22.どうせいらない物じゃない?
講義終了後の研究室はどこも活気に満ち溢れているけれど、この部屋だけは特別だった。大きな会議机を囲んで、四人の学院生が死んだ目で虚ろに座っている。
さっきから誰も何も言わない。喧騒に満ちた時間帯の学院で、この部屋だけが静かな時間が流れていた。
「精神的に……クルね」
不意にラルフがボソッと呟くと、向かいの席に座ったホッブの口だけ動く。
「……殺る前に目を見ちゃいけねえって言われたけどさ……俺はむしろ、殺った後の無垢な瞳の方が……クルんだが」
「思い出させるなホッブ!」
「だったら話を振るんじゃねえ!」
突如言い争いを始めた男子に触発されるように、斜めに傾いて座っていたクラエスフィーナも呟き始める。
「私ちょっと思ったんだけど……あの衣装、もしかして……おかしい?」
「今さらだ、気にすんな」
椅子の背もたれに身体を預けたダニエラは、口から魂が抜けかけている。
「気にするよ……私、まだまだあの格好で働くんだよ?」
「だから今さらだって言ったろ。客がみんな期待して押し寄せてんだぞ? 恥ずかしいから止めたなんて通るか……特にあの店主に」
「ダニエラこそ今じゃ『黄金のイモリ亭』のアイドルじゃない。『おじちゃん、ありがと!』が板について来たわよ」
「死にてえのかクラエス。ったく、どいつもこいつも幼児扱いで二言目には飴玉食うか? って……あたしゃ酒飲みだぞ!? 飴玉じゃなくて火酒を出せよ、一番キッツいヤツ! 頭がお花畑な振りをしてガキの服装で、砂糖吐きそうな裏声で『おじちゃん』だぞ!? クソみてえな仕事をシラフでできるかド畜生!」
「だからそれ“幼女キャラ”なんだからダウト」
てんでんばらばらにワァワァ言い合った四人は、しばらくするとまた静まり返り……一斉に机に突っ伏した。
「働くのがこんなに大変だなんて思わなかったよ……エルフがみんやりたがらないはずだよ」
「クラエスのやってる仕事はあんまり一般的じゃないけどね……」
四人のやっている夜の日雇い労働のおかげで、財政状況は急角度で改善の予兆を見せていた。まあ、使い切って入るめども立っていなかったのから見れば、収入があるだけで大幅な改善にはなっている。
ただクラエスのバカ高い日給のおかげで持ち直す見込みはあるけれど、いまだ手元にまとまった金はできていない。今すぐ実験機を作りたいが、その為にはそれこそ今すぐ金を用意する必要がある。
ちょっと正気に戻ったホッブがその点を指摘した。
「居酒屋の手伝いも悪かねえが、金が貯まるまで待っていたら研究の方が全く間に合わねえ。早急に金策をしないとならないが……誰か、アイデアはないか?」
クラエスフィーナが手を挙げる。
「返すアテができたんだから、お金を借りたら?」
まっとうだけど世間知らずな模範解答に、他の三人がやれやれ……という顔をする。
「クラエス、学院生なんかにまとまった金を貸してくれるところはないぞ?」
「そうなの?」
「そうだなあ、その日の賭博に参加できる程度だから……いいとこ二万とかだぞ? それぐらいじゃ二日『黄金のイモリ亭』で働いた方がマシな金が入るな」
「へー……」
「それに貸金は利息が厳しいよ? ヘタしたら利子の返済でこっちがパンクしちゃう」
「……三人とも、やけに詳しいね?」
「気のせいだ」
今度はダニエラが手を挙げた。
「昼間も働いたらどうだよ?」
ドワーフの意見に、今回も他の三人が否定的に反論を述べた。
「その働き口がねえから、『黄金のイモリ亭』を頼ったんだろうが」
「夜働いて、昼間も働いて、授業はどこで受けるつもりなのよ……?」
「夜の仕事が(精神的に)厳しすぎて精神をゴリゴリ削られてるから、せめて昼間は寝ておかないと倒れちゃうよ」
「ラルフ、テメエの本業はなんだ?」
二つ立て続けに却下になり、手詰まり感が出てきたところで……ラルフが手を挙げた。
「ちょっと考えたことがあるんだけど」
「どうぞ?」
ラルフが四人のまわりをぐるっと囲む書棚を見回した。
「まって!? ちょっとまずくない!?」
クラエスフィーナが必死に止めるけど、ラルフとホッブは止まらない。天井まで届く本棚のレポートを片っ端から抜き出してはペラペラめくり、特に価値がなさそうだとポンポン床に投げ捨てていく。ダニエラは二人がドンドン廃棄予定に入れていくレポートを縄で縛って束にしていた。
「思った通り大した研究はしてねえな、ここのOBたち」
「うん、処分しちゃっても心傷まない代物だね。読書感想文と大して変わんないや」
ラルフの提案。それは……。
「ねえ、この研究室はクラエス以外は誰ももういないわけでしょ? そしてクラエスの専門の“樹木生命学”は、そもそもうちの学院にやっている人がいない。だったら、どうせ閉鎖される研究室の過去記録なんて要らないよね? 古紙回収に出しちゃおう」
ちなみに近年の流通事情では、印刷技術が確立したので紙の需要はうなぎ登り。だけど紙の供給は不足気味で、だから新品の白い紙はそこそこ貴重品になる。
なので出回っている紙は再生紙が多い。そしてその原材料はと言えば、回収した古紙というわけで……紙不足の今、反故紙はけっこういい値段が付くのだった。
「先輩たちの汗と涙の結晶があぁぁぁぁ!?」
「棚で埃かぶって日焼けしているよりは、有効な使い道じゃねえ?」
エルフの抵抗を押しのけ、部屋の棚を空にする勢いで書類の廃棄作業を進める三人。壁二面分の書棚を埋めていた書類のほとんどは不要と判定された。
「ちょっとラルフ、本気なの!?」
「ダートマス導師が引き継ぎも無しに辞めた時点で、もうこれはこうなる運命だったんだよ。クラエスは何も悪いことはしていないんだ。だから笑ってさよならを言ってあげて?」
「いやちょっと、学院生のっていっても学院の資料でしょ!? ダメだってば!」
「必要な物なら回収されてるはずだよ。ダニエラ、クラエスを押さえといて。ホッブ、トーマスおじさん、いっくよー!」
「オッケー」
「早くしろー!」
「イヤァァァァア!?」
ラルフはすがりつくエルフをドワーフに羽交い絞めにさせると、地上にいるホッブと古紙業者に手を振った。彼らが用意した荷車に向けて、紐でくくったレポートの束をドンドン投げ落とす。
「日の目を見ずに死蔵されていた無駄紙が役に立つ機会だ、コイツらもクラエスの為になってきっと喜んでくれるさ。真人間になって戻ってこいよ?」
「イイ話風にまとめてるけど、問題になったらどうするの!」
「この研究室の研究費不正受給疑惑に比べたら全然大したことじゃない」
「そうだぜクラエス。まずい話になったら導師か先輩に全部おっかぶせて知らんぷりしちまえ」
「今さらだけど、私のまわりは悪魔しかいないよ!?」
「さてと」
業者と商談も終わって部屋に戻って来たホッブを迎え、ラルフは書棚を振り返った。
中身が半分以下になった書棚はすっかり空きばかりになってしまったけど、まだ古紙より遥かに貴重で利用価値が高い“専門書”が当然並んでいる。
「それで、次は何をしたらいいんだラルフ」
ホッブに言われ、ラルフは本の表紙をめくったところを指し示した。
「置いてある本の蔵書印を確認してくれ。学院か、文書館の判が押してあるものはヤバいから早急に返す。導師の個人印か無印なら研究室のやつと判断して構わない」
「了解!」
「ラ、ラルフ? 今度は何をやるの?」
歴代のレポート全滅のショックでしょげているエルフが、おっかなびっくりラルフに尋ねる。最高にイイ笑顔で、商売人の息子は答えた。
「専門書はとってもいい値段で売れるからね! 古紙回収じゃバカみたいだから、ちゃんと古本業者を呼んでおいたよ!」
「いやいや、いい取引でした」
ホッブの伝手で来てもらった古本業者は、ずしりと重い金袋をホッブに手渡した。さっきの古紙より量は少ないけれど、それでも木箱に十何箱の書籍が業者の小僧たちによって運び出されていく。一冊ごとに値段が付いたので、もらえる下取り代金は遥かに多い。
「それでローガンさん。こっちも見て欲しいんだがね」
ホッブはわずかに残った学院生のレポートを見せた。禿頭の老爺は首を傾げる。
「研究論文かね? まあ内容がよければ、うちでも買取は可能ですが」
「ああ、そうなんだ。山盛りの下らねえ論文の中から、ぱっと見は有用そうで小難しく書いてあるレポートを抜いておいたんだ」
含みのあるホッブの言葉に、ローガン氏は片眉を跳ね上げた。
「ほう?」
「紙も程よく日焼けしていて、古びているけど頑丈なのを選んでおいた」
「ふむ、なるほどなるほど」
老人は何度も頷き、ホッブと見つめ合うと……二人でくぐもった笑い声を立てた。
「払いは売れてからになりますぞ。化粧代を抜いた純益の四掛けでどうですかな?」
「大変結構だ」
ホッブとがっしり握手した古本業者は、残ったレポートを入れた木箱も連れに持たせて辞去して行った。
「なあ、最後のはなんなの?」
一応黙って見ていたダニエラが、取り仕切っていたホッブに尋ねる。
「古本業者にもいろいろ稼ぐ手段があってな。その一つが『宝くじ』だ」
「宝くじ? それとあんな二束三文のレポートと何の関係が?」
ホッブがニタリと笑った。印刷業者の息子なだけあって、ホッブは書籍の裏事情に通じている。
「おっさんも言っていた通り、古本屋には書籍だけでなく論文の類も売られている。で、世の中には……そういう中にこそ、自分にしか価値のわからない古文書が埋もれていると信じている客がいるわけだ」
ホッブが床をちょいちょいと指し示す。まさにこの研究室の導師たちがそうだったと言える。
「骨董品と同じだよ。そういう自分の鑑定眼を信じたい連中には、それらしい物を用意してやればいい。そうすれば半信半疑ながら、そいつらは自分の勘を頼みに宝くじみたいな古文書を買っていく。“当たるも当たらぬも神次第”ってな」
「でもよ、いくら古びていても古文書と間違えるような古さじゃなかったぞ?」
「だから“化粧”させるんだよ。泥水の上澄みで洗って陰干しするとか、ありもしない“いかにも”な蔵書印を悪くなったインクで押したりとか。角をぶつけまくって束をぼさぼさにしたり、埃をまぶすこともあるそうだ。ローガンのおっさんは古書店仲間にそういう商材を都合つける問屋もしていてな」
「……やっぱ目利きも出来ねえヤツが古物なんて買うもんじゃねえな」
「自分だけは騙されねえって、己惚れているヤツほど引っかかるんだよな」
「さて」
きれいさっぱり中身のなくなった書棚を眺め、計算していたラルフがペンを置いた。
「さっきトーマスおじさんから、古紙の計量が済んだって使いが来たよ。思ったより量があったみたいで、結構な金額になった」
ホッブが脇から覗き込む。
「古書の引き取りと合わせれば……おお! 偽造古文書の入金を待たなくても、もうクラエスのもらってた奨学金の倍近いぜ」
ダニエラもウンウン頷いた。
「やったな、ラルフ! ホッブ! これでさらに『黄金のイモリ亭』の賃金も入れば、結構な費用が掛けられるじゃねえか! すぐにでも三号機の製作に取りかかろうぜ!」
「おうっ!」
研究資金のめどは立った。肩を叩き合って喜び合う三人……は、参加してこない肝心のチームリーダーを振り返った。
「どしたん? クラエス」
この研究室唯一の在籍生は、空になった書棚にペコペコ土下座している。
「ううう、すみません導師……研究室の歴史が、歴史がぁぁぁ……」
「下らねえこと気にしてないで、喜んでいいんだぞクラエス」
「そうだよクラエス。どうせこの研究室の歴史と伝統なんて投げっ放しの不正受給だけじゃん」
「最後にきれいさっぱり証拠隠滅してやったんだ。ダートナム導師には感謝されこそすれ、恨まれる心当たりなんてない」
「そう言えば、例の古文書は?」
「当然売った。偽造論文に最適だったからな」
「みんな、なんでそんな自信満々なの……?」
「黄金のイモリ亭」に向かいながらも、まだクヨクヨしているクラエスフィーナ。
「そんなに気にする事ないのに。どうせあっても要らない物だったじゃない」
「グレーゾーンの思いっきりアウト側にいるのに、全然罪悪感が無いのもどうかだよ……」
耳がしょげかえっているエルフに恨みがましく見られて、ラルフとホッブは胸を張った。
「常に手の抜き方を模索している僕たちは、生ぬるい生き方なんてしてないからね」
「ああ。俺たちは生と死の狭間をいつだって駆け抜けているんだ。優等生とは鍛え方が違うからな」
「全然自慢にならないよ……」
そもそもいつだって深く考えて生きていないドワーフが、通りがかった店先の看板を指差した。
「おいラルフ、この根暗エルフにコイツを奢ってやれよ。腹が減ってるからどんどん悪い方に考えるんだよ、クラエスは」
「いつもいつも食べ物で釣るのはバカにしてるよ!? 私、そんな腹ペコキャラじゃないもん!」
親友のあんまりな評価に怒り始めたエルフだったが……。
「へえ、薄切りローストビーフを思いっきり重ねた上に新鮮なチーズとフランボワーズソースを一緒に挟み込んだ『ミルフィーユ・ビーフサンド』だって! クラエス、いくつ食べる?」
「…………二つ」




