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Live Forever  作者: 二駆付アルケミスト
第一章漂流篇

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第七話「Nice 2 meet you.」

(ということは、この人が母さんで、寿が父さんになるかもしれないってことか?)


誰が両親か——

なんて考えている余裕なんてなかったし、どうでも良かった。

と言うよりもそう考える方が自然で、納得がいった。


(Nice to meet you、か。……いや、相手が2人なら、

Nice two meet you、だな。くだらない)


茶化さないと、泣きそうだった。


足元に置かれたスーパーの袋から、長ネギが顔を出している。

その上から、細い手が、まだこちらに差し出されていた。


俺は、すぐには握れなかった。


短く切り揃えられた爪。

手首のあたりから、消毒用アルコールの匂いが、

微かに漂ってくる。……俺の知っている母さんの手は、

もう少し、荒れていたはずだ。


「どうしたの? 握手は、嫌だったかしら」

「い、いえ! よろしくお願いします」


慌てて握り返すと、思っていたより、ずっと温かかった。


母さんの手を握るのは、小学生の時以来だ。


目の前には、母さん。

その後ろでは、寿……父さんが、説教の余韻でげっそりした顔のまま、頭を掻いている。


(はじめまして、父さん、母さん。……なんて、言えるわけがない)


国立大学の医学部医学科。

さっき彼女が口にした肩書きが、遅れて頭の中で響いた。

母さんは、未来では医者だ。そうか、この頃は、まだ医学生なのか。


それから、美琴さんからの差し入れの不揃いなおにぎりを貰い、

ライブハウスのテーブルを囲んでみんなで食べた。


食べ終わった後、


「ほな、俺らは、お先に」


駿が、にやにや笑いながら、寿の肩を叩く。


「寿、骨は拾ったるからな」


「縁起でもないこと言うな!」


健司も日向も泰示も結弦も、

口々に「ごちそうさまでした!」「美琴ちゃん、またな!」と手を振って、

ぞろぞろとライブハウスを出ていった。


「……車、取ってくるわ。美琴、響のこと、ちょっと頼む」


寿も、逃げるように、駿の実家のほうへ走っていく。


「あなた達、来てくれてありがとうね。

じゃ、アタシはお店の戸締りをするから、悪いけど、外で待っていてね」


豪(つよし)さんにそう言われ、別れを言った後、

夜の裏口に、2人だけが残された。


「寿ったら、居候のことも、昨日の電話で何も言わなかったのよ」


美琴さんが、ビニール袋の持ち手を、持ち直しながら言った。


「でも、ありがとう。あの人、放っておくと、

缶コーヒーしか飲まないから。誰かが見ていてくれると、安心なの」


「見ていてくれると」


その言い方は、初めてこの時代に来た時の夜、

駿が言った言葉と、同じ形をしていた。


「寿のこと、見ていてあげてね」


父さんを頼む、と、母さんに頼まれた。

しかも、まだ20歳の、母さんに。


「それと、あなたも。ちゃんと食べてるの? 痩せてるわよ」

「た、食べてます」

「嘘ね。顔に書いてあるわ。ちゃんと食べなさいよ」


——その言葉は、反則だ。


実家の台所で、何百回と聞かされた台詞が、

20歳の声で、まっすぐに飛んでくる。

俺は、慌てて、

木屋町の、電線が交差する夜空を見上げた。


ジェミニの後部座席から、前の2つの後頭部を、ぼんやり眺めていた。


運転席に、父さん。助手席に、母さん。

信号待ちのたびに、2人は、小さな声で、言い合いをしている。


「寿、来週は、ちゃんと健康診断に行くのよ。予約、入れておいたから」

「えー、なんでそんなんするん?オレ、ぴんぴんしとるし……」

「ぴんぴんしている人は、毎日缶コーヒーで朝ご飯を済ませたりしません!」


父さんは、情けない声で、「はい」と答えた。


俺は、窓の外を見るふりをして、必死に、口元を押さえていた。

家に着いてからすぐに、母さんは夕飯の支度をはじめた。


六畳一間の台所は、1人立つだけで、いっぱいになる。


その狭い台所で、母さんは、手際よく、包丁を動かしていた。

ネギを刻む音。卵を溶く音。

出汁の香りが、煙草の匂いが染みついた部屋に、ゆっくりと広がっていく。


「オレ、卵焼きは、甘いほうが……」

「だめ。今日は出汁。甘いものは、今日はもう、おしまい」

「そんなぁ……」


台所の入り口で、小さくなっている父さん。

その横で、座布団に座った俺は、黙って、2人のやり取りを聞いていた。


やがて、ちゃぶ台の上に、料理が並んだ。

出汁巻き卵。豆腐とわかめの味噌汁。焼き鮭。ほうれん草のおひたし。


「いただきます」


3人で、手を合わせた。


父さんは、おひたしの小鉢を、そっと、脇へ押しやろうとした。


「寿」

「……はい」

「残さないの」


俺は、思わず、吹き出しそうになった。

昼間の学食で、駿が、黙って、小鉢のおひたしを、

寿のトレーに移していたことを、思い出したからだ。


そして、出汁巻き卵に、箸を伸ばした。


口に入れた瞬間、時間が止まった。


甘くない。出汁の旨味が、じんわりと口の中に広がり、

そのまま温かい塊となって喉の奥へスッと落ちていく。

友達の家の卵焼きは、いつも甘かった。

俺の家のは、いつも、出汁だった。

なぜ出汁なのか、今まで、一度も考えたことがなかった。


二十歳の医大生が、俺の『母さんの味』を作っている。

目の前にある現実は、どうしようもなく矛盾していた。


——けれど。


舌の上が覚えている記憶と、

今ここに広がるこの温かさだけは、

1ミリの狂いもなく重なり合っている。


——ああ、そうか。


箸が、止まる。視界が、じわりと滲んだ。

涙が、溢れてくる。

その目を、俺は服の袖で、グッと押さえた。


「響くん? どうしたの?」


美琴さんが、箸を置いて、身を乗り出してきた。


「顔色が、悪いわよ。熱があるんじゃないの?」


ひんやりとした手のひらが、俺の額に、そっと当てられた。


ほんの一瞬だけ、彼女の指先が、何かを確かめるように、止まった。


「……熱は、ないわね」


その手は、すぐに離れた。


「疲れているのよ。今日は、ちゃんと食べて、ちゃんと寝なさい」


「……はい」


「おかわりも、あるから」


——ちゃんと食べなさいよ。


その言葉の続きを、俺は、胸の中で、ずっと、繰り返していた。


1995年の夜。

俺は、生まれて初めて、母さんと父さんと、3人で、夕飯を食った。

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