09.追いつくためには発想の転換が必要だ
ラルフは夢うつつの中、どこか遠くで重たい物が床に落ちる「ゴッ!」という音を聞いた気がした。
(何の音だろう?)
ラルフの意識がはっきりしないうちに、続いて側頭部に痛みが広がる。この痛みのおかげで、ラルフは謎の衝突音は自分の頭が床に落ちた音だと気がついた。覚醒した直後に罵声も飛んでくる。
「バカ兄、いつまで寝てんのよ!」
これは目が開いていなくてもわかる。妹のジュレミー(十三歳、たぶんヒト種メス)だ。
目を開ければ二本おさげにエプロンドレスの類猿人が、ラルフが寝ていた筈のベッドの上でふんぞり返って仁王立ちになっていた。ジュレミーのくせに近頃妙に色気づきやがって、おさげの先端にリボンを結んでいるとか笑わせてくれる。思春期だろうか?
気持ちよく寝ているお兄様の毛布を手荒に引っぺがした上にベッドから蹴り落した不肖の妹に、頭が資本の「賢者見習い」ラルフは抗議した。
「このバカ! 頭を打ってバカになったらどうするんだ!?」
「いくら何でもそれ以上はあり得ないから」
冷めた答えが返って来た。加害者のくせに大した言い草だが、しょせんコイツはまだ子供。物事に対する認識が甘いようだ。兄が直々に教えてやらねばなるまい。
「ふんっ、おまえは物を知らないな! 下には下がいるってことがわからないのか」
「呆れたわね。バカ兄、まだ下を目指すの? マジもんでバカなのに、さらにクラスチェンジするの?」
妹の冷視線をラルフは鼻で笑い飛ばした。
「ハッ、僕が下がるまでも無い。元より僕の下にはホッブがいるからな!」
「バカ兄より、よっぽどマトモな人だと思うけどなあ」
寝坊したラルフが妹と喧嘩しながら台所に行くと、父はすでに食事を終えて店に行っていた。残っていた母が温めていたスープを出してくれたので席につく。
煮え滾って湯気どころか気泡がポコポコ浮かんでくるスープ皿を前に、ラルフは手を出しかねて母に尋ねた。
「母さん、父さんと喧嘩したの?」
“粉屋横丁のオーガ”とあだ名される筋肉馬鹿の父に比べ、頭一つ小さい華奢な母は下町の女にしては落ち着いていて品が良い。お嬢様とは言わないが、大商家のメイドぐらいは過去に経験してそうだ。今でも隣近所のおっさんのアイドルで、子供から見てもあの父と何故結婚したのか不思議で仕方ない。喧嘩の一つぐらいしてもおかしくないだろう。
エプロンを取って一緒に食卓についた母は、子供のおかしな質問に眉をしかめて額に手を当てた。
「朝からいきなり何を言うんだい、この子は。父さんと喧嘩なんかしちゃあいないよ。昨晩だって“仲良く”したぐらいさ」
長年連れ添えば朱に交わって赤くなるのかと、マトモと信じていた母のあけすけな暴露発言に息子としては落涙を禁じえない。
「お母さん、子供の前で生々しい事を言わないで……」
さすがのジュレミーも、げんなりした顔で手が止まっていた……いや、これは沸き立つスープに手が出せないだけか。
母は自分のスープ皿を乱暴に掻き回し、熱を空中に逃がしながら事も無げに答えた。
「父さんは関係ないよ。これは竈の火を落とす前にスープを温め直しただけ。まさかラルフが予想の三十分も前に起きてくるとは思わなかったから、想定の温度まで下がってないだけさ」
母の的確な想定に、横から睨んでくる妹の視線が痛いラルフだった。
今日のご飯も、店の古くなった麦粉(デッドストック消費の為なので、小麦とは限らない)を母が練って鍋底に敷き詰め、熾火で焼いた自家製の平たいパン。付け合わせは肉屋でもらってきた骨と我が家の野菜くずを一緒に煮込んで出汁を取った具の無い塩味のスープ。かつて食い飽きて「残飯を集めたようなメシだ」と言ったら、父に「残飯じゃねえ、廃物利用だ!」と殴られた我が家自慢の朝ごはんである。
味が無いくせに古い粉のひねた臭いだけはあるパンを塩スープに浸し、スープを吸わせて匙で食べる。商品の廃棄を防いだうえに、臭いをごまかしつつ味付けと滋養分の補充を行える画期的な料理だそうな。
一石四鳥の賢い喰い方だ、学院出ているのは伊達じゃねえと発案者の父は自画自賛しているけど……これが学院卒の実力かと思うと、ラルフは学院を卒業した後の自分の将来を悲観せざるを得ない。我が父上は廃棄商品の使い方を工夫するより、古くする前に商品を売り切る工夫の方を頑張ってくれないだろうか。
同じような事を考えていたらしいジュレミーが、匙を咥えてうんざりと呟いた。
「お兄、知ってた? パン屋で買うパンは味がついてるんだよ?」
ラルフが答える前に、鍋を片付けていた母がピシャっと妹の不平を断ち切った。
「古くなったって小麦に栄養があるのは変わんないよ。黙って食べな!」
どちらかというと父より母の方が学がありそうだ、とラルフは思った。
生きる為に食べるという当たり前の事実を再確認する作業を終えて、ラルフは食後のお茶を飲みながら妹に尋ねた。
「そう言えばジュレミー、おまえ先週出された課題は大丈夫なのか? 難しくってわかんないって騒いでいたじゃないか」
先週末に学校から帰って来た妹は、出された課題が難しくて解けないと転げまわっていた。ラルフが妹と血の繋がりを感じる瞬間である。
「なに? 宿題見てくれるの?」
「いいや、土壇場でアテにするなと先に警告して置こうと思って」
学院の入学試験もはるか昔になった二年生の今、ラルフはもう幼年学校高等部の課題なんか解ける自信はない。学院生の学力低下が叫ばれる昨今、イケてるラルフが流行に乗り遅れるわけがない。
その兄の予防線に対し、妹は。
「だと思った」
自分で言い出したはずなのに……なぜだろう? ラルフは妹の断定に何故か鼻の奥がツンとする。泣きそうなのは妹の絶対の信頼感に感動したからだよ! 悲しいからじゃないんだからね!
涙をこらえるラルフの前で、妹は余裕綽々の表情で言い切った。
「あれは大丈夫、もう解決したわ。なにしろ私はお兄より頭がいいんだから」
「まて。“解決”ってなんだ? “終わった”でも“解いた”でもなく」
「変な所にこだわるわね」
お茶を飲み終わったジェレミーはいまだなだらかな胸を張って言い放った。
「クラスのできるヤツの答案を見せてもらったから、宿題の出来は完璧だわ」
「うーん、我が妹ながら……アレの将来が心配だ」
登校しながらラルフは首をひねっていた。
朝一からラルフをズッコケさせてくれた妹は、「そんなの通らないだろ!」と言うラルフに対してバカにするように鼻を鳴らした。
「本当に駄目ね、バカ兄は。バレるって、そんなの答案を丸写しにするからいけないのよ」
「……と、言うと?」
「模範解答を見せてもらえば答えに至る理屈がわかるでしょ? そうしたら間違いでない程度に中間を書き換えるのよ。そしたらもう、それはオリジナルの答えなんだから!」
あの時の妹は、小悪魔というより悪魔の高笑いをしていた。
「恐ろしいな、十三でああいう小細工に行きつくとは……アイツ、将来は絶対ロクな大人にならないぞ……」
と、ロクな大人になりそうもないラルフは校門をくぐりながら呟いた。
そんな妹の話を放課後集まったクラエスの研究室で話すと、真面目な顔をしたダニエラが身を乗り出してきた。
「答案を見せてもらう、か。中間を書き換えればオリジナルね……なるほど」
「どしたの、ダニエラ?」
秘伝の古文書が役立たずと判明してから四日。あれから何にも状況は良くなっていない。今こうして議論していても良い知恵は一つも浮かんでこないので、ラルフは作戦会議の手詰まり感を和ませようと今朝の出来事を話しただけなのに……。
妹の呆れた解決策に、何故かダニエラには引っかかる部分があったらしい。ラルフだけではなくホッブやクラエスフィーナも、柄にもなく考え込むドワーフを不審そうに見つめている。
ダニエラはしばらく一人で黙り込んでいたかと思えば、顔を上げると窓を開けて外を眺めた。外の喧騒から、早い研究チームはすでに実地検証に入っているのがわかる。
「ラルフ、答案を見せてもらうのはいい案かも知れねえ」
「どういうことだ?」
ラルフの代わりに口を挟んだホッブに、ダニエラは身振り手振りを入れて説明する。
「他所の研究チームに今の進捗を見せてもらおう。あたしたちに一から方針を決めている時間はねえ。他がどういう事をしているのか見て回って、使えそうな理論をいただこうじゃねえか」
「他のチームの研究を盗むのか!?」
「盗むんじゃねえ、参考にさせてもらうんだ。ラルフの妹ちゃんも言ってたろ? 中間を書き換えればオリジナルだって」
驚く他の三人に、ダニエラは動学系の研究事情を説明した。
「研究の概要を見せてもらうってのは、工造学科じゃ割とある話なんだよ。秘密に論文を仕上げて完成品を発表する静学系と違って、動学系、とくに工造学科じゃ実機を作ってトライアル・アンド・エラーを繰り返す必要がある」
ダニエラは窓の外の大騒ぎを指し示した。
「その実験を完全に人目から隠すなんて、学院レベルじゃまず無理だ。だからむしろ自分たちの進み具合を見せて、類似研究をしている連中に方針転換を促したり世間にうちがオリジナルだとアピールするのも作戦のうちなわけだよ」
「なるほどねぇ。それで言ったら今回の課題も、研究チームの方向性ぐらいまでは見せてもらうこともできるわけね」
工造学科とはまた研究のしかたが違う樹木生命学のクラエスフィーナが感心する。その隣で、ダニエラの言いたいことがわかったホッブもニヤリと笑った。
「なるほどな……おたくとやる事が被らないようにしたい、概要を見せて欲しいって言っておいて」
ホッブが区切った後を、ラルフが引き取る。
「実はそもそも何をしていいかもわかってない僕たちは、よその研究を見て『こうすればいいんだ』と答案から何をすればいいのかを手に入れると」
「そう言うこった!」
立ち上がってお互いハイタッチした三人は、黒い笑みを浮かべて笑いあう。
「被らないようにも何も、こっちはまだなんにも手を付けてないんだけどな!」
「あちこちの研究からいいとこ取りして、ニコイチにしちまえばオリジナルってワケだ」
「丸パクリしなければいいんだもんね。嘘は言ってない」
ゲッゲッゲッと笑いあう悪魔が三匹。
「妹さんのことを言えないと思うけどなー……」
クラエスフィーナはどんよりした顔で小さくツッコミを入れた。
「よっしゃ、そうと決まれば急いで他の研究チームにあたらないとな。おいクラエス、今回の対象者はわかるか?」
やる気を出して手を打ち合わせるホッブに言われ、特待生のリストを探しながらクラエスフィーナが首を傾げた。
「今から廻るの? そんなに焦らなくても……」
「焦るだろ。もう二週間無駄にしてるんだぞ?」
肝心のチームリーダーが呑気なので、ダニエラがツッコミを入れる。
「そもそもこの間の秘伝の古文書がダメだった段階で、すでに十日も経ってたのに……その後にチームリーダー様が丸一日、棒玉転がしを朝から晩までやって全身筋肉痛で二日も寝込むとかさあ。あれで合計三日もムダにしたじゃねえか」
「だって! だって私だってやってみたかったんだもん!」
クラエスフィーナ、友達と初めての棒玉転がしでむちゃくちゃハッスルする。
「だけど、まだ始まったばかりだよ? まだ二ヶ月半もあるし……」
状況がわかっていないクラエスフィーナに、多分一番実感があるダニエラが頭を抱えた。
「あのな、クラエス。おまえまさか、三ヶ月かけて実験機を完成させればとか思ってる?」
「え? 違うの?」
ダニエラはわかりやすいように、紙に工程表の期間を示す縦線を引いた。紙の端と端に「告知日」と「学力審査」と書く。間を六等分し、左から一つ目に「今日」と入れた。そこへそれぞれの工程の必要期間を示す横線を入れていく。
「いいかクラエス。『学力審査』には“完成した研究成果”を出さなくちゃならない。ということは、そのまえに一旦“完成”させて、“確実”かどうかを“試験”しては改良を加えていく。一回で済まないことは多いから、なんども繰り返す前提だな。わかる?」
「うん」
「そして一旦“完成”させるためには、“方針”を決定、“設計”を繰り返し、実機を“製作”しなくちゃならない。さてクラエス、各段階でそれぞれどんだけ時間を喰うと思う?」
「え、え~っと……」
ダニエラが紙に書いていた工程表を皆に見えるように広げた。
「クラエスの回答を待ってたら三ヶ月過ぎちまうから先に説明するぞ」
「ひどいっ!?」
「じゃあ待つか?」
「……どうぞ、ご説明を」
クラエスが引っ込んだのを確認して、ダニエラが工程表の横線を指でなぞった。
「まあ細かい事を説明するよりこのラインの重なり具合を見ておいてくれ。各作業で必要な期間を想定してだいたい落とし込んだが……クラエス。この表で見て、方針をいつまでに決めなくちゃいけない?」
引かれた横線を一生懸命目で追っていたクラエスフィーナが、答えが書かれた場所にたどり着いた。
「……今日、だね」
「わかったか。つまり、今から方針を検討しようってだけでもう遅れてるんだよ」
「わかった……もう、時間がギリギリってことだね!?」
クラエスが決意を新たにする隣で、横から覗いていたラルフが首をひねった。ダニエラに指摘する。
「でも、この表の通りにうまく行くかな?」
「そうか? どうして?」
「だってさ」
ラルフがダニエラを見た。
「このドワーフ、図面書けないじゃん。図面書けないのに設計も何もないだろ?」
「フォワッ!?」
心に見えない銛が突き刺さって痙攣するドワーフの横で、クラエスの長い耳が力なく垂れた。
「どうしよう、ものすごく時間がない気がしてきた……」




