妹さんの方の子供」
「はっ?」
「もしかして女の子が一人いるのも気がついてなかった?」
「えっ?」
「メインで図面描いてたコーリン、機体の回収とか力仕事は参加してなかったでしょ? 逆に小難しいことは苦手なダスティンは製作は得意だけど理論は何にも言ってなかったじゃない」
「ラルフ……もしかして五人の区別ついてんの?」
「うち客商売だよ。量産型でも癖を見分けるのは得意なんだよ」
「意外にラルフが高性能!?」
「どこに驚いているんだ!」
同類だと思っていたラルフに置いてきぼりをくっていた事実に、地味にショックを受けたダニエラがよろめきながらホッブを振り返った。
「おまえはわかんなかったよな!?」
「なぜ肯定前提で同意を求める」
ホッブが胸を張った。
「指示を出せば誰かが動くんだから、それでいいじゃねえか」
ダニエラが胸をなでおろした。
「良かった、下には下がいたぁ」
「あんだとテメエッ!?」
本題に戻って、四人は明後日の課題審査について地図を広げて検討を行う。
「まあ毎日飛んでるから、今さらコースの説明はいらないと思うけど」
ラルフが隣の自然公園の情景を思い描くようにポイントを指し示しながら話を続ける。
「注意するのは当日は観客が多数来ているってことだよ……ダニエラ、この場合の問題点は?」
「そりゃ、おめえ」
ドワーフはニッと笑って親指を立てた。
「観客席に墜落すんなってことだろ? 怪我人出したら退学になりかねないからな」
「周囲の歓声や騒音に惑わされるなってことだよ!」
しょげているダニエラを放っておいて、ラルフがクラエスフィーナに向き直る。
「クラエス、上から見ていてさ。下の風景とか物音って結構気になるもの?」
「そうだねえ……」
クラエスフィーナが斜め上を見てむーっっと唸った。
「見回す余裕はないんだけど、意外に景色は見えているかな。正しい方向に飛んでいるかも確認しちゃうし。音は……さすがに地上の音をなんでも拾うわけじゃないけど、子供がはしゃいで叫んでいる声は結構上空でも聞こえるね。だから当日観客が騒いでいれば聞こえるんじゃないかと思う」
「なるほどねえ」
ホッブが地図に描かれたキャロル湖の中心辺りをなぞった。
「そうなると、“騒音”をシャットアウトするにはできるだけ中心部分を選ぶように飛んだ方が良いのか? 距離で言えば当然一番合格ラインに近くなるが……横風が吹いていた場合、前半で風上側に寄らねえと後がきつくなるんだがな」
「その事なんだけどね」
クラエスフィーナが申し訳なさそうにメモを出した。
「事務局前に追加の告知が貼ってあったんだけど……地図でいう所の、ここと、この付近はできるだけ岸辺に寄れって指示が実行委員会から出てるの」
「あ? チェックポイントがあるのか?」
「ううん……貴賓席と有料観覧席だって」
「……もしかして、これマジメな課題審査じゃなくて後援者接待の余興なんじゃねえのか……?」
「そんなので奨学金打ち切られたら、やらされる方は笑うに笑えないよね……」
住んでいる地区が違うので、学院の門を出た所で普段なら男子組と女子組に分かれるのだけど……今日はダニエラとそれ以外に分かれることになった。
「いいなー。クラエスいいなー」
ぶうぶう言うダニエラに、クラエスフィーナがげんなりした顔で反論する。
「変態さんが襲って来ないようにって緊急避難なんだよ。ダニエラも二回も狙われたら怖さがわかるよ」
ステファン、容疑者から未遂実行犯にランクアップ。
「それ言ったらあの晩一番被害を受けたのはあたしだぜ?」
ダニエラが頬を膨らませた。確かに「ものぐさ狼亭」の前で突風による不可抗力により、真っ裸の変態とくんずほぐれつして気絶したのはダニエラの方である。
「あたしもお泊り会に参加してえ」
むしろこっちが本音で、ドワーフがねだるが……。ラルフが頭を掻いた。
「二人はさすがに部屋がないな……元々うちの商売じゃ、客が泊まるようなことはなかったから」
「クラエスと一緒でいいぞ」
「ベッドは一人で使わないと疲れが取れないよ。クラエスは審査会前なんだから」
ダニエラがホッブを見た。
「ホッブんちでもいいぞ」
「お前もう一人暮らしの部屋に帰りたくないだけだろ。エンジェルじじいの家に行けよ」
「鍛冶屋の飯場でまともに寝れると思ってんのか」
「騒音で?」
「夜中まで飲んで騒いでいるから」
「鍛冶屋は身体が資本だろうが。寝ろよ」
ホッブがあくまでダメだと手を振った。
「うちにダニエラを連れて帰るわけにはいかねえんだよ」
「なんでだよ」
ダニエラの抗議に、今度はホッブが死にそうな顔になる。
「……うちの引きこもりで自宅革命家のクソ兄貴の好みに、おまえがドンピシャなんだ……身の安全が保障できない」
つむじ風が過ぎ去るまで無言だったダニエラがラルフの方を向く。
「なあ、クラエスをホッブの家に預けたら……」
「それもダメだ。クラエスがうちに泊まったりなんかしたら、無垢なる魂が大好物だが溢れる母性にも造詣が深いうちのクズ親父を封じ切る自信がない」
「おまえんち、社会の歪みを一身に背負っているじゃねえか……」
「凄いでしょ? ホッブの家。コイツがこれで一番まともなんだよ。笑っちゃうよね」
「中の人間には笑えねえこと言うんじゃねえよ」
「笑うしかないじゃないか、こんな話」
エルフも大掃除で捨て忘れた去年のゴミを年明けに見つけたような顔になっている。
「一番凄いのは出ていかないお母さんだよね」
クラエスフィーナの意見に尽きるな、とラルフとダニエラは思った。
ちょっと寄って行けよと言われて、ラルフの家にはホッブも付いてきた。家に着くとクラエスフィーナの声を聞きつけて、さっそくラルフ妹が引っ張っていく。それを見送ったラルフとホッブは台所でラルフの両親と席についた。
「さて、裏会議だが」
マジメな顔になったホッブが開会を宣言し、ラルフ父が頷いた。
「どうやって婚約まで追い込むかだな?」
「それは俺が帰った後に家族会議で話し合って下さい」
ホッブがさっきの地図を広げた。
「クラエスの前ではプレッシャーになるので出来るだけ言わなかったが、正直な話をすれば合格できるか現状じゃ分が悪い。シビアに見れば保証できてる飛距離は八割。確実にってなると本当は合格ラインにプラス一割積み増したかったが……」
「完全に逆風になっちゃったら、今の状態じゃ確実に届かないよね」
ラルフも同意した。同意はしたが……。
「構造も魔力も今さらどうしようもない。それをわかった上で、何をしようって言うの?」
もう直接的にやれることは無い。そんなことは学院で試験中に何度も話し合った事だ。
ホッブが地図の中の岸辺を突いた。
「さっきおまえがクラエスに聞いてた地上の騒音の話で思いついた。向かい風になった場合、間違いなく後半でクラエスはどんどんヘタってくるはずだ。だから半分を過ぎた辺りから、順次地上からクラエスに向けて応援団が声援をかけるのはどうだ? こうなったらクラエスの気力に賭けるしかない」
「順次ってことは……みんなで集まって、じゃないってこと?」
「そうだ」
ラルフの確認にホッブが頷く。
「来てくれそうな人たちをグループ分けして、クラエスの気力がもたなくなりそうな地点に配置する。一瞬もち直したクラエスがまた疲れでダメになってきたら、次のグループがそこに待機しているって寸法だ」
「なるほどね。応援のリレーか……宣伝のおかげで審査会にはずいぶん観客が来そうだし、その人混みに負けずに場所取りをして派手な応援をしてくれそうな人たち……」
ラルフが両親を見る。
まずラルフの家と、まあホッブの家。
手伝ってくれた幼年学校生たち……クラスを仕切っているらしいラルフ妹が動員をかければ、もうちょっと人数が増えるかもしれない。
金属加工を外注したエンジェル工房のおっさんたち。人数がいるし無駄に声がでかいからうってつけだろう。
働いた「黄金のイモリ亭」のオヤジと丁稚、常連客。どこまで来てくれるかわからないけど、二か月の付き合いは無駄じゃないと信じたい。
「……こんな所かな?」
「そうだな……他にもいればいいんだが……とにかく、頼んで回って応援に来てもらおう。今から走って頭下げに行くぞ。それで親父さん、頼みがあるんだが」
「おう」
同席していたラルフ父にホッブが話を振った。
「当日は王都中の暇人が集まるから、騒ぎの中で声だけだとクラエスに届かないかもしれねえ。それで旗か横断幕を作りたいんだが……」
「袋屋に交渉しろって言うんだな?」
「話が早くて助かる」
“翼”に張る布を買った際、安く済ませるためだと言って余計な広告をしやがったあの主人だ。大きく文字を入れた横断幕を作ることも可能だろう。
「わかった。よく頼んで明日中に仕上げさせる。文言は今晩中に考えろ」
「承知! 旗にする場合は縫い付けとかが必要になるが……」
「大した数じゃないし、クラエスちゃんが飛んでる間もてばいいんだろ? 任せときな」
とラルフ母。
「頼んます。それじゃラルフ、走るぞ!」
「よし来た!」
両親の快諾も得て、ラルフも勢い良く立ち上がった。
まだできることがある。
まだやってあげられることがある。
巻き込まれた形で始まったクラエスフィーナの手伝いだけど、ここまで来たらなんとしてでも合格させてあげたい。
友達に頼まれたからではない。
精いっぱい頑張ったんだから結果を残したい。努力すれば報われると思えるように、絶対にこの課題を成し遂げたい。挑戦者はクラエスフィーナだけど、サポートする立場でも本気を試されているのは同じなのだ。だらだら生きてきて特に目的意識もなく学院に通っていたラルフ自身の事として、そう思う。
だから、あと一押し。いや、二つでも三つでも……クラエスフィーナが空中に飛び出すその時まで、できることは無いかと足掻いて見せる。
慌ただしく出ていこうとする息子たちに、ラルフ父が思い出したように声をかけた。
「ところでおまえら」
「何?」
「なんすか?」
「全然名前が出なかったが、おまえらの学科にアテはねえのか」
「ははははは、そんな人望がおたくの息子さんにあるわけないじゃないですか」
「ホッブ、おまえこそ他人のこと言えないだろ」
「こいつら、何しに学院行ってんだかな……」
「勉強しにじゃないか!」
呆れた自分の独白に嘘くさく爽やかなキメ顔で答える不肖の息子たちに、ラルフ父は深々とため息をついた。
「ここまで白々しいセリフは、この年になるまで聞いたことがねえよ……」




