41.三歩進んで二歩下がる
クラエスフィーナたちのチームが実機試験を再開して六日。
風魔法の推力転換については、地道に訓練を繰り返すことで僅かずつ効果が上がりつつあった。
「よーし、ついに合格ラインの八割まで来たよ!」
着水した実験機からクラエスフィーナを拾い上げたラルフが、興奮して岸辺の目印を指さした。
課題審査を二週間先に控え、すでに会場づくりは始まっている。その中でもキャロル湖の岸辺に飛行距離の目印を設置するのは、なによりも最優先で進められていた。
実験機からボートに乗り移ったクラエスフィーナは、への字口で「むー……」と唸った。
「あと二週間の段階でまだ二割も残ってる……これって、幸先良いのかなあ?」
「いいんじゃないかな。少なくとも僕ら、推力の強弱をコントロールする訓練を始めてから百メートルも到達距離が伸びたよ。この六日でそこまで進めば、かなりの物じゃない?」
「そう言えば、そうだねえ」
「そうだよ!」
ラルフがニコッと笑ってクラエスフィーナにタオルをかぶせた。
「これで書類審査敗退レベルから本選出場レベルへランクアップさ!」
「それを言わないで!? つまりそもそも安全圏に入ってないって話じゃない!」
どれだけ飛行距離を飛べたか。今までは各研究チームが目分量で計測して、だいたいこれぐらいだろうと自分たちで目算をしていた。それが今回審査会場設営の一環で飛行距離の標識が設置されたので、公式な物差しが目に見えて示された事になる。
工造学科の土木関連の専攻科を動員して置かれた目印は、スタート地点からの正確な距離が刻まれている。これができたことで目指す領域までどれだけ近づいたのか、ハッキリわかるようになった。
……その結果、甘い予測で実績を積み上げていたチームがいくつも心が折られる事態になっていた。
「ある種残酷ではあるがな」
昼食休憩で茶を飲みながら、ホッブは湖畔の標識を見やった。
「あと二週間てところで計算が狂ってますよと言われたって、方針転換したり画期的に技術を伸ばしたりする方策があるチームなんてありゃしねえ。せめてひと月前に設置してくれりゃ、何か手を打てた連中もあると思うんだけどな」
「それはそうなんだけどさ。あんまり早すぎると改ざんされたりする心配もあるんで、設置の時期を見計らっていたらしいぞ」
学生にお馴染みの「古家の床板」をゴリゴリ食べながら、ダニエラも標識を振り返る。
「アレ設置すんのに、あたしらメチャクチャ大変だったからな……自棄になった連中にこっそり動かされたりしちゃ、苦労して打込んだあたしらが堪んねえよ。また測量し直しとか、勘弁して欲しいぜ」
「そうか、ダニエラも坑道設計学専攻だものな。動員されたクチか」
ホッブに言われ、ダニエラはお茶のお代わりを注ぎながらうんざりとため息をつく。
「一昨日と昨日は授業全潰しでさ。測量のできる奴らが五十人ぐらい集められて、炎天下に測量と設置作業よ。湖の形は当然綺麗に直線じゃねえからな……地形で差があるのを勘定に入れながら、標識を打ち込んでいくんだぜ? 地獄のような作業だったよ」
茶を一気に飲み干し、しかめっ面をするダニエラ。
「しかも講義のうちだから、あんだけの重労働を二日もやって賃金出ねえんだよ! 冗談じゃねえよ!? それを一日やってから、午後もいい時間から今度はクラエスを空に飛ばす手伝い! そして夜はおっさんども相手に「おじちゃん、アリガト!」だぞ!? やってられるか!」
「後半は学院のせいじゃねえだろ」
「つらい労働を賃金に換算するあたり、ダニエラも給仕仕事が板について来たよね」
仲間の冷たい反応に、ダニエラが吼える。
「おまえら他学科だから笑ってられるんだよ! 金ももらえずにあんな重労働やってられっか!?」
「授業サボれてよかったんじゃない? 無給が嫌なら早く卒業して就職しなよ。穴掘りの補強でお金がもらえる仕事が待ってるよ」
「落盤起こすたびに解雇されるだろうけどな」
「言いたい放題言ってくれてるけどよ!? ラルフ、ホッブ、おまえらこそまともな職につけんのか?」
ダニエラに言われて、ラルフとホッブは自信有り気に肩をそびやかした。
「おいおいダニエラ、うちはやり手の粉物問屋だよ?」
「俺んちだって印刷業じゃ中堅なんだぜ」
横でジャーキーを噛んでいたクラエスフィーナが、不思議そうに首を傾げた。
「ラルフもホッブもおうちの仕事が何か関係あるの? 家族から戦力として期待されてないじゃない」
一瞬詰まったラルフとホッブ。
ややあってクラエスフィーナに向かって振り向いた時には、二人は不自然なまでに爽やかな笑みでサムズアップしていた。
「その通りだよクラエス! エルフの里って仕事ある?」
「このポンコツエルフも口が回るようになってきたなあ! ケツからデッキブラシ押し込んで、奥歯を裏から磨いてやろうか!?」
和気あいあいとした? おしゃべりを楽しみつつ昼飯も食べ終え、四人は午後の挑戦の為に“翼”の状態を確認した。
「おおよそ乾いているから、もう使っても大丈夫だろう」
ホッブの最終確認に、クラエスフィーナがホッと息を吐いた。
「翼面の布に油塗るようにしてから、乾かすの楽になったね。今の季節だと軽い天日干しですぐ使えるようになるものね」
「そうだな。一日終わって保管する前だけ、きっちり水気を飛ばせばいいって気がついてからは楽になったな」
「私がね! どうせすぐに水で濡らすのに、無駄に完全乾燥を毎回やらされていたんだから……」
いらない所でエルフの古傷をえぐったホッブは知らん顔。
「よーし、少年団が来るまでにもう一回やっとくぞ。ボート出せ!」
「ホッブ!? 聞いてる? ちょっと!」
もう追い込みにかかっているので、クラエスフィーナも朝から夕方まで飛ぶ為の練習だけをやっている。とても課題審査に関係ない一般教養科目の講義なんか受けている暇は無い。
体力づくりの基礎訓練も一応やっているけど、これもさすがに朝の一時間だけとかにしていた。そっちで疲れ果てて、飛べなくなっては意味が無い。
クラエスフィーナは機体のガタが出て無いかを確認しながら、ふと気になったことをラルフに尋ねた。
「ねえ、私はもうそれどころじゃないから講義出てないけど……ラルフやホッブは私と一緒にコレやってて大丈夫なの? 静学系の学生は課題審査の手伝いやっていてもお目こぼしは無いでしょ?」
「ハハッ、心配するなよ。僕たちだってちゃんと計算したうえでやってるんだから。なあホッブ?」
「おうよ。クラエスはそんな心配しなくていいんだ」
「そう?」
クラエスフィーナはホントに大丈夫かな? とは思ったものの……ラルフとホッブがあまりに自然に流すので、ちゃんと単位計算しているんだろうと思うことにした。
エルフが“翼”の上にゴソゴソ乗り込み始めたのを見て、あちらに聞こえないようにドワーフが男二人の後ろからボソッと尋ねる。
(んで? どういう目途が立ってるんだよ)
(麗しい友情で単位を落としたとなれば、もう一年学院でぶらぶら遊べる大義名分が立つじゃない)
(お涙頂戴のクラエス努力の物語で、導師も親も留年に怒りにくいだろ?)
(そんなことじゃねえかと思ったぜ)
(おまえはどうなんだよ?)
(あったりめえじゃねえか。そもそも図面描けなくて必修落とすの確実だったからな)
友人三人の黒い思惑でダシに使われているとも知らず、クラエスフィーナは準備ができたと手を振って見せた。
幼年学校が終わって駆け付けた少年たちが来ると、その日のこれまでにやった飛行試験のデータ解析が始まる。
これはあくまで(模型)飛空機のノウハウに長けた彼らマニアがアテになるからであって、決して学院生が役立たずというわけではない……と公式には言っている。
リーダー格の少年が今までの計測結果を見て唸った。
「前翼のおかげで転倒がなくなったのが一番の成果ですよね。飛ぶ距離の方は効率化が効いてますが……それでもまだ、あと一歩が足りませんね」
「やっぱそう思う? 結構飛距離が伸びたと思うんだけど、まだまだ合格ラインまで到達しないんだよね」
「あと、ほんの少しと言えば少しなんですけどね。これは効率化をもうちょっと頑張ればって話じゃないなあ……」
“翼”の構造を設計した少年が実験機の状態を見ながら口を挟んだ。
「機体の構造はこれでいいんすかね。こっちをもっと突き詰めれば、もっと飛びやすい物ができないかな?」
「それも考えねえでもないんだが……」
ホッブが頭をかいた。
「画期的な改善点が見つかったとしてだ。エンジェルじじいの工房に今から送って、あいつら間に合わせられると思うか? クラエスの試験飛行だって時間が足りてねえんだぞ」
「……無理っすねえ」
ドワーフたちがいらない箇所の改善で無駄に時間を使ったのを考えると、この時期に僅かな性能向上のために手を加えるのは自殺行為だ。アイツらの傾向を考えると、切羽詰まったこの時期に変形合体のギミックとか思いついちゃったりしかねない。
根本的な機体の改造が今からできない以上、ここから先の伸びしろはクラエスフィーナ自身の持久力の向上と工夫にかかっている。
自然注目が集まる中、エルフは情けない顔でもそもそジャーキーを噛んでいた。
「……ねえラルフ」
「なに?」
「お腹空いたよう……」
「普通には食べているじゃない」
クラエスフィーナは工夫の一環で、食事量を制限されていた。理由は簡単、搭乗者が軽ければその分“翼”の負担が軽くなって飛距離が伸びるんじゃないかという理屈である。
「あんなの子供が食べるような量だよ! お腹減っちゃってどうしようもないよ!」
「その分はジャーキーを噛んで口を紛らわせているじゃない」
「紛らわしているだけだよ! お肉食べたいよう……」
肉食女子は好物を食べさせてもらえない現状に呻く。いや、食卓にまったく肉が出てこないわけではないのだけれど……昼食に鶏を一羽丸焼きで食べちゃうエルフなので、二、三口で終わってしまう量では栄養的にはともかく精神的には全く足りない。
「しかも自分がちゃんと食べてない状態で、毎晩『黄金のイモリ亭』でお客さんがモリモリ肉と酒を好きなだけ飲み食いしているのを何時間も見てるだけなんだよ! 堪んないよ!」
クラエスフィーナたちがバイトをしている「黄金のイモリ亭」は、今更説明の必要もないが安くて大盛りの肉料理が売りである。そこで看板娘として接客に勤しんでいれば、当然そんな物ばかり目にするわけで……。
しかもクラエスフィーナ、減量を始めた頃に客に一口もらっているのが見つかり叱られている。今は仕事中、「この豚エルフめにエサを与えないでください」というプラカードを首から下げさせられる罰を執行中だ。
ダニエラがクラエスフィーナの安産型の尻をひっぱたく。
「いいじゃねえか、そんな環境で我慢をするってのは精神的にも強くなれるぜ?」
「じゃあせめて、みんなも私の努力に協力してくれない!? 私が満足に食べられない横で、思いっきり暴飲暴食しないでよ!」
仲間がダイエット中でも、かまわずいつもの調子でガバガバ飲む。それがダニエラたちのジャスティス。彼らの行動はいつだって自分本位。
「じゃあ飲みについて来なければいいじゃねえか」
「仲間外れはひどいよ!? 食事制限でつらい研究で、さらにボッチ飯なんて私どこでストレスを開放したらいいのよ!」
自分以外が鯨飲馬食しているのを見るのはつらいけど、見ていないのもつらいのだ。
そんな風に憤るクラエスフィーナの肩をホッブが叩いた。
「クラエス、今は飯の不満よりどうやって合格ラインまで飛ばすかを考えろ」
「だってぇ……」
「あと二週間したら、好きなだけ肉も食えるだろ」
「それはそうなんだけど」
渋るエルフの前で、ラルフとホッブ、ダニエラはことさら深刻な表情を作った。
「その二週間後に、せっかく解禁になった肉料理が喉を通ればいいけどな……」
「わかったよ! 頑張るよ! いちいち落ちるかもなんて煽らないでよ!」
データと現場の状況を照らし合わせながら検討をしていた年少組が、機体の手入れをしているところに戻ってきた。
「クラエスフィーナさんも慣れてきたことですし、発射台をもうちょっと改良して少し打ち出し角を上にあげてみます。その程度の改造なら明日にはできると思います」
「おう、助かる!」
僅かずつでも改良すれば、一メートル刻みでも飛距離が改善できるかもしれない。今はその積み上げでなんとか二週間後に間に合わせるしかない。
「それで、ご相談なんですが……」
リーダー格の少年が眼鏡の位置を直しながら図表の一部を指した。
「クラエスフィーナさん」
「え? なに?」
「もうちょっと上を飛べませんか? 今の高度ですと水面に近いので推力がなくなって来た時にすぐに着水しますし、いつでも間近に湖面があるから精神的にも圧迫されると思います。高度を上げれば魔法が切れても滑空できますし、姿勢が崩れた時のリカバーもだいぶ楽になると思うのですが」
「あー……それはあ……」
もっともな指摘に、視線を泳がせるクラエスフィーナ。その態度に何か既視感を覚える三人。
「クラエス、おまえまさか……」
ダニエラが言いかけた言葉に、ビクッとするクラエスフィーナ。
「……クラエス、まだ高所恐怖症を克服できてなかったんだね」
「怖い物は怖いよ!」
涙目のエルフに、皆の視線が集まった。
「それは分かるが……今の間だけでもごまかさないと、文字通り死活問題だぞ?」
「そうなんだけど。そうなんだけどね!?」
ちょっと考えたラルフが閃いた! という顔をした。
「ちょっと先輩に頼んでみる!」
駆けていくラルフの後姿を見送り、クラエスフィーナが呟いた。
「……なんだろう? ラルフが自信ありげに言うと嫌な予感しかしないよ」
翌日。
クラエスフィーナとラルフ、それにもう一人の姿が、エンシェント万能学院で一番高い塔の上にあった。
「すみません、先輩。先輩も一番大事な時にこんなことをお願いしてしまって」
「いやいや、誰だって今が大変な時だからね。僕も気分転換がしたかったし微力ながらお手伝いしよう」
工造学科の心優しき巨人、オーガのアントニオ先輩がロープの先端を持つ。
「よし。クラエス、気をしっかり持つんだよ?」
「いやラルフ、ちょっと待って?ねえ、本気!?」
「当り前じゃないか。忙しいアントニオ先輩にわざわざ来てもらったんだぞ」
そういうとラルフは、ぐるぐる巻きにしたクラエスフィーナを塔の上から突き落とした。
「嫌ァァァァァァっ!?」
「先輩、お願いします!」
「よし来た!」
アントニオ先輩が手に持ったロープを力の限り振り回し始めた。十メートルほどのロープの先端には……簀巻き状態のエルフ。
学院で一番高い場所で、ロープ一本で空を飛ぶ? クラエスフィーナ。
「がんばれクラエス! これで高度と速度に慣れるんだ!」
「ラルフの提案はロクなこと無いよおぉぉぉぉぉぉっ!」
ドップラー効果がかかっておかしな音に聞こえるエルフの悲鳴を聞きながら、ラルフは会心の笑みを浮かべた。
「意識がある。うん、成功だな」




