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Live Forever  作者: 二駆付アルケミスト
第一章漂流篇

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第六話「フラッシュバック」

次の日になり、

二限からの大学だった寿と俺は、

昨日より余裕を持って大学に向かったのは良かったのだが、

朝起きてから大学までの道中、ずっと隣で狼狽えてる男がいた。


——寿(ひさし)である。


昨日の留守電の余波は一晩明けても、

確実にこの男の精神を蝕んでいるらしい。


「……ああ、あかん、あかんよぉ……」


朝からこんな調子なのだ。

彼女のいない俺からすれば、

何がそんなに恐ろしいのかさっぱり分からない。

好きな人から留守電までもらって、わざわざ生活の世話を焼かれるなんて、

これほど幸せなことはないだろうに。

この贅沢な男は、まるで処刑台に向かうような顔をしてバスに乗っている。


大学に着いてからも、寿の顔色は優れないままだった。

授業を受けている間もずっと上の空で、起きていても意味がなさそうだった。

しかし、昼休みの学食で奴のトレーに乗っていたのは、

昨日よりもボリュームのありそうな大盛りのカレーだった。


——食欲だけは、しっかりあるらしい。


いつものように長テーブルを囲むメンバーたちも、

当然この異変を見逃すはずがなかった。


「寿、大丈夫? ほんまに元気ないで」


隣で心配そうに覗き込む泰示を、駿がピシャリと制する。


「ほっとけ泰示。こいつの自業自得や。

彼女さんほったらかしにしとるコイツが悪いんやからな」


「せやせや! 今日の練習終わりが『最後の晩餐』になりそうやな! あ、今食うてるのは昼飯か!」


健司が腹を抱えて笑い転げ、

隣で日向も「ほんま不器用すぎるわ、寿!」と囃(はや)し立てる。


結弦に至っては、ごちそうさまも兼ねてなのか、

静かに両手を合わせ、「南無」と拝んでいた。


「……別に、ほったらかしにしてた訳ちゃうし」


四方向からのイジりにまともに反論する気力もないのか、

寿は恨めしそうな声でボソッと呟き、黙々とカレーを口に運んだ。


学食を食べ終わって、昨日と同じように寿たちと別れ、

授業が終わるまで待っていた。

大学の授業が全て終わると、俺と寿と健司は一度、

寿のアパートへと戻った。

今日の練習は健司の機材が多いらしく、車で向かうという。


アパートに併設された、白線もない砂利敷きの駐車場。

そこに停まっていたのは、

直線基調のシャープなスタイリングが目を引く、少し塗装の褪せたセダンだった。


——いすゞの二代目ジェミニ。


「ほな、積むで。健司、お前レコードバッグだけで何キロあんねん! トランク底抜けるわ!」


「アホか! これ泰示の家から借りてきたクラシックのLPも入っとんねん!

丁重に扱えよ、傷つけたら流石のあいつも殺しにかかるで!」


「お前、また泰示の実家から勝手に盤持ち出してんのか」


「勝手ちゃうわ、ちゃんと拝み倒して借りてきたんや!

あいつの家のレコード棚、宝の山やぞ。サンプリングするのに最高のネタがいっぱい眠っとるんや」


健司の言葉に、寿は「実家暮らしのお坊っちゃんは羨ましいこっちゃな」と苦笑いしながら、

トランクに自分のベースケースを放り込む。

健司は一人暮らしの自室から運んできた重たいレコードバッグと、

サンプラーが入ったケースを、壊れ物を扱うように慎重に後部座席へ押し込んでいった。


「大学生で、こんなシブい車乗ってんのか?」


俺が素朴な疑問を口にすると、寿はキーを指先で回しながら、照れくさそうに笑った。


「ああ、これな。オレの育ての親の、おっちゃんとおばちゃんが、

二十歳の誕生日に買うてくれたんや。古いタタキ値の中古やけど、

この直線的なデザイン、男の子ってこういうの好きやろ?」


「育ての親……?」


「そう。オレの実の両親、小さい頃に亡くなっとるらしくてさ。

せやから、ここまで育ててくれたおっちゃんとおばちゃんには、ほんま感謝してもしきれへん」


車体に軽く手をつき、どこか愛おしそうにジェミニを眺める寿の横顔。

さらりと言ってのけたその言葉に、俺は少しだけ目を見開いた。


(朝から彼女の影に怯えて、情けない顔ばかり見せてるこの男にも

——こんな風に、静かに背負ってるものがあるんだな)


「おーい響、何ぼーっと突っ立ってんねん! 行くで!」

「え、あ……ああ、悪い!」


いつもバタバタとへらへらしながら生きているこの男にも、

胸の奥には誰にも踏み込めない複雑な事情と、ちゃんとまっすぐな感謝がある。

そう思うと、助手席から見える横顔が、

急に少しだけ頼もしく、遠い存在のように見えた。


エンジンをかけると、軽快なエンジン音が響き、

ダッシュボードの下からカセットテープの駆動音が聞こえてくる。


「よっしゃ、いこかー!」


寿が細身のハンドルを握り、アクセルを踏み込む。

タイヤが砂利をジャリッと鳴らし、ジェミニは夕暮れの京都の街へと走り出した。

後部座席では、すでに健司が「今日こそ寿の命日やな!」と茶化し始め、

寿が「うるさいわボケ!」と怒鳴り返している。


車は木屋町の裏通りへ滑り込み、

雑居ビルの地下にある『KYOTO MOzZ』の裏口に横付けされた。


「急いで機材降ろすで! 長時間停めてたら近所に怒られるし!」


寿と健司が手早くベースと重たい機材ケースを裏口の通路へ運び出す。

荷物をすべて降ろすと、寿は手際よくエンジンをかけ直した。


「オレ、駿の実家に車停めてくるわ! 近所で助かるわほんま」


烏丸御池の方にある駿の実家の駐車場を借りているらしく、

寿はそのまま軽快にジェミニを走らせて去っていった。


俺と健司が重い荷物を抱えて地下への階段を降り、

防音扉を押し開けると、すでに他のメンバーたちが到着していた。


「おっ、お疲れー」


カウンターの端で、日向がライブハウスで買った瓶コーラを喉に流し込みながら振り返る。

ステージの上では、駿がドラムキーを片手にスネアの調整をし、

その横で結弦が歌詞ノートを見つめていた。

泰示は丸椅子に腰掛け、膝の上に載せたキーボードの鍵盤をカタカタと叩いている。


しばらくして、

車を停め終えた寿が「ふぅ、走ってきたわ!」と息を切らせて合流した。


「あら、みんな揃ったわね、

今日はライブ無い日だから、電気代だけは節約してね。あとは、好きに使っていいわよ」


カウンターの奥から、

オネエ口調の店長、豪(つよし)さんが顔を出し、ウフフと笑ってくれた。


「豪さん、いつもありがとうございます!」


メンバーと俺がお礼を言ったあと、

寿と健司はすぐに自分の機材のセッティングを始めた。


(何もすることがないの、なんか嫌だな)


そう思った俺はセッティングが大変そうだった健司のところに行き、

手伝おうとした。


「健司、手伝うよ」


「え、まじ!?助かるわぁ、今度なんかジュースでも奢るわ!」


「いいよいいよ、このぐらいのこと!」


俺は健司の足元に置かれた重たいハードケースを持ち上げ、

ステージのテーブルの上へと慎重に運んだ。

間近で見ると、無数のゴムパッドやダイヤルがぎっしりと並んだ灰色の大きな機材は、

ずっしりとした重厚感と独特の存在感を放っている。


「これ……なんかすごいな。見るからに高そうだし」


俺が感心したように覗き込むと、

健司は「分かってくれるか!」とパッと表情を明るくした。


「せやろ! このパッドがたくさん付いとるやつな、

去年出たばかりの最新型で、定価で三十万以上もすんねん。

実家の親に土下座レベルで拝み倒して、半額出してもろて手に入れた俺の一番の宝物や」


健司は愛おしそうにパネルの表面を撫でると、

今度はその隣に置いた、

表面がスクラッチ傷だらけの小さな機器を指差してニヤリと笑った。


「で、こっちのツマミと横スライドのスイッチがついた機器はな、

クラブのバイトでDJやってるサークルの先輩から格安で譲ってもらったやつ。

『ボディは傷だらけやけど動作は完璧やから、一万でええで』言うてな、

この傷がまた、男の年季って感じで渋いやろ?」


「へえ……手に入り方が全然違うんだな」


「おう。親を拝み倒して買った高級な宝物と、

先輩の熱い魂を引き継いだ相棒。どっちも俺の音には欠かせん大事な機材なんや」


健司は手際よくケーブルを差し込み、慣れた手つきで繊細な針を取り付けていく。

その横顔には、自分の音楽と道具に対する並々ならぬ愛着とプライドが溢れていた。


やがて泰示や寿たちのセッティングも完了し、

ステージの上に6人の音が揃った。


「よっしゃ、とりあえず頭から通すで! 曲は『Soyuz(ソユーズ)』や!」


駿のカウントとともに、誰もいないフロアに音が放たれた。


激しいハードコアの疾走感ではなく、

どっしりと腰の低い、重厚なスローのグルーヴ。

健司の切る不穏でドープなスクラッチと、

宇宙の暗闇を漂うようなサンプリングSE。

そこに泰示のアナログシンセがメロウでサイケな音の浮遊感を与え、

日向のギターがブルージーで鼓膜に直に響くような歪みを重ねていく。


そして、その贅沢な空間の底辺で、

寿のベースが太くうねり、

時に跳ねるようなスラップで強烈なグルーヴを叩き出していた。

結弦の透き通るような歌声が、メランコリックに、

だけど真っ直ぐにフロアを揺らす。


俺はステージの下、誰もいないフロアの真ん中で、

身体の奥底を直接揺さぶられるような音像に立ち尽くしていた。


(……なんだ、この曲)


90年代の荒々しいミクスチャーでありながら、

どこか洗練されたネオソウルのようなチルさと、

骨太なロックの鋭さが同居したメロディー。

そして昨日、先輩バンドの『meteors(メテオズ)』を聴いた時と同じ、

強烈な違和感が胸を突き刺した。


曲のジャンルも全然違う。

バンドの構成も、音の空気感もまるで違う。

なのに、


——俺のいた令和で、確かに『同じアーティスト名』として聴いた記憶がある。


(なんでだ……? 全然違うバンドなのに、なんで同じ名前で知ってるんだ……?)


思い出そうとするほど、記憶はノイズとなり、消えていく一方だった。


「立って観てたら疲れるわよ。ほら」


不意に横から声をかけられ振り返ると、

豪さんが折りたたみのパイプ椅子をひとつ、ポンと広げて置いてくれた。

豪さんも隣に椅子を引き寄せ、

ドサリと腰を下ろすとセブンスターのタバコに火をつけた。


「あ……ありがとうございます」


「いいのよ。あのコたちの音、近くで聴くと骨に響くでしょ」


紫煙をくゆらせながらステージを見つめる豪さん。

俺も言われた通りパイプ椅子に腰を下ろし、再びステージの上へと視線を戻した。


そこで、俺の目は、ひとつの「異常」に釘付けになった。


どっしりとした重低音で全体を支えながら、

要所で弾丸のようなスラップを決めている寿。

彼が抱えているサンバーストカラーのプレシジョンベース。

そして——その肩にかかった、使い込まれて革が擦り切れそうな、

独特な刺繍の入ったストラップ。


(……え?)


刹那、世界の音が、俺の呼吸の音と心臓の鼓動しか聞こえなくなった。

背中に、スーッと冷たい汗が滴り落ちていく。


塗装の少し剥げたベースボディの傷の位置。

そして、あの特徴的な民族柄の刺繍のストラップ。


——忘れるはずがない。

忘れようはずがない。

忘れるなんて不器用な真似、俺にできるわけがない。


母さんが「あ、それお父さんのだよ」なんて、

まるで昨日買ったコンビニのビニール傘でも渡すみたいな軽さで寄こしてきて。

譲り受けたはいいものの、

ロクに弾きもせず、あまり弾けもしない癖に手放す度胸もなく、

今では俺の部屋の最果て——北西の隅っこで、

すっかり埃を被った静かなインテリアと化している、

それでも好きだった、あの古びたベース。


それと。

寸分違わず、完全に、決定的に、同じものだった。


(……嘘……だろ?)


頭の中が真っ白になる。

初めて会った時に鋭い眼差しで俺を睨んでいた男。

朝、バスの座席で「あかんよぉ」と情けない声を上げていた男。

育ての親に感謝し、旧型のジェミニを愛おしそうに撫でていた男。


(寿……? こいつが……まさか、俺の……親父……なのか……?)


心臓が早鐘のように打つ。

答え合わせを求めるように、

俺は食い入るように寿の横顔を見つめ続けた。


そうこうしているうちに、

『Soyuz』のサイケデリックな余韻が静かに消え去り、

アンプの残響がキーンと残る中で演奏が終わった。


「ストップ! 健司、サビ前のスクラッチ、サンプリングのタメと被っとるぞ!」

「寿、今日ベースのロー出しすぎや!」


ステージ上では、

荒い息を吐きながらメンバーたちが遠慮なく次々と反省点を洗い出し、

その後も何度も同じ箇所を合わせ直していた。

だが、俺の頭の中はぐるぐると渦を巻いたままで、

音のディテールなど途中から一つも頭に入ってこなかった。


やがて、ひとしきり練習を終え、汗だくになった6人がステージのへりに腰を下ろす。


「……豪さん!」


寿がタオルで首筋を拭いながら、

カウンターの豪さんに向かって真っ直ぐに声を張った。


「オレたち、ここでライブがしたいです。

練習じゃなくて、ちゃんと客がいるこのステージで、オレたちの音を鳴らしたいんです!」


健司も、駿も、泰示も、日向も、結弦も。

全員が固い眼差しで豪さんを見つめた。

豪さんはタバコの火を灰皿の底で消し、顎髭を撫でながらニヤリと笑った。


「本気なのね? いいわ……出たいのなら、今度のオーディションに出なさい!」


「……オーディション!?」


「当たり前じゃない。ウチのステージは、

出たいって言えば誰でも立てるほど安くはないの。

次の週末のオーディションライブで合格したら、

来月のブッキングに入れてあげてもいいわよ」


「やったるぞ……! 絶対合格して、このステージ立ったる!」


拳を握りしめ、一致団結した6人の熱量が最高潮に達した

——まさにその時だった。


——ガチャリ。


防音扉の重いハンドルが下げられ、扉が開いた。


フロアの熱気が、一瞬にして凍りつく。

寿の顔から、サーッと一秒で血の気が引いた。


そこに立っていたのは、

両手にスーパーのビニール袋を提げた、

デニムジャケットを羽織り、

スレンダーで黒髪のロングヘアーの綺麗な女子大生だった。

まったく笑っていない目でフロア内を見回すと、

ステージの上で蛇に睨まれた蛙のように縮み上がる寿をロックオンした。


「……寿、連絡返さなかった理由は、なんなの?」


低い、説教モード全開の声。

縮み上がる寿に、

口笛を吹きながら他人のフリを決め込むメンバーたち。


「い、いや、これは違くて、なんつーかその……曲作りに没頭しててん! な? お前ら!」


ひどく動揺しながら、

縋(すが)るような目でメンバーに助けを求める寿。

だが——。


「ひゅーっ、ひゅーっ」


健司も日向も泰示も駿も結弦も、それぞれ全く別の方向を向きながら、

形にもなっていない不器用な口笛を吹いて他人のフリを決めていた。


「お、お前ら……さっきまで家族同然やったやん!」


涙目になる寿を見ていた俺は、少し居たたまれない気持ちになっていた。

……と、視線を感じたのか、彼女がふとこちらを向き、バチッと目が合った。


「あれ、この子は? 初めて見るわね」


「あら、美琴ちゃん。いらっしゃい」


カウンターから豪さんが親しげに声をかける。


「こんにちは、店長さん! で、この子は誰なんですか?」


女子大生の鋭い視線が、寿から俺へとスライドしてくる。

その圧に俺が身をすくませた瞬間、隣にいた健司がすかさず前に躍り出た。


「姐さん! こいつは関係ないんや! 殺(や)るんなら寿だけにしてくれ!」


「なんでオレが殺られる前提なんやボケぇ!」


間髪いれずに吠える寿を横目に、

美琴さんはフッと冷ややかな笑みを浮かべた。


「気に入った。殺すのは最後にしてやる」


「え、え、俺も殺されるやん!」と大げさに頭を抱える健司と、

「お前ら全員絶交や!!」と絶叫する寿。


(……急にコントみたいになったな)


その後、寿は彼女に、

小一時間説教され、魂が抜けていた。


途中、話題を逸らそうと必死になった寿が、

「こ、こいつ、響いうて、昨日から居候しとんねん!」と、

俺を指差した。


「居候? 聞いてないわよ!」


説教は、さらに十分、延長になった。


それから十分経ち、


「あ、私、自己紹介がまだだったわね」


寿への説教を一通り終えた彼女が、

くるりと軽やかにこちらを振り返り、微笑みかけてきた。


「鳴海美琴(なるみみこと)。

国立大学の医学部医学科の二年生。よろしくね、響くん」


スッと差し出された細い手と、

その口から発せられた完璧で、明瞭で、逃げ場のない音の羅列。


「……鳴海」


その苗字を耳にした瞬間——俺の脳裏にある一人が浮かんだ。


(鳴海……美琴……!?)


鳴海。鳴海美琴。

美琴。鳴海。


頭の中で、二文字の苗字と、同じく二文字の名前が、

狂ったルーレットのように高速回転を始める。


その文字列と完全に合致したのは、忘れもしない。


——俺の母親の名前だった。

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