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08.研究室と導師の秘密

 大きな作業机の上を片付けて、古文書と辞書、メモ用の再生紙(ウラガミ)が並べられた。

 準備を進めつつも、ホッブは首をひねった。

「しかし、なんで辞書もあるような言語なのに今まで解読できなかったんだ?」

 ホッブのもっともな疑問。

「それな! 不思議だよな?」

 ダニエラも同意し、ラルフとクラエスフィーナもウンウンと頷く。

「いや? 実は、こういう事態はそれほど珍しいことでもないぞ」

 その答えを持っていたのはラルフのお目付け役に付けられた三十代の助教だった。

「そうなんですか?」

「ああ」

 助教が机に置かれた大判の辞書のタイトルを撫でた。

「俺たち文章学では、割と文献が残っている文字だから専門家もいるし辞書も作られている。だが分野が違えば、ほとんど触ることがないので未知の文字になる」

 クラエスフィーナが首を傾げた。

「でも、文章学の人間なら知ってるんでしょう?」

「文章学科に聞けばな」

 苦笑いが出たのは経験があるからか。

「抜けてるわりに秘密主義なのは研究者の持病だからな。自分の心血込めた研究成果が横取りされるんじゃないかと疑心暗鬼になって、畑違いの知識が必要でも他学科の奴にさえ相談できない学者は数多いぞ?」

「あー……」

 ラルフたちも心当たりはある。ラルフやホッブみたいなモラトリアム学生はともかく、導師とかを見ているとそういう傾向は確かにある。 

「まして静学系と動学系は交流も少ないからな。専攻の人間なら一年生でもわかる基礎知識を、よその学科の御大が知らなくて研究に詰まるなんてよくある話さ」

 そこまで言った助教が、ラルフを見て訂正した。

「専攻の“真面目な”人間なら、一年生でもわかる基礎知識を、だな」


「じゃあ、ダートナム導師も……」

 クラエスフィーナの言いかけた言葉に、渋い顔をした助教が首肯した。

「可能性はあるだろうな。フォトン文字の読める研究者は、文章学のある学院なら一校に四、五人はいるはずだ。文書自体を極秘だって念を押していたんだろう? ……三世代に渡って既知の知識に行き詰っていたとは、ご苦労なことだよ」

 なぁんだ、という弛緩した空気が流れる。この研究室の導師たちは、何十年も無駄なことをしてきたらしい。それがまた、学院らしいと言えばらしいかもしれない。

 そんな中で、ホッブが一人難しい顔をしていた。

「どしたの? 難しい顔をして」

「いや、な……ダートナム導師は古典魔導学が専門なんだろう? 古典という事は原典にあたることも多いはずだ。他学科でとはいえ、割とメジャーな言語に気がつかないものかな?」

「うーん、変かなあ? 考え過ぎだって」

 ホッブの懸念を笑い飛ばし、ラルフが腕まくりした。

「よーし、頑張って訳すぞ!」




「ざっとこんな感じだな。多少の誤訳はあるかもしれないが、細かい所の齟齬は大して影響しないはずだ」

 皆の見守る中、現代語に翻訳を終えた助教(・・)は書き留めたメモをクラエスフィーナに渡した。大判の辞書を小脇に抱える。

「それじゃ、用が済んだということで辞書は持ち帰るから」

「はい。ありがとうございました」

 クラエスフィーナの礼を背に、助教は部屋を出て行った。そして自然と残った者の視線が、部屋の隅で膝を抱えていじけているラルフに集まる。

 ダニエラがポンポンと背中を叩いた。

「ま、気にするなよ。おまえの成績じゃ助教に訳してもらった方がはるかに速いのは確かなんだし」

 慰めになってない。

「そ、そうそう。文法も難しそうだったし、正確に訳すのもただの学院生じゃきっと無理だったよ」

 クラエスフィーナの取り成しも、なんの気休めにもなっていない。

「そんなことはどうでもいいから、早く内容を検討しようぜ!」

 ホッブに至っては、慰める気さえ持っていない。


 隅で膝を抱えているラルフを置いておいて、三人は助教が作ってくれたメモを見た。

「どんな秘術なんだろう……」

 クラエスフィーナがドキドキを抑えきれない顔で覗き込み。

「これ、魔術って言うより何かの法則みたいだな」

 ホッブがざっと内容を推し量り。

「図面要らない内容だよな? な?」

 ダニエラが火の粉が飛んでこないように必死だった。


 ダートナム研究室の古文書に記されていた内容は、持って回った修飾語をはずせば割と簡単な話だった。


 ・“飛翔体”が前に進む時、“推力”により前進し、“抗力”により阻まれる。

 ・“飛翔体”が浮かぶ時、“揚力”により持ち上がり、“重力”により阻まれる。

 ・したがって“飛翔体”が空を飛ぶならば、“推力”が“抗力”を、“揚力”が“重力”を上回る必要がある。


 以上。


「クラエス、ちょっといいか?」

 しばらくそれを眺めていたダニエラが発言の許可を求めた。

「どうぞ」

「これ、工造学で言うところの……世界定理の初歩の初歩なんだけど?」

「よくわからないけど、私も見た感じそういうレベルの法則に見えるわ」

 憮然としている二人に、少し立ち直ったラルフが恐る恐る尋ねた。

「それって要するにさ……秘蔵されていた数百年の間に、他で発見されて常識になっちゃったってこと?」

「つまりは……そうなるかな」

 ダニエラが唸りながら言った一言で、クラエスフィーナが我に返った。

「じゃあ、じゃあさ? ダートナム導師たちが何十年も研究してきたことが、何の意味も無かったって事?」

「うっ……」

 クラエスフィーナの質問に、ラルフとダニエラが言葉に詰まった。思わず質問したクラエスフィーナも暗澹たる顔をしている。

《秘蔵の古文書は、実はとうの昔に発見されていた内容だった》

 この結論を受け入れるなら……この研究室の存在意義が、そもそも初めから全く無かったということに……中身を見た以上、それは認めづらいが認めざるを得ない。

 いや、自分たちはいい。ただ単にアテが外れたで済むけれど、何十年もの時間をこの文書に費やしてきた導師たちの苦労を考えると……。




 お葬式みたいなどんよりした空気を破ったのはホッブだった。

「いや、そうでもないかもしれないぞ?」

「えっ?」

 ホッブもしかめっ面しい顔をしているけど、意味合いがどうも異なるようだ。

「いやさ、ラルフのところの助教が言ってたろ? 文章学科なら読めたって」

「そう言ってたけど……?」

「繰り返すが、ダートナム導師は古典魔導学が専門なんだろう? その師匠たちはともかく、導師がフォトン文字に全く気づかないとは考えにくいんだよなあ」

 ホッブの言いたいことがわからない三人が無言で続きを促す。ホッブが現代語訳のメモを指先で叩いた。

「全文ではないにしても、導師は内容の解読に成功していたんじゃないか?」

「でも、それらしいことは何も……」

 否定するクラエスフィーナにホッブが尋ねる。

「クラエスが研究室にいた一年間に、導師がこれを出して解読作業をしていたことはあったか?」

 言われて昔のことを思い出そうとしているクラエスフィーナが、いつまでも考えている。心当たりはなさそうだ。

 ホッブが盛大に息を吐いた。

「やっぱりだな」

「どゆこと?」

 聞いたラルフに肩を竦めて見せるホッブ。

「多分、どこかの段階で……ダートナム導師かその前かその前が、古文書の内容に気がついたはずだ。だけど、今じゃすでに知られた知識の上に専門で研究するほど価値はない。それを馬鹿正直に報告したら……研究室はどうなる?」

「そりゃ、役割を果たしたって閉鎖……あっ!?」

 ダニエラがホッブの言いたいことに気がついた。

「そうだよ。逆に言ったら、古文書が解読できない限り研究室と予算が確保されてんだよ。研究室持ちの学院導師って名誉と素人からの尊敬も。公立学院のチェック機能はザルだからな、いままで数十年もバレなかったってわけだ」

「あー……」

 理解した。できちゃった。ラルフとダニエラはホッブが見つけ出した“真実”に納得した。したけれど……今度は、呆然自失のクラエスフィーナの顔をとても見られない。

 

 機能停止しているクラエスフィーナと、あからさまに後ろのエルフを見ないようにしているラルフとダニエラを見て……珍しく気を使ったホッブがわざとらしく咳払いをした。

「まあ、なんだ。この辺りのことは非常にデリケートな話でもあるし……外部の俺たちがあれこれ言うのもどうかと思うし……関係者に一任するというのはどうだろう?」

 ホッブが奥歯に物が挟まったような言い方で提案する方針に、ラルフとダニエラも一も二もなく賛成した。

「うん、それがいいね。僕たち部外者があれこれ言う事じゃないよね!」

「あたしもそう思うな! こういうのは内部の人間が決めるべきだよな!」

「……その内部の人間て、私一人の事だよね……?」

「……」

 地の底から湧き出るようなクラエスフィーナの暗い声に、全員明後日の方向を向いてノーコメント。ちょっと今のクラエスフィーナに、面と向かって「その通り!」と言い切る度胸は三人には無い。


 “運が悪い”を通り越して“絶望的に運が悪い”エルフは、誰一人何も言わないのを見て取って……キレた。

「みんな部外者PRが露骨だよ!? 関わり合いたくないのはわかるけど、私一人に押し付ける気満々なのは酷くない!?」

 貧乏くじ引きまくりで、しまいには所属研究室の予算不正受給疑惑なんて引き当てちゃったエルフさん。荒れるのも無理はない。

 そんな彼女の気持ちは理解できる。理解はできるけど、実際問題として他の三人だって同じく二年生でしかないわけで……ハリネズミみたいにトゲ出まくりで触れなくなったクラエスフィーナを、ラルフたちは猫撫で声で恐る恐る慰めた。

「まあ、難しく考えるなよクラエス。おまえがなんとか退学免れたって、この研究室は導師も助教もいないんだろ? だからこの件が無くたって、どうせ閉鎖になるのは決まっているじゃねえか」

「そうそう。もう実質潰れている研究室なんだから、今さら不正を申告して痛くもない腹を探られなくたっていいんじゃないか?」

「うん、そうそう。小さいことは気にしない! 僕も今度クラエスが好きそうなお菓子を探して持って来るからさ」

「……貴方たち。全然慰めになってないよ、それ! あとラルフ、貴方お菓子を出せば私が簡単に釣れると思ってるでしょ!? 私はそんな単純じゃないんだからね!」

 あからさまな気休めに対し、後ろを向いたままぷりぷり怒るクラエスフィーナ。だけど代わる代わる声をかけているうちに、少しは怒りが鎮まってきているように見える。

 三人は目配せし合った。

(あとちょっとだぞ)

(何かネタはないか?)

(あたしに任せろ!)

 グッとこぶしから親指を立てたダニエラが、クラエスフィーナの背中に声をかける。

「クラエス、もう機嫌直せよ。次に棒玉転がしに行くときは忘れず誘うからさ!」

 しばらくの沈黙の後。

「……きっとだよ? 約束だからねっ!」

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