25.池ポチャの後始末
クラエスフィーナの落ちたところまでは湖岸から五十メートルぐらいだろうか。地上ならあっと言う間に駆けつけられるのに、水があるというだけでたったこれだけの距離が果てしなく遠い。
一回静まりかけた波紋が、再び大きくなる。その中心では水面が乱れ波打ち、バシャバシャと音が響いてくる。
ホッとしたラルフが叫んだ。
「良かった! クラエスは無事だよ!」
「いや、無事じゃないからあそこで溺れているんだろ?」
「あ、そうか」
「うおおおおっ、クラエス待ってろぉ!」
頭を掻くラルフの横から飛び出し、ダニエラが現場めがけてダッシュした。
「おいダニエラ、さすがにあれだけ岸から離れていると足が着く深さじゃねえぞ!?」
慌ててホッブがドワーフの背中に声をかけるけど、突っ込むダニエラの速度は落ちない。
「大丈夫だ! 沈むより早く水面を走れば問題ねえ!」
男二人が見ていると、ダニエラは自分が出せる限りの最高速度(つまり遅い)で湖へ走り込み……当然一歩も水面に浮くことはなく、頭より深い所まで勢いで入ってしまってアップアップと溺れ始めた。
「何が大丈夫だ!? アイツほんとに工造学科か? 理論が覚えられないどころか幼児レベルの発想だよ!」
「今さら何言ってんだ、ヤツの脳みそに耳掻き一杯分だって期待なんかするんじゃねえ! ていうか、ダニエラも一分一秒を争う時に二重遭難するんじゃねえよ!?」
ラルフとホッブは辺りを見回す。すでに実験をやっておいて言うのもなんだが、湖に落ちた場合の救助策を何にも考えていなかった。
「どうしよう……このあいだの工造学科の連中を笑ってられないね」
「あの姿を見た上で準備しなかった、俺たちの方がバカだろ……お、アレだ!」
ちょっと離れたところで、小さいながらも貸しボート屋が営業しているのをホッブが見付けた。釣りや舟遊びをする者もいるのだろう。郊外のデカい湖とはいえ、さすが王都の公園扱いされるだけある。
あそこで一台借りて救助に向かうのが一番早そうなのだけど……問題は、どう見ても最後の一台をカップルが今まさに借りようとしているというところだった。
「急げラルフ!」
「おうっ!」
全力疾走で二人は走る。
走るが、運動なんか全然していない学院生である。
「ホッブ……ダニエラを……笑えない、速度だぞ……」
「無駄口叩かず走れ!」
二人の見ている前でカップルの男がボート屋に金を払い、彼女に向かって力こぶを見せてカッコつけ、揺れる小舟をわざとらしく怖がる女に気取って気休めを言い、抱き合ってイチャイチャして、呆れているボート屋に別れの挨拶をし、芝居がかったしぐさでキザに手を出して女の乗船をアテンドして……る間にホッブが間に合った。
「ちょっと、そこの君……!」
「はい? 俺のこと?」
遠くから声を掛けられて振り向きかけた若い男は、血相を変えて走ってくるラルフとホッブにギョッとして動きを止めた。そんな彼の様子に構わず、ホッブは走りながら一気にまくしたてる。
「……ボートの順番を譲ってくれないか? そうかハイと言うことは良いんだな! ありがとう感謝するよ! それではどいてくれたまえ! 君の協力は多分忘れないよ、さよなら!」(と一息に)
ホッブは走り込んだ勢いそのままに男を付き飛ばし、そのままボートに飛び乗ってがむしゃらに漕ぎ始めた。
続いて到着したラルフは不運な青年が宙を飛んでいる間に、ボートに乗りかけて固まっている女をそっと桟橋に押し戻し、お詫びにポケットに入っていた飴玉を握らせ、唖然としているボート屋に青年を指差しながら「コイツが払ったから」と言い残して出港していくボートの尻に飛び乗った。
大きな水音と悲鳴が立ち昇るのを後ろに、ラルフとホッブは墜落した三号機を目指す。ボートを借りるのに多少マナーと手順をすっ飛ばしたので行儀が悪かったかもしれないが、友の命がかかっている状況なので関係諸士には御勘弁いただきたいところである。
「こっちが人命救助で必死こいている時に、何やってやがんだバカップルどもめ」
「まあまあホッブ、あのカップルが呑気に茶番劇をしていたおかげでボートが借りられたんだし」
ラルフとホッブは、快くボートを提供してくれたカップルに感謝しながら、一路残骸が見えている水面を目指した。
現場に到着したはいいものの、クラエスフィーナの救助は意外に難航した。
「なんか、これ……牡蠣の養殖筏みたいだ」
ほぼ飛行状態の形で実験機は湖面に浮かんでいるのだけど……ほとんど水没している。三号機は軽量化には成功したけれど、木材が細いので浮きの代わりにはあんまりなっていない。表面に張った帆布はすっかり水を吸って逆に重しになってしまい、それにプラスしてクラエスフィーナの重さで“翼”はほぼ水面と一緒に高さになっていた。浮いているというより、沈んでいないだけである。
救助に来るのにこれだけ時間がかかって、そんな状態でクラエスフィーナがまだ生きていたのは……正直“たまたま”。実験機の“翼”の前にクラエスフィーナの頭が出る形で肩紐が装着されていたので、首を伸ばせば何とか呼吸ができていたようだ。
喋ることもできずに、必死に息継ぎをしているクラエスフィーナ。今すぐボートに引きずり上げたいが、それにはまず大きさがボートの何倍もある実験機からエルフをはずさないといけない。
「ラルフ、とにかくクラエスを機体からはずせ!」
「そうしたいんだけど……ホッブ、クラエスを縛ってある場所が機体の下だよ!」
クラエスフィーナを実験機に固定しているのは、両肩と腹部二ヶ所の四本のバンド。肩はともかく胴体を締めているバンドは下に潜らないと切ることができない。
「クソッ! 下に飛び込んでもいいが、この濁った池の水で直ぐに探し当てられるかどうか……」
そこまで考えて設計していなかった。何しろダニエラだし。
ホッブが歯噛みしていると、ラルフがハッと機体全体を眺めた。
「おいホッブ、一つ手を考えた!」
「マジか!?」
ラルフが真剣な顔で“翼”の全幅の三分の一ぐらいのところを指す。
「実験機を壊してしまうけど仕方ない。ホッブ、合図したらその辺りに勢いよく飛び乗ってくれ!」
「了解!」
「行くぞ!」
ラルフの叫びに合わせ、二人が機体に飛び乗る。中央付近にふわっと飛び乗ったラルフは両手でクラエスフィーナを挟んで反対側の“翼”を掴む。
ラルフとほぼ同時にもっと外側に派手に飛び乗ったホッブは……そのまま構造材を破壊し、湖の中に爪先からダイビング。
勢いがついていたこともあり、ホッブが“翼”に着地した衝撃とその後の貫通のショックで、実験機の残った部分は派手に揺れた。その揺れを利用してラルフは破砕側に体重をかけて反対側を引っ張り上げ……機体はラルフをカウンターウェイトにして、クラエスを中心にグルッと回ってひっくり返った。
「クラエス! 大丈夫!?」
裏返った機体と一緒に一旦水中に沈んだラルフが翼によじ登り、急いでクラエスフィーナを固定していたベルトをナイフで切る。
「ラ、ラルフぅ……」
ずぶ濡れで手を出すラルフに、同様のクラエスフィーナが起き上がりながら抱きついた。弱弱しく胸の中で泣きじゃくるエルフを、ラルフは柔らかく抱きしめる。
「もう大丈夫だよ。よく頑張ったね」
「うん! うん!」
不安定な半水没の“翼”の上で、抱き合う二人……の後ろに、水草を頭に引っかけたホッブが浮き上がって残骸にしがみついた。
「……おい、美味しい所を独り占めで満足か? このクソ野郎……」
「なんだよホッブ。とっさの作戦にしちゃ、うまく行っただろ?」
「作戦内容を先に言えよ!? 結果が一緒でも心構えが違うだろうが! アッと思う間もなく踏み抜いて水中に沈んだと思ったら、上からひっくり返った“翼”がかぶってきて水面に出ることもできなかったんだぞ!? 死ぬかと思ったわ!」
ラルフは憤るホッブに、澄んだ瞳で優しく微笑みかけた。
「大丈夫だ、ホッブは簡単に死ぬような奴じゃないよ。僕は信じてる」
「本人の立場から言わせてもらえば、買いかぶり過ぎもいいところだ! テメェ、次の機会を楽しみにしてろよ……」
「同じ失敗を繰り返さない。それがトライアル・アンド・エラーの基本だろ?」
途中で馬鹿過ぎるドワーフも回収し、ボート屋に舟を返す時に一悶着……激怒する若者を法論学科のホッブが筋道立てて人命救助の優先性で論破し、しかも濡れネズミのクラエスフィーナの艶姿に男もボート屋も目が離せなくなってカップルの女が怒って痴話喧嘩が発生、おかげでボート強奪がうやむやになってしまうというある種計算した事態……があったものの、四人は何とか研究室まで帰って来れた。
室内に踏み込むと、ダニエラがフラフラと会議卓にもたれかかってから椅子に崩れるように腰を落とした。
「やっと帰って来れた……」
「おまえのは自業自得だと思うがな」
クラエスフィーナがフラフラと部屋の隅に行ってカーテンを閉める。研究室が一人になってから、半分住んでいたので着替えがあるらしい。
「うう、たっぷり魔力を使った後に濡れた服を着て歩いてきたからすっごく疲れた……もう寝ちゃいそうだよ……」
「一発で脱水乾燥できるような魔法は無いの?」
「そんな物があったら、エルフの里に物干し場なんか存在しないよぉ……」
ラルフとホッブも一応現場で絞っては来たけれど、濡れた服を着たままなのは変わりない。
「実験結果がどうあれ、これ重要な点だぞ? 準備リストその一『着替えを用意する』」
「……幼児園の“お泊り会のしおり”みたいだ」
風邪もひきそうなのでショウガ入りのお茶を煎れて体を温めつつ、四人は三号機の結果を検討する。
「最後、いきなり挙動がおかしくなったな。あれは何があったんだ?」
ホッブに聞かれ、クラエスフィーナは天井を睨みながら思い返す。
「えーっとね……そもそもあの段階までも、そんなに動きは安定していなかったんだよ。割と力任せに押さえつけて安定を保っていたって言うか……。なんていうかな、轍だらけのカーブに早すぎる馬車で突っ込んでいった感じ? 今なぞっている轍を踏み越えてヘタに進路がずれれば横転するのがわかっているんだけど、速度が速すぎて抑えが効かなくて、何とか手綱さばきで破滅の瞬間を先延ばしにしているというか……」
「メチャクチャヤバい状態じゃない」
「そうだよぉ……だから気流が乱れると、翼がまっすぐ前を向かなくて上を向いたりお辞儀したり……“翼”の前縁を手で掴んで制御するのは無理があるよ」
クラエスフィーナの泣き言を眉間に皺を寄せて聞いていたホッブが、ダニエラを振り返った。
「そう言う時、操る方法はあるのか?」
ダニエラは唇の下に拳を当ててしばらく考えた。顔を上げる。
「あたしが知ってると思う?」
「時間の無駄だから即答しろ」
メモ用紙に「1.“翼”の安定性」と書いたラルフが他の三人を見回した。
「とりあえず解決策はまた考えるとして、他に気になったことは?」
クラエスフィーナが勢いよく手を挙げた。
「湖に落ちるたびにあんなことやってたら、命がいくつあっても足りないよ! 絶対に着水はするんだから、もっと安全に脱出することができないかな!?」
「今回は間に合ったけど、確かに冷や冷やモノだったよね」
「俺までな」
ホッブのどうでもいい意見は置いておいて、ラルフは「2.安全な降り方」を追加した。
「他には?」
ホッブが顔をしかめながら指摘した。
「今回の騒動を考えると、“翼”が布張りなのはいいとして……帆布を使うのは怖くねえか? 水に浸かったらあっと言う間に浸水したぞ。水が抜けるってことは空気も抜ける。実は帆布で風を受けるの、効率が悪いんじゃないのか?」
そう言うとホッブは、さらに一つ付け加えた。
「しかも乾いていても重いのに、それが水を吸ったらさらにドカンと重くなる。頑丈なのも逆にデメリットになって、水の中から脱出するのにスゴイ邪魔だった」
「さすが経験者の言うことは重みが違うね」
「誰かさんのおかげでな!」
ラルフは「3.布張りの材質」も入れた。
クラエスフィーナが、あごをつまみながら首を傾げた。
「効率と言えば……推力を得る方式も、今の風魔法を後ろに向けて放つ方式に限界を感じるよ。何にもないところへ放っても、ただバラまいているだけって言うか……」
唯一の術者に言われ、他の三人は顔を見合わせた。感覚的なところを言われても、実感がないのでわからない。
誰もがピンと来ていないのを見て取って、ホッブが代表してクラエスフィーナに訊く。
「その感覚、具体的に説明できるか?」
「えぇっ!? そ、そう言われても……」
ホッブに言われて唸ったクラエスフィーナは……周りを見回すと、捨ててあった紙袋を手に取った。一回ぐしゃぐしゃに潰してホッブに手渡す。
「思いっきり息を吸って、吸って、限界まで吸って……その紙袋に一気に吹いてみて?」
言われた通りにホッブがする。小さな紙袋は一瞬でパンパンに膨らんだ上に、吹き込む勢いに負けてホッブの手元から弾け飛んだ。
「じゃあ今度は何も持たずに、同じ要領でダニエラに向けて吹いてみて?」
ホッブが卓の対面に座るダニエラに向かって同じ作業を繰り返した。
クラエスフィーナはホッブではなく、ダニエラに尋ねた。
「ダニエラ、どれぐらい風が来た?」
聞かれたダニエラの方は、眉根を寄せて頬を指の爪で掻いた。
「どれぐらいって言われても……ほとんど感じないレベルって言うか……」
「ホッブは? 紙袋が膨らんだ直後みたいな手応えはあった?」
「こっちも全然……まさに空気触っているというか……この二つぐらい違うっていう事か?」
クラエスフィーナの耳がへにゃりと垂れた。
「そう言う感じ。紙袋みたいに硬い物があれば、風も押すものがあって力強いけど……空気しかないところを吹いても、無くはないってレベルに落ちちゃう感じがするよ。だから全力で魔法を使っても、あの程度だよ」
「あれで全力だったのかよ」
今日のやたら遅い加速は、魔力……というか風力の無駄遣いもいいところだった。クラエスフィーナの魔法を使えるという特性を活かすのなら、もっと考えねばダメだということだ。
「効率っていうか、もうこれは単純に人数が用意できねえってのもあるけどよう」
ダニエラも気になる事があるみたいで、後頭部をガリガリ掻きながら手を挙げた。
「飛び立つまでの助走、あれやっぱ発射台方式を考えて見ねえか? 今回クラエスと三人でってのが、すげえギリギリだっただろ?」
今日の実験では風がどんなものかを甘く見ていて、危うく凧揚げに失敗するところだった。地上班を増やせないのなら、次回も同じやり方というのは無謀かもしれない。
「それはそうだねえ。確実に飛び立てるに越したことないよね」
「次もアレは……確かにな」
ラルフとホッブも間一髪だったのを思い出し、苦い顔で同意した。今から人員の募集をするのと発射台作成では、後者の方がまだ楽かもしれない。
「よし、それも皆で考えてみようよ」
「だろ?」
「うむ、必要だろうな」
三人が深々頷きあう中……蚊帳の外が一人。
「……地上で何があったの? ねえ? もしかして、あの時危なかったの!? ちょっと!? 誰か目を合わせて!? せめて何か言ってよぉ!?」
四人の意見をまとめていたラルフが、メモを読み上げた。
「えーっと、それじゃ次回改善するべき点だけど……。
1.翼の安定性。
2.安全な降り方。
3.布張りの材質。
4.風魔法による推力の方式。
5.発射台を用いた飛び立ち方。
つまりは……」
自分の書いた物をもう一度よく読み、しばらく考えていたラルフが顔を上げた。
「全部だね」
「全部だな」
「全部よね」
「全部だよな」
現代のキャンバスシートは目が詰まっていますけど、昔の物はもっと粗かったそうです。




