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10.見学に行こう(魔導学科編)

 先頭を行くホッブがクラエスフィーナの作った特待生リストを見ながら階段を昇る。

「とりあえずクラエスの研究室に近いから、魔導学科から行こうぜ」

 リストには魔導学科と工造学科で二十人ぐらいの名前があった。学年は様々だが、リストを見たホッブは早々に魔導学科から見に行くことに決めた。

「なあホッブ」

「なんだ?」

 後ろをついて来るラルフは気になったことがあるようだ。

「近くから見ていくのは文句ないけどさ。魔導だと、個々人の向き不向きがあるからクラエスの参考になるかわからないよ?」

 一口に魔導と言っても、よくある四つの属性とか以外にも事細かに術者の相性や求める成果で専門的な内容は細分化されている。

 ラルフに言われずとも、そんな事はホッブもわかっているのだが……。

「それはそうなんだがよ……工造学の分野だと、ほら……図面を書けないアホに命綱を託さないとならないからな」

 一番後ろから湧き上がる弁解の雨あられを聞き流し、三人(と一人)は最初の訪問先にたどり着いた。


「さて、いるといいんだが」

 そう呟きながらホッブがノックしようとして……中から漏れてくる声に気がついた。

「なんだろう? 議論している感じでもないね」

「何人かいるみたいだけど……」

 後ろの三人にも何やらぶつぶつ言っている声が伝わったけれど、扉越しだと何を言っているのかはっきりしない。

「なんだ?」

 ホッブが扉に耳を押し当てると、何をしゃべっているのかは聞こえるようになった。


 中では複数の人間が唱和していた。

『ベントラ、ベントラ、スペースピープル。ベントラ、ベントラ、スペースピープル。宇宙の皆様、聞こえていますか? こちらは王立エンシェント万能学院マキシマ研究室です。聞こえていたら応答して下さい。急ぎで相談したいことがございます。

 ……ベントラ、ベントラ、スペースピープル。ベントラ、ベントラ……』

 ホッブは三人を振り返った。

「ここは留守のようだ。次に行こう」

「え? でも、声が」

「訂正だ。マトモな人間は留守のようだ。聞いても仕方ないから次に行くぞ」




 リストと扉の研究室名を照らし合わせて、四人は次の所へやってきた。ホッブが先頭はイヤだというので、今度はラルフが訪問してみる。

 ……また、扉越しに不明瞭な唱和が聞こえる。振り返ると嫌そうな顔の三人がどうぞどうぞとジェスチャーをするので、仕方なくラルフは扉に耳を付け……ようとして、わずかに扉が開いているのに気がついた。

 そっと覗いてみる。

 カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中では蝋燭の灯りに照らされながら、黒いローブを着た者数人が魔法陣を描いた上で儀式を執り行っていた。魔法陣の真ん中には、生け贄らしい鶏の丸焼きが置いてある。研究室棟は衛生の問題で屠殺厳禁なのだ。

 儀式の進行をしにくいのか、一人だけ司会らしいのがフードを脱いでいる。小柄でとんがったエルフ耳にしわくちゃな風体から、ここの特待生でゴブリンのゾーンダイク先輩だろうとラルフはアタリをつけた。

 難しい言語でぶつぶつ暗唱を続けていた先輩はカッと目を見開くと、天に向かって杖を振り上げて甲高い声で最後の呪文を叫ぶ。儀式が完成したらしく、満足げに腕を下ろした先輩は最後の仕上げにかかった。

 老人にしか見えないゴブリンが、ファンシーなダンスを踊りながら杖を振り回す。


『テクマクマヤコン、テクマクマヤコン、お空が飛べるようになぁれ!』


 ラルフは覗くのを止めて後ろを振り返った。

 げんなりした顔の三人が揃って首を横に振り、親指を立てた拳で「次へ行こう」とジェスチャーをしている。

 ラルフも頷き、立ち去る前に扉を開けて中に声をかけた。

「先輩。その踊りだと呪文が違ってますよ。“ピピルマ、ピピルマ、プリリンパ”です」

 部屋の中から『ギャー、誰かに見られてた!? もう死にたいっ!』とか阿鼻叫喚の雄叫びが聞こえてきたが、四人は気にせず次へと向かった。




 二つのチームを見ただけで、ホッブはもう帰りたそうだった。

「うちの魔導学科、どいつもこいつも投げるの早すぎるだろ!? まともに研究しているヤツがいねえじゃねえか!」

 ダニエラも深く深くため息をついた。

「始まって二週間で神(?)頼みってのも、逆にスゲエなあ」

「い、いやいや!? 魔導学科全部があんなのじゃないからね!? まだ他にもいるから!」

「そうかなあ……?」

 本人も魔導学科所属のクラエスフィーナが取りなすけど、他三人の不信はぬぐえない。魔導学科の名誉のためにも、クラエスフィーナはリストの名前の中からマトモそうなのを必死に探す。

「あ、この人! 四年生のマイキー先輩は製薬学専攻だって! 製薬学なら、おかしな儀式に頼ったりしてなさそうだよ!」

「判断基準が“おかしな儀式に頼らない”ってなんだよ……」




 また扉越しにしゃべる声が聞こえていたが、今度は普通に会話しているようだったので四人は(ちょっと)安心する。

「いや、それはともかく扉が安普請すぎるだろ。どこでも音漏れしてやがるぞ? 研究内容が外に丸聞こえじゃねえか」

「今はそんな事どうでもいいだろホッブ。よし、ここに入って話を聞かせてもらおうぜ」

 ダニエラがノックすると、中から能天気そうな若い男の甲高い声で返事があった。来意を告げると、気軽な感じで入室の許可が出た。思わず四人は顔を見合わせる。

「良かったな。今度は話の通じそうな相手だ」

「さっきの二部屋がおかし過ぎるだろ」

「なんでもいいよ。フレンドリーでマトモな人なら」


 ダニエラを先頭に入っていくと、片付けられた部屋の中央に酷い天然パーマの小柄な青年が立っていた。さっきの声は彼らしい。陽気なタイプのマニアっぽい、妙な馴れ馴れしさとまるで筋肉の無い貧弱な身体を持っている。

 小柄な青年はそばかすだらけの顔を満面の笑みにして、両手を広げて叫んだ。

「やあやあ、ようこそ若人たちよ! 僕の研究を見たいんだって!? 君たちは運がいいぞ! 僕の第一回実地試験に立ち会えるんだからね!」

 なかなかの大歓迎だ。

 それはありがたい。ありがたいのだが……。


 ダニエラがものっ凄い顔で硬直していた。

 クラエスフィーナは一目見るなり卒倒した。

 呆然としたホッブの目が点になっていた。

 仕方がないのでラルフが代表して叫んだ。


「変態だッ!?」


「いきなりなんだい!? どこに変態が!?」

 と、裸エプロンの男(・・・・・・・)が辺りを見回した。




「いやいや君たち、この格好にはワケがあるんだ!」

 マイキー先輩は事情を聴いて笑い飛ばした。ラルフたちとしては、そのワケとやらを聞かせてもらう前にパンツをはいて欲しい。

 一応の礼儀として……本当に一応の社交辞令としてラルフは質問を投げてみた。

「ワケと言いますと……?」

 ラルフの気分としては“言わされた”んだけど、よくぞ聞いてくれたという満面の笑顔で“前掛け一丁”先輩が胸を張った。

「僕の研究の肝はね、ポーションに依る身体強化なんだ。今度の特待生審査では、その培った技術を応用して合格を狙おうと思っている」

「……それと、その格好がどう関係して……」

「うん、つまりだね! 僕の新開発のこのポーション! コイツは腸内運動を活性化して体内で猛烈な勢いでガスを生成するという凄いヤツなんだ! しかもその活動は長時間持続する! どうだい、こんなポーション聞いたこともないだろう!?」

 それ以前にそんなポーション、使い道が考え付かない。

 正気に戻ったホッブと顔を見合わせた(ホントにこの学院、この動作ばっかりだ)ラルフは、先輩に結論をまとめてくれるように求めた。

「あの、それで……それが課題とどう関係するのでしょうか?」

「おいおいおいおいおい、もちろんここまで聞けば帰結は明白じゃないか!」

 陽気なイカレ薬師は、曇りなき瞳で力強く宣言した。


「おならを噴出して空を飛ぶのさ! だから極限まで体重を軽量化した上にガスの噴射を妨げないよう、服を脱いでスタンバイしているってわけだよ!」




「ありがとうございました。お邪魔しました」

 丁寧に頭を下げて後ろを向いたラルフの肩を先輩が掴む。

「ハッハッハッハッ! おいおい実験はこれからだぞ? 理論を聞いたって実験を見なかったら意味ないじゃないか!」

「いえ、絵面の想像さえしたくもないのに現物を見る勇気がですね……」

 見切りをつけて女性陣を引きずり帰ろうとしたラルフとホッブを、先輩が親切に引き留めてくれる。全く本人に悪気は無いのだろう。しかし、全くもって余計な親切心としか言いようがない。

 フレンドリーなキャラも時と場合によっては殴りたくなる、ということを二人は学んだ。そう、例えば今とかね!

 ラルフとホッブは一つ賢くなった。

 

 全然乗り気じゃない観客二名とチームの助手二名が見守る中、準備運動も万端なマイキー先輩は右手にフラスコを持って左手を腰に当てた。

「さあ、歴史的瞬間だぞ諸君! 偉大なる人類の第一歩を君たちは目撃するのだ!」

「どちらかというと、人類にとっては黒歴史なんじゃないですかねえ……」

「神の御技に近づかん、いざ!」

 自分が作ったとはいえ、澱んだ沼色のポーションを躊躇なく飲み干す先輩の勇気は本物の探究者の証なのかも知れない。でもその姿は、まるっきり公衆浴場で湯上りにジュースを一杯やる姿にしか見えない緊張感のなさだった。


 緊迫の数瞬が過ぎる。

 特に何も起きない。

 助手の二年生が恐る恐る声をかけた。

「先輩……どうですか?」

 返事はない。

 代わりに。


 無言のマイキー先輩の全身が、いきなりくすんだ紫色になった。

「うおっ!?」

 周囲が驚く中で数秒で色が引き……光り輝くような蛍光グリーンに!

「なんだっ!?」

 さらにテラテラしたピンク、目に眩しいレモンイエローに切り替わり……最後は頭から足元に、四色が交互に縞になって流れるように落ちていく。

「……おい、これどういう原理なんだ?」

 ホッブが横の助手に聞いたが、彼らも初めて見るらしくブンブンと首を横に振る。

「このポーション、ついさっき出来たばかりなんだ! 理論は僕らも知らない!」

「動物実験もしないで自分で飲んじまったのかよ!?」

 学者の鑑である、なんて褒めてる場合じゃない。医者を呼ぼうか周囲が慌てる中……先輩のイルミネーションは始まりと同様、唐突に終わりを告げた。

「あ、戻った」

 事務局へ緊急で通報しようとラルフが部屋を飛び出しかけたところで、マイキー氏の身体が肌色に戻った。そのまま色も固定されて変色の気配もない。

 恐々近づいたホッブが声をかけてみる。

「おい先輩、大丈夫か……?」

 しばし黙っていたマイキー先輩は、不意に動いてバッと両手を上に広げた。

「何たることだ! 僕は回り道をしていた!」

「……はあ。まあ、発想がもう駄目だと思うけどな?」

 ホッブの呆れたツッコミも聞こえていない様子で、先輩は喜びに満ちた叫びを上げる。

「人間にはそもそも秘めた力がある! 空なんかそのまま飛べばいいじゃないか!」

「……えーと?」

「そう! 僕らは生まれながらに両手を持っているじゃないか! 僕らはただ羽ばたけばいい! この両手で大空へ!」

 イカレたことを言い出す四年生をどうしようかとホッブがラルフを振り返ると、ラルフが先輩の顔を指差していた。

 顔を戻して演説する先輩の顔をよくよく見ると……。

「ああ、イッちまってるな」

 目つきがおかしい。焦点が合ってない。

「なあホッブ、やっぱり薬って用法・用量を守らないと大変なことになるね」

「それ以前にポーションの出来自体が怪しいけどな……」

 ひそひそ話をしている間に、マイキー先輩は一生懸命両手をバタバタ上下させ始めた。当然ながら人間が秒速二回ぐらい羽ばたいたところで、宙に浮く揚力なんか得られるはずがない。完全におかしくなっているチームリーダーへ助手たちが駆け寄った。

「先輩、ちょっと医者に行きましょう! ねっ!?」

「為せば成る! 為さねば成らぬ、何事も! いざっ、空中散歩だ!」

 止める後輩を振り払い、ラリッた先輩はひときわ高く叫ぶと。

「イイヤッホォォォォォ! 私はカモメ!」

「いや、待ってぇぇ!?」

 大きく開いた窓に向かって走り出した。


「ちょっとホッブ、先輩が!」

「さすがエンシェント万能学院(うち)の俊英だぜ! ろくなヤツがいねえ!」

 慌てて追いかけた男四人がギリギリ間に合う。空へとダイブしたマイキー先輩の足首を窓から身を乗り出して必死に掴み、何とか彼は転落を免れた。その代わり足を掴まれてそのまま下へ落下した先輩は壁にビタンと叩きつけられたけど、本人はなんともないようでけろりと叫んでいる。

「おお、やはり大自然の力は偉大だ! 凄い、身体が軽い! 僕の身体がドンドン上空へ引っ張られる気がする! もっと飛べるぞ、空高く!」

「それは浮力じゃなくて重力だ!? 上に上がってんじゃなくて下へ落ちてんだよ!」

「ハハハハハ、行くぞ空の彼方へ! 雲間を覗いて天上界を探して来よう!」

「そんなの下に落ちたって見に行けるぞ!? 一方通行だけどな!」

 ラルフとホッブ、助手の二人がそれぞれ二人づつで足首を掴んでいるけど……マイキー先輩が空を飛ぼうと平泳ぎをしやがるので、捕まえにくくてしょうがない。

「くそっ、引き上げるどころか落とさないので精いっぱいだ……」

 全体重をかけて足が動き回るので、暴れる足首を掴んでいるのが本当につらい。手汗が出て来てぬるぬる滑り始め、四人がかりでも抑え込めない。

 ラルフが絶望に染まった顔でホッブを見やる。

「なあホッブ!」

「なんだ!? 喋ってる余裕なんかねえぞ!?」

「先輩が平泳ぎで屈伸運動しているから、さっきから僕の眼前で男の股間が剥き出しで行ったり来たりしているんだけど!? なんでこんな目に遭わなくちゃならないんだと思うと、僕もう力が抜けて落としちゃいそうだよ!?」

 裸エプロンの先輩が逆立ちになって平泳ぎをしているわけで、足首を掴んでいるラルフとの位置関係を考えると……後はお察し下さい。

「奇遇だな、俺もだ! 軽く地獄だぜ、チクショウめ!」

「助けてホッブ! この苦行を続けるぐらいなら、手を離してしまえと内なる悪魔が囁くんだ!」 

「が・ま・ん・し・ろ! 気持ちはすんげえわかるけど、手を離したらこのバカ四階の高さから真っ逆さまだぞ!」

「研究室の見学に来ただけなのに、なんでこんな事になってるんだろう!?」

「俺に聞くなよ!」




「くそう、埒があかねえ……」

 ホッブは小さく呻いた。歯を食いしばりながら先輩を引っ張るけど、一向に上に引き上げられない。ラルフじゃないが、多分全員限界が近い。

 ホッブももう持ち堪えられないと我慢が切れかけた、その時。先輩の上下する尻越しに、希望の灯になる物が見えた。

「おい、おまえら! あと三分、いや二分持ちこたえろ!」

「なに!? ホッブ、なんか策があるの!?」

「向こうから荷車が来るんだ!」

 研究室棟の脇の通路を、飼育している動物に喰わせるのか飼葉を満載した荷馬車がやって来る。あの荷馬車が真下に来た時にぶん投げれば……。

「おおっ!」

「なんとか、なんとかあと二分……!」

 ラルフと助手たちも小さく歓喜の声を漏らした。明確な目標ができたことで、あと少しを頑張る気力が湧いてくる。


 あと少し。

 あと少し。

 あと少し。


 四人が期待が高まる中をだいぶ近づいて来た荷馬車が、いよいよこの建物の真横に差し掛かるというところで……いきなり停止した。

「なんだっ!?」

「どうして!?」

 愕然とした四人が見つめる中。

 荷馬車が止まったので、高級そうな箱馬車が学舎の角を曲がってこちらへとやってきた。荷車の御者は、身分の高そうな外来客がいたので一旦停止したらしい。

 経緯を理解したホッブとラルフ、そして助手二人は力の限り叫んだ。

「人の命がかかっている時に、呑気に道を譲っているんじゃねぇぇぇぇぇぇぇ!」


 その瞬間。


「あっ」

 怒りで手元が滑ったラルフの手の中から、先輩の足が消えた。

「うぉっ!?」

 急に負担が大きくなったホッブも取り落とした。

「うわっ!?」

「ひっ!?」

 片足が急にすっぽ抜けたので、もう片方も弾みで滑り落ちた。


「あーっ……」


 四人が言葉もなく眺める中、望み通り平泳ぎで空中を泳ぐマイキー先輩はグングンと地面へと落ちて行き……ちょうど真下を通りかかった箱馬車に激突し、屋根を突き破って上半身が中へとはまり込んだ。




 王立エンシェント万能学院へ貴族の高貴なる義務ノブレス・オブ・リージュとして運営資金を援助しているパロット伯爵は、運用の監査の為に学院を訪れていた。

 ……という口実を利用して、鬼嫁の目を盗んで愛人と仲良く半日デートを楽しんだ後に最低限の義務で申し訳程度に学院の視察に今到着したところだった。

 伯爵は学院の敷地内だというのに、相好を崩して愛人のスカートに手を入れていた。

「ふふふ、野暮用はサッサと済ませて君の部屋で夕方まで楽しい時間を過ごそうじゃないか」

「そんな事を言って伯爵様ぁ。もう、この手は何ですかぁ?」

「おっと、この手が待ちきれないようだ。しかし君も、期待しているようだな?」

「いやん、伯爵さまったらぁ」

 もうすぐ玄関につくというのにおっぱじめた伯爵が愛人に覆いかぶさったところで……。


 ズドゥンッ!!


「なんだ!?」

 馬車が普通に走っている分にはありえないほどの衝撃で揺れた。段差を踏んだとか、脱輪したなんてレベルの話じゃない。車体がバラバラにならないのが不思議なほどのショックで、上下左右に大きく揺れる。

「くっ、何事か!? 何ともないか? ……はっ!?」

 揺れが収まり伯爵が衝撃に閉じていた目を開くと……車内の様相が一変していた。

 いや、車内がそんなに変わったわけではない。ただ、今までなかったものが天井から生えていた。

「……えっ?」

 目を見張る伯爵と愛人の目の前に……天井から逆さに裸の若い男の上半身が突き出ている。

 彼は物珍しそうに車内を見回すと、キンキン声で叫び始めた。

「うわーお、ここが天国ですかぁ!? これが天界の部屋? 意外と狭いね? 馬車みたい! だけどさすがは天界だね、神様は天井に座って逆さに暮らしているんだ!? すげえ! ていうか今なに? なんと、もしかして二人してイイことしている最中だった? 昼間っから!? さすが天国、やることが違う! ウッヒョー、僕も混ぜて!」




 急停車した馬車の御者は、自分の車の屋根に剥き出しの男の下半身がガニ股で生えているのを見て御者台から転がり落ちた。腰を抜かしながらも客室の扉を開けると、中から立派な服装の紳士と着衣の乱れた若い女が這い出てくる。馬車の開いた戸口からは、はしゃいでいるマイキー先輩の甲高い声が響いていた。

「……無事みたいだね」

 ぽつりと漏らしたラルフに、渋い顔でホッブも同意する。

「ああ……だが、転落死と大して変わらないピンチな気がするな」

 多分あの馬車の客は迷惑をかけたら色々ヤバい相手じゃないかと思われる。しかもあの姿を見るに、馬車の中で人に言えない事をしている真っ最中だったようだ。

 窓の下では緊急事態発生と見て、職員や学院生がわらわらと現場に駆けつけつつある。

 それをしばし、無言で眺める男たち。

 一旦背筋を伸ばして瞑目したホッブが、手を叩いて皆を追い立てた。

「よし! 各自、自分の居た痕跡を消して三十秒で退去するぞ!」

「えっ?」

 まだ呆然としているラルフと助手たちに、ホッブが窓の外の騒ぎを指で指し示した。

「にぶい奴らだな。おまえら、アレがうやむやで終わると思うか? 巻き込まれたくなきゃ、職員が調べに来る前にここを出て知らぬ存ぜぬで押し通すしかないぞ」

 ラルフが床に伸びているクラエスフィーナを担ぎ上げ、ホッブがダニエラを小脇に抱える。助手二名も私物を回収して、十七秒で全員撤収を完了して遁走したのだった。

書き溜めたストックが切れましたので、以後不定期更新となります。

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