43.最後の最後に積み残した課題をどうしよう
カレンダーを何度めくり直しても、書いてある数字は変わらない。当然だ。人間と違って印刷物が感覚で物を言うはずがない。
「あと三日か……」
何度も見直したクラエスフィーナがため息をついた。
「何があと三日なの?」
呑気に昼飯をかじりながら聞いて来るラルフに、向かいのホッブが別の意味でため息をつきながら教えてやる。
「おまえは本当にアホだな……課題審査会まであと三日に決まってんだろ」
一日四、五回試験飛行を繰り返し、努力のおかげでクラエスフィーナたちの“翼”は八割の確率で合格ラインまで飛べるようになってきた。今の状況なら合格は決して無理な願いではないはずだ。
ただし、八割の確率で到達できているということは……。
「あー……あと少しが追い込めないんだよねえ」
嘆くクラエスフィーナは、耳を力無くへんにょりと垂らしながらパンにかぶりついた。あと一歩の壁を破れない。
「もう少しで確実になるんだけどなあ……」
意気消沈しているけれど、口はリズミカルに動いている。軽量化の為に食事制限されているはらぺこエルフは、心がつらい時でもごはんは美味しい。
ダニエラが渋い顔でつむじの辺りを掻いた。
「ちょっとでも向かい風だとなあ……体力の回復はかなり早くなったけど、それでも飛んでる最中のスタミナ切れはなかなか改善できねえよな」
無理矢理毎日何度も飛ばさせられているせいか、体力の回復が早くなっては来たのだけれど……それには“地上で一回休めば”という但し書きが付く。
「飛びながらリチャージできれば、もう合格は確実なんだけどな」
体力的な面はともかく、生来生まれ持った魔力はそう簡単に保持力が変わったりはしない。課題で要求されている飛距離を魔力だけで飛ぶには、あと少し保有量が足りない。
それを補うには「飛空方式をもっと効率がいい別のやり方に変える」「追い風など外的要因に支えてもらう」「“翼”が自力で滑空している間に、完全に力を抜いて魔力を回復させる」などの方法があるけれど……最初の方法は今からじゃ論外だし、二番目三番目は「向かい風でなければ」可能、という付帯条件が付く。
つまりクラエスフィーナが合格できるかどうかは、もう風向きがどうなるかという運任せの勝負になっていた。
「当日の風がどうかだよねえ……」
「予測から言えば最悪だ」
ラルフのボヤキに、ホッブがため息で答える。
「敢えて言ったら午前中の方が順風の可能性が高いな。だいたい日が昇りつめた午後二時ぐらいから完全に逆風になる。早い順番に回されるのを祈るしかない」
データを見ながらうめくホッブ。
「発表の順番て、どうなってんだ?」
ダニエラに訊かれ、クラエスフィーナは書き写してきた試験要綱を見せる。
「当日の朝に審査会本部でくじ引き……」
「クラエス、くじ運は?」
「いいと思う?」
運が良ければ、今ここまで追い込まれてはいないだろう。ラルフとホッブ、ダニエラが視線を交わし合い、クラエスフィーナに向き直った。
「クラエス、抱き込めそうな実行委員に心当たりは?」
「実行委員は導師たちで構成されているのよ? いるわけないじゃない」
「じゃあまずは、くじの形状を調べないとな」
「偽造してもダブったら一発でバレるよう」
「残念会&新たな旅立ちを祝う会は『黄金のイモリ亭』でいいか?」
「すぐ諦めるのは禁止だよ!?」
仲間の提案にダメ出ししまくるエルフに、他の三人が口を尖らせた。
「搦め手がダメだって言ったって、技術的にはもうできることなんかないよ?」
「あと少しの決め手に欠けるのはおまえの能力の問題だろうが」
「反対するけどクラエスは何か代案があるのかよ?」
「うっ……」
集中砲火にクラエスフィーナはしばし視線を彷徨わせ……。
「審査会まで毎日、神殿でお百度参りをするのはどぐふっ!?」
クラエスフィーナが言い終わる前に、鳩尾にダニエラの手刀がめり込んだ。ドワーフ的には軽いツッコミのつもりだろうが、エルフは強烈な一撃に転げまわっている。
「そもそも運に見放されてるおまえが何を寝ぼけたことを言ってるんだよ。あと三日しかねえんだぞ? 今から神様に泣きついたって、向こうもおまえの信心なんか信用しねえよ」
「見放されているとか言わないで!? ちょっと後ろ暗い研究室に入っちゃって、ちょっと逃げそびれちゃって、ちょっと大事な場面で不利な課題が出ただけだよ!?」
「“ちょっと”も重なれば“かなり”って言うんだ」
「口にしたらダメっ! ホントになっちゃうでしょ!?」
ダニエラの指摘に傷ついてクラエスフィーナが言い返すも、ほとんど反論になってない。
そこへラルフが仲裁に入った。
「まあまあダニエラ、あんまり言い過ぎちゃ可哀そうだよ」
「ラルフ」
「クラエスが特に運が悪いわけじゃないよ」
「そうかあ?」
首を傾げるダニエラに、ラルフがまじめな顔で頷いた。
「今までの事を思い出せよ。万能専門家なんて名乗る導師に疑問を持たなかったり、指導できる先達がいなくなったところで研究室の異動願いを出すのを考えつかなかったり、役に立たない古文書をアテにして時間を思いっきり無駄にしたり。クラエスの判断間違いの積み重ねがが一番厄介な事態を招いているんじゃないかな。だから運が悪いっていうより、ドンくさい」
「それな!」
「ラルフ!? ダニエラ!? 二人とも酷いよっ!?」
みーみー泣き始めたエルフを見ながら、ホッブがため息をついた。
「クラエスの一番の間違いは、声をかけるメンバーを選ばなかったことだな」
「選べる状況じゃなかったんだってば!」
「あ、聞こえてた?」
泣いても笑ってもあと三日。本番直前となった今は練習のやり過ぎも良くないので、手伝いの幼年学校生を帰したら自分たちもまだ陽があるうちに学院を出ることにした。
家が同じ方向のラルフとホッブは肩を並べて歩いていく。
「あと三日かあ……クラエスの事だから本番が心配だなあ」
クラエスフィーナの完成度を心配するラルフ。
「確かに安心できる状況ではないよな……それでさ、ラルフ」
……に、ホッブがさりげなく切り出した。
「ん? 何?」
「あと三日だけど、クラエスを口説き落とす嫁取り作戦の方はどうなったんだよ」
「……」
そう。クラエスフィーナの奨学金確保と同レベルで、ラルフも切実な難題が残っている。家族の期待を一身に受け、どう考えても無理筋な「学院一の美女」を口説き落として嫁にするという……考えようによっては“空を飛ぶ”よりよほど難題なんじゃね? というプロジェクトである。ラルフ本人はともかく、ラルフの家族はこの為に協力を惜しまなかったという側面があって……「ダメだった。テヘッ!」とは言いにくい重圧をラルフは日々刻々と受けていた。
それが一歩も進んでいないのは、毎日一緒にいるホッブにはお見通しだ。
「いい加減、もう腹をくくれよ」
「……わかってるよ」
「いっぱいいっぱいのクラエスに、余計な事を考えさせたくないのもわかるがよ。それならそれで、審査会直後には告白できるように自分の準備は初めてねえと」
重ねて言うホッブに、渋い顔のラルフがそっけなく返す。
「わかってる」
クラエスフィーナのチャレンジがどう転ぶかわからないけど、審査会が終わったら四人は一緒に毎日過ごす理由が無くなる。元々別学科、友達として遊ぶことはあっても学院でやっていることが違うのだから今までみたいに密な付き合いはできなくなるだろう。クラエスフィーナにラルフが気持ちを伝えるならば、いいタイミングはもう審査会から慰労会までの間しかない。
「家族からの期待だってスゲエんだろ? おまえの家があれだけ押せ押せなの、俺は初めて見たぞ」
「そうなんだよね……」
クラエスフィーナが今感じている課題合格のプレッシャーも凄いだろうけど、ラルフが両親と妹からかけられている重圧もなかなかのものがある。
ラルフが肩を落としてぼやく。
「不肖の息子に期待していいような嫁じゃないと思うんだけどな……」
「自分で言うなよ」
一言ツッコんで、ちょっと間を置いてホッブが付け加えた。
「その現実認識はよく理解できるけどな」
「黙れ、穢れ無き魂しか愛せぬ男」
「それは兄貴だ! 俺じゃねえ!?」
「まあ家族の期待はともかく、そもそもおまえがクラエスを好きなんだろ? 高嶺の花だからって初めから諦めるのは無しだろう」
「わかってるよ」
クラエスフィーナから見るとラルフはただの友達かもしれないけれど。
心惹かれているラルフは……クラエスフィーナにそれ以上の関係を望んでいるのだ。
「具体的にはエロいことだよな」
「それは否定しない」
まだ明るい空に昇り始めた月を見ながらラルフは長々と息を吐いた。
「クラエスも頑張っているんだ。僕も、ダメもとでアタックしてみせるよ」
友人の決意を込めた横顔を見ながら、ホッブが念押しした。
「わかっているな? 想定問答を繰り返して、どんなパターンで返されるかも予測しておくんだぞ」
「わかってる」
「何を言われたってくじけないで、反論して食らいついて行けよ?」
「おうよ! 大丈夫、何を言われたって僕の気持ちは折れたりなんかしない!」
珍しくも男らしくハッキリ返事をした友人をホッブはまぶしそうに見つめた。
「そうか……じゃあ、おまえの決意のほどを試してみるか」
「へっ!? まあ、いいけど……?」
首を傾げるラルフに、何かを思い出しながらホッブは……。
「行くぞ? 『そんなつもりじゃなかった』」
「なんの!」
「『友達でいましょう』」
「ふっ、それぐらい!」
「『男としては見てなかった』、『弟みたいに思ってた』、『ごめん、誤解させちゃったかな』」
「いや、おい……」
「『君とはいい関係でいたいの』、『あなた、イイ人だとは思うんだけど』、『え? 笑えないよ、その冗談』、『あはは、あんた鏡を見たことある?』、『私、そんな安い女に見えるのかな?』、『ふふ、ちゃんと言った方が良かったね』、『……二十メートル以上近づかないでくれる? 警邏呼ぶわよ?』、『あんた、そんな目で見てたの……キモッ!』。後は、えーと……」
「それ以上あげなくていいよ!? 何、そのネガティブな反応のオンパレードは!?」
一つ一つはともかく、まとめて言われるとクラエスフィーナに言われたわけでもないのに心にグサグサ突き刺さる。
「法論学科の授業で習った追い回し事案を発生させた被害者の炎上回答上位だな。珍回答は他にもあるぞ? 『あなたのことはうちのパパイヤ(犬。オス、三歳)の次ぐらいに好きかな?』とか」
「それ以上は言わなくていい! ダメな方ばかり考えないで、前向きに行こうよ! なんでダメな場合ばかり想定するんだよ!?」
他人事の例文集ですでに心が満身創痍なラルフが耳をふさいでのたうち回るのを、ホッブはジト目で眺めた。
「だって、おまえだし」
「余計なお世話だ! 僕は付きまといにもならないし、振られないでビシッと決めて見せるから!」
「でも、おまえだし」
あくまでも疑いの目を向ける友人に、ラルフは目に涙を浮かべてはっきり宣言した。
「心配するな! 僕は男らしくクラエスに正面からアタックして、絶対彼女に“はい”と言わせて見せるから!」
「ホントに正面突破だけで行けるかぁ? 芸が無さ過ぎてクラエスでも落とせないと思うが」
「イケるイケる! 下手な小細工をするより、誠心誠意好きだって気持ちをぶつけるんだ! 今までの付き合いもあるし、クラエスだって熱烈に愛してるって言われたらまんざらでもないと思う!」
「そうかあ? 」
「間違いないよ! 押しに弱いクラエスだもの、グイグイいけば勢いに呑まれて絶対断れなくなるから!」
「おい、誠心誠意はどこへ行った」
ラルフはぶつぶつ言いながら家の敷居をまたいだ。
「まったくホッブったら、全然信じてくれないんだから。あいつの中で、どうにも僕の評価が低すぎるな……ただいま!」
結局木戸を越えて別れるまで、ホッブはどうにもラルフの不退転の決意を信用してくれなかった。
もちろんラルフだって、自分が決断と度胸に不足があるのは認めるけれど。それでもクラエスフィーナと付き合いたい気持ちはとても強いし、ありったけの勇気をかき集めて告白するつもりだ。
「クラエスの気持ちがまだ友情的なアレだっていうのは僕だってわかってるけど……クラエスは孤高の存在だったおかげでさみしがり屋だし、うちの母さんやジュレミーに懐いているから家族ぐるみの付き合いがプラスに働くと思うんだよな。だからクラエスを狙っている男たちの中で、誰よりも僕がクラエスに近い! はず……」
と言いつつ断言し切れないのもラルフだからか。
今言った言葉に決して誇張も計算の甘さもないつもりだけれども、根底にはどうしても平凡な自分を卑下する気持ちが残ってしまう。
というところまで自覚している自分に苦笑いしながらラルフがキッチンに入ると……食卓を囲んで、家族がすでに勢ぞろいしていた。
「あれ? もうみんな食卓についているなんて、早いね……」
ラルフはそこで違和感に気がついた。
普段なら長方形の食卓の長辺に夫婦と兄妹で別れて座るのに、今日は父母と妹は三方を囲むように座っている。そして、何か審問が始まるようなピリピリした空気が……。
無言だったジュレミーが不意に口を開いた。
「お兄が帰ってきたので」
「え? な、何?」
知らず知らず直立不動になったラルフを、爛々と光る三対の鋭い眼光が射貫く。
「課題審査まであと三日しか残っていないのにクラエスちゃん捕獲計画の進捗がはかばかしくない件について、ヘタレで優柔不断なお兄の査問会を開催したいと思います」
「それはっ!?」
いきなり言われて言葉に詰まるラルフに……飢えた肉食獣のような三人は無言で顎をしゃくり、被告人席に座るよう促した。
「……と、言うわけで。五時間も吊し上げをくったうえに、クラエスを口説き落とせなかった時どうなるかでも延々脅されて……このままじゃ、僕の学院生活と将来が危ないよ! もしかしたらリアルに生命もヤバイかも……」
べそをかきながら昨日別れてからの事を話すラルフに、ホッブは肩を落としてため息をついた。ラルフの家族の力の入れ具合から見て、そのうち呑気なラルフに突き上げがあるだろうと思っていたのだ。
「だから言わんこっちゃない。クラエスの心配をするのもいいけど、おまえも悠長に構え過ぎてんだよ。なんだ? クラエスの代わりに学費を停められるってか?」
「それもあるけど……クラエスをモノにできなかったら、父さんは僕を退学させて親戚の大豆農家に送り込むつもりなんだ……」
「かかった経費を働いて返せってか?」
しょぼくれているラルフの肩が、さらに小さくなった。
「……そこの大叔父さんちには四十を超える今まで全く嫁の口がかからなくて、独り身を持て余して見境無くなっていると評判のおばさんがいて……」
この時代、平均年齢は五十ぐらい。
「その女に既成事実に持ち込まれるまで帰れないって言うわけか? 怖えな……」
思わず震えるホッブに、下を向くラルフはゆっくりと首を横に振って見せる。
「怖いのはそこじゃないんだ……その人、女に飢えまくった戦場帰りの傭兵がまたいで通ると評判の……」
「……そんなに凄い御面相なのかよ」
「重くてねじくれ曲がった性格してて」
「まさかの内面の方がヤバいパターン!?」
「しかも七十近くなのに二人とも健在の大叔父さん夫婦は未だに彼女を猫可愛がりしてて、『我が家のエンジェル♡』と呼んでチヤホヤしてるんだ……」
「行き遅れなうえにモンスターペアレント付きかよ!?」
「成婚の暁には、『持参金だけもらって縁を切るから』って父さんに言われてる」
「おまえんちも負けず劣らず修羅の家だな……」
バッと顔をあげたラルフが泣きながらホッブの襟をつかんでガクガクと揺さぶった。
「このままじゃ僕、僕……ホッブ、どんな汚い手を使ってもいいからクラエスにプロポーズをOKしてもらうぞ! 協力してくれ!」
「“誠心誠意押しまくる”から随分後退したな、おい」
「なんだよ!? おまえが僕の立場だったら、綺麗事なんか言ってられるか!?」
ホッブはちょっと考えた。
「そんな家に婿入りするぐらいならクラエスとは言わねえ、この際ダニエラでもおまえの妹でも相手を妥協してでも自宅にしがみつくに決まってんだろ」
「親戚の変人が山ほど付いて来るダニエラや、うちの両親が付いて来るジュレミーと結婚するのもたいがいだと思うけど」
「この世の中、進む先には地獄しかねえのか……」
「だからクラエスとの未来一択だけが希望なんだよ!」
俄然真剣味を帯びた検討をしながらラルフたちが研究室棟の前までやってくると、ラルフと一緒のブラウニング研究室に所属するアントンが駆けてきた。どうもラルフが登校するのを待っていたらしい。
「ラルフ! 来るのがおっせえよ!」
のんびり屋のアントンにしては、今日はずいぶん慌てている。
「どうしたアントン。導師が何か怒ってるのかい?」
「もっと大変だよ! 導師の件は脇に置いとけ!」
「え? 導師が怒っているのもあるの?」
ラルフとしてはそっちの話も気になるんだけど、アントンはそれどころじゃないらしい。彼は大講堂のある方を指さし、呆気にとられている二人に唾を飛ばしながら訴えた。
「前に話しただろ!? うちの学院でもイケメンの一、二を争う工造学科のステファンがとうとう行動を起こしやがった! あの野郎、『クラエスフィーナさんを今日こそ落とす』って朝から気合入れてたんだよ! さっきクラエスフィーナさんの姿も見たから……今頃ヤツはアタックしているぞ!」
暑さが引いて来たのは助かるんですが……ただいまリアルの方がグッチャグチャです。
お盆前から私事に加えて仕事もバタバタしてるんですが、どんどんずれ込んだおかげで強制的に受けさせられる試験の勉強もかぶってきました。一夜漬けの問答集を作るのに、まず一週間はお時間が……。




